special issue : 特集:「Creator'S Room #1/西村清一(TVCMカメラマン)」

今号より、変則的に特集を組む、新企画「Creator'S Room」。
特に広告映像の分野で活躍しているスタッフに焦点を絞り、その活動の様子をインタビュー形式で特集いたします。

第一回目は、TVCM界で日本屈指の名カメラマンである、西村清一氏を迎えます。

 特集1:はじめに
<About 'Creator's Room'>
これまでmoment websiteでは、自らのペースで活動を続ける、映画人、写真家、イラストレーター、デザイナー、音楽家など様々なインタビューを掲載してきました。が、「広告映像」というジャンルは、これまであえて封印して来ました。個人や団体が自由に制作する対象としての映像分野ではなかった為です。近年、映像媒体が大きく変化する中、広告映像業界でも原盤(納品)形体メディアが、80年代中盤までのFilm(16mm)から、1inch(ビデオ)、ベーカム、デジタルベーカムなどと色々と変化を続けて来ました。これまで、あまりネットで取り上げられる事のなかった広告映像を作り出すスタッフに目を向けて、広告映像製作の流れや、苦労、楽しさを少しでも垣間みていただけたらと思い、moment websiteでは、「Creator's Room」と題して、その特集をスタートいたします。

第一回目は、広告カメラマンの 西村清一氏をお迎えいたしました。

 特集2:西村清一 ロングインタビュー (interview by TERA@moment)

#1 西村清一(広告カメラマン)

T:よろしくお願いします。まず、ご職業を教えて下さい。

N:職業は広告のカメラマン。今、ムービー主体だけどスチールもやってる。殆どムービーの仕事が主になってるけどね。

T:西村さんと初めてお会いしたのが確か80年代後半さしかかる頃、某ダイヤモンドのTVCMだったんですけども。僕はまだその頃はPM(プロダクションアシスタント)で。やっぱり映画が好きでCMに入って、それでもなかなか現場に入って映画の話が出来る人とか、以外にいなかったんですけど、その撮影の合間で、西村さんと雑談してた時に、撮影監督アルメンドロスの「天国の日々」の映像の話になって、その事が今でも印象的に残っています。

N:「天国の日々」は見てた?

T:既に見てましたね。

N:リチャード・ギアだよね。

T:そう。監督はテレンス・マリックで。

N:あれは、絵もきれいで印象的な映画だったんだけど、一番驚いたのは演出上の技法と、その当時の映画の撮影技法とが折り合いをつけて撮影をしたというところ。もちろん色んな俳優の演技とか、絵も良かったんだけど、一番面白いと思ったのは、その当時まだ高感度フィルムの良いのが無くて、夕景の薄暮みたいな感じの中で農作業をしている農夫たちを描きたいという監督の意向で、高感度が無いと、全体が暗くなっちゃう。写らない。いい光なのに写らないという状況になる。それをどうしたらいいかって、撮影の監督アルメンドロスが考えて、「ひとつコマどりで撮ったらどうか」ていう話になった。コマどりっていうのはいわゆる、1秒に何コマっていう撮影で。それでも人間の動きをコマどりでっていう発想がすごいと思って。人間の農作業をやる人たちをコマどりで撮るためには、コマどりの演技をしなくてはいけないんだよね。

T:そうですね。

N:普通だとそれは考えられないんだけど、その為だけに1週間かけて、演技の練習をして。それで薄暮の一番いい時間帯をねらって、コマどりで撮影をしたっていうところがね。そういう事をやれば、こんな良い絵が撮れるんだって、それはちょっと驚いたね。その発想が日本人ぽくないよね。まずその1週間以上演技の練習をしなきゃいけないとかで、それは当然お金かかるし。それから、技術の為に演技を変えなきゃいけない。日本人の映画監督は、どっちかっていうと演技の為だったらカメラワークはどうでもいいっていう人が多い時代に、向こうはその綺麗な絵を撮る、印象的な絵を撮る為に演技を変えたという。そこがちょっと驚いたのかな。それですごく印象に残ってて。アルメンドロスは当時売れっ子の映画の撮影監督だったんだけど、その絵も好きだったし、コマーシャルも撮ってた人だから、それでたまたま「天国の日々」の話になって、話したんだよね。そうだな。もし機会があったらね「天国の日々」また観てもいいかなって。それはもう、今見てもきれいな映像でね。

T:そうですね。その後、何回か一緒にお仕事する機会もあって、楽しい想い出で。それは置いといて、西村さんの小さい頃というか学生時代、初めて映像に対峙した記憶は、どの辺からなんですか?

N:映像はね、僕は北海道に生まれて、北海道の自然の風景が今に影響してるんじゃないかなと思ってる。子供の頃。10才までしか北海道にいなかったんだけど、その10才までの間に風景に対する映像の印象が、すごく頭に残ったっていうか。その後、東京に出てきたんだけど、出てきてから映像にそんな携わったていうのは、絵を描いたというのはあったけど、写真も撮ったりもしなかったし、ちょっとその辺は空白期間があって。後にカメラマンのアシスタントとして東北新社に入ったんだけど、その当時も成りゆきで入ったところがあって。その前にインドに1年近く行って、インドでもって色々写真撮りに行ったんだけど、その内にカメラも売っぱらって遊んでたりなんかしてた。(笑)

T:(笑)

N:そう、殆どそういう滅茶苦茶な生活をしてて、日本に戻ってきて、東北新社に入ってTVCMの撮影アシスタントやってたんだけど、それも成りゆきでなっちゃったところがあって。あの当時は余裕があったのか、海外ロケが多くて、海外ロケ行ったって社員撮影部だから給料も安かったからお金も全然なくて、行っても、ばっと遊ぶような金もなく、買い物も出来ず。一番安い方法が美術館行く事で。博物館とか美術館行ってた。一日余裕があったから。海外に行って撮影前に何日もあったり、終ってからも帰る時間が、フィックスの飛行機だったから、何日かあったりして。そういう空いてる時に美術館めぐりとか博物館めぐり。最初は観光客的な考えで行ってたのが、段々それが面白くなって、絵とかにすごい興味もつようになって、それからぐらいだね。本当にカメラマンとしてやりたいなって思ったのは。

T:なるほど。

N:だから、実はこの業界に入ってしばらくしてから、カメラマンになりたくなってきたのかな。カメラマンになりたくて業界に入った訳じゃないんだよね。結構その辺は不純な感じはあるんだけど。大体みんな、撮影部って特殊だから、写真学校に入って、助手に付いたりなんかしてカメラマンになっていくんだけど、僕は違うんだよ。本当は。今だから話すけど。

T:そうなんですか。では、それほど映画を撮りたいってことは。

N:最初は全然無かった。

T:でも映画は普通に観てたんですか?

N:映画は、「周りの人も観てるから、一緒に観に行くか」みたいな事で。撮影部にいるから、こういう撮り方してるんだとか、ああいう撮り方してるんだとか、これは綺麗だなとか、単純な普通の映画マニアと同じ様な見方をしていた。今だから思うと。たいして深くも考えて無かったな。

T:それで新社でアシスタント始めて、1本になるまではどのくらいの期間に?


N:23歳で新社に入って、29か30歳ぐらいで新社辞めて。それから34歳になる前に、33歳何か月かでカメラマンになったのかな?

T:初めての作品は?

N:一番最初はね、カメラマン宣言する前の月に、今は、TCマックスに移ってる桐生さんていうプロデューサーが、ディレクター宇恵(和昭)さんで。「まあ使ってみようか」って言う事で。まだチーフだったんだけど1本仕事が来て。それはアイスクリームの仕事だったのかな?浅香唯かなんかを撮影して。それね、結構良い感じで撮れたんだよ。

T:ロケですか?

N:いや、スタジオで。スタジオで2本、2タイプ撮って。それがカメラマンとしては一番最初。その前に僕がチーフの時に付いてたカメラマンのお父さんが亡くなって、急遽代役でやった事が1本あるんだけど、それは助手の時の話だから。カメラマンとして仕事をしたのは、「1本宣言」する前の月、1本宣言したのが1月だったので、12月に仕事が来たのがカメラマンとして一番最初の仕事。

T:ディレクターの宇恵(和昭)さんとは長いんですね。僕も大好きなディレクターですが。


N:宇恵さんは、その頃、グラフィックのカメラマンを使う事が多かったから。グラフィックのカメラマンのチーフを僕はけっこうやってたんで、そういう関係でどんどん多くなっちゃって、チーフとして指名がきてたの。スチールのカメラマンだから、ムービーの事あまり知らなくて、僕もちゃらんぽらんに新社で仕事やってたんだけど、一応、新社で撮影カメラとか持ってたから、ある程度の知識はあったんで、それが急に役に立っちゃって。スチールカメラマンからの指名が多くなった。新社を辞めてからね。自分がカメラマン1本になるまで、ほとんどあの頃売れてたスチールカメラマンとは仕事をした。色んな事を覚えたりしてね。色んなカメラマンがいるからね。物(ぶつ)撮りのカメラマンにつくと、「カメラ覗くな!」って言うのね。それで、人物のモデルなんか撮るカメラマンだと、まず「人物をカメラで覗いて!」って言ったり。それはすごく参考になったね。今も頭に残ってる。カメラマンによって撮り方が全然違うんだね。物の捉え方が。カメラマンでも色んな種類の人がいて、例えば無になれる人、だから被写体からじゃまにならないで撮れるカメラマンね。ミュージシャンとか撮る人は割とそれなんだよ。ミュージシャン撮る時に、カメラマンが気になると、被写体がうるさくなるから、割と無になれるんだよ。それってスタジオの中で見てても、カメラマンがどこにいるかわかんないくらいの感じになったりするのね。あと、モデルを撮るカメラマンね。例えばあの当時だと、操上さんとか横須賀さん。ああいう人は「俺が主人公だ!」みたいなさ。存在感ものすごい出して撮るカメラマンがいたりね。色んな人がいたね。それはすごい参考になったね。

T:なるほど。その中でも特に印象的だった方は?

N:自分が撮るにあたって。新社の時に写真を見て、このカメラマンと仕事やりたいって思ったのが、高崎さんなんだよ。それはね、あの頃まだ高崎さんが新進気鋭でサントリーのオールドか何かのポスターで羊飼いの写真を撮ったのね。ニュージーランドかどっかで、逆光の写真撮ってて。すごい綺麗な写真で、暗い暗部の羊と羊飼いが立ってる中に、逆光の光がパーンと入っている写真で、「このカメラマンすごいな」って思ってたら、ちょうど新社のプロデューサーが高崎さんと仕事をするって言うんで、僕は助手なのにそのプロデューサーのとこに、「一緒に仕事させてくれ」って言いに行ったの。それが一番最初のスチールカメラマンに対してのアピールで。それでね、色々その時、話を聞いたら、高崎さんは現場でグラフィック以外にムービーも一緒にしてて。そのコマーシャルの時の撮り方で、引きと寄りをいっぺんに撮りたいと。同じ時間帯に薄暮の逆光がきてる、薄暮の少し手前の同じ時間帯でパンをしたい。寄りと引きを同時にね。ムービーのカメラマンだとやっぱり2カメで「足(三脚)」立てて、助手か何かに同じパンさせるじゃない。それを高崎さんはどうしたかって言うと、ガムテープで2台のカメラぐるぐる巻きにして、1回でパンでやっちゃったていうね。その発想っていうのが驚いた。すごいでしょ、それ。これからはそういう時代だよなって思ったの。ムービーの僕が、それまで馬鹿にしてたわけじゃないけど、新社の昔からのやってたアシスタントの人たちってそういう発想ないわけ。カメラは「足」に付けて、ヘッド付けて、乗っけて、パンするもの。もし、人寄りに撮りたかったら、誰かもう一人横にいて横で撮るっていう発想を、いきなりガムテープで結び付けて、撮ったって話を聞いたわけ。

T:面白い話ですね。

N:それで、なおのこと高崎さんっていうのを見たくて。それで、実際に見てほんとに驚いたんだけどね。

T:なるほど。

N:でも、これからはこういう時代だなって少し思って。

T:それで、1本宣言したのが?

N:80年後半かな。

T:その1本宣言の一年目ってどうだったんですか?

N:1月1日からだったんだけど、1月はご祝儀で3本来たんだよ、仕事がね。それまで、僕はチーフ(カメラマン)としては物凄く売れっ子だったから、仕事が途切れた事が無かった。その頃はまだ携帯とか無い。有り難く、1日に3本とかの仕事もあった。ムービーで3本で。それも助手で。昼間ロケ行って、帰ってきたらスタジオが2つ用意されてて、2つを行ったり来たりして撮影とか。朝から電話かかってきて「夜は何時にに終るのか」って、「9時ぐらいに終るかな」って言ったら「10時からスタンバイします」とかさ。夜10時からチーフのためにだよ。午後DEC(スタジオ)で撮影して、22時から(スタジオ)109に移動して、朝まで5時まで撮影して、その次の日は朝の8時から撮影が入ってて。っていうような生活が続いてたんだよ。もうほんとに今考えても、一生で一番仕事をしたんじゃないかって。それまで新社でのらくらやってて、あいつ駄目だなっていう人間だったのが、急に人に頼られるっていう仕事をしてお金入ってくると、考え方が変わってくるんだよね。プロデューサーとか制作から電話が入る。まだ携帯ないから、スタジオの電話で取るでしょ。そうすると現場はチーフ待ちで、みんな笑ってるの。自分たちもそう頼んできてるから。電話で話してる間、待っててくれる。今じゃ考えられないよね。今なら怒られてクビ。その頃、チーフも足りなかったからチーフが花形っていうのもあったんで。それで結局、そのまま1本なったから。忙しい事しか知らなかったのが、1月はご祝儀で3本きてたのが、2月1日になったら全く電話も入んなくなったんだ。

T:ぱったり。


N:全く入んないの。で、その頃、二子玉川に住んでて、どうしようかなって思ってさ。でもね、売り込みなんか行ったらこの業界ってね、仕事の無い人には仕事が来なくなるから、仕事来る人にはどんなに忙しくても仕事来ようとするのにね。それを見てたから売り込みには一切行かなかったんだよ。毎日寒かったけど河原に行って。家にいると電話が気になってしょうがないからね。それはもう色んな人が言ってんだよ。「電話が気になる」って。だから、朝からずっと河原に行って、ぼーっとしたりしてさ。1か月間。でも、それはちょうど時期もよかった。カメラマンが何か新人を使おうって空気があった時期で、フィルム仕上げだったのが、そろそろテレシネ(=フィルムからビデオに変換する方式)に変わろうとしてた時期で、一気に3月から信じられないくらい仕事が入りだして。あの当時の入り方は異常だったよね。月に十何本か撮影やってたもんね。新人だったからそんなに大きな仕事じゃないのも入れてだけど、今じゃもう体力持たない。すごい仕事の本数だったね。十何本がもうずーっと続いいてたから。

T:じゃあ、最初の1年間はすごい仕事量に。


N:そう、その1か月抜かして。

T:2月以外。


N:2月以外。もう3月になったらもう、3月の頭にロケの仕事が入って、ロンドンロケ、3泊5日。それも着いたその日に、夕方そのままロケハン。夕方からずーっとロケハンして、その日の夜に空撮。ロケハンが終ってナイトシーンの空撮。JALの撮影だったんだけど。ロンドンの街並みを撮って。で、次の日朝からオーディションやって、街の中の撮影を何か所か。それで帰ってきたんだよ。何で帰ったかっていうと、ほんとはもっと1週間とか行きたかったのが、次の撮影がはいってて、スケジュールが合わなかったの。でもうそっから急に忙しくなって、もう自分で処理しきれなくなって、事務所に入ったの。それがフレックス。

T:なるほど。そこからフレックスですね。


N:前から「フレックスに入れ」って言われてて。こんなに仕事も来ないのになあって思ってたのに、もう自分の手に負えなくなってきて。

T:すぐ入った?

N:すぐ入ってた。(笑)

T:(笑)。初期のCM作品で印象的なものって?

N:それはね、いっぱいある。自分でも信じられないけど、カメラマンなったばかりで、カネボウのキャンペーンが入ってきたり、90秒が7タイプのフランスロケっていうのがあったり。アーバンっていうね、ああいうのが入ってきたり。何かね今じゃ考えられないくらいでかい撮影が沢山入ってきて、すごかった。ものすごく大きなセットの撮影だったり。ちょっと驚くぐらい、いい撮影に恵まれたんで。時期がよかったのかな。

T:アーバンは長めでフランス映画的な作りで印象的でしたね。それで90年代頭バブル経済前後。その辺、何か印象ありますか?


N:あの頃は一番いい。バブルの前が一番いい。撮影としては良かったかもしれないね。企業も良かったし、クライアントも良かったし、代理店も面白かったし。制約があまり無かったから、当時ね。今、やたら制約多くなってきて、ネットのせいもあるんだけどね。すぐ苦情が入ったり、クライアントも敏感になってたり、代理店も敏感になってたり。今そういう時代になっちゃってるよね。だからそういう制約が無い中で、面白い仕事はいっぱいあったね。余裕あったしね。ロケ行ったって帰り何日か必ず予備日とってたからね。うまくいけば何日間も海外で色んな美術館も行けたりしてたからね。

T:そうでしたね。バブル後の印象は、今思うとどんな感じですか?


N:しばらくは悪くなかったんだけど、この業界って何年か遅れるから。何年後からどんどんマイナス方向にはなってるよね。その昔のバブル前の事を考えるとね。でも今をゼロと思えばまあ、それはそれでやらなきゃいけないんだろうなっていうのはあるけどね。

T:やっぱりネットや携帯が出てきて、大きく変わって。

N:変わってきたね。まず見てて、制作(プロダクションアシスタント)の仕事がやたら多くなってきてるよね。便利になればなるほど。いやそれはね、携帯、ネット、あと道路整備がされてきたとかね。電車がすごく早くなってきたでしょ。新幹線だって。それに対抗して飛行機も早く着くようになったじゃない。そうなってくると、今まで1泊で行ってたところが日帰りになったりするわけ。大阪にちょっと打ち合わせでも日帰りだしね。へたすりゃ福岡も日帰りだったりするからね。ロケハンとか打ち合わせ、みんな日帰りだからね。そういう意味じゃ滅茶苦茶忙しくなってる。それで、インターネットによって、制作の仕事が物凄く増えてるしね。毎回毎回、香盤表を出したり、PCで作り直したりしなけりゃいけなくなったり、資料作りもしなきゃいけないし。電話もしょっちゅうかけて。制作と話をするのに、直接会って話をする事が出来ないわけ。携帯かかってきたやつを優先しちゃうから、話してても携帯がかかってきたらそっちに出ちゃう。だから携帯でやりとりした方が電話に出てくれる。そういう滅茶苦茶な感じになってるよね。

T:そんな感じに。


N:うん。それに附随してって言うか、比例してっていうか、CMの方式も大分デジタルでやるようになってきてるから、フィルム仕上げだったのが、デジタル編集するでしょ。そうなってくると、前にオプチカル処理なんかで何日もかかってたのが、今だとすぐ出来ちゃうんだけど、すぐ出来るってとこがミソで。なかなかクライアントが話を決めてくれなかったり。出演側もその事を知ってるから、日にちを出してくれなかったり、撮影日が決まらない事が多くなってる。だから撮影に入る前のスタンスがものすごく短くなってる。その準備がほんとにどたばたに進めていかなきゃならなくて。実際に撮影が終った後もゆったり編集に時間かけてたのが、最悪の場合、撮影しながらオフラインみたいな。ほんと。立て込んで、絵を全部取り込んでって、そこで編集しちゃうわけ。そういう人呼んでね。そこで代理店、クライアントに碓認させて、「じゃあこれでいきますから」っていう感じになっちゃってる時もある。だから物凄く忙しくなる。だからね、制作の1本に対する愛情が薄くなってきてる。それは制作だけじゃなく、撮影部だって前なら現像所に行ってタイミングいって、色をどういう風にするか考えながらやってたのが、もう今やテレシネで全部直っちゃうから。多少の露出のミスとかも何とかなるっていうみたいになってくる。基本形がわかんないから、どこが適正な露出なのかわからなかったりするから、それが大分アバウトな感じになってるよね。全部をデジタルでやる場合はね。フィルムで撮ったとしても、ビデオ仕上げだからね。

T:そうですね。

N:ビデオ撮影だとライティングがしにくかったりするんだよ。モニター見ながらやるから。モニターの絵って、以外と信用できないんだよね。

T:なるほど。昔は合成やスーパーひとつ変えるのも、オプチカル待ちで現像所に泊まったりしてましたからね。で、最近の作品で印象的なものは。

N:うん。なんでも印象に残ってるよ。色んな撮影でも何かしらね。良い、悪い関係なくね。

T:現場の様子は?


N:現場は変わらないよね。「楽しさ」はね。物を作るっていうことについては。それはもう面白いところは面白い。そこまで無くなったらやってる意味なくなっちゃうもんな。イメージがみんな一致した時が、その部所、その部所、撮影の現場だと、ディレクターがいて、カメラマン、撮影部がいて、照明部、美術部、あと美術の下に大道具とか小道具とかね。それからスタイリスト、ヘアメイク、そういうのがほんと一つにまとまってると良いものができるよね。スタジオはもう打ち合わせで決まるようなところがあるよな。オープンだとロケハンだよね。場所がけっこう重要だからね。それは2000年だろうが1900何十年だろうが変わんないな。ただ手法は違うけどね。

T:今後の展望っていうか、CMに対して。


N:何だろうな。これから、2011年にデジタル化になるでしょ?テレビが。そうなった時にけっこうまた大きな変動があるんじゃないかと思うんだよな。今は情報量でいうとフィルムの方が3倍近く、まあ数値の問題だけどフィルムの方が多いんだけど、ビデオで撮るよりね。だからビデオ映像で撮るより、いいもんが撮れるって事になってんだけど。ビデオの改革がすごい早いんだよ。フィルムに比べるとね。フィルムはもう飽和状態になってるとこがあるんだけど。ビデオの使い勝手がよくなってる事って確かになってきてて。例えばファインダー覗いてて、液晶のカメラモニタの絵なんだけど、すごく見やすくなってたりしてるんだけどね、そういう事考えると大きな変化がかなりあるかもしれないね。

T:それは、ビデオ撮影がより増えること?


N:を含めてね。ビデオ撮影が増えるって事は、ビデオ撮影に対して思いもかけない撮影の仕方が変わる可能性があるよね。よくわかんないんだけど。やっぱりフィルム仕上げだったのがテレシネでビデオに落として編集やるっていう事で、ものすごく大きな変化があったんだけど、それよりももっと大きな変化があるかもしれないね。それがどういう風な形でくるのか、僕にも予測つかないんだけど、以外とあっという間だから。最近思うのはそういう事にに対して最初っから毛嫌いするんじゃなくて、それを使って面白い事が出来ないかって考えていった方がいいって思うよね。フィルムに固執してたらダメかもしれないな。ただ、フィルムは面白いよ。確かに。フィルムは色んな事が、後でいじれたりもするし、それは面白いんだけど、今度はビデオでもってそういう事が何か出来るんじゃないかって事を考えた方がね。ビデオはビデオの面白さがあって、今はまだ「フィルムの様に上げてくれ」っていう話が多いらしい。VEに聞くとね。でも、違うと思うんだよ。ビデオを撮るんだったらビデオの面白さを全面に出していくような撮り方しないと駄目なんじゃないかなあって思うのね。それこそさっき言った高崎さんがガムテープでカメラ2台くっつけて撮ったようなね、発想。それが出来なかったらどの時代でも駄目だろうなって思う。

T:なるほど。また話は変わりますけど、最近何か映画見ました?


N:何見たかな。最近は映画じゃないけど、「ブルーマンショー」観に行ったよ。あれニューヨークでも観てんだよ。かみさんに見せてやろうと思って、チケット取って行った。面白かったね。行った?

T:いや。まだ行ってないですね。


N:行った方がいいよ。

T:面白いですか?

N:うん。見てないんだったら1回いったほうがいい。昔、ローリー・アンダーソンってニューヨークのミュージシャンが音楽と見せるショー的な事、例えば、ボディリズムとかって、音のでるもの隠しててばんばんばんって音だすとか。そういうショー的に、ナムジュン・パイクみたいなに、モニターで色んな映像を映したり、一時流行ったんだけど、それをかなり進化させた感じ。それでかなりエンターテイメントにした感じ。かなり面白い。やっぱりニューヨークならではの、日本人的な発想では出来ない感じ。クリエイティブやってる人は見にいった方がいい。そっから全然得られない人もいるかもしれないけど、それなりに楽しめると思う。

T:なるほど。で、(映画は)映画館で見ますか?

N:出来るだけ映画館で見ようと思うんだけど、時間が無いとどうしても後でDVDで観る事になっちゃたりするなあ。気になるものだけは、映画館で見るようにしてんだけどさ。

T:DVD。

N:も見る。「24」とかドラマなんか見てる。

T:DVDは特典映像とか。そういうのも?

N:見るよ。今言った「24」なんかのメイキング、凄いんだよ。向こうのカメラマンって。向こうのドラマってフィルムで撮って、35mmで撮ってんだよね。ズームレンズに同録カメラ付けて、手持ちでやってんだよ。すごいパワーだね。自由自在に。それを3カメで撮ってんだよ。(笑)

T:(笑)そのパワー、すごいですね。


N:すごい。もうね、ドラマよりそっちの方がすごい。自由自在に扱ってんのを見て、違うなって思ったね。どんなに日本人が鍛えてもああいう事は出来ないね。スタディカムとかあるけど、向こうのスタディカム使う人たちって、もう185とか195cmぐらいの連中が、体力もものすごくあって。そう、売り込みするんだよ。フルマラソンで。撮影しないんだけどスタディカム付けてフルマラソン。そしたらそいつすごい仕事が来るようになったとかね。ベースになる体力が全然違うね。メイキング見て驚いた。僕も手持ちがあったら好きなんだけど、あそこまで体力ないもんな。流石に。ああいう体力があったら、手持ちって面白いだろうなって思うよね。どうしてもクレーンとかカメ(ラ)リモ(ート)とか付けると、ベースが固定されてるから、軸があってこう動くんだよね。カメラって。手持ちだと軸が無いから、もうその辺の面白さがでてるんだけど、やっぱりちゃんとした力がないと、ふらついちゃうわけ。ふらついた途端に安っぽい映像になるんだけど、向こうの人たち体力があるから、ふらつかないんだよ。手持ちやってても。ものすごい重い機材持ってやっててもふらつかない。それで自由自在にズームしたり何だり出来ちゃうから凄いよね。映像として面白いよね。どうやって撮ってんのかなっていうのがいくつかあったんだけど、手持ちだったんだよね。日本人の発想じゃないよな。

T:ですね。何かCM以外では?

N:プロモも何本かやってるし、ミュージシャン撮ってね。映画はやってないんだけど、ながものはやった事があるんだよ。撮る対象が面白くないと全然駄目だね。あと企画。だいたい対象がいいと企画もしっかりしてる。両方悪いと撮っててもつまんないもんね。つまんないっていうか苦しいよね。それはCMでもそうなんだけど。話とその撮るものがつまらないと全然駄目。イメージも何にも湧かないもん。有名、無名関係ないんだけどね。それがしっかりしてると、こっちに訴えるものがあったりすると、すごく面白かったりするけどね。今プロモとかも見てるけど、話がしっかりしてるのが少ないよね。というのは時間がないんだろうね。構想を練って、撮影に入る時間がなかったりして。やっぱり向こうのもの観るとすごいしっかりしてたりとか。まあ日本に入ってくるものだから大物のものだったりするんだけど、お金もちゃんとあるんだろうな。だから逆を言えば、どんどん入り込める余地はあるんだよね。そういう事が出来る人がいないわけだから。短時間の間に何かいいものを考えられる人がでた瞬間にその人のところは仕事が集中すると思うね。

T:なるほど。いろいろ、楽しいお話ありがとうございます。

N:うん。この後、新しいCMのDVD、観る?

T:それ、楽しみにしてました。今日はありがとうございました。

N:ありがとう。

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この特集、次回は#64「Special Issue」にて掲載いたします。お楽しみに!