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掲示板です。感想など、どしどし書き込んでください。マナーは守ってね。
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moment
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世田谷のmomentの中が少し見られます。
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世田谷のmomentを訪れた友人達のフォトとメッセージです。
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momentと交流のある方々へのインタビュー
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#3 手塚るみ子
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ロングインタビュー:手塚るみ子
momentメンバーや仲間たちへのコンタクト取り次ぎなど、
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ざっくばらんにメールください。
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さまざまな分野からの特別プログラムです。
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#3 特集:「トミー・トランティーノ/TOMMY TRANTINO」
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今回は、トミー・トランティーノの特集。
ヘンリー・ミラー研究の本田教授へのインタビューも。
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・2003.03.14 本日より、#3に更新されました!
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バックナンバーへは、上のバナーからどうぞ!
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作品#3 「JOURNEY to LOCK THE LOCK Part I」 DVCAM作品/ドキュメンタリー/ 2003年 監督:平松れい子 出演:トミー・トランティーノ/平松れい子 時間:約20分 |
舞台演出家の平松れい子が以前より交流のある、昨年、獄中より40年ぶりに社会復帰したアーティスト、トミー・トランティーノに会いに行き、そのスピリットに触れる。ドキュメンタリー作品。Part I。 |
momentが注目したカルチャーやイベント情報、コラム等掲載のNEWS MAGAZINEです。
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#3
event: PoST presents 1st event「LAND」(1/30 初台ドアーズ)
stage:「自由に飛ぶために〜新・小次郎外伝〜」(2/13 北沢タウンホール)
work shop:里村美和(パーカッショニスト)
web site:「radiofish」(http://www.moto.co.jp/radiofish/)
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連載 KEN'S BOOK REVIEW / TERA'S SOUNDTRACK REVIEW
momentに関連したミュージシャン、バンド等を紹介します。
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#3: アンリミテッド・ブロードキャスト/Unlimited Broadcast
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アンリミこと「Unlimited Broadcast」の井垣宏章、石塚明彦、EIJIの3人を迎えての インタビューです。貴重なライブ演奏も観れます。
special issue: Part I トミー・トランティーノ インタビュー
「『LOCK THE LOCK』という本に出会ったのは、8年前だった。トミー・トランティーノの40年にわたる刑務所生活の中でかきつづった絵やコトバのつまった本。ふと立ち寄った東京のギャラリーで、その圧倒的なエネルギーに出会った私は、衝動に身を任せてトミー・トランティーノ本人に会いに行った。ニュージャージー州の刑務所コムストックプリズン。厳重な身体チェックのあと、体育館のような場所に現れたトミーの姿は、凛としていて、生きる意思に満ちあふれていた。死刑の宣告をうけたこともあるトミーと面会できたのは2時間ほどだったが、励まされ勇気をもらい、生きていく力を与えられた。私がだ。しかも話した内容といったら日本の富士山は素晴らしいね、とかそんな他愛もない話がほとんどだったのに。そんなトミーが去年40年ぶりに釈放された。今はニュージャージーのアパートで、たくさんの絵と詩に囲まれて生活しているそうだ。ニューヨークを経由してニュージャージーへ。今度は、その部屋で会える。
(映画『JOURNEY to LOCK THE LOCK』の冒頭ナレーションより)。」 平松れい子による『LOCK THE LOCK』出版の経緯から、現在の心境まで辿ったインタビューです。 (2003.2.26 トミ−・トランティーノ邸にて インタビュー& 翻訳:平松れい子) |
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平松れい子(以下R):『LOCK THE LOCK』の本はアメリカでどんな風に出版されることになったんですか?
トミ−・トランティーノ(以下T):出版された頃、僕はデスハウス(死刑囚の独房)にいた。ベトナム戦争の反戦デモの激しい時期だった。シカゴの集会場で大きな抗議集会デモがあった時に警官隊が奇襲し、多くの人が逮捕された。そのムーヴメントのリーダーだったアビー・ホフマンも逮捕されたんだ。それで彼の弁護士が、ちょうど僕と同じ弁護士だった。僕は、弁護士にある手紙を書いた。弁護士はそれを理解し、他の人達にもみせたいと思ったんだろうね。
R:どんな手紙だったんですか?
T:とても詩的でラジカルで論理的でアカデミックなものだった。
弁護士は僕の手紙を理解してくれたんだ。革新的な弁護士だった。とてもいい人だった。それで、アビー・ホフマンの法廷で、弁護士が僕の手紙をみんなに見せたくて配った。そこにはあらゆる業界の人達、出版界、大学の教授などが集まっていた。この裁判でアビー・ホフマンを応援しにきたんだ。大きな裁判だった。毎日テレビ中継してたらしい。そのアビー・ホフマンが、僕の手紙を折って、紙ヒコーキにして飛ばしたんだ。厳粛な法廷でね。それはかなり法廷に対する侮辱的な行為でもあった。彼はそんなものには敬意を表してなどなかったからね。公正を裁く偽善的なシステムになどにはね。僕にとっても。当時はみんながそういうムードだった。
それで、たまたま出版社で働いている人が僕の手紙を受け取って、「こいつは才能がある!」と思ったことがきっかけ。たまたまそういうことがあって、他にもいろいろ僕が描いたりしたものを合わせて本になった。それからアビー・ホフマンは僕のいい友だちになった。また、ジョン・レノンやカート・ヴォネガット、ウッディ・アレン、偉大なる詩人で政治活動家でもあるアレン・ギンズバーグや、心理学者ロロ・メイといったたくさんの人達が、僕の(釈放の)サポーターになってくれた。ヘンリー・ミラーはアービング・ステットナーを通してサポーターになってくれた。たまたまの出来事だった。どんな理由であれ、なるようにしてなるものだよ。
R:タイトルにもなっている『LOCK THE LOCK』という詩の内容について教えて下さい。
T:Lock the Lockというのは、言葉遊びだ。言葉をジャグリングするのが好きなんだ。
この詩は、その時の僕の妻に書いたものなんだ。で、彼女にLock the Lock I'm coming homeと。つまり、彼女への愛やセクシャルな思いを手紙で宛てたもので、愛の行為、としての表現でもあり、僕と彼女との肉体関係の行為を保ち続けるためのものだった。
Roll down your socks.これは服を脱いでベッドに行こう。Get off your rocks.これはアメリカの俗語で、オーガズムを感じてという意味。My
Burning Cockは僕のきみに対する情熱。最後の部分、Lock the Lock I'm comingは、二人の間だけに起こる事、I'm coming
行く、I'm comingイク、home家についた。絶叫、射精。これは、比喩なんだ。自由に対する比喩。心からの叫び。セクシャルな意味だけでなくね。妻を喜ばせたかったし、とても個人的な詩だ。本のために書いたのではなく、あくまで彼女にあてた手紙なんだ。後からそれが出版された。個人的なコミュニケーションだった。彼女に笑って欲しかったし、この詩で彼女が喜ぶことがわかっていたからね。僕らの間にセックスはなかった。僕は刑務所で彼女は外の世界にいたから。でも僕らはそれを望んでいた。君のところに行く。君と一緒にイク。それから、home
家に行き着き、僕らの生活が始まる。
またこれは、同時に僕の政治に対する皮肉も含まれている。逆の意味だ。ロックするな。鍵を開け、ドアを開けて、僕を家に帰してくれ、人々を自由にしろ、というようなね。
R:なるほど。
T:僕にとって、リアリティ、いかに現実とつながるかということが問題だ。何がリアルなのか。それを見つけるのは難しい。僕はかなり前にこういう詩を書いたんだ。
現実への扉はいつでも開いている
扉に近づき、扉を通り抜ける
そこには実は扉などない
扉があるのかないのか
その鍵は僕らの手にゆだねられている
R:この本の最初の「子羊のはなし」は、とても私の心を捕らえました。6歳のとき、授業中の教室でトイレにいきたかったのに先生に行かせてもらえず、もらしてしまい、家に帰って母親にしかられた。そのことは、「もし法則に従うと、クソをもらしてしまい、あとで母親にパンツを洗わせる羽目になる」ということを6歳のときに感じていた、という話ですよね。これには普遍的な意味が含まれていますよね。
T:そうだね。文字通りにとると理解できない人もいるが、ヘンリー・ミラーなんかはここに惹かれたと行って手紙をくれた。この場合、授業中に外に出たらいけない法則というのはある種の仮面だ。子供というのは正しい生き方を教えてくれる。仮面は大人になると、ストリートジャケットに変わり手放せなくなり、子供のときもっていた疑問をロックしてしまうけれどね。その頃の僕の心はブラックボックスで、仮面をしている人々や規律・法則というものが理解できず、何が真実なのか、自分はいったい誰なのかわからなくなっていた。それは、自分がなぜ罪を犯したのかというひとつの理由でもある。自分のしたことがなぜ罪なのかわからなかった。何かから抜け出したかった。壁に頭をうちつけるようなことをしたが事態は悪くなるいっぽうだった。
R:この本に載っている刑務所長に宛てた、アメリカ国旗とケイト・スミスが歌った国歌を要求する手紙は、なぜ出したのですか?これは皮肉をこめたものだと思うのですが、どんな皮肉なのですか?
T:その頃、24時間窓も椅子も人との接触も運動も許されないデスハウスにいた。ただひとつ本と新聞だけが許されていて、格子越しの薄暗い光でいつも読んでいた。それで外で何が起こっているのかをかろうじて知ることが出来た。市民権運動やベトナム戦争に対するムーブメントが起きている時期だった。ブッシュも今同じ様なことをいっているが、もしアメリカ人ならばアメリカ国家に従わなければ、罪となり罰せられると。これは長い歴史の中で政治家がずっとやってきたことだ。外ではみんなが国旗をふっていた。アメリカ万歳!といってね。
僕にはその愛国心が馬鹿馬鹿しく思えて、この手紙で皮肉を論じたんだ。
従わなければならない規則のようなものに対して。ぼくは授業中にトイレに行かせてもらえず、自分のパンツにクソをもらすことに反抗していたからね。そのあと母親にパンツを洗濯させなければならないということに。つまり、何かの形で立ち上がろうとしたんだ。デスハウスにいても。まあ面白がってたんだけどね。刑務所内にはアメリカ国旗があり、警官はみんなアメリカのバッチをつけていたりした。もし戦争に反対すればコミュニストといわれる。で、僕のしたこととは、二つの象徴的なものを刑務所長に要求したということ。大きなアメリカ国旗と国歌をね。誇りをもって独房に飾りたいんだと。でもこれはあくまで僕の作戦。コミュニストの僕から皮肉をこめて。つまり彼らが何に対してノーというのか、わかっていたから、その愛国主義的なシンボルをわざと要求して、彼らにノーと言わせたかったんだ。それを面白がっていたという手紙だ。彼らは権威や武器といった分厚い仮面をかぶっていた。僕は暴力は使いたくなかった。彼らは神の子で、生まれたときは皆一緒。敵ではない。だから、ユーモアを使って下らない愛国主義に立ち向かったというわけだ。どんなに悲しく、暗闇の中にいる時でもユーモアを忘れちゃいけないよ。暗闇の中ではユーモアが太陽の光になるからね。
R:つい先日ブロードウェイでみた新作ミュージカルは、アメリカ万歳というようなプロパガンダ作品でした。また同じ様な危険なことが起こっていますね。
T:旗をふらなければアメリカの敵といわれる。社会の風向きに抗うことに恐怖を抱いてしまう。もし戦争が起こり、愛国主義に反対していれば国を追われてしまう。完全に操られている。真実・真理がどこにもない。本当はみんな戦争などを望んでいないはずだ。本当にみんなが望んでいるのは国境のない、どこにいても自由な世界、誰も傷つけられることのない、どこにも危険な場所のない世界だというのに。
R:40年間の刑務所生活、特に8年の死刑囚の独房生活の経験はあなたに何をもたらしたのでしょう?
T:最初に50m先に電気椅子の部屋があるデスハウス(独房)に入れられた日、何もかもわからなかった。そこから40年間もそこに入れられることになることもわからなかった。ただひとつわかったのはこれからの生活が暗闇だということ。何も祈らなかった。しばらくは。そんなある日突然何かが僕に起こった。光がおりてきて包まれた。音が聞こえなくなった。映画みたいだけど本当にそんなんだった。悟りを得たような感覚だった。それ以後ドラッグ・アルコール・暴力は一切やっていない。そんなことが起こったのは40年前だった。それからはすべてに励み続けた。人に対しても与え続けた。デスハウスの中で、それが僕の生き方になった。僕は庭に種を蒔くように、言葉を書き始めた。絵を描き始めた。自分を表現し始めた。本も読んだ。ガンジーやマーチン・ルーサー・キングの言葉は、僕にとっては外の世界の息づかいだった。
デスハウスは、窓も何もない狭い部屋だった。近くにみえる電気椅子の部屋で殺されるまでの間、収容される場所だった。他にも収容されている人間がいて、格子越しに声を出していた。僕は自分が喋るのをやめ、彼らの声を聞き始めた。長い時間ずっと。彼らの痛みや文化の違う彼らの声を。でもそれについて自分が喋りもしなかった。ただ聞いていた。看守の声も同じように聞いていた。看守の制服を着ていても、服の下は同じ人間だ。そこでわかったのは、僕は人が好きだということ。人が、ライフ
生活が好きだということ。それからそのことを表現し始めた。また僕なりの倫理観も表現し始めた。デスハウスにはムスリムの人がいて、豚肉を出されても食べられなかった。で僕は格子越しに、公平を訴え彼らのために別の食事をと頼んだ。彼らが少しでも長く生き延びるために。するとある看守が、僕を理解してくれ彼らのために別の食事をもってきてくれた。バリアを壊すこと。あらゆる文化で人を縛っているものを壊そうとした。少しのチャンスがあれば人が幸せになる。
僕らは死刑執行がいつなのか、何ヶ月先なのか、今日の夜なのか何も知らされていなかった。そのことに対して、ハンガーストライキも行った。おかげで時間はかかったが、それは解決された。
8年間のデスハウスを出て終身刑となってからも、聞き、理解し、暴力をつかわずに抗議するというやり方を続けた。そういった行動は僕にとって、アートであるということを確信した。アートは文を書いたり絵を描いたりするだけではない。よりよい人生を創るためならどんな表現でもアートだ。どんなに悲惨な状況でも、よりよくしようとした。すべては自分次第。マスクをしたままの人がいることは僕にとっては悲劇だ。世界に向けて道を開く方法を発見して欲しい。
だいたい、そのような事が僕の40年間の刑務所生活の中で起こったことだ。
R:最近興味のあることを教えていただけますか?
T:今、あなたのやっていることに興味がある。クリエイティブのプロセスに。アートに。人々に。それから、病んだ人がより良くなるために手助けすること。僕自身が相当病んでいたからね。それから人生。生活。今という時間。いかに時間を使って生きるか。それが生きる意味。どう生きるかがすべて。それが若い頃は理解できなかった。僕のやったことが罪とされたこと、罪ではなくなること、人間としての罪とは何か、親切にすることでも、いいことをすることでもない。そうして育ち、許されることがなかった。昔はね。だからこそ今の僕にとっては、時間が大切だ。1分1分を大切にしたい。
ストローカー
Stroker
詩人・画家のアービング・ステットナーが編集・出版している前衛的なリトルマガジン。今でもニューヨークのいくつかの本屋(ex.ウェスト47番街のゴータム・ブックマート、イーストヴィレッジのセントマークス、日本では神保町の北沢書店)にいけば新刊が並んでいる。74年の創刊当初から、ヘンリー・ミラーやポール・ボウルズ、チャールズ・ブコウスキーといった今は亡きカウンターカルチャー世代のアーティストたちが作品を投稿していた。
トミー・トランティーノ Thomas Trantino 1938年生まれ。画家・詩人。母親はユダヤ系、父親はイタリア系で「混血児」と呼ばれたトミー・トランティーノは、貧困と偏見が悪循環するブルックリンでドラッグやアルコールに浸り、刑務所という行き止まりに向かって暴走。1963年に警官殺害の容疑で告発され、無罪を主張するが殺人罪で死刑の宣告をうける。仕事も運動も明かりもない、狭い独房に8年間の監禁。その後終身刑に減じられ、以後約40年間ニュージャージーの刑務所で恩赦の望みをつなぐ。紙とペン、画材を許されてからは、絵やコトバで沸き上がる感情や経験、エネルギーを表現し始め、それらをまとめた本 『LOCK THE LOCK』がアメリカで出版され話題となる。昨年2002年に仮釈放され、現在彼は約40年ぶりの社会生活を営んでいる。彼の拘禁についてはCBS 60minutesという番組でも取り上げられ、アメリカでは社会問題にもなった。 |
以上、平松れい子に宛てた手紙に同封されていた絵
「LOCK THE LOCK」表紙
「LOCK THE LOCK」カバー表紙・裏
「LOCK THE LOCK」より
「storoker」より表紙・裏
平松:まず初めに本田さんのご専門は何になりますか?
本田:僕はアメリカ文学、特にヘンリー・ミラーの周辺に関心があります。その関係でアービング・ステットナーやトミー・トランティーノが視野に入って来るというわけです。本ばかり読んで研究を進めているよりも、そういう、まだ生きていて頑張っているヘンリー・ミラーの周辺の人達を応援しながら、その繋がりの中で研究を進めています。
F
平松:そんな本田さんがトミー・トランティーノを知ったのは何がきっかけになるんですか?
本田:僕はニューヨークに行くと必ずウェスト47番街のゴータム・ブックマートというところに立ち寄るんですけど、その本屋さんは作家同志の交流の場所としてもよく知られているんですが、そこにストローカーという雑誌が置いてあって、それをいつも買ってたわけですよね。で、その雑誌をつくっているアービング・ステットナーに会いたいなと思ってました。そのストローカーにはトミー・トランティーノの絵や詩なんかが、よく載せられていました。それがきっかけです。で、晩年のヘンリー・ミラーもトランティーノに関する事を、ストローカーに書いているんですよ。公開状のような形で。そういうことで、トランティーノの事が気になり、特に元死刑囚であるということが僕には非常に関心あることでした。
平松:なぜ元死刑囚ということに関心があったんですか?
本田:僕の場合、明らかにヘンリーミラー研究の関係でやっています。ヘンリー・ミラーは作家になる前に、ニューヨークのウェスタンユニオンという電報会社に勤めていたんですよ。そこでは、雇用主任の担当で、人を雇う仕事をしていたわけですね。で、あまり明らかにされていないんですが、ウェスタンユニオンに勤めていたときに、ニューヨークの凶悪犯がいる刑務所に勤めている人=看守がヘンリー・ミラーのところにやって来て、その刑務所から出た人を採用して欲しいと、何かあった場合は自分の命と引き換えに何とかするから、どうか雇ってくれと言ってきたわけです。他ではどこも相手にしてくれないわけですよね。もちろんヘンリー・ミラーの勤めていたウェスタンユニオン側もそういう人は雇えないというルールがあるわけですが、彼は二つの間に挟まれて、悩んだ末に、その元囚人を雇うことにしたと。そういう隠された事実があるわけです。で、その後もヘンリー・ミラーは密かに囚人とのつながりを持っているんですよ。60年代にイリノイ州の終身刑の人を救い出したりもしています。40年代にはアメリカ全土を旅していますが、その間も刑務所に囚人とのつながりを、僕からみると、求めているというところがあり、社会から切り離された人間と手を繋ぎたい、自分は囚人の仲間である、自分だっていつ刑務所入ったかわからない人間だ、といったことを強調しているわけです。僕はヘンリー・ミラーがいかなる理由で囚人と繋がっているかという彼なりの思想を、今度書きたいと思っているんですが、ヘンリー・ミラーの生涯の中にそういったことが点々としてあり、そしてその最後のところに、トミー・トランティーノがいる。しかも生きていて、会えるわけです。
平松:なるほど。で、実際に2002年の11月に会いに行かれたそうですよね。その時のトミー・トランティーノはどんな印象でしたか?
本田:11月の8日に会いに行ったんだけどね、彼は半袖で、入れ墨なんかしててね。いつも常に喋りまくっている感じでしたね。非常に芸術家、敏感な人だという印象で、でも常に嬉しそうでしたね。その前の日がちょうどアービング・ステットナーの誕生日だったんですよ。アービング・ステットナーが僕の後から遅れてきたら、トミー・トランティーノは冷蔵庫からバースデイケーキを出してきましてね。
平松:そういうところはトミーらしいですね。さてヘンリー・ミラーにトミー・トランティーノの存在を紹介したのが、アービング・ステットナー。ストローカーという雑誌を作ってひとりで売り歩いているこちらも画家・詩人です。
本田:もともとアービング・ステットナーは、40年代にすでにヘンリー・ミラーの北回帰線を読んでいてファンになり、その本が爆発的に売れる前に会っているわけです。それからパリに移り住んだアービング・ステットナーは、ヘンリー・ミラーに頼まれて、ヘンリー・ミラーの友人とコンタクトをとったり、当時はアメリカで発禁本となってしまっていた「北回帰線」を送ったりしているわけです。しかしヘンリーミラーがあまりにも有名になり、しばらく会いずらくなったということをいっています。70年代の後半になって、アービング・ステットナーはヘンリー・ミラーに自分の作っているストローカーを送り始めて関係が再復活し、その後トミー・トランティーノの本、『LOCK
THE LOCK』も送ったんですよ。78年の末頃だったかしら。ヘンリー・ミラーは80年に亡くなっていますから。最後の2年間ですよね。その間必死になってヘンリー・ミラーはアービング・ステットナーを応援し、トミー・トランティーノにも激励の手紙を出したりするんです。
平松:その様子はほとんどストローカーに記録されていますね。ところで、本田さんがロック・ザ・ロックを日本で出版されようとしたきっかけは何ですか?
本田:去年の11月に会いにいった時にはまだそこまで思っていなかったんですけどね、安藤さん(*画廊space Sを営む。2004年にトミー・トランティーノの個展を企画中。http://www.space-s.com)が2004年にトミー・トランティーノの個展をやるっていってるので、その応援として考えています。その個展の時に本も出版されていればいいし、それでまず翻訳してからだなということで、若い人を数人集めました。それでその翻訳家を集めて初めて新宿で打ち合わせをしようという前日に平松さんから電話があった。
平松:本当に偶然ですね。私は、トミー・トランティーノを被写体にした短編映像を撮ることが決まり、寺澤さんに2月に撮影です!と言われ、トミー・トランティーノの住所を確認しなくちゃと本田さんに電話をしたところだったんです。私がロック・ザ・ロックの出版に向けて1人で動いていたのは6年前ですが、どこの出版社に行っても出版まで漕ぎ着くことができず、もうなかば諦めていたんですよ。ところがここに来て、ポンポンと回りが動き始めています。
本田:そうですね。それからトミー・トランティーノは刑務所にいるときに絵や詩を書いて画家・詩人になったわけでしょ。でいまは、キリスト教(クェーカー教)の団体で働いていて、ものすごく忙しいわけですよ。月曜から金曜まで朝昼晩、土日はボランティアで特に忙しい。そうすると今は芸術活動は出来ないでいるんですよ。刑務所にいるときには芸術家でいられたのに、なんというアイロニー(=皮肉)なんだと、アービング・ステットナーと言っていたんですよ。これからそういう活動はどうなるのかなあ。今度絵を描いたらどういう風になるのかなあと思ってね。
平松:時間が物理的にないということですよね。
本田:うん。
平松:今後の活動をトミー・トランティーノ自身がどうとらえているのか、今度の映像作品で問うてもみたいところです。
本田:来年の安藤さんが企画する個展では、新しい作品は出さないんじゃないかな。でも安藤さんは、その個展にはぜひトミー・トランティーノを日本に招待したいと言っていますけれどね。
平松:もし来日することができたら、僕は1分1分を大切に過ごすんだと言っているそうですね。でもニュージャージー州を出るのでさえ州知事の許可がいる今の現状を考えると厳しいですね。
本田:トミー・トランティーノにとってはアメリカは狭苦しい国で、日本は逆に広い国なんですよ。だから僕は是非呼びたいと思うんですよ。それは当局の許可はどうなるのか、とかそういう法律的なことはわからないけれど。まあ招待しようと努力することだけでもしていいんじゃないかと思いますね。そういうことを一生懸命やろうとする小さな画廊があるということで、僕は応援したいです。まあささやかですけど絵を一点ボーナス出たら買うとか。
平松:そのトミー・トランティーノの個展の時には日本版『LOCK THE LOCK』が出版されているといいですね。
敬省略
special issue: Part II 本田康典 インタビュー
#3short film『JOUNEY to LOCK THE LOCK』で取り上げたトミ−・トランティーノの後援者だったヘンリー・ミラーを研究されていて、トミ−・トランティーノとも面識のある本田教授にお話を伺った。 (2003.2.16 インタビュアー:平松れい子) |
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