松田真朝


昨年、ピカソの「メトロノームレコード」より、アルバム『月ト花ト雨ノウタ』をリリースした、
シンガソングライターの、松田真朝さんへのロングインタビューです。

(2005年8月5日/世田谷momentにて/インタビュアー:TERA@moment)









松田真朝(Martha Matsuda)



生年月日:4月13日
血液型:B型
星 座:おひつじ座
出身地:福岡県
趣 味:スキューバダイビング、映画、
ミシンを使って洋服作り(自分と愛犬の洋服、小物、簡単なもの)
好きなもの:海、イヌ、ネコ、マニキュア、ビリヤード、
ワイン、料理、・・・恋。
嫌いなもの:虫→茶色→飛ぶ→向かってくる→逃げ足が速い・・・
好きなアーティスト:カーペンターズ、クール&ザ・ギャング、
コモドアーズ、エンヤ、
スティービー・ワンダー、オアシス、ケミカル・ブラザーズ etc...
楽器:私が大事にしている楽器、フルート
(小2から始めて、現在に至る・・・って、相性が良かったみたい)
私の声(最初は自分の声を聞くのって、照れくさいんだよね)

 松田真朝インタビュー

フルートをやっているという方向でも、ただきれいな音楽を吹くというだけじゃなくて、ちょっと今興味があるのはアイリッシュなんですよ。もともと影響はギタリストのツクちゃんなんですけど。そのアイリッシュをやってて練習してるとき、すごく燃えるんですよ。


TERA(以下:T):よろしくお願いします。

松田真朝(以下:M):よろしくお願いします。

T:まず、生まれた場所を教えてください。

M:生まれた場所は名古屋なんですよ。名古屋で生まれたんですけど、お父さんの仕事の関係でいて、でも全然記憶がなくて、もう生まれてすぐ福岡に移ったのかな。なのでもうほとんどというか、全く記憶がないです。

T:ご兄弟は?

M:兄弟はいないです。一人っ子。

T:福岡というか、向こうに行ったのはいつ頃ですか?

M:いつだろう。もう1歳のうちか2歳とかじゃないかな。

T:もう、物心ついたときは向こうに?


M:そうですね。福岡からの記憶しかない。

T:幼稚園の記憶ってありますか?


M:ありますよ。幼稚園で、幼稚園の授業とは別で教室があったんですよ。そういうのにも通って、友達もいっぱいいたし。そこで歌を歌ったりもしてたんですよ。あと、ピアノの教室に行ったり。でも、ピアノの教室は先生が怖くて3カ月も続かなかったかな。そんな感じですね。

T:小学校入ると何か?

M:小学校。小学校は、学校の中身よりも帰り道のことばっかりしか覚えてないかな。帰るのに、普通に歩いて帰ってきたら15分ぐらいでつくところを、1時間以上とか2時間かかって帰ってきてたから。

T:なぜ、そんなに時間がかかるんですか?


M:もう一番仲のいい友達がいて、寄り道しながら帰ってきてて、小さい子だから田んぼに生えてるお花とか、そういうのを摘んで遊んでみたり。何か見つけて遊んでたって感じですかね。別に遊べる場所があったわけではないけど。

T:何か楽器とかやってたんですか?

M:はい。小学校の2年生からフルートをはじめたので。

T:きっかけは?

M:きっかけは、うちの親が何か楽器をさせようと思ってて、何がやりたいって言われたときに、自分からフルートがやりたいって言ったらしいです。それも覚えてなくて。

T:どこからフルートが出てきたんですか?

M:多分、どこかでフルートの音を聞いて、いいなと思ってたんでしょうね。それで、どっかにフルートというのがあったんだと思います。

T:割と学校から帰ると、もうフルートを吹いて?

M:吹いてましたね。小学校2年生のときから、電車を乗り継いで遠くの教室まで行ってたりして、今考えたら危なかったよねって親も言ってたりして。

T:それは一人で通ってたんですか?


M:うん。一人で通ってたんですよ。よっぽど楽しかったんだろうなと思います。

T:最初はどういう曲を習っていくんですか?


M:最初、もう習いに行ってたところは、クラシックがメインだったので、最初はチューリップとかそういう簡単なものなんですけど、もうクラシックばっかりでしたね。

T:それで、小学校の上級生ぐらいになると、変化というか、変わってきたりするんですか?


M:そうですね。上級生になって、吹奏楽部というのがなくて、クラブとか、私がいた学校に。それで、もうみんなと演奏したいなと思ってたけどできなかったっていうのがすごく強くて、習いに行っていたところで、アンサンブルとかができるようになって、そういう希望もどんどんかないつつ。で、そのころはまだ歌のほうにはいってなかったですね。歌が好きだなっていうのはあったけど、自分で家で好きな音楽聞いて歌ってるぐらいな感じだったんですよ。

T:中学校入ると?


M:中学校に入ると、そのころもずっとフルートは続けてて、どうかな。どっちかというと音楽というよりは放送部とかに入ってたんで、しゃべるほうに興味がわいてて、ラジオのDJとかしてみたいなと思ってたり、うん。そうでしたね。音楽はやっぱりまだその時点でも好きで聞いて歌ってるぐらいの感じでしたね。

T:でも、かなりフルートは上達して。


M:上達してたのかな、どうなんだろう。いろいろ先生とかに東京行って勉強してみたらって言われたこともあったけど、そこまでやろうかなっていう気にはなっていなくて、そのとき行ってたら、また違った人生になってたのかもしれないけど。

T:中学3年間は音楽中心ですか、やっぱり。


M:そうですね。

T:ほかの部活とかは?


M:部活っていうか、クラブみたいな。部活よりは練習が簡単で、楽な、そういうクラブはいろいろやってましたね。ちょこっとテニスをやってみたり、またちょこっとバスケをやってみたり。文化系ではない。

T:運動系で。高校は?


M:高校は、逆にその時期はあんまり音楽とかかわってなかったかもしれないですね。すごくまじめな子が多くて、周りに。で、一生懸命勉強しないとついていけない雰囲気もすごくある学校だったんで、3年間授業を受けて、夏休みとかも補習っていうか、特別授業みたいなの、そういうのを受けて、もう一生懸命3年間過ごしたっていう感じだから。あっという間で、余り高校のときの記憶がないんですよね。いろいろ楽しめたのは、小学校、中学校かなっていう。

T:高校出るころは、何か?


M:高校出るころは、だんだん、そのころはまだしゃべり手になりたいなっていう気持ちがあったから、そういう方向に進みたいなと思っていて、そうなるためには具体的にどうしたらいいのかというのがまだわかっていないから、こうだっていうふうに道を進んでた時期じゃないですね。

T:高校出てまずやったことって何ですか?


M:専門学校に行ったんですよ。専門学校に行って、公務員になりたい人が行く専門学校に行ったんですよ。でも、行ってみたけどやっぱり違うなと思って、卒業はしたものの公務員にはならず。で、まあ、でもいろんな友達もできたし、学校では習っていなかったような勉強とかもできたから、それは行ってよかったのかなと思ってるんですけど。逆に、そういう違う道に行っちゃったから、その後に自分か本当にやりたいのが何なのかというのが見えてきたのかもしれないですね。

T:フルートは続けてたんですか?


M:習ってたのは、中学校の3年生までなんですけど、趣味で時間があれば吹いてたかなっていう感じですね。

T:オリジナルっていうのは、いつぐらいから?


M:それは、二十歳過ぎてからライブハウスに出るようになったんですよ。そこで自分で。

T:専門学校出る頃?


M:出て、1年間の学校だったんで、その後バイトとかもしながら、ライブハウスも出て、そのころからですね。

T:それは1人で?


M:1人で。バンドとか……

T:きっかけあったんですか?


M:きっかけは、少しずつしゃべるよりも歌のほうがいいかなと思い出して、自分で歌ってるだけじゃ意味がないと思って、聞いてもらわなきゃと思って、聞いてもらうためにはライブハウスに出ようって思ってたときに、福岡のほうなんですけど、福岡の情報誌があって、それに出演者募集の広告が載ってて、それでオーディション受けに行ったのがきっかけなんですよ。

T:そのライブの話を聞かせてほしいんですけど。


M:で、そこで何ていうのかな、普通に出演者が出てライブをやっていくという形ではなくて、オーディション形式なんですよ。お客さんがみんな審査員で、まず一番下のところで出演者がいて、歌ってお客さんが審査をして、よかったっていう上位が次のランクに上がれるんですよ。で、準レギュラーで、一番上かレギュラーということで、出演する日にちも多いし、時間も長くなるっていう、そういう形式のライブハウスで。

T:エントリーは何人ぐらいいたんですか?


M:何人ぐらいいたかな。1日に4、5人とかいたんじゃないかな。日によって違ったと思うんだけど。そこで、同じような夢を見ている友達とかもできて、今でも一緒にライブやってるツクちゃんっていうんですけど、その人とも出会って、だからいろんな周りの、自分のオリジナルやってる子もいたりして、刺激を受けて、やっぱり人の歌を歌ってるだけじゃなくて、自分の歌をつくって歌っていかなきゃなっていうのが、そこで気づいたというか。

T:最初に作ったオリジナルの曲って、どんな曲だったんですか?


M:最初の作ったのが、今でもずっと歌ってるんですけど、「肩ニサクラ」っていうCDに入っていて、その曲なんですけど、結構あっと言う間にそれはできちゃったんですよ。なので、結構今までつくってて、形にちゃんとなってる曲って、時間かからずにぼんぼんとできちゃったものがほとんどなんですよ。

T:曲つくるときは、フルート?


M:フルートは使わないですね。キーボードを使ってたり、頭の中に浮かんだメロディーをそのままずっと覚えててとか、譜面で書いてたりとか。

T:最初、曲を?


M:曲ですね。

T:その後、詞つけるんですか。


M:そうですね。

T:映像とかは何となく浮かんでいきますか?


M:何となく。うん。しっかり描けるときもあれば、何となく浮かんだものから、あとは自分で想像して勝手にお話をつくっちゃったりしながらつくっていきますね。

T:ファーストライブ後はどういう流れになっていくんですか?


M:そうですね。一人で歌ってるだけじゃなくて、例えばサポートのギタリストがいたり、ときどきまた違う楽器のメンバーが入ったりとかして、そうやって楽器が一つずつ増えるごとに、雰囲気とか、幅とか、そういう音楽って変わっていくんだなっていうのがよくわかったから、一人だけでやっていこうっていうふうに最初は思ってたけど、そういう気持ちもやっぱり変化していったのかな。で、そうやって活動していて、ギタリストのツクちゃんの関係で、ピカソと出会うことができて、またそこから幅が広がっていったんですよ。

T:最初の出会いって、どんな感じだったんですか。


M:最初の出会いは、福岡のほうで音楽学校っていうか、専門学校みたいなところ、そこの特別授業の講師をピカソがやっていて。

T:3人で。


M:そうですね。で、ライブとかやってて、

T:それ、何年ぐらい前?


M:何年前だろう。

T:2000年入ってました?


M:どのぐらいかな。ツクちゃんと会って7年ぐらいだから。

T:ぎりぎり2000年入るごろ?


M:ぐらいですかね。で、会って、そのときは一緒に何かできるっていうのは全く思っていなくて、ただ、みんながライブ終わった後の打ち上げに一緒にいるような感じだったんですよ。

T:最初、ピカソのライブとかを聞いて、そのとき初めてピカソ。


M:初めてですね。

T:どうでした? ピカソは。


M:小学校だったかな、のときの部活の先生が、顧問の先生がピカソファンだったんですよ。で、部活じゃなくて、放送のクラブみたいなのがあって、給食の時間に音楽を流してたりしてたんですけど、その中で先生がこれをかけろって持ってきた中に、ピカソの曲が入ってたんですよ。そうやって音楽を聞いてたから知ってたんですけど、実際に生で聞ける日が来るなんてみたいな。そこでつながったと思いましたね。

T:その日は、特にそういう話にならず。


M:うん。

T:その後どういう流れになったんですか?


M:ツクちゃんを通しながら。実際、こうやって会って打ち合わせをしようかっていうのが、とんとんと行ったわけではなく、本当に自然と流れがあって、その後に歌を聞いてもらって、一緒にやってみようかみたいな。

T:で、プロジェクトピカソに。


M:はい。

T:で、そこからどういう動きになっていくんですか?


M:そこから、まずは自分の曲とかも少なく、ほとんどないに等しかったので、曲を書いてもらって、まずマキシシングルを出すということになって、そうですね。CDを出して、東京でもライブをさせてもらったり。もともと地元が福岡なので、東京に出てくるのもいいけど、まずは福岡を、地元を固めたいなっていうのがあって、まず福岡で頑張ろうよっていう感じになったんですよ。

T:最初のマキシは、どういう感じでとったんですか。


M:は、そうですね。3曲入っていて、そのうち2曲はつくっていただいた曲で、もう一曲は、最初のさっき言ってた「カタニサクラ」っていう曲なんですよ。で、全然私がつくった曲も、本当にメロディと歌詞があるだけっていう感じだったんで、歌詞を手直ししたり、アレンジをしてもらったりしながら。で、もう一つ別の曲で、「八月の恋人」っていう曲があるんですけど、その曲は、今も一緒にライブやってるツクちゃんが作曲をしてたんですね。で、最初はね、もう全く違う曲だったんですよ。もう、同じメロディーでゆっくりした、本当に切ない曲だったんです。それをピカソマジックというか、ピカソの手にかかるとこうなっちゃったっていう曲に変身して。レコーディングはこっちに来てとって、まあ、そんなにすごい大変だったなっていうこともなく、うん。無事に終わったなっていう感じですね。

T:そのマキシの後、どういう活動を。


M:マキシを出して、福岡のほうでいろいろCMで使ってもらったりした曲もあったりして、活動をしているうちにラジオの番組とかにもゲストで呼んでもらったりしてて、そうしてると逆にラジオとかしゃべれないのっていう話が来て、で、やってみようかっていうことで、番組も始まって、で、もう4年目に。地元のほうではラジオをやって。

T:ラジオの番組名は?


M:最初は、「ムシカフロアー」っていう番組だったんですけど、今は「グランドフロアー」っていう名前に変わって。

T:生ですか?


M:今は生ですね。

T:何曜日の何時?


M:土曜日の夕方4時から1時間ですね。まあ、自分の番組やってるから、曲もかけちゃえみたいな。(笑)かけて。自分がまだまだ知識は少ないけど、知識の中でいろいろ調べたりして、音楽の話をしていたり、逆に番組をやっていることで今まで聞かなかった音楽を聞いたり、何ていうのかな、自分がみんなに教えてあげるというか、話をしている状態なんだけど、その準備をする段階で逆に自分が勉強させられてるなっていう感じかして、音楽やってる上では、すごくよかったなと思いますね。何か好き嫌いはいけないなっていう。聞く音楽。とりあえず聞いてみて、どうしてもだめだったらしようがないなって。本当にそれをやるまでは、自分の好きなものばっかりを聞いてたから、本当に知らない、全く知らないジャンルの音楽とか、聞いてみるといいんだなっていうのがいっぱいあった。しゃべることで音楽、歌うこととは違うけど、やっぱりかかわりが出てきたなっていう感じですね、最近。

T:ライブっていうのは、どういう感じでやっていってるんですか?


M:ライブは、ギター1本と歌とフルートって感じで、アコースティックな感じがすごく多くて、最近はパーカッションの人が入ったり、ピカソの森さんが手伝いに来てくれたり、いろんなバリエーションも豊かになってきてるんですけど、一番多いのはギターと2人でっていう感じですね。

T:オリジナルはかなりふえたんですか?


M:かなりっていうほどもないんですけいど、一応アルバムは出せたので。

T:去年の夏でしたっけ。


M:10月ですね。

T:そのアルバムをつくる経緯みたいなのって。


M:そうですね、その中にも、アルバムの中にマキシに入っていた曲も入ってるんですね。で、そのほかにも自分でつくった曲が入ってたり、もっとフルートを生かそうっていうことで、フルートだけのインストゥルメンタルの曲が入ってたり、ですね。で、なんか作ってみて思ったのが、例えば「肩ニサクラ」とか、有名な沖縄の「花」っていう曲も歌ってるんですよ。タイトルをずらっと見ると、なんか木だったり花だったり、植物みたいなものが多いんですよ。そういうものが自分でも好きなのかなと思ったりして。で、フルートだけの曲っていうのも今まで歌を歌い始めたときに、まさか自分でフルートを、自分の音楽の中に入れるとは思っていなかったので、逆にフルートをやっぱり入れていくっていうのは、ちょっとプレッシャーでもあり、しっかりそっちも頑張らなきゃいけないんだなっていう気持ちになったし。でも、フルートって結構名前とかよく聞くじゃないですか。どこかで音色を聞いたことがあるけど、実際に目の前でフルートの音を聞いたことがあるっていう人は少ないんですよね。うん。なので、ライブをやっててフルートの音って、こういう音がするんですねって言われたり、繊細に見えて結構大きな音が出るんですねとか、そういう新しい発見とかをしてもらえるから、入れてよかったなと思いますね。

T:アルバムの満足度は?


M:本当に、何て言うのかな、似たようなものが多いなっていうのが全くなくて、色とりどりっていうか、ほんといろんなものがきゅって集められたなっていう感じかすごくしますね。集めたアルバムに入っている曲をどれも外したくないっていう気持ちはすごくありますね。

T:たまに東京とかでライブはやるんですか?


M:ときどきですね。今回もライブがあるので、来たんですけど。来ようと思ったら、東京でも1時間半ぐらいで来ちゃうし、インターネットもあるし、ほんと何か移動するのさえ苦でなければ、どこにいても、自分がぽんって動いていけばどこでもライブはできるなと思ってて。東京に限らずいろんなところに行きたいですね。

T:8月7日のライブはどんな感じなんですか?


M:構成は、私が歌とフルートと、ギターと、あと森さんのピアノとパーカッショニストで、女性のユキさんっていう方が入るんですよ。今までパーカッショニスト入ってもらったときは、男性だったので、やっぱり音も男らしい音がしてたんですよ。でも、今回は女性なので、リハーサルをやってても、女性だからこういう感覚を入れてくれるんだなっていうのがすごくあって、本当に。また新たなっていうか、発見じゃないけど、そういうのかできたなって思いますね。女性と男性だけでも、全然出す音が違いますね。だから、今までのライブを見たことがあるっていう人も、今回見たら、違うなって思ってもらえるんじゃないかな。
T:今後、楽器をふやしてみたりとか、いろんな人とセッションしたりとか。
M:うん。やってみたいですね。で、自分の曲をつくるときにもそうなんですけど、何て言うのかな、フルートをやっているという方向でも、ただきれいな音楽を吹くというだけじゃなくて、ちょっと今興味があるのはアイリッシュなんですよ。もともと影響はギタリストのツクちゃんなんですけど。で、そのアイリッシュをやってて練習してるときもすごく燃えるんですよ。やっぱりアイリッシュって、土地のすごく厳しい自然とか、そういうものがあったからこそこういう音楽が生まれたんだなっていうのをすごく感じさせられるんで、だから何かもっと奥深いんだろうけど、ちょっとやってみたいなっていうジャンルなんで、どこかで自分の音楽とつなげていけたらいいなと思いますね。

T:音楽以外って、趣味とかあるんですか?


M:趣味ですか。ふだんやってる趣味っていうのは、最近アロマテラピーとかにすごく凝って。いい香りがするもの大好きなんですよ。だから、自分の好きな香りをつくりたいなっていうのがあって、香水とかもあるけど、あんまり自分にぴたっと来る香りがないんですよ。だから、自然で落ち着けるような香りが自分のそばにあったらいいなと思ってて、そういうのでアロマテラピーに凝ってますね。

T:今後の目標とか、やってみたいことっていうのは?


M:目標。そうですね。さっき話したアイリッシュなんですけど、アイリッシュフルートっていうのがあるんですね。で、今使ってるのはシルバーなんですけど、金属でできたフルートなんだけと、アイリッシュって、やっぱり素材が金属ではないので、音も全く違うだろうし、普通のフルートはキーを、ふたがついてて、それを押さえるキーなんですね。アイリッシュフルートは穴があいているだけの、筒に穴があいているだけの形なので、多分もっと奥深いはず。で、難しいと思うんですよ。難しいって聞くとちょっと燃えちゃうんで、やってみたいなと思いますね。あとは、歌のほうでも、やっぱり今まで聞いてきてすごくいいなって、これからも例えば「花」っていう曲だったり、そういうすばらしい曲があってずっと歌っていきたいなと思うけど、自分でそういうものをつくって、これはいつまでも歌っていくぞっていうぐらい曲をつくりたいですね。音楽って、いいなって、私も思う瞬間があるんですけど、聞いてたり、音楽やってたりして、そういう感じることができる音楽を歌いたいと思いますね。

T:一生音楽とつきあっていきたい?


M:もちろん。そうですね。本当に絶対やめようと思うことがないんじゃないかな。そう思います。

T:本日は、どうもありがとうございました。


M:ありがとうございます。


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 インフォメーション

松田真朝さんの詳しいインフォメーションは、オフィシャルHP(http://www.pro-picasso.com/martha/index.html)まで。