special issue : 「阿部吉剛/緊急インタビュー」

 特集:「阿部吉剛/緊急インタビュー」


キーボーディストの阿部吉剛さんの、
緊急インタビューを特集します。
阿部さんは、70年代後半より音楽活動を
開始して、80年代初頭より、
伝説のバンド、「THE HEARTLAND」に
参加して、佐野元春らのサポートを
努めました。
90年代中盤、「THE HEARTLAND」解散
後は、自らプロデューサーとして、
またキーボーディストとして、さま
ざまなアーティストと音楽活動を続けて
います。
現在、東京から離れて海の側に本拠地を
構えて活動している阿部さんですが、
先月から始まったレコーディングで、
しばらくmomentを活動拠点にした縁で、
今回のインタビューという流れになり
ました。(脇に里村美和を携えてと
いう形で)
あまりインタビューが得意ではない
阿部さんですが、最近の事を中心に
聞いてみました。



緊急インタビュー 阿部吉剛/インタビュアー:TERA@moment

TERA(以下:T):こんにちは。

阿部吉剛(以下:A):どうも。

T:まず、今回のレコーディングの概要について、教えてください。

A:ファンって、レゲエの女の子で、エイベックスから今度6月にアルバムをリリースするので、その中の1曲、アレンジ仕切り頼まれて。それが今回の仕事。あしたは、プレイをしに行くっていう感じですね。

T:そのレコーディングのメンバー、どんな感じですか?

A:きのうのファンちゃんのレコーディングは、ドラムは自分で打ち込んで、パーカッションを里村さんにやってもらって、ベースが、クウバって、レゲエシーンでは結構有名な人の大久保さんに弾いてもらって、それで、管を、トロンボーンがちょうど都合悪かったのもあって、ペットとテナーとアルト、ペットはコンドウ君って、スリルとか、デキシータンタスとかの人で。

里村:もともと、タンタスでおれ一緒にやったことあって、懐かしかった。

A:基本的には、ティックスっていうバンドがあって、レゲエの、大久保ちゃんが仕切ってるバンドだけど、その時にブラスをふいてもらって、コンドウ君とシバイ君って。シバイ君っていうのは、ネイキッドっていうバンドとか自分のやってて。、テナーサックスとフルートやってもらったのが、ニシウチ君っていう人で、レゲエディスプロッカーズとかやってる、レゲエシーン関係の人が、里村さん以外は。そんな編成で。あと、ギターとピアノは自分で。ドラム打ち込んで。

里村:レゲエのブラスという割には、結構サルサっぽいイメージもあったね。

A:もとのリクエストがそんな感じだから。

里村:昨日のレコーディングはレゲエなんだけど、半分ぐらいキューバっぽいのりもある曲だったから。

A:そんな感じですね。

T:リリースは、6月に決まってるんですか?

A:6月に出るらしいですね。夏前に出て、レゲエはやっぱりあったかい時期でしょうね、きっと。

T:ライブとかも?

A:今のところ、何も、ファンちゃんに関しては決まってないですね。事務所的には、バンドはなかなかお金がかかるという話で。いわゆるレゲエの人たちって、セレクターとシンガーっていうパターンでイベントいっぱいやってるから、2人でいけるし。カラオケ持ってやるっていうのが多いと思うんですよね。予算があれば、大きなときにはやりたいが本音でしょうけど、それは相談っていうことで。それなりに枚数が売れれば、そういうこともあるかもしれない。

T:もう1つ、ケイソンに関してなんですけど、結構、長い間一緒に活動していますね。

A:そうですね。ケイソンは地元のつながりもあるし、ライブとかはよくやって、誘ってもらって、最近はやって。で、レコーディングは、おれ今回初めて一緒にやらせてもらうんですよ。今回はキーボードで参加。ベースはちゃんと、本人が弾いてるかもしれない。

里村:ライブのときは、ベース弾くでしょうって。

A:ライブは弾く、ベース。ベースとピアニカで。

T:そもそも、ケイソンとの出会いっていうのは?

A:田舎の、静岡のほうで、ケイソン住んでるの静岡だし、なんかそういう音出すようなパーティーとかイベントみたいなのがあると顔合わせて一緒に「やろうよ」みたいな、「やらせて!」みたいな。結構かっこいいやつだし、音楽もかっこいいなと思ってやってみたいなと思って。それが始まりですね、最初は。田舎帰ってから親しくなったっていう。

T:何か来月、バリの方に行かれるという事ですが。

A:サーファー、海でもよく会うし、御前崎とかで会って、サーフィン関係の大会か何かだと思うんですけど、それかツアーなのか知らないけど、それのイベント、レセプションパーティーみたいなのでケイソンがライブやることになって、それについていきたいなと思って、一応、予算があると言われたので、行ければ嬉しいなと思って。何かサーファー系の人たちには、それなりに知られているケイソン自体が。エドウィンとか、ガラブがスポンサーについてる、そういう感じですね。ケイソンのポジションは。

T:ここで、昔の話になりますが、そもそも音楽始めたきっかけみたいなものを簡単に教えて下さい。

A:難しいな。何だろうな。やっぱり、佐野元春とザ・ハートランドのメンバーだったっていうのが、一番大きいと思うんですよね。

T:その前っていうのは?

A:うーんと、どういうところでやったんだろう。バイトみたいな感じで。ヤングジャパンっていう事務所があって、そこのフォークの人とかのバックとかをやらせてもらうようになったりしたのがきっかけ。その事務所で佐野さんとも会ったし。大学生の頃にそんな事をやり始めたから。就職しなくても何となく、金も使わないで暮らしてたから、そんな風にね。そうこうしてるうちに、佐野さんやらせてもらう、それで、ハートランドに入った。佐野さん自体もどんどん有名になっていったし。そんな感じ。なんとなく。

T:ザ・ハートランドに入る経緯は?

A:えーっとね、ファーストアルバムか何かのレコーディングをしてるのを。「佐野っていうやつがいて、レコーディングしてるから見にいってみる?」とか言われて、「行きます」って。春名さんっていうマネジャーの人がいて、その人に連れられて行って、佐野さんが自分の専属チックなバンドつくりたいからって。「じゃあ、やりたいです」とかって。「バッドガール」か何かをレコーディングしてて、かっこいいなと思って。「じゃあ、やらせていただけるんだったら」みたいな感じで、「やります」っていう感じで始まった。

T:その頃は、他のアーティストの方も?

A:いや、つきっきりかも。いや何してたんだろう。ほかのフォークの人も同じようなことはやっていたのかもしれない。重なっていたりするのか、よく覚えてないね、その頃の事は。

T:それらは、ヤングジャパン系の?

A:系な感じですね。そういう「海援隊」みたいな人たちもいた感じの。ヤングジャパン自体がアリスの事務所みたいな感じだったんで、そういう関西の「バンバン」みたいな人たちとか、そういう関係の人たちが多かった。

T:長い間、ザ・ハートランドというバンドで。

A:長かったですよね。十何年。十五年ぐらい。昔、新宿のルイードとかも、やってたし。何だっけ、TVKの「ファイティング80's」の頃からやってました。ダディさんとか。超初期からやってて。

T:その後、大きい所でやるように。

A:そう。それで全国ツアーやるようになって、(西本)明君も来て。

T:小屋がどんどん大きくなっていくっていうのを、実感して。

A:最初は、もう本当にどこだっけ、横浜の馬車道のサンドイッチ屋さんとか、10人、20人ぐらいでもやったしって感じですね。それが野球場になるまで。

T:で、1994年にザ・ハートランドが解散しますが。

A:なかなか言えない状態だったですね。人には言えない。でも、やっぱりね、何か。わからないね、何か飽きるのはあるでしょう、きっと。きっとストーンズも飽きてるだろうし。でも仕事だからやるか。何かピュアっていうんじゃないけど。それこそ佐野さんとか、違う自分を、発展的に変化させていきたいと思ったら、「ずっとそのままでやれ」って言われるのも厳しいだろうし、バンドみたいなもの自体も、そういう何やっても、「誰はどう出てくるだろう」みたいなのは、やっぱりある程度は見えちゃうみたいな、ちょっと「おもしろいよりは、おもしろくない」と思うというか、きっと。そういう意味では、煮詰まっていた部分はあるだろうし、どうかな。

T:なるほど。

A:それでもなんか葛藤みたいなのはみんなあっただろうし、やっぱり十何年となったら、人生の中でも長いから、自分のやりたい音楽ってきっとみんな持ってただろうと思うし、このまま終わっちゃっていいのかとか、そういうなんかわからないけど、そういうのもあったのかもしれないし、おれはそこまで考えてないけど。

里村:それで、ちょこちょこ違うバンドもやった。小野田も、おれも違う仕事もしてたから、そういう意味ではそれだけじゃないっていう気持ちが逆にあったんだけどね、あの時は。

A:やっぱり、大きかったと思うな。佐野元春っていう名前が。ポピュラリティ以上にカテゴライズされたものを獲得しちゃってたと思うから。「佐野のところでやってるんだよ」みたいなさ。

里村:小野田とか里村はもともと違うところもやってたっていうのもあった。阿部ちゃんもやってたにしろ、それがでかかったのかな。

A:いや、おれは別にそう思ってたりはしないけど。おれは、自分自身はどう思ってたかって言ったら、あまり何も考えてなかったんですよ。ただ、何でそうなったかと言ったら、おれの勝手な想像だけど、そういうものがあってそういう流れになったんじゃないかなと思う。

里村:自分の好きなものが、結構、佐野の中で合致してたと思う。

A:うん。でも、最初はやっぱりすごいかっこいいなと思って。
同世代でこんなことやってる人がいるんだって。洋楽みたいだし、いわゆる洋楽世代だから。

T:僕は最後まで、新鮮で楽しい時間が流れていったと思いますが。

A:基本的には佐野さんの才能が絶えず新鮮でおもしろかった時期は、沢山あったし、そういうものに対して、何ていうんだろう……。突き放した意味ではないんですけど、ただ、そういう意味で才能には圧倒されていたし。何だろう、「彼が言うことは正しいだろう」って思ってやってたし、そう思って、楽だったし、自分的にも。多分、そんなこと考えてなかったけど、「じゃあおまえはどうするんだ」って言われなくて、ある程度、言われたようにやったとしても、悪い意味じゃなくて、言われた事をやってるのが楽しかったし、何かやれって言われて何も出来ないより、楽だったのもあるから、そういう意味でそれがよくない意味にも出てきて苦しくなってた。

T:バンドそれぞれの曲が入ってるコンピアルバムで、阿部さんの曲も2曲ぐらい入っていますけど、あの曲については?

A:そうですね。すごくブラジルにかぶれてた、10年間ぐらい英語の曲も聞かないぐらいかぶれてたんで。

里村:ミルトンナッシメント大好き時代かな。

A:うん。で、それもやらせてもえたっていう感じだったかな。

里村:あと、「クリスマスタイムインブルー」。阿部ちゃんの影響でレゲエ調になったと思ってるんだよね。阿部ちゃんがレコーディングの時、レゲエっぽくしたら、「それいいね」ってなった、あの時って。覚えてるけど。レコーディングの最中に、いきなりアレンジがレゲエになっちゃったのは、阿部ちゃんが、しーたかのドラム合わせて裏でンチャンチャって弾き始めたからだと思う。

T:それは阿部さん覚えてないですか。

A:あんまり。そんなに強くは覚えてない。(笑)

里村:もともと、レゲエなんて、誰も思ってなかったね。レコーディングの時にそうなったんだよ。

A:それは、ブラジルばっかり聞いてたけど、新しいカテゴリーとしてすごいインパクトあったんだろうね、自分の中で。

里村:阿部ちゃんとエッセンスは、ブラジルとレゲエっていうイメージが。

A:基本的に、メインストリームのロックとか、あんまりよく知らなくて、もともと。ビートルズとかは聞いてたけど、やっぱりフォーク系が、キャロルキングとかジェームステイラーとか好きだったから、メインストリームのロックって、どういうのを言うのかわからないけど。ザ・ハートランドの中で、そういうものをおれは提供するものを持ってなかったし、ロックっぽいっていうか。苦しかった時期もあったのかもしれないけど、なんかレゲエとかいいなと思って。でも、マニアックなレゲエファンでもないから、なんかちょっとフレーバーつまむ的な意識で、今もそういうのすごい、ちょっとハンディキャップだと思ってるし。話戻るけど、きのうのレコーディングとか。

里村:レゲエ業界の中で生きると、そう思うんだって。

A:レゲエ業界っていうのも、なんかね(笑)

里村:中にいると、阿部ちゃんと異端児って感じでしょ。

A:結構ストイックに、ジャマイカで暮らしたりとかしてる人多いから。

里村:そういう人たちの中では、自分は本物になり切ってないって感じでしょう。

A:本物じゃないっていうか、逆に本物じゃないのわかってるから。あれもこれもかっこいいなと思うから。

T:話ちょっと戻しますけど、そのコンピアルバムの2曲に関して、覚えている事を。

A:当時、西本君のところに居候してた時期があって、8chのオープンリールのがあって、自分でダビングするの持ってて、先生はスタジオ忙しいから、おれ夜中とか一人で。そんなふうにしてつくった中の2曲だったかな。

T:いろんな曲があって選んだっていうか。

A:うん。結構。その頃はつくって、なんか旅行して、世界旅行して帰ってきて、道具があったからおもしろくて。その後、帰ってきた後で、とりあえず部屋ないし、西本君のところで世話になって。で、そういうおもちゃにして遊んでて。楽器もあるし。何曲かつくった中の2曲ですね。

T:録音自体は?

A:えーっと、FM東京のスタジオで。ちゃんと録らせてもらって。ハートランドの皆様に。

里村:そうだ。阿部ちゃんの旅行の話も面白いよね。バックパック一個で地球一周したって。東南アジアから  回ってアメリカ周りで帰ってきたって。

A:ちょうど佐野さんがニューヨークにいたころだから、ニューヨークは佐野さんの部屋に居候になったりとか、あとはアジアから。

里村:本と下着だけ持っていったって。

A:そうだね。ラジカセ持っていったら、すぐ盗まれたし。100万円ぐらい持っていったのかな。で、10か月、ほぼ1年ぐらいうろうろして。

T:阿部さんの旅行っていうのは、音楽とは切り離した感じなんですか?

A:そうですね。特別なんとかのビートが聞きたいとか、そういうのでもなく、いろんなものをみたいなみたいな。

里村:地名で言うと、どことどこ行ったの。

A:タイからネパール行って、インドネシア、バリ島から、インドネシア、ジャワとか行って。中近東はストップ、トランジットだけでヨーロッパ行って、ヨーロッパ、フランスとスペインとイギリス、で、もうニューヨーク行っちゃって、LAからハワイへって。サーフィンも好きだったんで、ハワイとかグアムとかよかったですね。

T:サーフィンはいつぐらいから。

A:サーフィンは十代最後ぐらいから。静岡はね、やっぱり海近いから。

T:もうそのころからずっとっていう。

A:そうですね。十七、八ぐらいから、始めたのはよくわからないですけど。

T:今までずっとやってて。

A:今もやってますね。好きだから。楽しい。音楽と同じぐらい楽しい。

里村:阿部ちゃんと偶然に仕事であったときびっくりしたんだけどね、おれが下田のアーネストにいて、浜辺にいたら、阿部ちゃんがいきなり現れて、びっくりしたよ、サーフボード持って。すごい偶然だったね。

A:両方だけやって生活できたら、最高だと思いますけどね。だから、ケイソンとかそういうノリでやってて、だからつきあって、一緒にツアーとか行っても、ライブのいくうち波乗り3日間とか、そういうのがあって。

T:ハートランド解散して、90年代後半からやっている音楽っていうのは、より生活に近い中で。

A:そういう意味では、自然な感じなのかもしれない。だから、無理やり何かやってそれで食おうとかそういう意味じゃなくて、楽しい感じのことを、おもしろそうだからやりたい、おもしろくなさそうだったらやらないみたいなふうな感じでやって。オリジナル曲は、そんないっぱいはないし、やっぱり歌のある音楽が好きなんだけど、自分が歌えないっていうのがあるから、なかなか思い通りにはならない。自分の理想の音を具現化するには、まだ時間がかかるかな。理想っていうんじゃないけど、隅々まである程度納得できるのは、なかなか難しい。

T:今、やりたい音楽っていうのは、オリジナル性を追求するのではなく、カバーでも仲間の音楽でも。

A:楽しければいいって、逆に。そんなに深く考えてない部分もあるし。楽しいときと楽しくないときと、やっぱりわかる。だから、あんまりかっこ悪いこともあんまりやりたくはないと思ってるけど、やったらかっこ悪かったっていうのはあるけど、でも、この数年特に大きいのは、ラガマティックスっていうレゲエバンドの活動が多かったんだけど、それはベースの大久保ちゃんっていうやつが、すごいかっこいい。すごいいい音して、すごい太いベースで。ライブとかすごいんだよ、だから。

里村:レコーディングで、「こんなことなんだな」と思ったもんね。

A:ライブはすごいベースの音しか聞こえないぐらいでかいし、とにかく気持ちよくて、一緒にやってるのが。自分のプレイ的には面白くない時も、延々チョップって裏打ちばっかりやらされたりするから。いわゆるトラックバンドっていうやつで、メインボーカリストが決まってるわけじゃなくて、いろんなレゲエアースィストのバックやったりするんで、去年はジャマイカのシュガーマイロとかいう人、結構有名なんだよ、シュガーマイロットって、レジェンドのバックとかもやったりして。そういうチャンスもあるし。ショーケースって、3時間ぐらい、シンガーは1人10分、20分で入れ代わり立ち代わりで、延々トラックいっぱい演奏するみたいな、楽しいときもあるけど、面倒くさいときもあるけど。

T:ここ3年くらいは、海の側、静岡中心に活動しているんですね。

A:東京にいても食えないみたいな。(笑)で、田舎もほっこりして、海に近いし。音楽やる上では、東京にいたほうが刺激があったりとか、いろんな人と出会える可能性はいろいろあると思うんだけど。

T:何かこれから先のこと、あんまり考えないかなと思うんですけど、やってみたいこととか、何か、ことしに限ってもしあれするとしたら、ありますか。

A:結構、消極的な人間なので、自分で何かやっていきたいっていうのはね。たまに東京来たりするのは楽しいし、そういう意味では静岡と東京はそんなに遠くないし。静岡のベーシックなものも保ちつつ、ちょくちょくこっちにも色々とやりに来れるような状況になればいいかなと。

T:最後に音楽、阿部さんにとっての音楽って。

A:すごい楽しい一つ。楽しいのがいいんだよね。つらいのを乗り越えたら楽しい可能性もあると思うけど、基本的にはつらいのは避けちゃって、楽しめればいいし、楽しいことの一つだからやめる気はないし、無理やりどうやろうとか、そういうのもあんまりない。よくないかもしれないけど。でも、やっていられれば、やめないでやっていられればいいなと。変ですか。言ってること。どっか奥歯に物挟まってる言い方してるようで。

里村:大丈夫。続けてれば、音楽は何か自分にとっていい事あるぞって思うから。

A:もう思い残すことはないみたいな事には、当分ならないと思うんで。

里村:音楽にたいしてはずっと欲張りでいたいなと思うね。それが一番だよ、きっと。

A:そんな感じですね。

T:急なインタビューを、ありがとうございました。

A:ありがとうございました。

里村:ありがとう。


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