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momentと交流のある方々へのインタビュー
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#11
特集:「プロペラ」ニューアルバム&DVD特集
10/22にリリースされた「プロペラ」ニューアルバム『I LOVE ME』と、
11/3リリースのDVD『プロペラDVD2003「F」』の特集です。
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#11 Report:「DSL/ドクター・ストレンジラブ」 NEW ALBUM REPORT-PART2 Live:ミュリエル・アンダーソン(10/21 at Back in Town) Event:「midnight theme@ club FAI 」 Web site:「二人芝居+二本立て『二等辺三角形』『蜜の味』」 Web site:「radiofish」http://www.tfm.co.jp/radiofish/ 連載 TERA'S SOUNDTRACK REVIEW /KEN'S BOOK REVIEW |
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momentに関連したミュージシャン、バンド等を紹介します。
井上富雄 / Tomio Inoue
「ルースターズ」「ブルートニック」等のバンドを経て、数々のアーティストのプロデュース等を手がけ、今年3月にソロアルバム『up!up and away』をリリースした井上富雄氏のインタビューです。
(2003年10月16日/世田谷momentにて/インタビュアー:TERA@moment)
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井上富雄 (Tomio Inoue) PRODUCE/ARRANGE/SONG WRITE/BASS PLAY 1961年7月4日福岡県北九州市生まれ。 1980年「ルースターズ」のメンバーとしてデビュー。 1984年「ルースターズ」脱退後、自身のリーダーバンド 1984年「ブルートニック」結成。 1990年 同バンドにおいてはヴォーカル、ギターを担当する。 1989年「ブルートニック」解散。 1990年 SION、オリジナル・ラブ、小沢健二などのレコーディングおよび 1990年 ライブをきっかけに、ベース・プレイヤーとしての活動を開始。 1990年 その後は数多くのセッションを経験し 1990年 現在はプロデューサー、アレンジャーとしても活躍中。 2003年 初のソロアルバムを発表。 |
僕の場合は、取りあえず今の所プロデュースっていうのは、「シンガーソングライターやバンドをオファーするというか、サポートしていくという形が多いんですよ。そういう意味では、何ていうのかな?自分の思いというよりは、そのアーティストの思いを受け止めるという感じが多いので、自分がしてあげたりっていう感じには、なかなかならないというか。 TERA(以下 T):それでは宜しくお願いします。まず生まれと場所から教えて下さい。 井上富雄(以下 I):1961年7月4日。生まれた場所は福岡県北九州市です。 T:小さい頃はどんな少年だったんですか? I:普通の子供だったと思いますけどね。うん。 T:どんな遊びとかしてましたか? I:小学校の頃はやっぱり野球とが流行ってたんでね、ジャイアンツV9とか、その頃なんで、 T:『東京ボンバーズ』(笑)ですね。 I:そうそう、そうです。ローラースケートやったりとか(笑)。あとはプラモデル作るのとか凝ってましたね。それは小学校の高学年の頃ですけど、田宮(模型)のドイツ軍の戦車とか、そういう戦闘系ものを作るのが好きでしたね。 T:音楽にふれたのは、いつ頃ですか? I:今思えば、多少マセてたのかな?っていうか、小学校4〜5年から何となく、そういう洋楽のポップスみたいなものをラジオ聴いて。レコードを買うまでには至らなかったんですけど「いいな」って思ってて。例えばサイモン&ガーファンクルとかカーペンターズとか。まぁビートルズなんかもそうだったし、そういう洋楽ポップスみたいなものがいいなっていうのがあった程度ですね。 T:ラジオとかテレビとかから流れてくるものを耳に入れてという感じですか? I:うん。流れてくるものを。あとその当時エアチェックするっていうのが流行ってて。まだラジカセも高価な時で、小学校の5年生位でラジカセを買ってもらったのかな?確か。それで、エアチェック小僧(笑)みたいな時はあったけどね。 T:実際に楽器を持ったのはいつ頃だったんですか? I:それは中学生になってからですね。 T:キッカケは何だったんですか? I:えっとですね。まず楽器を持つ前にロックに触発されたきっかけがあって(笑)。中学になって新しい友達が出来て、遊びに行ったら兄貴がいて、兄貴がロックファンで、その当時に流行ってたロックのレコードをいっぱい持ってて。その友達の親父さんがオーディオマニアだったんですよ。あの頃のオーディオマニアの人って、でっかいスピーカーがあって、大理石のプレーヤーとか、むき出しになった真空管のアンプとか、手作りなのかどうかわからないけど、持ってて。それで兄貴のロックのレコードを。それは忘れもしない『グランド・ファンク・レイルロード』のライブ盤だったんですけど、それを聴かされた時に、もうなんかぶっ飛びまして。まず、ハードなロックを聴いた事がなかったのもあったし、あとオーディオ的にもね。自宅にはまだステレオっていうものがなくて、ポータブルプレーヤーしかなかったから、そういうものでしか自宅ではレコードを聴いたことがなくて。音圧とかそういうものもすべてにおいてびっくりしたというか。大音響で『グランド・ファンク・レイルロード』を聴いた驚きみたいな(笑)。もう俺にとってはその友達がなんか 『師』とまでは言わないけども「あと他にどんなレコードがある?」みたいな感じで教えてもらうというか。 T:他にはどんなものを聴いてたんですか? I:その時はその兄貴が持ってたものを何でも。グラムロックとかも流行ってた頃だから『T-REX』とか『SLADE』とか、あと『DEEP PURPLE』とかもあっただろうし『Led Zeppelin』とか。いわゆるほんとにその当時のロックですよね。ハードロックというか。それでその友達が「バンド作ろう」って言って。当時バンドと言えば花形はギターで、その友達がギターを「俺がする」って言うんで(笑)。それで「お前ベースやりなよ」とか言われて。ベースが4本だっていうのもまだ全然知らないまま(笑)「俺、ベースやるよ」みたいな。そんな感じですよ(笑)。でもベースだっていうのはあったんだけど、それがまず楽器をやろうと思ったキッカケというか。何か音楽を自分でやろうという意識の始まりだったんですけど。流れとしては洋楽ポップスもあったんだけど、その当時フォークも日本では流行ってた頃で、フォークギターというのも憧れがずっとあって、ロックを聴いたのが音楽をやろうと思ったキッカケだったんだけど、何気にずっと思ってたフォークギターが欲しいなっていうのも同時に開化して、アコースティックギターとエレキベースをほぼ同時に購入したんですよね。そんな高価なものじゃないですけどね。 T:それが何年の時ですか? I:中学1年ですね。 T:なるほど。それですぐに覚えたんですか? I:いや、覚えないですよ(笑)。まったく自己流でやってたし、手探りでずっと。 T:バンドは、組んでたんですか? I:たまたま近所にドラムを持ってるっていう友達もいて。「それは凄い!」みたいな。自宅にドラムがあるなんてその当時、凄かったんで。それでおのずと3人でバンドを作るみたいな。でも今みたいにリハーサルスタジオなんてなかったし、ましてや小倉の田舎だったので、パッと演るといっても演奏できる場もあんまりないし。アンプをやっと小遣い溜めて買って。って言っても、ちっちゃいアンプですよ。そんなのを揃えたりするんですけど、あんな音出ないじゃないですか(笑)。『グランド・ファンク・レイルロード』みたいな音なんて到底出ないし(笑)。 T:それが中学時代ずっと続くんですか? I:ほぼそうですね。 T:本格的にバンド活動みたいなものは、中学時代には? I:なかったですね。ほんと何だろう?まぁ趣味だったんでしょうね。いわゆる演るのも好きだし、レコード買って聴くのも好きだったし。だから繁華街に行けば、レコード屋か楽器屋かどっちかに、いつも行ってるみたいな感じではあったけど。 T:高校に入るとどういう感じになっていくんですか? I:高校に入ってだんだん交友関係が広がってきたので、それで一応、友達とバンドを作ったりしつつ。で、せまい街なんで、バンドなんかやる人たちっていうのが集まる場所って決まってるんですよね。その繁華街の楽器屋さんにあるリハーサルスタジオとかそんな程度のもんで。行く所が決まってるから。大体、地元の音楽やってる人達とは皆、知り合いになるというか、顔見知りになるというか。それはどんなジャンルの音楽をやってようが、一応みんな行くとこやることが、そこしかないので、知り合いになっていって。 T:本格的に「バンドをやろう」という時期になってくるんですね。 I:そうですね。何となしにですけどね。 T:学校へはちゃんと行ってたんですか? I:うん、一応高校までは。危ない時期もありましたが、何とか卒業はしたというか。もう高校3年の秋に『ルースターズ』っていうバンドに入って、秋に結成して、もう卒業する頃にデビューが決まったんですよ。 T:入るキッカケは、何だったんですか? I:そうやって顔見知りになっていってるんで、まず先輩に誘われたバンドが大きなキッカケで、それからどんどん知り合いの知り合い、みたいな所から、色んな。ほんと狭い街なんで大概知ってるんですよ。先輩にどんなミュージシャンがいるかとかっていうのも知ってて。向こうも僕が目立ったのかどうかわかんないけど、多分「あいつ誘ってみようか」みたいな感じだったと思うんですけどね。そういう感じで誘われたというか。 T:最初『ルースターズ』でやってみてどんな印象だったんですか? I:そうですね、もうなんかほとんど覚えてないんですけどね。メンバーは何となく知ってたメンバーだったので。ただ非常にコンセプトがはっきりしてたバンドでしたね、できた当時からね。バンドリーダーの大江慎也っていう人がかなりコンセプチュアルにやってきてたんで。それまで皆いろんな音楽をやってきてたんだけど「凄くシンプルなサウンドにしよう」みたいな。自分はまだ18、19歳だったんで、よく言ってる内容がわかんなかったんですけど。でも本人曰く、ストーンズの1stみたいなアルバムを作りたいと言ってて、よくわかんなかったけど「何か凄いな、かっこいいな」みたいな感じで。当時の状況は「付いて行った」って感じですね、僕からしてみれば。 T:レコーディングは、その高校3年生で? I:1stは、東京に出てきてからの話ですね。 T:なるほど。では高校が終わってデビューが決まってっていう形ですか? I:いろいろ経緯はありましたけど、ほとんど決まって。高校終わって卒業した年の1980年がデビューの年で。うん。 T:最初は東京のどのあたりに出てきたんですか? I:池尻大橋ですね。でもみんなでメンバー一緒ですけどね。 T:どんな生活だったんですか? I:結構、大変といえば大変な生活だったような(笑)。 T:『ルースターズ』としての最初の活動というのは? I:普通にライブやったりレコーディングしたりっていう、そういう感じですけど。うん。 T:そういう繰り返しっていうのが、何年か続くという感じですか? I:そうですね。僕は83年いっぱいで辞めるんですけど、ルースターズ自体はその後も続きますが。 T:その理由というかキッカケみたいなものはどういう感じだったんですか? I:まぁ一言で言えば音楽的相違ですね。いわゆる若くしてやってたんで、右も左もわかんないまま参加して、一緒に付いてきて東京に出てきてっていう感じだったんで。どっちかっていうと、僕の場合は東京に出てきてから自分のアイデンティティみたいなものが確立されてきたというか。東京に出てきていろんな人にも会い、色んな情報が沢山だったんで、当時ってすごく情報のラグっていうのが大きかったんですよ。地方と東京とかって。今みたいに何も発達してないし、雑誌も少ないし。そういう意味では「買いたいな」って思うようなレコードも買えないような状況だった訳ですから。そういうものは地元のレコード屋には売ってないっていう感じだったんで。そういうのが東京に来て、全部刺激になって「わぁ!凄いな東京って。何でもある」みたいな。そこからだんだん「自分はこういう音楽のほうが好きだな」とかそういう風な事を思い始めたし。徐々に「自分はこうしたい」ていう自己欲というか、エゴとまでは言わないけど、自分のやりたい方向性はこっちかな?っていうのがだんだん出てきたんで、それが大きな理由ですね。 T:それで『ルースターズ』以後は、どういう活動になっていくんですか? I:その後は、自分のリーダーバンドで『ブルートニック』っていうのをやるんですよ。 T:なぜギターボーカルを? I:大きなきっかけは、ルースターズを辞めて「次に何をやろうか」って思ってた時に。今だから説明しやすいんですけど、東京スカパラダイスオーケストラにいる冷牟田(竜之)が。(最近はアルトサックス吹いてないのかな?)アルトサックス担当というか。奴がその当時、83年頃ベースを弾いていたバンドがあって、北九州のバンドなんですけど。そのままそのバンドがドラムとベースとキーボードという、3人で上京して来るということになって。このキーボードっていうのが木原龍太郎っていって、ORIGINAL LOVEとか最近いろいろプロデュースやってるんですけど。木原と冷牟田ともう1人、田中元尚っていう、ホフディランとかでドラムやってる奴で。それで3人ちょうどバンドとしてあるので、じゃあ俺はベースを弾かなくて他の事をやるか、っていうのが大きなキッカケですね。 T:それまでギターっていうのは弾いてたんですか? I:うん。さっきも言ったように。って、さっきちゃんと説明してないか(笑)。取りあえずギターも一緒に始めたんですよ、楽器は。高校時代のバンドっていうのは、ほとんど僕はギタリストだったんですよ。ルースターズが、要するにベースをやるキッカケというか。 T:『ブルートニック』の活動というのはどういう形だったんですか? I:結構、長くやってたんですけど。84年から89年までかな。テイチクからCDでいえば4枚分くらい出しましたね。芝浦インクとか六本木インクなどが活動の中心でしたね。 T:その頃は『ブルートニック』一本で集中してやるという感じだったんですか? I:そうですね。うん。 T:その『ブルートニック』をやった後はどういう展開になっていくんですか? I:それで『ブルートニック』を解散してから、ちょっと人とセッションしたり、遊んだりしてる時にベースを弾いたんですよ、また新たに。改めてベースを弾いてみると「いい感じだな」っていうのが自分にあって。何か昔とも違うし、ベース弾くのが楽しい感じがあって。たまたま『ORIGINAL LOVE』がデビューするっていう頃にベーシストが辞めたんで「手伝ってくれない?」って事で、『ORIGINAL LOVE』のデビュー当時にベースを手伝ってたんですよ。ま、それがきっかけというか、それで色んな人に「また井上富雄はベース弾いてるんだ」っていう事で色々と誘いが来て。という事になるんですけど。 T:90年に入っての、新たな活動という中で、SIONさんとの活動は? I:SIONも、そうやって又ベースを弾くっていう所から誘いが来たというか。デビューアルバムも誘われたんですよ。それは僕がルースターズを辞めたばっかりくらいの時で。SIONがデビューする時に「ルースターズのメンバーでレコーディングをしたい」っていうオファーが来たんですけど、僕はベースをちょうど辞めたばっかりで、ちょっと今はベースを弾きたくないという事で断って。それからの流れで90年に入って、またやり出した時に誘われたというか。 T:SIONさんとの活動は今も続いてるんですか? I:そうですね。 T:それから、いろんな方のプロデュースとかアレンジとかをされてると思うんですけど、初めてプロデュースっていう形で自分の思うように出来たものとかっていうのは? I:まぁでも、そうですね、色々ありますけど。僕の場合は、取りあえず今の所プロデュースっていうのは、シンガーソングライターやバンドをオファーするというか、サポートしていくという形が多いんですよ。そういう意味では、何ていうのかな?自分の思いというよりは、そのアーティストの思いを受け止めるというか、そういう感じが多いので、自分がしてあげたりっていう感じには、なかなかならないというか。 T:引き出すという感じですか? I:そうですね。いわゆる世間で思われているようなコンセプトから立ち上げていくプロデュース活動は少ない方ですね。今のところはね。 T:佐野(元春)さんとの出会いというのは? I:どういういきさつかは知らないんですけど、アルバム『フルーツ』のレコーディングに呼ばれたんですよ。うん。でも、僕の素性とか佐野さんは全然知らなかったみたいで、多分誰かに聞いて、そういうベーシストがいるって感じだったぐらいだったと思うんですけど。 T:最初はレコーディングから? I:ですね。 T:最初の印象っていうか、佐野さんも含めて『Hobo King Band』の印象っていうのはどうでしたか? I:最初から『Hobo King Band』じゃなかったんですよね、レコーディングは。全然いろんな人がいたし。レコーディングも1曲だけじゃなくて、また後日行ってみたら、また別のメンツだったりとかで。多分、佐野さんは、あの『フルーツ』のレコーディングの時に次のバンドのメンバーを探ってたのかな?っていう感じですよね。今思えば。 T:そのアルバム『フルーツ』のライブからですか?『Hobo King Band』は? I:そうですね。『フルーツ』が出たすぐのツアーかな? T:最初のツアーは、どんな感じだったんですか? I:一番最初のツアーは、ほとんどハートランドでやってたことを再現するっていう事で。だから、もう厚みにしたら2〜30cmくらいの、もう巻き物みたいな譜面が送られてきて(笑)。シータカ(古田たかし)さんは、佐野さんの現場には譜面がないみたいな感じで言ってましたけど、やる前からそんな分厚いすごい量の譜面が自宅に送られてきて「スゲーな」って思って(笑)。僕はてっきりハートランドは、みんな書き譜状態でやってたのかな?って思ってたんですけど(笑)。ベースラインも全部ですよ(笑)。「これはちゃんと、なぞっとかないと、いけないんだ」と思って、予習してリハーサルに行きましたけどね。 T:実際の内容的には? I:『フルーツ』の新曲もあったんですけど、最初のツアーはやっぱり「往年の佐野元春ベスト」みたいな雰囲気のライブが、最初のツアーだったと思いますね。 T:井上さん自身は、過去の楽曲はご存知だったんですか? I:知ってるのもありましたし、知らないのもいっぱいありました(笑)。 T:佐野さんのハートランド時代のライブは見た事は? I:いや(笑)、ないんですよ。なかったんです。 T:では、初めてに近いという感じで? I:そうですね。でもね、なぜかレコードはね。数少ない日本のアーティストで持ってる中の1人なんですけど、佐野さんは。そう、持ってたんですよね。 T:Hobo King Bandとして続けてきて、何か変化みたいなものはありましたか?振り返ってみて。 I:そうですね。Hobo King Bandに入ってからは、佐野さんの場合、レコーディングもやって、ツアーもやって。全部参加してるので、結構時間をHobo King Bandで過ごす事が多くなってきましたね。自然と活動の中心がHobo King Bandになっていくし。『フルーツ・ツアー』の時に、佐野さんも僕らのバンドの影響みたいなものをどんどん受けて、ウッドストックでレコーディングをやったりとか、そういういろんな事もあったし、佐野さん自体が凄くコンセプトのあるものが好きというか、コンセプトがしっかりしてるアルバムを作るのが得意というか、その都度その都度 「 次はこうなんだ」「今回はこうなんだ」みたいな感じをいつも受け止めながらやってきてますけどね。そういう意味では色々そういう事も通して、自分の流れというか時代の流れとかが進行していっているような感じになってますけどね。 T:Hobo King Band以外の活動では他に? I:最近だと『ロックンロールジプシーズ』という、ほとんど元ルースターズのメンバーなんですけど、一応メジャーレーベルから今年発表したんですけど新作を。そういう経緯もありつつ、時々ライブをやったりとか。 T:あと今、『ココナツ・バンク』がありますよね? I:はい。『ココナツ・バンク』はですね、一応バンド名義でメンバーとして参加させてもらってるんですけど、ほとんど活動はないですね(笑)。レコーディングも何日かだけで終わってるし(笑)。しょっちゅう銀次(伊藤)さんと会ってるかといえば会ってもいないし。 T:その『ココナツ・バンク』のレコーディングはどういう形で進んだんですか? I:レコーディングはですね、もう銀次さんの中でほとんど出来上がってるんで。ドラムがユカリ(上原裕)さんっていう事もあって、もうユカリさんのドラムに乗っかっていくっていう感じですね。 T:なるほど。次にソロアルバム『up!up and away』についてのお話を聞いていきたいんですけども、このアルバムを作るキッカケというのは何かあったんですか? I:僕は『ブルートニック』が89年に解散してから、自分の作品というものを発表する場がほとんどなかった。時々曲を提供したりっていうアーティストはいたんですけど、それほど表立って自分の楽曲を前に出す事がなかったんで。曲を作ったりするのは、やっぱり凄く好きなんで。ちょっと貯まってきてね。うん。そろそろ何か出さない事には次にも進めないなっていうか。 T:「1回、はき出してみないと」という感じですか? I:うんうん。そういうのが強くなったのかな?それで「1回、目ぼしいとこだけまとめてみよう」という感じで。 T:これはインディーズという形ですね? I:全くの自主制作盤ですね。ほんとの意味での。最近のインディーズってメジャーっぽいんですけど(笑)。これに関しては、ほんとに自主レーベルです。 T:レコーディングというのはどういう形でされてるんですか? I:地元の小倉でレコーディングしたんですけど、当初は小倉に小さいギャラリー兼カフェバーみたいな場所がありまして、そこでちょっとライブも出来るような感じだったので、何度かライブをやったんですよ。アコースティックなライブしか出来ないですけど。その感触が良かったんで、そこでのライブをパッケージしようかな?というのが事の始まりだったんですけど。全編ライブ盤でいければ良かったんですけど。まぁ、力量足らずという事で、一応スタジオに入って作ってみようか?みたいな(笑)。でも基本的にスタジオ録音はしても、やってる事はライブでやってるまんまというか、ほんとこれ以上シンプルにならないくらいシンプルなものに。 T:メンバー的には、友人達が集まった感じですか? I:そうですね。僕ともう1人、尾上さとし(元KATZE)っていうギタリストがいるんですけど、2人だけで。もう全くの2人だけで作りました。 T:このタイトルの『up!up and away』っていうのはどういうところからきてるんですか? I:それはですね(笑)拝借先は『フィフス・ディメンション』っていうアーティストの曲のタイトルで。凄いヒットした曲なんですけど。かなり昔、日本航空かなんかのCMに使われてたような気がします。 T:なぜ?そこから? I:もちろんその曲が好きだったっていうのもありますけど、何となく今回のアルバムの感じと自分の気持ちがそういう感じだったかな?っていう。うん。 T:1曲ずつ、解説を聞いてもいいですか? I:はいはい(笑)。 T:1曲目の『♪上昇気流』から教えてください。 I:そうですね。このアルバムの中の曲は、ほとんどはブルートニック解散した後に作った作品なんですが、自分の中ではオールディーズなぐらい、昔の曲が多いんですよ(笑)。だから古いものから順番に、みたいな所がちょっとあって(笑)。その中では新しめな曲なんですけど。あの「ちょっとアコギを真剣に練習してみようかな」と、スリーフィンガーなどを習ったり。ほとんど自己流なんですけど。そんな事をやりながら出来た曲というか。 T:2曲目の『♪SURRENDER』は? I:それはもうかなり古めの曲で、もう作った状況とかよく覚えてないんですけど(笑)。 T:この曲を選んだ基準みたいなものは? I:80年代に僕は、有名な所で言えば『Everything But the Girl』とか、ああいうネオ・アコブームってありましたよね?『ROUGH TRADE』とか『チェリー・レッド・レーベル』とか、そんなレーベルのアーティストの曲を聴くのが好きで、そういうものに触発されて作ったような曲だとは思うんですけど。何かちょっとイギリスっぽい、寒いような暗いような(笑)。そういうマイナー感というか、そういう雰囲気がすごい好きで。どっかいつもどんより曇ってる的な。うん。 T:3曲目の『♪PERFECT DAY』これは? I:はい。これはですね、詞の内容からいくと自叙伝的に、私小説みたいな取られ方をされるんですが、当てはまる部分もあるんですけど、かなりフィクションだというところを強調したいかな?という(笑)。今回リズムレスで作ってあるので、非常にこう、微妙な世界観に仕上がってるなっていう。リズムが入ると分かりやすい曲だとは思うんですけど、3曲目のやつは。まぁそんな感じです(笑)。 T:はい。では4曲目の『♪あの丘の上 』ですが。 I:これは本来はもうちょっと、元々の自分の中での原曲は、もう少し軽やかというか。『Hirth Martinez』っていう人がいるんですけど、あの人の感じみたいな曲になればいいなっていうのを思って作ったんですけど、リズムレスなレコーディングだったので、ちょっと志向を変えてやったらこんな感じになったというか。ちょっとテックス・メックス。ボサノバっぽい曲がテックス・メックスになっちゃったみたいな、感じで融合されてるような曲ですね。結果は気に入ってますが。 T:5番目の『♪ACROSS THE CITY』は? I:これはもう何か、『Steely Dan』ぽいファンキーな曲を作りたかったという感じですね。うん。こういうのをリズムレスでやるのはどうなんだろう?って思ったけど、確かに想像力がないと厳しい感じかも知れないけど、想像して聴いてもらうと何か楽しい楽曲なんじゃないかな?「夜を越え時を忘れ」という感じですね。 T:6曲目、『♪虹の歌』は? I:これはこのCDの中に入れるかどうしようか?って迷った曲なんですけど、歌詞もちょっと恥ずかしいなっていう部分もいっぱいあったり、曲調もベタな作りだったりするので、正直いって迷った曲なんですけど。まぁ、自分で思うより聴いてくれる人の感じにまかせようかという思いですね(笑)。でも、今回この曲を外すとこれをもう出す機会がないだろうなと思ったので、入れました。 T:トミーさんの中では「リアルな歌」になってるっていう事なんですか? I:そうかもしれないですね。多分。それはブルートニックを辞めて、次に向かう頃。何をしようか、そういう先が見えないというか。何だろう(笑)。多分そういう時に作った歌だと思います。 T:7曲目からライブテイクになっていくんですけど、この7曲目の『♪寝ぼけまなこ』は? I:はい。あの、フォークっぽい曲って作った事がなくて。1度ベタなフォークっぽい曲を作ってみよう思ったんですけど、なかなかやっぱり難しくて。これは3拍子の曲なんですけど。出だしは、かなりフォークっぽい雰囲気で始まるんですけど、中盤とかサビとかを変えないと自分っぽくないなっていうのもあったし、非常にベタなフォークっぽいのを作るのは難しいなっていう感じですね(笑)。ただ、これも僕の中では僕が思うフォークソングっていう感じですね。 T:8曲目。次もライブテイクで『♪青にこんがらがった』。 I:それはですね、実はブルートニックの時に1度発表している曲なんです。 T:セルフカバーですか? I:うん。セルフカバーですね。初期の頃に作ったんで、多分24歳ぐらいの曲なんですけど。何で入ってるかってというと、今回どうしてもこのアルバムの中にギャラリー・ソープで演ったライブテイクを何曲か入れたかったんですよ。その中で雰囲気がライブじゃないとこういう風にならないな、っていうように仕上がっていたので。ほんとは全然入る予定ではなかったんですけど。 T:次の9曲目もライブテイクで『♪CATS AND DOGS』は? I:うん。それはですね、1度『♪どしゃぶり』というタイトルで、シータカ(古田たかし)さんのマキシが出てる同じレーベルで、マキシシングルとして出した曲なんですけど。それも今回1度発表している曲なんで入れる予定ではなかったんですけど、ライブテイクという事で。 T:なるほど。では最後の曲の『♪ビロードの草』ですが。 I:はい。それもブルートニックの時のセルフカバーですね。 T:なぜ最後にこの曲を持ってきたんですか? I:何か、こういう歌詞の内容も含めて、あと曲調の終わりが、エピローグな感じなのでいいかなと思って。 T:全体を通して、表現したかった事というか聴いてもらいたい事は、というのは難しいかもしれないですけど、一言で言うとどんな感じですか? I:そうですね。今回はすごくアコースティックでシンプルな作りというのが、大きなテーマで。長年に渡って作った楽曲で、いろんなタイプのがあるのとその時期も随分離れてるんで、そういうものを1枚の作品にする時に、こういうシンプルな形が1番いいかな?という思いで作ったんですけど。まぁ「 独り言」と思って聴いてもらえればいいかな?という感じですね。 T:何か1人で夜とかに、ぽっと聴くといい感じですよね。 I:うん。そういうぐらいな感じだと思います。 T:次の予定は? I:次に溜ってるのをどんどん出さなきゃいけないなとは思っています(笑)。 T:今後、活動的に何かやってみたいと思ってる事はありますか? I:やっぱり個人的にやりたいと思う事は、自分の作品を表に出せる場があれば極力そういうのをやっていきたいなとは思いますね。まぁ仕事に追われつつではありますが(笑)。やっぱり、ベースを弾くっていう仕事がメインなんですけど、そういういろんな活動をやるから、よりプレイが良くなると思ってるし、より音楽的にもどんどん幅も広がっていくと思っていますし、そういう事は出来るだけやりたいと思っていますね。 -end- 井上富雄さんのインフォメーションは、 オフィシャルサイトHP「cajun moon」→http://www.cajun-moon.com/ また、11/14のライブイベント『cajun moon night Vol.3』についての映像&メッセージは、 #10magazine内にて、配信中です。 |
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