ツアーパンフレット
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駿東氏所有のツアーパンフレットとその解説 。
1971
Shocking Blue(B4)
当時「ヴィーナス」が大ヒットして話題の来日。
オランダのバンドなのに、シタールを使っていたのはやはりビートルズの影響か。
「マイティージョー」のシングルのB面は、インストでインド風のシタールがカッコイイ「アッカラー」という曲で最近リミックスをラジオか何かで聴いた。ロックというよりポップスのコンサートという趣だった。
Led
Zeppelin(B4)
初来日の公演パンフレット。「ロックカーニバル#7」と銘打ったシリーズ。イギリスからやって来た、というより「濃くて大人の世界から」という印象だった。ステージはシンプルそのもの。飾りっけなし。服もお金かけていない。全てそのまんま。このパンフも全く同レベル。
4枚目のアルバム発売直前の頃だったので「ブラックドッグ」を新曲として披露した。
Grand
funk Railroad(B4)
これは、伝説となった後楽園での公演パンフ。雨の中必至に持ち帰った逸品。デザインも写真も、どうしたらこんなになるのか、と言うくらいお粗末。この時代の作りは素材が今ほど潤沢にないので表紙に力入れて後は、1色刷りでB4サイズを持て余らす。
Elton John(B4)
ツエッペリンに続く「ロックカーニバル#8」。
この頃のエルトンは、服が地味な頃でアクションだけ派手だった。日本だけでヒットした「イエス・イッツ・ミー」に泣いた覚えがある。高校1年の時代。「マッドマン・アウロス・ザ・ウオーター」に感動。ピアノ・ベース・ドラムという編成であったが、音は太かった。パンフはこれまたどうでもイイ作り。ただのお土産
Chicago(B4)
初来日。同型のバンドBLOOD,SWEAT&TEARSの後を受けたせいで学生バンド並みの評価だったように覚えている。実際大学の友達主体の編成で23-4才だから仕方ないと言うよりそのまま。「長い夜」の大ヒットや、反体制の曲でかなりの話題になっていたので武道館は超満員だった。ライブ行く度にパンフを買っていたわけではないので、この日のパンフを何故持っていたかが謎。不明。
1972
Three Dog Night(B4)
白人黒人混合バンドでカバー曲選曲のセンスが良くってしかもボーカルが全くタイプの違う3人がいるというとてもユニークなバンド。しかもオリジナルで大ヒットも多い。ベースはリズム&ブルーズ。曲は渋いが、活動は派手だった。リーダーのチャック・ネグロンは、未だ健在。
Led Zeppelin(B4)
2年連続来日。新曲多し。この頃隠密でカセットを武道館に持ち込み録音していた。僕などは行動が一人だったので、少年マガジンの中身をくりぬきテレコを中に入れ中に持ち込んだが、中には5人組み(僕より年上の大学生か?坂本龍一さん達の世代か?)は、大きなテープレコーダーを持ち込み会場内で録音状態をちゃんと確認しながら盗み撮りをしているグループもよく見かけた。これは多分海賊版用でしょう。
Emerson,
Lake and Palmer
(B4)
テレビの生中継もやったELP初来日ライブ。前座はフリー。ベースは山内テツ。これも雨の中の後楽園球場もので、僕は電車の帰り道なくしてしまい、ライブから数ヶ月かけて、雑誌の募集欄で探し当てた品。高くふっかけられた。当時はB4パンフの相場は500円だったが、1000円出した。
Deep Purple(B4)
歴史的名演と言われる武道館公演の初来日ライブ。時速500キロのスポーツカーがリッチー・ブラックモアで、後の4人は大型ダンプ。この頃にしては珍しくデザインのいいパンフ。ちゃんとデザイナーが手をつけている感があった。この頃もう僕はデザイナー志望だったので、これには特別な思いがあった。
CREEDENCE CREARWATER REVIVAL(B4)
この年は超大物の来日が多かった。武道館で行われたCCRもチケットが即完売した(らしい)。
ライブは、当時2時間位(ツエッペリンは3時間半)が通常だったが、CCRは1時間位だった。これが、当時人気絶頂だったバンドにケチが付いた。
1973
YES(B4)
アルバム「Close to the Edge」直後のライブは、非常にテンションが高く、ライブの評価も高く。この頃のプログレ人気を一歩リードした感じがある。
こういうライブをやった後というのは影響力がある。デザイン指向の若者(僕の事)はロジャー・ディーンの作ったロゴを真似たりした。表紙はそのロゴの立体版。
Uriah Heep(B4)
この表紙もロジャーディーンのイラスト。パンフレットもこの頃になると当然デザインのイイモノが出てくる。このライブは武道館に忍び込んで入ったが、しっかりパンフだけは買った。
Supremes
ダイアナ・ロスのいないシュープリームなんて、エリック・クラプトンのいないクリーム程度位の期待感ではあったが、コンサート自体は素晴しかった。流石に実力派。今でもハッキリ覚えているのだけど、場所は横浜、体育館。開場してすぐに入るファンが走りだす。下にベニヤが引き詰められていた。黒人が多かった。
Santana(B4)
去年のテン・イヤーズ・アフターに続くウッドストック成功組の来日。しかも話題になったアルバム「キャラバンサライ」を引っ下げて(当時の常套句)の来日。ボーカルはレオン・トーマス。ジャズでヨーデルの人。メンツも一番凄い時。こういうのを見逃すというのは、馬鹿だと思う、って思うくらいの「事件」だった。
Mahavishunu
Orchestra
(B4)
ギター/ジョン・マクラフリン、ドラム/ビリー・コブハム、キーボード/ヤン・ハマー、バイオリン/ジェリー・グッドマン、ベース/リック・レアードというメンツを想像するだけでこのバンドの高い緊張感を語れる。金がなく、チケット買っていなかったので会場(武道館)の入り口を走り抜けて場内に入った。どうしても観たかった。ジャズのライブというより、ロックのイベント的な意味合いが強かった様に思う。
Leon Russell(B4)
映画及びレコードで「Mad Dogs and Englishmen」が大成功し、作曲家としても「マスカレード」「スーパースター」等がヒットし、時代の顔役的な存在であった。
James Taylor(B4)
今行ったのかどうかもはっきり覚えていない。当時の日記にはハッキリ書いてあったので確かなんだろうけれども、覚えていない。パンフもあるが本当に行ったのか?不明。
James
Brown(B4)
同じJamesでも、これは覚えているとか、どうとかのレベルではなく、身体の中を物凄い勢いで通過していったエネルギーの塊は今も身体に残っている。武道館は黒人だらけ。興奮して最前列付近まで突進した。何処かへ連れていかれてもいいと思っていたくらい、恐かった。降参していた。
Deep
Purple(B4)
前年のライブが2枚組アルバム「Live in Japan」として世界発売され武道館を一気に有名にした。表紙の写真も同じフィン・コステロの武道館真俯瞰写真。この中に僕も写っている。初来日ライブに比べて、もうこのバンドは落ち着いてしまっている感があった。
Beck,
Bogerd, Appice(B4)
最初はジェフ・ベック・グループとして告知された。実際チケットにはそう書いてあった。凄いものを観た、と思わせる何かがあった。この頃はロックは事件だった。
1975
PFM(B4)
中野サンプラザで観る。凄くいいライブだった感触が昨日のことのようにハッキリ身体に染みている。ある種このバンドが持っている雰囲気が世間的に言うプログレなのはわかるが、
これは決してプログレなんかじゃない。ヨーロッパ・ロックと言いたい。
1979
ROXY MUSIC(B4)
やっと来た。やっと実現した。このライブのちょっと前にブライアン・フェリーのバンドも観たが、その時のギターは、クリス・スペディングだった。それはロキシーではなかった。ブライアン・フェリーの声に、フィル・マンザネラのギターが入るといきなりロキシーになるから不思議だ。ロキシー史上最悪のジャケット「マニフェスト」と同じパンフなので、ロキシー史上最悪のパンフの表紙。
1980
Gary Numan(12inch)
テクノはクラフトワークに始まりYMOがそれを真似し、フォロワーが一斉に出てくる。本家より先に来日を果たしたのは、このゲイリー・ニューマン。人気絶頂時。
Fred
Frith(A4)
即興音楽のミュージシャンのパンフは珍しい筈。この頃はブライアン・イーノのアルバムに参加したり、アンダーグランドギタリスト界初のカリスマの位置を獲得していた。この来日をきっかけに以降、怒涛の日本攻撃を始める。ビル・ラズウエルやマサカー、ゴールデン・パルミノス、数え上げたらきりがなし。
THE
SPECIALS(B4)
このライブの印象はこうだ。先ず会場に入る。パンフを買う。ライブが定刻を予定通り遅れて始まる。客かスタッフとメンバーがケンカしているのを発見。30分ほどでライブ中止。それで終了。あの当時のことを考えたら、よく暴動にならなかったものだと思う。
JAPAN(12inch)
何故か、化粧系がこのスタイルが多いのに今気づいた。元祖ビジュアル系の武道館ライブも今から20年前の話。ミック・カーンの動きは電動人形。でもこの頃はまだまだ未完成であった。一番ビックリしたのは、武道館全体の95%が女の子だったのと、皆マントしていたこと。中はコスプレ。初めて観たしゅうだんコスプレ大会。
1981
TALKING HAEDS(12inch)1981
プロのデザイナーになってから雑誌などで取材したことはあっても実際に仕事した人は殆どいない。
デイヴィッド・バーンの写真家としての時にポスターをデザインしただけですけど。それを気に入ってくれた。でもこのパンフは誉められたモンじゃない。
第一にこの来日ミュージシャンを受け入れる業界に、プロがいない、プロのデザイナーがやりたがらない。理由は色々あるだろうが、音楽&デザイン好きを馬鹿にしている。僕が音楽の仕事をやりだそうと思い始めたのは、ごく自然な成り行きと今思える。
KIng
Crimson(B4)1981
僕はクリムゾンfan club会長の経歴を持つ。18才から21才迄4年間会報を作ったり、集会やったりした。来日署名運動もしたこともあった。一番熱心だったのは、「アイランド」というアルバムの頃で、この1981年には殆どこのバンドには関心がなくなっていた。でも、行く。これが嵯峨。会社の有給休暇貰って1週間かけて日本中追っかけた。
1982
ULTRAVOX(B4)1982
ジョン・フォックスが抜けて皮肉にも、大ヒットが出て、一躍人気が出ての来日。リーダーは、ジョンの後釜のミッジ・ユーア。この人は「」Dピーター・サヴィル(デザイナー)が出てきたのもこの頃。ロンドンの同じ年のデザイナーの活躍に大いに刺激される。
TALKING HAEDS(12inch)
何故か正方形パンフ。しかもいい加減&下手なデザイン。この頃やっている人は本当に下手な人が多い。名前は見るが、愛情があればイインダ的な感覚で作っているか、知合いというだけで作っているかの、どちらか。2年連続来日を盛り上げるためにも、僕のやらせて欲しかった。
JAPAN(12inch)1982
解散ライブの時のパンフ。土屋マサミさんが加入して盛り上がった時期。野茂が大リーグで活躍すると同じくらいの感激があった。でも、このバンドでさえこの程度のパンフであった。
1983
ROXY MUSIC(B4)1983
超名盤「マニフェスト」のツアー。1970年代にデビューしたあの半端者集団が、こんなにも完成度の高いアルバルを作って解散するなんて誰が予想しただろう。しかも、日本に来てライブをやってくれる。たった10年の来日ロックの歴史がここまで大きくさせた。パンフもこの頃になると大分格好がついてきた感じがある。
DAVID
BOWIE(A4)1983
久々にヒットした「レッツ・ダンス」のツアー。僕は好きじゃなかったが、この頃の僕のボスの石岡さんが行きたいというので武道館に一緒に行く。ただし、パンフ状況に異変。デザイナーが外人なのだ。このパンフはミック・ハガティー作。今は友達の友達だが、当時は憧れの人。自分たちがやる前に外人に持っていかれた感じがした。当時の話ですが。
1984
KIng Crimson(B4)1984
エイドリアン・ブリュー、トニー・レヴィン、ビル・ブラフォード&フリップの編成になってから、やたら来日が多くなる。緊張感が希薄になってファンにとっては複雑だ。この頃から一気にライブに行く気がしなくなってきた。
1985
U2
これは、海外のツアーパンフを買ったもの。実際に行ったわけではないです。とにかく音楽の仕事が出来るようになったので、自分の好きな音楽を漁り続けた時期です。実際に海外にライブ見に行きだしたりもした時期です。
やっと29才でフリーになって、正真正銘の自由になったわけです。余談ですが、1年目にやった仕事がウドーの来日ミュージシャンのポスターの仕事。1週間に1枚作る。大変なんだけど、漸くパンフに近づけたっていう嬉しさがあった。
1986
LAURIE ANDERSON(10inch)1984
この頃になって初めて恰好良いパンフが登場する。音楽というだけでなく、アートに近づいて僕にとっては理想的な作品。ライブも画期的だった。これを見て僕らの世代は初めてコンピューターが自分たちでも扱えるモノだと知ったわけです。
1993
U2
Budokanではなく、Tokyo Dome。僕の大好きな武道館ではなく、大嫌いな東京ドーム。プリンスのライブで初めて行って、30分も持たなかった。すぐ会場を出た。あそこでは音楽は聴けない。聴く気がしない。しばらくそう思っていた。しかし、このU2のライブは会場の広さを全く感じさせなかった。素晴しかった。これからの大きな会場は、映像だ、と思った。僕がこの年YMOのライブのドーム映像の企画が始まったのはこれからまもなくだった。
1995
KIng Crimson(1/2*B4)1995
時代も変ったことを痛感した。マニアが多いとは言え、外タレのパンフが2種類。通常版が3000円で特別限定版が10000円。で、限定の方はすぐ完売。これも時代。このパンフも外人デザイナー。ビル・スミス作。これに関して言えば、一見見た目よさそうですが、
20年前の下手さ&いい加減さに通ずる何かがある。
1998
beck
パンフはこの位いい加減でいいんだ!というポリシーまで感じてしまう。
外国は遠くていいんだ、その方が有り難みがあるんだ、という考え方と同じで納得できない。
外国には映画のパンフレットがない、それと同じような気がする。早い話、日本人はパンフが好き
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