井沢彩萌(PART2)

2009年初夏、3曲入りシングルCD「a」をリリースしたばかりのシンガーソングライター井沢彩萌さんのロングインタビュー。
そのPART2。


(2009年8月某日/momentにて/インタビュアー:TERA@moment)





 井沢彩萌 (AYAME IZAWA)
 ロングインタビュー (PART2)

  Talk&Interview #80
 
  


    
 井沢彩萌 ロングインタビュー (PART2)


TERA(以下:T):
では、PART2宜しくお願いいたします。

井沢彩萌(以下:I):よろしくお願いします。


T:その、ジャズバーで歌ってた曲の中に、今でも歌ってる曲はあるんですか?

I:ないんですよ。すごいアグレッシブ。UKロックとかピンクフロイドやキングクリムゾンみたいなプログレとかも聴いてたし、ビョークっぽいとか言われることもあったり、打ち込みがチャチィから変。すごい個性的だったような気がします。個性的な気がする、って今振り返ればの話で。そのとき自分は何とも思ってなかったけど。

T:他にはどういう場所で歌ってたんですか?

I:それぐらいですかね。あ、あとティーンズってあるじゃないですか。ティーンズフェスティバル。
ヤマハが主催してる。あそこで出たときに、翌年の高三で出て、特別賞もらって、みたいな感じでしたね。


T:音源などは?ひたすら歌って応募したりという流れですか?

I:あ、音源を一回作ったことがあるなあ。それは高三のとき。そのとき、歌を習わせて欲しかったんですね、どんなもんかなと。そん時に出会ったHさんが、ご自分がジャズシンガーで結構お年召されてたんですけどね。その横に繋がってるプロデューサーの人が、山口百恵さんとかの、酒井さんって。

T:ソニーの酒井さん?

I:そうそう元ソニーの酒井さん。酒井さんからデビューしないか、って話があって。


T:高三のとき?

I:ハイ、高三のときに。そのときHさん主催のイベントに酒井さんが来てて、そういう話になって。音源はそれで作ったんですよ。でも私すごい幼くて。周りに色々言われることに対して、私は別にアイドルになりたいわけじゃないし、そんな自分をただの商品として見ないで欲しい、みたいなことをある日泣きながら言ったことがあって(笑)そういうことしたいんじゃないからもういいです、この話はもういいですって言っちゃって。自分からぽしゃらせたんですよね(笑)丸っきし商品やのに。分かってなかったんですね。別に後悔はしてないけども。

T:高校出てから、どういう進路に?

I:当時、写真にもハマっていたんです。友達の影響もあって。撮るのが楽しかった。音楽は学校で学ぶとかじゃないなと思ってたから、写真の専門学校か、芸大に入ろうと思ったり。どこにも入らないで、地元で働きながら歌おうと思っていたり。あとは京都の大学の推薦が受けれそうだったから、当時くるりも好きだったんですけど、くるりと同じ軽音サークルはいいなぁっていう単純で甘いのもあったり。でも私大学で何か勉強したいってわけじゃなくて。音楽したいだけだから学費を親に出させるのも時間ももったいないわ、っていうのもあって。じゃあどうしようってなったときに、高校のときにやっていた椎名林檎のコピーバンドのドラムの子が、神戸の音楽学校の説明会に行くからー、みたいな話をしてて。私もついていくーって言って。ジャズの学校が神戸にあって、甲陽音楽院ってところなんですけど、そこに行ってみた。音楽の専門学校ってチャラチャラしてるイメージがあったけど、全然そういうイメージと反して堅い感じだったんですよ。演奏してたジャズライブも良くて。私ここ行こう!想像できるって思って。それで家に帰って親に話をして。ハイハイやりたいようにしたらいいやん、って言ってくれて。そのまま手続き、入った、みたいな感じですね。つまりジャズの専門学校に行ったんです。

T:そこではどういう事から始めたんですか?

I:理論、ハーモニーとか講義系、民俗音楽学とか音楽療法とかいう授業もあったし、英語、実践でアンサンブルで違う楽器の人とバンドで生サウンドで歌って。とかかなあ。あと個人レッスンもありましたね。


T:ライブは出たりしなかったんですか?

I:自分の中で学校に行ってる間は、自分の曲を演奏するより、他の、ブラックミュージックだったりブラジル音楽だったりジャズだったり、音楽を吸収するインプット時期だと思ってたから、外であんまり積極的にやらなくて。学校の中でやる行事に参加してるだけ。サルサとかボッサとかジャズとかソウルとかファンクとかダブとか、そのときに前から好きだった音楽をもっとさらに聴いていってて、自分がボーカルでその音楽を歌ってみて試して。そういうことをやってましたね。

T:面白かったですか?

I:楽しかった!!やっぱりそういう出会いがあんまりなかったから、色んな楽器の人と出会って音楽の話をして、一緒に音楽聴いて、ああここいいねえとか、そういうことしたりするのが凄く楽しくて。


T:そこは何年間ですか?

I:二年ですね。


T:二年間で上達したこととか変わったことは?

I:ボーカル的に上達したかどうかは…うーん。私は元々そんなに練習熱心じゃないからどうなのかわからないけど。でもなんか今までなかったジャズとか。元々ジャズは家で流れてたけど。やっぱりジャズは私の歳じゃ説得力ないなあってそのとき思ったし。神戸はジャズの街だからジャズ喫茶とかジャズバーによく聴きに行ったけど、私にはまだ早かったですね。そんな神戸の街で私は歌うのかなあって考えてた。まあ出会いが一番ですよね。そこから開いていくこととか変えていくものとか、このドラムの人にこういうの叩いてもらいたいからこういう曲を書こう、とか、ベースの人にこういうグルーヴ任せて歌うんや、とかイマジネーションを色々もらった気がする。

T:二年間やって音楽は?

I:卒業するちょっと前やったかな、始めた自分のバンドがあって。

T:何てバンド名ですか?

I:「いかりマーケッツ」っていうんですけど。神戸にイカリスーパーっていうのがあって。神戸で出会って始まったバンドやから。山の手ポップスやん、みたいな感じでいかりマーケッツ。それはめっちゃ楽しくて、私が書くオリジナル曲やってた。パーティーとかそれが外の活動になって。


T:編成はどんな感じ?

I:ドラム、ベース、キーボード、ギター、私。私はそのときピアノ弾いてなくて。ピアノは人前でピアノ弾くもんじゃないって思ってて。ボーカルだけやって、前でちょっとパーカッションやったりとか完全にフロントマンでしたね。


T:全て曲は自分で?

I:私が作って書いて持っていって、こんな風にしたいって伝えて。

T:まず最初のライブはどの辺でやったんですか?

I:それはね三宮のフラットファイブっていうところかな。ライブハウスっぽくなくて昔のキャバレー的雰囲気なところで。鏡とシャンデリアと赤いソファとみたいな。完全にパーティーチュ−ンな箱で。そこで演奏しましたね。それでね、すごい好評やったんですね、いかりマーケッツが。

T:音源は作らなかったんですか?

I:半年やったくらいで私が東京に行くのを決めてたので、じゃあ私が去る前にせっかくやから音源作りたいって言って、録音しましたね。

T:何で東京に出ようと思ったんですか?

I:当時付き合ってた人も東京にいたし。こういうこと言っていいのかな(笑)


T:(笑)

I:わかんないけど(笑)そのとき付き合ってた人に会いに遊びに行ったりして。東京おいでよってずっと言われてて。そんだけ自分で曲書いて歌いたいんだったら何で神戸に居るん?東京でしょって言われてて。絶対東京来た方が羽ばたくから!って。でも私東京にあこがれも何もないし、あんまミーハーでもないし今やってるバンドが楽しいしそれがいいモンみたいに思ってて。何度か東京に遊びに行ってるうちに、東京のライブハウスとか、音楽やってる人と知り合って、そのたびに音楽やってる人に、東京来た方がいいと思う!みたいなのよく言われて。その頃出会って今も仲良くしてもらってるナワタくんっていう人が居て。ナワタくんはすばらしいアレンジャーでキーボーディストなんですけどね。彼とご飯食べてるときに、東京来た方がいいかな、って聞いたら、きた方がいいんちゃう!って言ってたから、あぁナワちゃんが言うんやったら間違いないやんな、って思って(笑)じゃあ私東京行ってみよと思った。それで決めたんですよね。

T:イカリマーケッツのメンバーの反応はどうでした?

I:「また急やな!」って(笑)。反対するというよりいいやんって言う感じで言ってくれたのかな。たぶん。いつでも戻ってきたらいいしみたいな。すごい好意的に送り出してくれましたね。嬉しかった。

T:録った音源は何曲くらいあったんですか?

I:録ったのは二曲で、他のはライブテイクを入れたんですよ。全曲五曲入りで出したのかな。

T:CD-R?

I:CD-Rで。

T:タイトルは?

I:タイトルは「イカリマーケッツ」そのままです。

T:最初で最後のイカリマーケッツ音源に。

I:そうそう。


T:再結成は?

I:それから私東京に行ったにもかかわらず、結構神戸に帰ってきててそのたびになんかのパーティーで歌ってたんですよね。


T:イカリマーケッツで?

I:イカリマーケッツで。だから解散っていうか…


T:休止?

I:今も休止状態なのかもしれないけど(笑)でもそうやって歌わせてもらう場所があったから。カフェかパーティーか。あまりライブハウスではしなかったですね。ライブハウスでしたことないかもしれない。イベントで盛り上げるのに歌う、みたいな。


T:東京で住み始めて、拠点はどの辺だったんですか?

I:住んだのは神奈川です。

T:まず何をやり始めたんですか?

I:着いてすぐ、働かないとお金がない、って思って派遣にすぐ登録に行ったんですよね。翌日仕事が来て私、銀行で働いてたんですよ(笑)すごいですよね。

T:まっとうな仕事ですね。

I:お金が良くて。ストレスでしたけど。そこで働いていた全然違う年齢層と全然違う社会の人と接点を持って頑張ってましたね。


T:音楽方面ではまず何から?

I:音楽方面は中々動き始められなかったんですよね。東京のライブハウスのことも知らないし、どういう風にしたら出演できるのかあんまりわかんないから調べ歩いてた。東京という音楽畑を知るのに結構時間がかかって、一年弱くらいは何も出来なかったかな。悲しかった。メンバーとか知り合うにも時間がかかったし。


T:一番最初に出たライブは東京に来てからどのくらい後ですか?

I:十ヶ月くらい経ってからかなあ。

T:どこですか?

I:たぶんasiaだったと思うんですね、club asia系列のブエノスかな。


T:それはソロですか?

I:ソロで、でもバック編成は豪華。いっぱいいましたね。ドラム、パーカッション、ギター、ピアノ、ベース、私。


T:大所帯で。

I:そう大所帯で、たまに管楽器とか入ったり。


T:曲は新たに書き下ろしたんですか?

I:イカリマーケッツでやってた曲もあれば新しく東京で書いた曲とか、織り交ぜてやってましたね。


T:今歌ってる曲も含まれるんですか?

I:今最近の曲とは違いますね。


T:全く違う感じ?

I:結構違いますね。


T:そこに出て、以後の流れみたいなのは。

I:そこから何回かクラブエイジア系でやって、でもなんか自分ではあまりピンとこなかったんですよね。自分の力量不足ですけどなんかしっくりこなくて。ライブは楽しかったけど。よく分かれてないんですよね。自分の音楽。これだ!みたいなのがなくて。で、それからアコースティック編成に移るのかな。少し人数を減らして、今は無き代々木のcure*mってところがあったんですけど、そこは少し小さめなライブハウスで、ライブバーって感じかな?ゆったりテーブル席があって聞く感じで。そこにホームを移して、ミニマムに、ドラム、ベース、ギター、私ってそういう感じでやってましたね。


T:そこから割りと順調に?定期的に。

I:定期的にやらしてもらってましたね。あと三茶のグレープフルーツムーンでやったり。

T:銀行はまだ続いてるんですか。

I:やーどうでしたかね(笑)たぶんもうやめてますね。


T:それから何か違う仕事を?

I:知り合いの紹介で原宿の隠田で25年の老舗の一見さんお断りみたいな知るぞ知る感じの創作料理屋さんがあってそこで。
そこはギターの人がいるんですよ。箱ギターって言うのかな…。いつも生演奏しててお客さんが歌いたければ歌いたい曲の伴奏をしてあげて。毎週水曜日はラテンのブラジルバンドが来てて。広い店ではないけど、音楽設備もすごい整ってるわけではないけど、音楽の環境がそこにはあって。私も料理の手伝いしながら「ちょっと歌いーや」って言われたら、はい!みたいなね。歌って、みたいな。


T:そこは結構長かったんですか?

I:自分の中で二年やろうって決めてたから。丸二やりました。

T:外のライブハウスでも歌ったりとか?

I:そうですね。そのときは色々と場所を変えて、ここどうかなーって。


T:それが今から何年位前ですか?

I:3年前かな…?

T:自分の曲はいっぱい出来てると思うんですけど、形にしよう、とか、形にしないか、っていう話はなかったんですか?

I:その時、そういうのありましたね。二枚の自主制作ミニアルバムみたいなの作ったんですよね。


T:それは何曲入りくらい?

I:五曲入りと三曲入りですね。


T:それどういう環境で作ったんですか?

I:そのとき一緒にやってもらってた人の自宅スタジオで録音しましたね。


T:タイトルとかは?

I:一枚目はNUDITY。二枚目がナイトスケッチです。


T:その辺に行くと今歌ってる曲に近くなる?

I:うん今歌ってる曲もあるし歌ってない曲もありますね。


T:その辺からもうアーティストというか本格的に仕事にしようっていうのはあったんですか?

I:そうですね。できるだけ音楽の仕事を軸に、みたいになって。たぶんその頃いかりマーケッツのベースのサイくんがちょうど上京したんですよ。彼とはプライベートでもすごく仲が良かったし、十七、八で出会ってるけど私の中ではすごい幼馴染って感覚で絶対彼と音楽またやりたいと思ってた。だからサポートメンバーもがらっと変わっていったのかな。そしてバンド編成にしてたのがどんどんシンプル編成に、経て、彼との二人の活動を軸に切り替えてみたんですよね。とか、彼のベースを交えてバンド編成でやってみたり。
そのときにビクターでレコーディングしないかっていう話をもらってレコーディングもやった。

T:主にその頃はどういうライブハウスでやったんですか?

I:そのときから代官山の晴れ豆とか代々木のブーガルとか今と変わらずやってきてますね、そのぐらいから。


T:前の仕事はもうやめて?

I:うん、ちょっとダブってるかもしれないけど、まもなくやめる頃ですね。


T:その後の仕事っていうのは?

I:音楽系になっていきますね。自分も歌ってるけどビクターの新人開発…ADルームの仕事をしたり、代官山に出来たその晴れ豆のオープニングスタッフとして働いてましたね。


T:ライブハウスのスタッフって音楽やってる人多いですが、働いてる場所で演奏するっていうのはどういう感じなんですか?

I:アーティストとして箱に入る日は全然その箱が違って見えるから、親しみのある場所だけど緊張しないっていうのはまずないし、変な緊張感が逆にあったりするし。自分がスタッフとしている日はなんでもない日だけど、演奏している人にとってはスペシャルな日だから、その気持ちを出来るだけ一緒の思いで、っていうのはいつもありましたかね。


T:で、そのサイ君と二人でライブをやり始めてどんな感じでした?

I:私は手ごたえを感じてたんですよね。ピアノは弾きなれてないけど新しい扉があいた感じはありましたね。


T:二人でやることになって新しく曲を書いたりとかしたんですか?

I:新しく出来た曲もやっぱりいろいろありましたね。自由に出来るからもっとタイム感を揺らせる曲をつくろうとか、元々好きだったポエトリー的要素を含んだ曲もたくさん書いたし、色々試してみましたね。


T:それは何年くらい続いてた感じですか?

I:一年くらいですかねそれも。一年くらい二人で活動して。なかなかピアノとウッドベースの二人って居なくて面白がってもらったし、自分もやってて楽しかったけど。自分の中で去年の春夏くらいがスランプになったんですよね。何か私歌えないと思って。もっと自由に歌いたいけど歌えない、っていうのがあって歌うことが急に怖くなっちゃったんですよね。それでベースのサイ君に相談したりとかしてて。彼も一年やってみて自分がやりたいことが全部出来た、私とやりたいことが全部出来たから、彼はロックをやりたくなったらしくて、自分がロックバンドで歌いたいから次のライブで二人の活動は終わりにしようかってなって。それが去年の夏ですね。それで十月に代々木公園でやったベジタブルフェスでそれが彼との最後の演奏になりましたね。

T:そのスランプ状態って言うのは抜けたんですか?

I:今現在は抜けましたね。それからちょっと続いたけど、知り合いの歌い手さんに話聞いたりとか。なんでかなー歌い方変えようかなーとか考えて模索しているうちに、やっぱだんだん取り戻してよくなって言ったような気がします。

T:で、今年、三曲入りの音源が出来たわけですけど、それの流れみたいなのってあるんですか?

I:ベースの彼との活動が最後になる少し前に、タイミングが合って、私がずっとファンだった間宮工さんと知り合うことになって、それが私にとってすごい良い出会いだったんですよね。音源とか聴いてもらったりした時に、間宮さんがきっとおもしろがってくれて「じゃあ一緒にやっていこうか」みたいなことを言ってくれて、それから間宮さんとの活動が始まって。間宮さんとのライブ活動を二人でやったり、パーカッションの高橋結子さんを迎えて三人のトリオでやったりとかしていくうちに、私今凄くいい状態になってるから音源を作りたいと思って、周りからのリクエストも結構もらってたりしてそれに長らく応えられてなかったので、その気持ちに早く応えたいって言うのもあって、それがようやく先月六月に完成したっていう感じですね。

T:今回のCD「a」っていうのは、その前に作った二枚との違いってどんな感じですか。

I:全然自分の中でカラーが違って。前やってたことと今やってることは、同じ曲を何曲かやってるのもあるけど全く異なる音楽って捉えてて。私自身がすごく楽になってるから。当時は何がしんどかったというか…。あんまり恋愛もうまくいってなかった気がするんですよね。恋愛で変わります。色んなことに縛られてて自由になってない部分が、その恋愛が終わったときに凄く放たれて自由になって自分らしさがやっとつかめる様になった。前はもっとポップスの枠に捕らわれてた気がするけど、今はもっと自分の音楽には可能性を感じられる状態にあるから色々もっと試せるし、新しいポップスを作ろうって思ってるところがあるから。


T:今回のこのタイトルの「a」はなんの「a」ですか?

I:彩萌の「a」でもあるし、リボーンっていうか始まる感じが自分の中ですごいしてるから、それで「a」ってつけました。始まりの意味。シンプルでいい。

T:じゃあその三曲を簡単に説明を。

I:一曲目、「青空」この曲もすごいサラーっと出てきた曲なんですけど、引っ越しをした町の河原を自転車でこいででちょうど春に差し掛かる時に降りてきた曲で。その少し前に私事故をしてて怪我しちゃったから中々外に一人で行けなくて、ようやく怪我が治って外歩けて。そして自転車こいで春に差し掛かってきてて、そのときにちょっと違う風を自分の中に感じて、トラウマは置いてきた。またなんかここから自分が始るよって感じがして。その爽快感を曲にした気持ちいい曲ですね。

T:で、二曲目は?

I:二曲目は「ジプシー」一昨年の秋にカナダのバンクーバーに一人で行ってて、そのときに一人で色んなところ歩いたり、バスに乗って知らないところで下りて探検したり。ただボーっと眺めたりとか。旅してるときって色んな原点に帰る瞬間がたくさんあって、そのカナダのバンクーバーでは毎日ヨガもしてたから完全に心が開ききってて、そういう状態に自分があると色んなことが繋がっていって、シンクロが連鎖する。会いたい人に会いたい場所で会うことがほんまに多くて、そういうカナダでの生活の中から、散歩中に一気に下りてきて、その時泊まらせて貰ってたお家のリビングに使われていないアップライトのピアノがあって。帰ってすぐに譜面に起こして。旅のお土産に持って帰ってきたって感じですね。


T:で、三曲目は?

I:三曲目は「ゆらりゆられてNudity」なんですけど。この曲を書いたのは結構前なんです。自主制作の一枚目のNUDITYにも収めています、アルバムタイトルもそこからとったんですけど。この曲はずっとライブでも歌い続けてて、自分の中で自分のテーマみたいなのを含んでいる曲です。それを今回間宮さんと一緒にやることになって、全くアレンジを変えて違う側面からアプローチした。間宮さんもこの曲入れようねって言ってくれたのもあって、収録しました。

T:もう一曲、トラックがありますよね?

I:これは、次に出す、予定しているCDに続くことなのであんまり多くは語りたくないんですけど。 ここから次のCDへ繋がっていく感じです。

T:じゃあもう次が決まってると。

I:そうですね!


T:それはいつぐらいの予定なんですか?

I:九月になるかなって感じなんですけど。


T:今後ライブ活動はどういう感じで。

I:今まで月に五回とかしていたのを少しライブ活動を減らして、そしてライブハウス中心になってたのもカフェとかライブバーとか、音楽が傍らにある自然の空間でやってみようかな、って考えています。


T:以前神戸でやってたような感じですかね?

I:そうですね。ライブハウスでの活動がなくなるって訳じゃないけど、ライブハウスでの活動は月に最高一回くらいにして、他はカフェでやっていきたいなあと思っています。

T:来年のこととか考えてたりします?

I:しっかりとしたアルバムを作りたいので。今シングルとして出させてもらってる部分を、井沢彩萌のフルアルバムを作ることがやっぱり一番やりたいことです。それに付随して、自分の詩集とか絵本、音楽と一緒に普段自分が作っているものとセットでスペシャルな感じで出せたらいいなと思っています。それが皆さんによりいい形で届けられるように、自分と波動の合う人、レコード会社なり事務所なり、段取りよく話が運ぶといいなってそういう感じです。

T:他にやりたいこと、側面としてヨガのインストラクターもやってるんですよね?

I:はい。ヨガはもう私の日常の中の一つで、日常はヨガから始まるよという感じです。エネルギーが回るから。ヨガに助けられてる部分が大きいんです。まだヨガのインストラクターとしての経験も浅いし、ヨガはいつが完成体とか、音楽と一緒で無いから、ずーっと続けていってそのとき教えられる人に教えていって、良いヨギー二でありたいし、いつかなりたいですね。


T:カナダとかでヨガの免許とったり、なぜヨガだったんですか?

I:私は元々精神的に凄く不安定な人なので。ヨガを始めたきっかけは東京に来たストレスで、水も合わなかったんでしょうけど、体調も皮膚もあんまり良い状態でなくて、病院を転々と回ったけれどもあんまり良くならなかったんですよね。そのときに自分で、医学的にどうこうじゃなくて、自分の内側から治さないとこれは絶対治らないって思って、で、ピンときたのがヨガだったんですよ。直感です。ヨガをやり始めて、そうこうしているうちに日本にヨガブームが来て、私ブームとかに乗るのが好きじゃないから、スタジオも混んで来たし、しばらくヨガから遠ざかったんですけど。でもやっぱヨガしてる日と、ヨガしてない期間とで自分の中の感覚、精神的な揺れも大きくなっちゃってて、やっぱり私、ヨガが合ってるんやないかなって思って、またヨガをやり始めて。それが確信になって、その気持ち良さが音楽を歌ってる時の感覚と近くて。繋がった。どっちにも作用するなあ、どっちにも良い風になびくんじゃないかって思って。そこから続けていくうちに、だったら流行ってる日本で取るよりも、元々オーガニック志向が根付いてるカナダのバンクーバーで国際的に使えるも免許を取りたいなと思って、私自分の体が一つあればいつでも生きていけるようにしたいです。それでやりました。

T:ヨガと歌が良いバランスで、ってことですよね。

I:そうですね。ヨガをする以外の時間をどれだけ気持ちよく元気よくポジティブに持っていけるかを、ヨガの時間が作り出してくれている気がします。

T:音楽だけ、ってやるよりかはいいかもしれませんね。これからはね。

I:バランスはとりやすいですね。

T:では最後に、これから聞く人や「a」をどんな風に受け止めていって欲しいか、メッセージを何か。

I:私は別に特別なことをしているわけではなくて、みんなが何かしらの手段で日々精進生活しているように、私も呼吸して音楽を作って、自分の思っていることや感じていることを表現しているから。それがみんなの中に、自然に入って、時には気づきや刺激にもなってほしい。気持ちいいっていうのもそうだけどその中に背中を押せる音楽でありたいなあって思う、けど。ありきたりの優等生的な音楽は私自身が苦手だから、そういうことをしようとしてるわけではないんですけどね。でも何か楽になる、動くきっかけになればいいなと思います。インスピレーションだったりするのかもしれないし、何かしらの行動をとるきっかけになるのかもしれないけど。それは自分が自分の音楽を聴いても、力になってる部分もあるからね。押し付けたくない。何かの泉になればいいなと思います。


T:では、これでロングインタビュー終わります。2回にわたって、ありがとうございました。

I:ありがとうございました。


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