special issue: Part I トミー・トランティーノ インタビュー

「『LOCK THE LOCK』という本に出会ったのは、8年前だった。トミー・トランティーノの40年にわたる刑務所生活の中でかきつづった絵やコトバのつまった本。ふと立ち寄った東京のギャラリーで、その圧倒的なエネルギーに出会った私は、衝動に身を任せてトミー・トランティーノ本人に会いに行った。ニュージャージー州の刑務所コムストックプリズン。厳重な身体チェックのあと、体育館のような場所に現れたトミーの姿は、凛としていて、生きる意思に満ちあふれていた。死刑の宣告をうけたこともあるトミーと面会できたのは2時間ほどだったが、励まされ勇気をもらい、生きていく力を与えられた。私がだ。しかも話した内容といったら日本の富士山は素晴らしいね、とかそんな他愛もない話がほとんどだったのに。そんなトミーが去年40年ぶりに釈放された。今はニュージャージーのアパートで、たくさんの絵と詩に囲まれて生活しているそうだ。ニューヨークを経由してニュージャージーへ。今度は、その部屋で会える。 (映画『JOURNEY to LOCK THE LOCK』の冒頭ナレーションより)。」

平松れい子による『LOCK THE LOCK』出版の経緯から、現在の心境まで辿ったインタビューです。

(2003.2.26 トミ−・トランティーノ邸にて インタビュー& 翻訳:平松れい子)

ロック・ザ・ロック
『LOCK THE LOCK』

昨年40年ぶりに社会復帰したトミー・トランティーノが獄中で描いた絵やコトバをまとめた一冊。雑誌ストローカーに掲載されていた当時から、その表現の自由さ、スラングを多用した生身の肉声は、強烈なリアリティをもってヘンリーミラーをはじめ多くの作家を刺激し、魅了していた。この本は、生きる意思に満ちた哲学読本である。トミーが無罪であることはこの本が証明している、とヘンリーミラーは語っている。


ストローカー
Stroker

詩人・画家のアービング・ステットナーが編集・出版している前衛的なリトルマガジン。今でもニューヨークのいくつかの本屋(ex.ウェスト47番街のゴータム・ブックマート、イーストヴィレッジのセントマークス、日本では神保町の北沢書店)にいけば新刊が並んでいる。74年の創刊当初から、ヘンリー・ミラーやポール・ボウルズ、チャールズ・ブコウスキーといった今は亡きカウンターカルチャー世代のアーティストたちが作品を投稿していた。

トミー・トランティーノ
Thomas Trantino

1938年生まれ。画家・詩人。母親はユダヤ系、父親はイタリア系で「混血児」と呼ばれたトミー・トランティーノは、貧困と偏見が悪循環するブルックリンでドラッグやアルコールに浸り、刑務所という行き止まりに向かって暴走。1963年に警官殺害の容疑で告発され、無罪を主張するが殺人罪で死刑の宣告をうける。仕事も運動も明かりもない、狭い独房に8年間の監禁。その後終身刑に減じられ、以後約40年間ニュージャージーの刑務所で恩赦の望みをつなぐ。紙とペン、画材を許されてからは、絵やコトバで沸き上がる感情や経験、エネルギーを表現し始め、それらをまとめた本 『LOCK THE LOCK』がアメリカで出版され話題となる。昨年2002年に仮釈放され、現在彼は約40年ぶりの社会生活を営んでいる。彼の拘禁についてはCBS 60minutesという番組でも取り上げられ、アメリカでは社会問題にもなった。


以上、平松れい子に宛てた手紙に同封されていた絵


「LOCK THE LOCK」表紙


「LOCK THE LOCK」カバー表紙・裏

「LOCK THE LOCK」より

「storoker」より表紙・裏

平松:まず初めに本田さんのご専門は何になりますか?

本田:僕はアメリカ文学、特にヘンリー・ミラーの周辺に関心があります。その関係でアービング・ステットナーやトミー・トランティーノが視野に入って来るというわけです。本ばかり読んで研究を進めているよりも、そういう、まだ生きていて頑張っているヘンリー・ミラーの周辺の人達を応援しながら、その繋がりの中で研究を進めています。
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平松:そんな本田さんがトミー・トランティーノを知ったのは何がきっかけになるんですか?

本田:僕はニューヨークに行くと必ずウェスト47番街のゴータム・ブックマートというところに立ち寄るんですけど、その本屋さんは作家同志の交流の場所としてもよく知られているんですが、そこにストローカーという雑誌が置いてあって、それをいつも買ってたわけですよね。で、その雑誌をつくっているアービング・ステットナーに会いたいなと思ってました。そのストローカーにはトミー・トランティーノの絵や詩なんかが、よく載せられていました。それがきっかけです。で、晩年のヘンリー・ミラーもトランティーノに関する事を、ストローカーに書いているんですよ。公開状のような形で。そういうことで、トランティーノの事が気になり、特に元死刑囚であるということが僕には非常に関心あることでした。

平松:なぜ元死刑囚ということに関心があったんですか?

本田:僕の場合、明らかにヘンリーミラー研究の関係でやっています。ヘンリー・ミラーは作家になる前に、ニューヨークのウェスタンユニオンという電報会社に勤めていたんですよ。そこでは、雇用主任の担当で、人を雇う仕事をしていたわけですね。で、あまり明らかにされていないんですが、ウェスタンユニオンに勤めていたときに、ニューヨークの凶悪犯がいる刑務所に勤めている人=看守がヘンリー・ミラーのところにやって来て、その刑務所から出た人を採用して欲しいと、何かあった場合は自分の命と引き換えに何とかするから、どうか雇ってくれと言ってきたわけです。他ではどこも相手にしてくれないわけですよね。もちろんヘンリー・ミラーの勤めていたウェスタンユニオン側もそういう人は雇えないというルールがあるわけですが、彼は二つの間に挟まれて、悩んだ末に、その元囚人を雇うことにしたと。そういう隠された事実があるわけです。で、その後もヘンリー・ミラーは密かに囚人とのつながりを持っているんですよ。60年代にイリノイ州の終身刑の人を救い出したりもしています。40年代にはアメリカ全土を旅していますが、その間も刑務所に囚人とのつながりを、僕からみると、求めているというところがあり、社会から切り離された人間と手を繋ぎたい、自分は囚人の仲間である、自分だっていつ刑務所入ったかわからない人間だ、といったことを強調しているわけです。僕はヘンリー・ミラーがいかなる理由で囚人と繋がっているかという彼なりの思想を、今度書きたいと思っているんですが、ヘンリー・ミラーの生涯の中にそういったことが点々としてあり、そしてその最後のところに、トミー・トランティーノがいる。しかも生きていて、会えるわけです。

平松:なるほど。で、実際に2002年の11月に会いに行かれたそうですよね。その時のトミー・トランティーノはどんな印象でしたか?

本田:11月の8日に会いに行ったんだけどね、彼は半袖で、入れ墨なんかしててね。いつも常に喋りまくっている感じでしたね。非常に芸術家、敏感な人だという印象で、でも常に嬉しそうでしたね。その前の日がちょうどアービング・ステットナーの誕生日だったんですよ。アービング・ステットナーが僕の後から遅れてきたら、トミー・トランティーノは冷蔵庫からバースデイケーキを出してきましてね。

平松:そういうところはトミーらしいですね。さてヘンリー・ミラーにトミー・トランティーノの存在を紹介したのが、アービング・ステットナー。ストローカーという雑誌を作ってひとりで売り歩いているこちらも画家・詩人です。

本田:もともとアービング・ステットナーは、40年代にすでにヘンリー・ミラーの北回帰線を読んでいてファンになり、その本が爆発的に売れる前に会っているわけです。それからパリに移り住んだアービング・ステットナーは、ヘンリー・ミラーに頼まれて、ヘンリー・ミラーの友人とコンタクトをとったり、当時はアメリカで発禁本となってしまっていた「北回帰線」を送ったりしているわけです。しかしヘンリーミラーがあまりにも有名になり、しばらく会いずらくなったということをいっています。70年代の後半になって、アービング・ステットナーはヘンリー・ミラーに自分の作っているストローカーを送り始めて関係が再復活し、その後トミー・トランティーノの本、『LOCK THE LOCK』も送ったんですよ。78年の末頃だったかしら。ヘンリー・ミラーは80年に亡くなっていますから。最後の2年間ですよね。その間必死になってヘンリー・ミラーはアービング・ステットナーを応援し、トミー・トランティーノにも激励の手紙を出したりするんです。
平松:その様子はほとんどストローカーに記録されていますね。ところで、本田さんがロック・ザ・ロックを日本で出版されようとしたきっかけは何ですか?

本田:去年の11月に会いにいった時にはまだそこまで思っていなかったんですけどね、安藤さん(*画廊space Sを営む。2004年にトミー・トランティーノの個展を企画中。http://www.space-s.com)が2004年にトミー・トランティーノの個展をやるっていってるので、その応援として考えています。その個展の時に本も出版されていればいいし、それでまず翻訳してからだなということで、若い人を数人集めました。それでその翻訳家を集めて初めて新宿で打ち合わせをしようという前日に平松さんから電話があった。

平松:本当に偶然ですね。私は、トミー・トランティーノを被写体にした短編映像を撮ることが決まり、寺澤さんに2月に撮影です!と言われ、トミー・トランティーノの住所を確認しなくちゃと本田さんに電話をしたところだったんです。私がロック・ザ・ロックの出版に向けて1人で動いていたのは6年前ですが、どこの出版社に行っても出版まで漕ぎ着くことができず、もうなかば諦めていたんですよ。ところがここに来て、ポンポンと回りが動き始めています。

本田:そうですね。それからトミー・トランティーノは刑務所にいるときに絵や詩を書いて画家・詩人になったわけでしょ。でいまは、キリスト教(クェーカー教)の団体で働いていて、ものすごく忙しいわけですよ。月曜から金曜まで朝昼晩、土日はボランティアで特に忙しい。そうすると今は芸術活動は出来ないでいるんですよ。刑務所にいるときには芸術家でいられたのに、なんというアイロニー(=皮肉)なんだと、アービング・ステットナーと言っていたんですよ。これからそういう活動はどうなるのかなあ。今度絵を描いたらどういう風になるのかなあと思ってね。

平松:時間が物理的にないということですよね。

本田:うん。

平松:今後の活動をトミー・トランティーノ自身がどうとらえているのか、今度の映像作品で問うてもみたいところです。
本田:来年の安藤さんが企画する個展では、新しい作品は出さないんじゃないかな。でも安藤さんは、その個展にはぜひトミー・トランティーノを日本に招待したいと言っていますけれどね。
平松:もし来日することができたら、僕は1分1分を大切に過ごすんだと言っているそうですね。でもニュージャージー州を出るのでさえ州知事の許可がいる今の現状を考えると厳しいですね。

本田:トミー・トランティーノにとってはアメリカは狭苦しい国で、日本は逆に広い国なんですよ。だから僕は是非呼びたいと思うんですよ。それは当局の許可はどうなるのか、とかそういう法律的なことはわからないけれど。まあ招待しようと努力することだけでもしていいんじゃないかと思いますね。そういうことを一生懸命やろうとする小さな画廊があるということで、僕は応援したいです。まあささやかですけど絵を一点ボーナス出たら買うとか。

平松:そのトミー・トランティーノの個展の時には日本版『LOCK THE LOCK』が出版されているといいですね。

敬省略

special issue: Part II 本田康典 インタビュー

#3short film『JOUNEY to LOCK THE LOCK』で取り上げたトミ−・トランティーノの後援者だったヘンリー・ミラーを研究されていて、トミ−・トランティーノとも面識のある本田教授にお話を伺った。
(2003.2.16 インタビュアー:平松れい子)

本田康典 Yasunori Honda
宮城学院女子大学教授、アメリカ文学研究家。本田氏翻訳のヘンリーミラー『北回帰線』が水声社より発売予定。雑誌ストローカーにはほぼ毎回のペースで書き下ろしている。