気持ち良いものっていうか「俺ら達がやってて気持ちいいんだから、お前らも気
持ちいいはずだ」っていうぐらいの横柄な感じで。それは今も全然変わんないんだ
けど、俺の中で。
TERA(T):それでは、まず生まれから教えて下さい。
藤沼(F):えーと、1959年11月7日生まれです。
T:場所はどの辺りですか?
F:生まれは深川なんです。中央区の。そこに殆ど記憶がない頃居て、十条っていうところ越して。北区の。そこで幼稚園行ってて。そこでウンコなんかもらしたりしながら、小学校は埼玉県にいったんだよね。親が公団に当たって。
T:兄弟は?
F:俺は一人っ子です。
T:小学校の時ってどんな遊びしてたんですか?
F:俺、結構ポツンといる方なのよ。いわゆる、みんなでワ−ッていうのが苦手で、まあ一人っ子のせいもあるだろうけど。で、その小学校はそこの。公団に引っ越した時に皆は元からいる連中じゃない?俺、全然知らんで、ポツンといたかなーって感じかな。漫画ばっかり読んでたかな。エッチな漫画とか、永井豪の「ハレンチ学園」とかね。そのころGS(グループサウンズ)が流行ってて、子供ながらにもかっこいいなと。きらびやかじゃん。ジャーンとかやってさ。
T:それはテレビで見てたんですか?
F:テレビだと思うよ。もうその頃、そうだね。
T:埼玉に引っ越してからは、もうずっと埼玉?
F:うん。あのデビューしてしばらくまで。だから20歳過ぎまでかな。
T:中学の頃は、どんな感じだったんですか?
F:中学の頃はね。中学の頃に俺、映画小僧になったんですわ。さっき言ったように、そんな皆と群れをなして野球やったりとかすること苦手だったから。で、その映画に入るきっかけは、冬休みに親父が「シン、お前ちょっと映画連れてってやるわ」「あ、よかった」とか思って。そしたら子供向けの何とか祭りだと思うじゃない、東映何とか祭りとか。そしたら違うのよ。「あんなもん、ガキの観るもんだ!」って。「ガキだよ!」って思ったんだけど、パッと見たら『広島抗争』『仁義なき戦い』。「マジかよ」って、封切りだったのよ。ちょうど冬休みだったと思うんだけど、雪が降ってて。それに連れて行かれましてですね。それからそっち系がもう、ものすごく好きになって、冬休みとか学校上がる時に皆は「『ガメラ』が良かったね」とか「いや、広能昌三だよね」全然浮いてるんですよ、学校で。
T:じゃあ、映画館はお父さんに連れられて?
F:うん、最初そんな感じ。マンガ映画とかも連れてってもらったんだけど。小学校の時とか。でもなんか親父の趣味で、もう親の権限で映画を決められてたから。俺が観たいんじゃなくて親父が観たいのに「お前着いて来い、じゃなかったら来な!」っていう感じで。
T:映画は新宿とかに観に行っていたんですか?
F:ほら俺ん家が元々深川だったから、親父あっちの方に友達がいっぱいいたのね、銀座まで行ったりとか。大体、日比谷とか銀座とか有楽町とか。ちょっと川渡ると深川じゃないですか。あの辺がやっぱ親父の明るい土地というか、知ってる土地だったみたいで。自分の小遣いで映画観に行くのも『ゴッドファーザー』とかマフィアもんだね、イタリアとかの。それはもう並んで良く観てたね、独りで。
T:それは70年代前半くらいですか。
F:70年代前半くらいだね、きっとね。仁義が73年とかだったと思うんだよね、多分。
T:とにかく中学校の時の映画に?
F:映画は観て…そうだね、映画が好きで。音楽とか全然興味がなくて。
T:レコードとかも買ったりして?
F:うん。で、中学後半になって、『アナーキー』のベースの寺岡が引っ越してきたのよ。そいつは転校生で結構ビートルズとかストーンズとか良く知ってて。「こういうのあるよ」とか「こういうの知ってる?レッドチェッペリンって知ってる?」「知らねえ」とかって、そんなんで教えてもらって。それからかな、学校でギターブームみたいに中学校の3年ぐらいになって。「これはノリ遅れちゃマズいのかな」と思いながら。それで、なんかボロいギターを買ってですね、皆で弾くの見て真似したりとか。
T:それじゃあ、中三でバンドを?
F:バンドなんて、そんな気の利いたものじゃなくて、ナイロン弦あるじゃない、
いわゆるクラシックギターで。あんなの弾いて喜んでて。高校に上がる頃に「俺、勉強するからギター買ってくれよ」ってお袋に言ったの。そん時だから、寺岡と『アナーキー』のドラムのコバと、家がえれー近所だったから。「じゃあ、ドラム買うか」ギターにするかベースにするかをジャンケンで皆で決めて。「ドラム損じゃん、場所取るし高いし、練習出来ないしカッコ悪いし」みたいな。その当時はね、ギターがやっぱ花形だったじゃん。空き地に家からずーっとコンセント差して、ずーっと持ってって、空き地で出来もしない『スモーク・オン・ザ・ウォータ−』とかやってて。すっと、コバん家のコンセントだったんだけど、お母さんが足引っ掛けてコンセント抜くと、また走って行って。
「抜くなよ〜!」とか言って。(笑)そういう可愛げのある子供でしたね。
T:じゃあ、その頃から映画から音楽に少しづつ移って?
F:いや。映画はもうね。
T:やっぱり、ずっと。
F:うん。だから、いわゆるニューシネマとかあったじゃん。
『ボ二−&クライド(俺たちに明日はない)』とか『イージーライダー』とか、あれ大好きで。まあ平行してた感じかな?俺の中では。
T:曲を作ったりとかは?
F:高校入ってから、シゲルとマリと同じ学校だったから知り会って。バンドブームみたいに学校の中でね。そん時は一緒にバンド組んでないんだけど。俺は寺岡と『エアロスミス』のコピーやってたり、あっちはあっちで『KISS』のコピーやってたりとか。その頃、いわゆる『クイーン』と『エアロスミス』と『KISS』が流行ってた。御三家なんつー。そういうネタしかなかったから、情報が。学園祭でエレキ禁止なのにやってみたりとか。オリジナルっつったって、今考えるとアホらしい「なんだよ?これ」みたいなさ。『ストーンズ』が、バイト先でテレビを観てたらさ。キース・リチャードが、こ汚く見えたのね。「ロックの人かっこいいのに、この人、がに股で更にかっこいい!」と俺には。「これでいいのか!!」と思ったのよ。何か皆『クイーン』とかじゃん。「このドカチンみたいな感じのやつの方が俺には合うな」と。いわゆるガラの悪い感じ?「あ、これかっこいいかも」と思って『ストーンズ』にハマって。で、『ストーンズ』買って聞いてみたりとかコピーしてみたりとか。そんで、そんなこんなやりながら、地元がちょっと悪い地元だったんで、ちょっとトッぽい格好していると、そこの暴走族に入らなきゃいけない風になっていてですね、そういう所にも所属してですね、『みなごろし』とかですね。
T:正式のバンドみたいなものっていうのは。
F:『ノイズ』?いわゆる雑音。今は皆、名前あるだろうけど。「なんか、かっこいいじゃん」とかいって。それでエアロスミスとストーンズのコピーとかをしてたりとか。あと、シゲル達のが『ルージュ』っていう日本のバンドのコピーをしようじゃないかって。何かチョロチョロってやってみたりとか。高校出てからかなぁ。その辺、ちょっと定かでないんだけど。
T:じゃあ『アナーキー』の母体となるバンドは高校。
F:俺らは卒業して、マリとシゲルは中退で2年で終わってんだよ。俺らが卒業した時、俺と寺岡で一緒に住んだのね。「一緒に住もうじゃないか」と。「ロックは汚らしく生きるもんだぞ!」なんて、訳のわからないカテゴリー作っちゃって。皆そこに遊びに来て「今はパンクだぜ」なんていう。ちょうど俺が高3とか高2の終わりぐらいに『ピストルズ』が、多分70年後半だよね。やっぱ衝撃を受けて「なんじゃこりゃー」みたいなさ。なんか変な格好だし、髪の毛短いし。今までじゃ考えられなかったじゃん、コロンブスの卵のように。で、何となく集まって、暇だからシンナー吸いながら「どんな事やる?」みたいな感じで『ピストルズ』のカバーとか『クラッシュ』のカバーをやりながら「それに英語わかんないから日本語付ければ?」っていう感じで練習してたりとか。
T:その時はどこで暮らし始めたんですか?
F:それも埼玉県の和光市って所で。公団で寺岡の家があって、家族が家を建てたんで出て、そこに寺岡だけ残ってて。もう、たまり場のようになって。
T:そこで皆で?
F:うん。皆で。アンプは無いけどガシャガシャやってみたりとか。「スタジオ借りんべ」っていう感じで。
T:『アナーキー』って名前が付いたのは、そこで?
F:そう。一緒に住んでるそのたまり場の時に。「『ピストルズ』の『アナーキー・イン・ザ・UK』ってかっこいいじゃん、曲もいいじゃん」みたいな。「アナーキーって何っていう意味なのかな?」って言いながら「わかんなくてもいいじゃん」みたいな感じで。とりあえず皮ジャンにペンキで書いてみたりとか「パンクはこう、汚らしく書くんだぜ」とか。そんな感じで書いてて。それから「『アナーキー』っていいじゃん」つって、それで。そういう安易な感じで。
T:『アナーキー』って名前をつけて、実際に活動っていうか、ライブとかは?
F:なんせ田舎もんなんで、ライブハウスとか、どうやって出ていいかもわからんで。情報が無かったね、あまり。とりあえず池袋にヤマハの練習スタジオがあって。そこで「お前ら、いつも練習してっけど、ちょっとコンテストに出てみないか?」と。で『イーストウエスト』ってヤマハの小さいコンテストがあって。そこに予選やりつつ、落っこったりしながら、残っちゃった訳。で、そこで賞をもらってそしたらレコード会社が、やっぱ青田買いで来てる訳だから。『サザン』とかも、そこの出だし、『子供バンド』とかもそうだし。俺らが出た時に『子供バンド』が優秀バンドだったの。俺らがボーカリスト賞もらってて、そん時に氷室(京介)がいたんだよ、違うバンドで。おかしいでしょ?『ディスペナルティー』とかいうバンドで「何かヤなやつ」って。あいつは群馬の奴なんだけど「何か態度悪いヤンキーがおるな〜」って。もうそっちばっか気になっててさ「今日は喧嘩かの〜」みたいな感じで。したら、いきなりレコード会社が来て。二社来たんだけど。そのミーティングの時に「サンドウィッチの量が多い方にしようべ」とかそんな感じで、もうビンボ臭いから。で、ビクターに決まって。「じゃあ、今ある曲を全部出してみよう」っていう感じでレコーディング。レコーディングも、「レコード会社とか企業は敵だ」と思ってたから。全員。何かあると5人で固まってたんですよ。「アイツらなんかさ、うさんくせーよな」とかいってさ。だから、レコーディングの仕方も知らないから、「5人全員OK」じゃないとダメだと思ってたの。「せーの」の。今考えるとバカバカしいじゃん。ドラムOKだったら後で直せるのにさ。だからもう声が枯れる奴おるは、ギターの弦切れてても黙ってて見えないようにやってたりとかさ。バレるっつーの。ものすごい時間かかってやったんだけど。そしたらデビュー。で、それからライブって感じだったかな。あるちゃんとしたライブっていうのは。
T:レコーディング事体、結構時間かかった?
F:シングルを録ったのはすごく時間かかって。シングルが先だったのかな。なんせ生まれて初めてのことで。もう今だったら笑われるよね、ハタチぐらいだったら皆知ってるのにさ。
T:出来上がったレコードを手にとった時、どういう感じでした?
F:いや、喜んでたよ。「これか〜」って感じで。俺も「そうか〜」と思いながら家に飾ったりとか、お袋とかもなんか親戚に電話したりとか、そういういわゆる田舎もんの普通の感じで。
T:レコード出したと同時にいろいろプロモーションとしてライブとかは?
F:うん。色んなとこでやらされたりとか、営業所回ったりとか、ライブの数もハンパじゃなかったし、取材とか。なんかもう「芸能人ってこんな大変なのか」ぐらいに、「次あっち次あっち」みたいな。
T:事務所とかは?
F:事務所は、レコード会社が紹介してくれた事務所で。先に来たのがレコード会社だったから。契約書とかも全然読み方知らないし、今も変わんないんだけどさ(笑)。だからホントにズブのボンクラって感じだったからね、もう何にも分かんないさ。「レコード出せ」「あ〜良かった」みたいなさ。それで、どこ行っても宣伝とか、いわゆるメジャーだったから客がいる訳じゃない。ビックリするんだよね、本人達が。「なんでこんな知ってるんだよ、お前ら」みたいなさ。「埼玉県の田舎にいたくせに」みたいなさ。一枚目が一番やっぱ売れたから。そのデピュ−の。したら、頭に乗ったらなんだかで、「もう、よいよい」でやってた訳だけど。
T:じゃあ、そのデビュー後のスパンっていうか、1年に1枚とか?
F:最初の頃は1年に2枚ペースで。あと段々今度こっちサイドが、まあ特に俺なんだけど、音楽的なことに目覚めてしまいましてですね。
T:それは、いつ頃ですか?
F:もう2枚目・3枚目ぐらいか。3枚目でマイキー・ドレッドって、『クラッシュ』のプロデュースしてた人がいて。レゲエの、ジャマイカの。「3枚目はロンドンで録ろう」って事になって。『クラッシュ』のメンバーに会ったりとか、今は亡きジョ−・ストラマ−とかにも会ったし。そんで、エンジニアが『ピストルズ』録ったスティーブ・ナインっていう白人で。新たな現場じゃないですか。したら俺がちょっと音楽的に目覚めちゃったんですよ。俺の知ってた小さな枠が。「もっと広いわ」と色んな事が。で、レゲエを聞き始めたりとか、ジェームス・ブラウンとかも好きになったりとか、いわゆるリズム&ブルースとか。音楽的方向が変わってったり。したら今度、やっぱパンクが大好きな人達はどんどん離れてったりとかっていう傾向もあったし。音楽面白くなっちゃったんだろうね、多分ね。
T:具体的に3枚目を作ってる時に亀裂っていうか違いが見えてきたっていう事が?
F:いや、別にそれ程ないけど。そうだね、何か日本だと「細々間違えちゃいけない」とか、レコーディングに関してね。「ミストーン出しちゃいけない」ばっかり言われてたんだけど、海外でやった時は「ミストーンやってもいいけど、堂々とギャ−っと弾け!」というような心意気というか。そこに「あっ、そうか。音楽ってそういうもんだよね」っていうことに。前は、ギャ−っとやっててもギャ−って音が出てなかったんだよ。多分ヘタっぴだから。気持ちだけで。その気持ちが伝わって、売れたりとかお客さん来てくれたんだと思うけど、今度それに伴う技術が欲しくなったのね、やっぱり。したら「あっ、キース・リチャードって、ギャ−っとやってギャーと音出てるわ」と思った時に、俺「ギャ−っ」とやった時に「ポヒョヒョっ」とか。これはイカンって事に。俺が面白くないっていう事に。ま、俺「音楽的にしたらタララララってこういうもんじゃなくて。何かこう、ギャ−っといきてー」って。『クラッシュ』のミック・ジョーンズに会った時に「クラッシュの、この曲わかんねーんだけど教えて」って教えてもらって、その時ミック・ジョ−ンズの機材とか見て、音出したらすっごい良い音すんのよ。「このギター、すっげえな〜」とか「このアンプなんだろう」で、帰ってきてもう『ブギー』っていうアンプを買って、ミック・ジョ−ンズと同じアンプが欲しいって事になって。それまでは、どーでもよくて、何か。「いいんだよ、ヴォリューム10で」みたいなさ。「それじゃイカンな」って事に気がついて。あと『ミック・ジョ−ンズ』の。こう、これは内緒だけどね、アンプの上にハシシが置いてあったのよ。
T:じゃあ、ロンドンレコーディングの後っていうのはかなり、、。
F:刺激は受けたね。うん。それとね、80年に俺『ローリングストーンズ』、ニューオーリンズに観にいってんのよ。それも多分影響があったんだろうと思うんだけど。だから3枚目出た後かな?出る前かな?あっ出た後かな、ロンドンが最初だもんな海外は。で、アメリカ行ったら、またやっぱちょっとカルチャーショックじゃないけど。
T:それは何で行ったんですか?
F:『ストーンズ』観たくて。ちょうど印税が入ったのよ1枚目の。で、楽曲は皆でワァ−っとつくってたから「こうやると、もっとパンクっぽいよね」とか言いながら、「ノルよね」とか言いながら作ってて。皆、頭割りで5分の1だったの。大体100万ぐらい入ったのね。「使っちゃおうか」って。前のカミさんと付き合ってる時で「アメリカ行っちゃおうか」って「行っちゃおうか」っつって。「ストーンズ観に行っちゃおうか」っつって。で、もう全部パーっと一気に使って。うんでもって帰ってきて、ギターっていいもんだなと。ま、俺ギターリストじゃないですか。
T:ええ。
F:キース・リチャードみたいに5弦ギターにしてみて、ズっーと「1本でいいじゃん、コード」みたいなさ。「1本でいいよね。こうこんなふうに押さなくていいんだよね、これでいいんだよこれで」で、ジャーンとやったとこ、「楽だし、なんか俺の思うギャーンっていう感じが出るべー」と思って。で、キース・リチャードを勉強とかコピーしたりとかしてて、ブルースとかレゲエとかの方も面白いなーと思い始めて。
T:ブルース・レゲエっていうのは?
F:やっぱ『ストーンズ』とかって黒人の音楽がルーツじゃないですか。で、パンクはそうじゃないんだけど、殆どがいわゆる黒人音楽がルーツのものが多くね。ロックンロールにしろ。それからルーツというか奴隷で連れてこられた人達が、アメリカだったりジャマイカだったり、そこで「何かギャ−っとしてるとこに、すっとその音がガァ−っと来るから凄いなー」と思って。で、ブルースギタリストとか「ブルースすごいな。早弾きとかしないけどかっこいいわ」みたいな。ギャ−だけでさカッコイイ、シビレてたのね。
T:『アナーキー』の音楽には、何かの影響は出ましたか?
F:いわゆる実験的に俺がやってみたりとか、その辺バンドと良い交わり具合で「いや、そういうのはあんま好きじゃねーな」となったらポツだったりとか。何か「こんなに知らない音楽がいっぱいあったんだ」っていう事にドキッとして。それが好きじゃない音楽だったら別にいいんだけど、皆心奪われるようなもんがあって。まあギターに関してだったり、音楽的な。ボブ・マ−レ−だって「何だ?このおっさん」とか思ってさ。まあ、俺が一生の不覚で観てないって事なんだけど、ものすごく画面で観てもくるのよ。「なんかカッコイイじゃん、コイツ」とか。理由は別にないんだけどショックを受けて。そういうとっからか「カテゴリーじゃねーな」って事に自分の中でだから「パンクはパンク」っていうカテゴライズすることが、俺、前から凄いイヤだったから。「だってあっち本物じゃん」みたいなさ。アイツら生きてることと音楽がもうすごい密着してるように見えた訳よ。そこは「もう勝てんなー」と思って。その頃、ロンドンでもスカの部分になったりとかレゲエになったりとかしてたじゃん。何か色々黒人と白人がコラボレートしてさ『スペシャルズ』とか。まだ今流行ってるけどね。『ツートン』とか。
T:『アナーキー』が85.6年までで、次の『ザ・ロックバンド』までの経緯みたいなのは?
F:それはウチのバンドの一人がちょっと事件起こしてしまって刑務所に入って、ずっと世論的にちょっと動くのが大変だろうと。で、レコード会社も「ちょっと『アナーキー』という名前を使えないんじゃないか」と。一応商品として。でも何か俺らバンドやりたくて、残った4人っていうと変だけど。『ザ・バンド』っているじゃん、ディランのバックとかの。「『ザ・バンド』ってカッコイイじゃん。じゃあ『ロック』付けちゃえばいいんじゃんねー」って安易な感じに。
T:じゃあ『ザ・バンド』から『ザ・ロックバンド』を。
F:うん。したらイベント入っちゃったのよ、イベントの予定が。で「名前どうすんべか」ってなってて、「じゃあ、『ザ・ロックバンド』でいいじゃん」って言ったら、今度『ロックバンド』の『ザ・ロックバンド』とかって紹介されるじゃない。「ややっこしいなー、これ」と思ってさ。まあ『ザ・ロックバンド』って付けたから、60年代・70年代の、パンクが出る前のバンドとかを皆で探ってみたりとか。いわゆる『ジミ・へン』とか『C・C・R』とか『ジャニス・ジョプリン』とか。日本だと『頭脳警察』とか『サン・ハウス』あの辺を。ちょっとルーツを探る旅じゃないんだけど、それをしてみて。したら今度それはそれでマニアックなファンがいっぱい増えてきて「こういうロックが聞きたかったぜ」っていう人達がお客さんにもいたり。
T:『アナーキー』でやってきた事を、『ザ・ロックバンド』では、あえて変えたというのは特になく?
F:うん、別に作戦的にはなく。何となく皆そう向いたのかも知れないし。聞いてて一番擦り込まれてんのは、その辺なのね。やっぱり。俺もう43だけど。聞いてた時ってラジオから流れてたりとか、キャロルの頃だから俺ら。で『キャロル?ダメだよ、 村八分だよ』なんつってる方だったから。やっぱその辺が擦り込まれてるのが大きいんじゃないかなと思って。パンクより昔のやつでも衝撃的な人達もいっぱいいるし、ギタリストもいるし、表現方法も多様だし。いわゆる反戦の頃ですね、ベトナム戦争のね。エネルギーっていうか楽曲に全部あらわれてるから。「社会現象で何か起きてる時に音楽っていうのは危機感あるよねー」みたいな。ベトナム戦争があったりとかさ、ジャマイカじゃ何かがあったりとか。ヒップホップもそうじゃない。なんか黒人連中がどんどん白人に、いわゆるソウルを捕られた人達が、いろんなガキどもが「こんな、つまんねーバカヤロー」っつって。「アイデンティティーってどこいったんだー」って言いながら、貧乏ながらもスクラッチやったりとかって、あーいう方が説得力があるもんね。だからやっぱ、そういう音楽をちょっと体に入れてみようってことで『ザ・ロックバンド』をやってて。いわゆる俺はブルースギタリストとしてガンガンそこに対応してた訳ですね。
T:じゃあ、『ザ・ロックバンド』の2枚のアルバムは、かなりブルースに傾倒してた?
F:うん、ブルースロックとか、ロックンロールとか、そうだね。日本のロックも好きだったから。まあ『アナーキー』の時にも泉谷のカバーやってみたりとかもしてたし。だからさっき言ったように、俺個人がカテゴライズするのが好きじゃなくて。表現ってことに。多分聞いてる側はカテゴライズした方が見やすいんだよね。「パンク買おう」「ロックンロール買おう」とかってさ。「うんうん、リーゼント。これだよロックンロールは」なんて言って買いやすいし、聞きやすいし。でもやってる側はそんなんじゃダメな訳で。お客に媚び売って演奏してる訳じゃないからさ。
T:その頃から、何か新しいものというか自分なりの道みたいなものを?
F:気持ち良いものっていうか「俺ら達がやってて気持ちいいんだから、お前らも気持ちいいはずだ」っていうぐらいの横柄な感じで。それは今も全然変わんないんだけど、俺の中で。
T:話変わるんですけど、この頃は映画に対する思いみたいなのは?もう興味は音楽中心になってましたか?
F:そうだね、音楽の方が。何か面白いのがあれば観に行ったりっていう。いわゆるコアなファンとかじゃなかったと思うけど。
T:80年代のこの頃から、TVでビデオクリップとか。
F:出てき始めの頃だよね。
T:ええ。そういうのって何かなかったんですか?
F:1本作ったかな。崔洋一監督のビデオとか。崔さんの撮ったのがあるんですよ。
それはアナーキーの最後のやつかな?
T:85.6年。
F:うん。あとその頃、氷室と映画に出てましたね。
T:あっ、そうですね。これはアナーキーの最後のあたりに。
F:そうそうそう。
T:『裸の24時間』という。この映画は?
F:えーっとね、なんか、諸沢監督っていうのがいまして、氷室と俺とくっつけたら面白いんじゃないかっていう。で、俺もその時の、ミーティングかなんかで氷室と初体面で。まだ『BOOWY』が売れる、いわゆるドカーンとくる前で。
T:内容的にはどんな映画だったんですか?
F:奴が、氷室がボーカルで、俺が薬づけのギタリストで。どん詰まりになるような。俺はもう退廃的になっててブルースばっかり弾いてるギタリストで、氷室も、「このモヤモヤとかはどこにいけばいいのかわからない」って、セックスばっかりしてたりとか。そんなような映画ですね。したら今度、氷室が『BOOWY』で、ガ−っと上がってきたら、ポスターも、前は『氷室京介』『藤沼伸一』って文字が同じ大きさだったのに、ちょっと『藤沼伸一』が小っちゃくなって、その内『氷室京介』の方が大きくなって「マジかよ」と思って。したら客がどんどん女の子バァ−っと増えて、映画館とかも。
T:結構ロングランというか。
F:うん。一応主要なとこは、全国とかじゃ無いけど回ったと思うんだけど。大阪とか。
T:『ノット・サティスファイド』っていう…。
F:これはね、一応ファンのコで太田達也っていうんだけど。8ミリ?だと思った。16ミリかな?何かライブ撮ったりとかプライベート撮ったりとか。ちょうどデビュー当時ぐらい。ちょっとしてから回し始めて、それを一応ドキュメンタリーにして。ファンのコとか親衛隊の人達も撮って、ドキュメンタリーにして。
T:子供の頃から映画が好きだった訳じゃないですか。実際自分が映画に出たりしてどうでしたか?
F:そうね。俺好きなのヤクザ映画だから。氷室と出た映画で思ったんだけど「俺、役者は無理だな」と。
T:それは、何で?
F:作る方が面白そうだなって。なんか、わがまま勝手じゃん。今もそう思ってんだけど。自分の恥部だったり恥ずかしいことだったり、全部投影して吐き出して、満足げにしてるわけでしょ? それだけじゃないんだけどさ。「何てわがままな職業なんだろう」と思って。「これでウケたら、もう万々歳だね」みたいな。で、その辺でかな。「俺は今は出るより作ってみたいなー」っていう方が。。
T:崔監督が撮ったビデオクリップはどんな感じだったんですか?
F:『旗を掲げろ』かな。いろいろ俺らも演技じゃないけど演奏したりとか東京駅走ったりとか。ま、何曲か楽曲に合わせていろんなシーンがあって。あと何かブァ−っと大人数で黒旗かなんか持ってたりとか。
T:崔監督とはどうでした?
F:いや、面白かったっすよ、うん。崔さんも音楽がやっぱ好きなんでしょ。
T:『ザ・ロックバンド』の頃からの話を。
F:やりつつで。その頃から、外のミュージシャンと何かを作るってことに目覚めたというか、そういう機会が多くなってきて『チェーン・ザ・スリーギャング』とか。これは皆椅子に座ってアコギタやったり俺エレキだったりするんだけど、バンジョーがいたりとか。ちょっとブルースっぽいというか、そういう試みを。
T:これは、『ザ・ロックバンド』後なんですか?
F:うん、重なって。停止とか解散とかその辺、いい加減にダラダラやってたから俺も。『憂歌団』の連中とかとも交流があったんで「あーゆう形態も面白いなー」座って黙々とギター弾くのも。そんな中、昔『サン・ハウス』のボーカルの柴山さんなんかとも交流があったんで「何か、伸一やってみない?」っていう事で「じゃあ、ハードなやつ、いきますか!」って。そんな中、泉谷から電話かかってきたりとか「ちょっとチャボが辞めるんで、お前入んない?」っていう感じで。その頃どういう訳か、お誘いがすっごい多くて、「スケジュール調整がもう大変」みたいな。皆なんかわがままっていうか「俺のものだ」みたいに来るから。
T:『チェーン・ザ・スリーギャング』の次が『ルビー』で、その間は。
F:で、『ルーザ−』と『下郎』って平行して。だから『チェーン・ザ・スリーギャング』『ルビー』『ルーザー』『下郎』は平行してましたね。
T:なるほどなるほど。
F:ま、『ザ・ロックバンド』のおかげで出来なかったっていうのもあんだけど。それでもう、ツアーが重なっちゃったりとか。都内を新幹線移動とかしてたからね。「なんだよ、俺」みたいな。「間に合わないっすよ!」とかいって。
T:泉谷さんと初めて会った時は?
F:一番最初は『アナーキー』と泉谷のバンドっていうのも池袋の文芸座で、地下とかでジョイントで。そういう時に俺見て「何だよ、このガラの悪いオヤジはよー」と思ってさ。客もガラが悪いしさ、一升瓶持って「コラ、ハゲやんかい、オラー!」みたいな。「なんだいコラ−!」と思ってさ。ま、それもドキドキワクワクしながら。
T:でも『アナーキー』も結構。
F:うん。でも俺からしたら子供らよりおっさんの方が恐かったね。おっさんの方がなんかキレたら何すんだかわかんないっていう恐さがあったから。その頃のおっさんわね、今はどうだかわかんないけど。
T:で、実際『ルーザー』やってどうでしたか?
F:うん、その前にね、泉谷が80何年かな?90年かな?何かに久しぶりにアルバムを出すっつーんで。ギタリストを俺と下山とチャボさんで起用されたのよ、そのレコーディングに。ドラムがポンタさんで、ベースが吉田健で。そん時に、ちゃんと会ったのかな。それまでジョイントやったりとか、どっか打ち上げで一緒だったりとかしてたんだけど。泉もカリカリカリカリしてるしさ。やっぱ、音楽になると。ニタニタしてっと『何テメ−笑ってんだよ!』ぐらいの。モノ作る時ってそうじゃない?
T:ええ。そうですね。
F:その気迫がやっぱり凄くて。下山とチャボさんが『ルーザ−』に入って、俺は『ザ・ロックバンド』やったりとか『ルビー』やったりとかしてて。チャボさん抜けるっつーんで電話かかってきて「お前入ってくんねー」っつって。それから本格的に活動っていうか。
T:『ルーザ−』としては、何か思い出みたいなのはありますか?
F:泉谷とかもそうだけど、俺をライブで紹介するとか、そういう恥ずかしいことすごく嫌いなのよ、あの人。サービスとか親切とかって大っ嫌いだから「勝手に出てこいよ」と。ライブやってると「チャボー!」の声がすごいのよ、どこ行っても。パンフレットに俺だって書いてあるのに「チャボー!」。で、出てって弾いても、まだ「チャボ!」って言ってる訳よ。別にそれに誰もフォローしないし、当たり前だけど。そん時に「あー、何かコイツらに決めてやんねーとな」とか。今まで、やっぱり自分のバンド内だけでヌクヌクしてたって時はいいんだけど、外に出ていくと色んな事が、厳しい事があるし。演奏がしっかりしなきゃいけないっていうのもね。そこで叩き込まれたし。気心の知れた中学校・高校から一緒の連中とやってるとナアナアなとこ出ちゃうじゃない。気持ちがね。そんなのが、金を取ってプロとしてギタリストとして、皆いて、この楽曲に惚れて弾いてる訳だから、その厳しさというのは結構叩き込まれたかなと。
T:それは泉谷さん含め『ルーザ−』の皆に。
F:そうだね。泉谷は音楽的な事は別にゴチャゴチャ言わねーんだけど「何か、気迫がねーんだよ!」とかさ「何、お前譜面追ってんだよ!」みたいなそういう言い方なんだけど。ポンタさん、健さんは「この譜面が裏がどうしたこうした」「裏ってなんだろーなー」とか思いながら。で、皆忙しい連中だから、健さんがアレンジしてきて譜面おこしてきてレコーディングとか1回だけ「こんな曲なんだよ」ってデモテープを聞いて。もう、すぐレコーディングなのよ。皆の席に譜面が置いてある訳よ。で、譜面読めないのよ、一個も。「まいったなー、どんな曲なんだろー」と思ってさ。で、ダルセーニョとかさー、コーダ−とかも全然わかんない訳で。ヘッドホンして構えてるんだけど「どー弾くんだろーなー?」とか思いながら。そんなんばっか。でも3回ぐらいやったらなんとなく「あ、こーいう曲なのか」とか思いながら。皆は譜面がいわゆる共通語な訳じゃない。俺、共通語がわからんから、もう「共通語中心かよ」と思いながらさ。
T:じゃ、かなり感覚的に?
F:わざと覚えないように。へそ曲がりだから。何か感覚でこう「掴んでやりゃーいい」みたいな。
T:次に、『下郎』というバンドは、どういう経緯で。
F:それはまた『ルーザ−』と別のユニットで、泉谷が「アコースティックのユニット組みたい」っつって。昔アコースティックで『ガロ』ってあったじゃないですか。
T:はい。
F:で、もじって『ゲロ(下郎)』だったんですよ。
T:『ゲロ(下郎)』、、、。
F:俺と下山とKYONと泉谷で「『ゲロ』です」っとか言ってた内に、『ゲロ』が『下郎』になったら今度「和服にしたら面白いんじゃないか」っつって、皆、着物着たりとか。ハワイ行ってレコーディングしたりとか。
T:着物は泉谷さんが?
F:「着物だなー」とかいう事になって。「それ面白いなー」と思って。
T:次の『キノコゲロファイヤー』というバンドは?
F:これは2回ぐらいしかやってないんだけど。『ジギー』のベースの戸城。ちょうど『グローリア』だっけか、売れてた頃だね。Voがカツミっていう昔、『レジスタンス』ってバンドの。Dのロジャーも『レジスタンス』で。ロジャーは今『ミラクルヤング』やってるんだけど。ちょっと『キノコゲロファイヤー』って言ったらもうあれだよ、いわゆるマジックマッシュルームのことな訳で。「何か、ふざけてバンドやってみんべ」っていうことで、多分2回ぐらいしかライブやってないと思うんだけど。まあ、戸城のおかげで客が満員で。何やったかも全然覚えてないもん、俺。そんなこんなやってる内に『舞士』ってバンドを。
T:メインボーカル。これ『舞士』が初ですか?
F:うんとね、その前にね俺のソロを出したんだよ。いわゆるロックンロールというか、そういうロックの「朝までやろーぜベイビー」みたいな、そんなつまんねー歌詞を書いてた訳よ。だけど、急になんか能楽に目覚めてしまいましてですね。
T:へぇー。
F:『舞士』というバンドを。いわゆる昔言葉の歌なんだけど。何とかなり、とか。で、能の一節から引用して、それに音楽をとっつけてみたりとか。で、そのソロを出した時に記念でライブをロフトかなんかで2デイズやった時に満員だったのよ。二日間とも。『舞士』になったらガラガラになっちゃって。藤沼は気が狂ったと。で、そん時また事務所変わったんだけど。『舞士』の手前ぐらいかな、『女神』っていうを出したんだよね。こっちが先だね。
T:『女神』は、どんなアルバムですか?
F:まあ、いわゆるロックというか、あのラブソングじゃないんだけど『お前やらせろよ』とかさ、例えば。そういう歌ですわ。山口富士夫さんとかも好きで、だからあーいう。(忌野)清志郎さんとかも好きだったんで。何か惚れた女の事とか、なんか腹立たしいこととかそういうことをバーっと歌ったりとか。
T:CDをリリースする経緯みたいなのはどういう感じだったんですか?
F:インディーズで。レーベルの立ち上がりがあって。そっから声が来て。「何か出してみない?」って言われた時に。うん。ソロのライブもやってたのよポツンポツンと、手が空いた時に。何か歌いたい歌というか吐きたい言葉があったんで。「じゃ、出してみっか」って、一応、下山プロデュースで。
T:なるほどなるほど。他には誰が参加してるんですか?
F:えーっと『アナーキー』の寺岡とか、あとは伊東ミキオって、今『ウルフルズ』とか『ゆず』のキーボードやってる奴とか。いわゆる「俺はこうだぜ」とか「お前を離さねーぜ」とか、そんなようなのね。荒々しく歌ってたようなもんだと思うけど。
T:これは自らプロデュースも?
F:ま、下山と相談しつつ、曲は全部オリジナル書いて。したらインディーズの中でも売れて5千ぐらいいったのかな。事務所もウハウハいって「じゃあもう、ツアーもきりましょうよ」と言ってたんだけど「いや、『舞士』っていうバンド、閃いちゃったんだよね」って。俺が真剣にやるんだったら「相当なもんだろう」って、ふた開けてみたらガラガラで。いわゆる街のあんちゃんみたいだったのよ、『女神』が。それが急に日本の古典芸能とかに、のめりこんだり、急に主語を言わなくなったのよ、だから「俺が」とかって言わなくなって。そういう事がものすごく恥ずかしくなっちゃった訳よ。人の歌詞を聞いた時に、何か「俺がお前のこと、こんなに好きなのに」とか「バッカじゃねーの。そんなの聞いたってしょーがねーじゃねーか」って。自分でやってたくせに、こっ恥ずかしいし「なんかアホみてーだな」と思って。ま、『舞士』になる時ちょっとあったんだけど、いろいろと。なんかカッコイイと思ったんだよね、能楽の凛とした感じとか。
T:それは能楽とかを実際観て?
F:うん。観たり。観世流の先生の家に訪問して、「稽古を見せて下さい」とか言って。観たりとか。そん時付き合ってたお姉ちゃんに「『舞士』とさー、能とどっか似てるとこある?」「うん、お客さんがシーンとしてるところ」「そっかー、なるほどなー」と思って。俺、今でも好きなバンドなんだけど。何か、おちゃらけてる所が一個もない感じで。
T:今、藤沼さんの中では『舞士』は、まだ続いてるんですか?
F:うん。メンバーが。ベースが変わったりとかしてて。トリオがちょっとやってみたかったっていうのもあって、そん時。いわゆる『ジミ・へン』とか、『スティービー・レイ・ボーン
』、『外道』、『ジョニー・ウィンター』とか皆トリオじゃない?
T:ええ。
F:あの三角形の図が好きで。無駄がないというかさ。で、「俺にもっと歌の技量があればな?」と思いながら、「でもトリオやってみてー」と思って。
T:じゃあ、『舞士』は機会があれば、またやりたい?
F:そうですね。やってみて、うん。自分で『舞士』の歌詞すごく気に入ってるんで。今は泉谷がバンドになる時は『舞士』がバックで。トリオにボーカルが泉谷っていう形、形態で。「藤沼のバンドちょっと貸せよ!」っていう感じで。
T:じゃあ、現在のバンドっていうと『舞士』なんですね。
F:そうだね。でもベースの奴が何か辞めるとか、音楽事体を辞めるっつーんで。今は自分がボーカルとるより、俺が「カッコイイなー」と思う奴のバックっていうんじゃ変だけど、ケツ蹴るような事したいやっぱ、そのポジションが「一番やりたいなー」と思って。町田康(町田町蔵)とかとやってるのは、凄く尊敬するボーカリストだから。
T:その間に94年『アナーキー』再結成ライブっていうのがありましたよね。それはどういうきっかけだったんですか?
F:レコードからCDの発売記念か何かかな。ビクターの方から「宣伝としてやらないか」と。「まあいいだろう」と。やっぱ客入るじゃない。2回目の再結成の時は「ビデオの発売の記念でやってくれ」とかって。俺としては、どうせやるんだったら懐かしがっててもしょうがねーんだから、例えば全員モヒカンとかさ。『レッチリ』とか見て「カッコイイじゃねーか」と、「コイツらカテゴリーハマってねーじゃん。俺達はカテゴリーにハマってる。アナーキーやれば盛り上がる」みたいな。客には怒られんだけど、そういう事言うとさ。いわゆる、今までのそういう『アナーキー』を好きな連中だったら、一応リーダーだったり兄貴だったりしてた存在な訳じゃない?それが何で客の位置まで降りるんだってのが嫌で「いつも引っ張っていけよ」って思ったのよ。カッコ悪くならずに。「アナーキーどうしちゃった」ぐらい気が狂ったぐらいに「ガンガン音楽でも服装にしろ何にしろなんかやるべ」っていう。「それでやる気があんだったら、俺やる」っていうこと言って。楽曲も変えてもいいし。『レッチリ』とか演奏めっちゃ上手いじゃん。めちゃバカじゃん。シビれる訳よ。「くっそー」と思って、「何か俺あぐらかいてんじゃん、この位置に」みたいな。そういうとこで焦ったりとか。「今どうしたいのか」を皆で話し合って、リハやって良かったらやるみたいなぐらいになってて。ちょうどそん時良かったのよ、出来が。その波長というか。2回目の。1回目は、お祭りというか。もうその頃40近かったから「30後半のアナーキーをみせなきゃね」って事でちょっとやる気が出て、「じゃあアルバム出したいかどうかレコード会社探すか」っていうことで。
T:なるほど。。
F:したら、いわゆる今風の音楽だったり、イコライザー入れたりとか、コンピュータ導入したりとか。したら、またそれで聞いてく客もドバッといて。で、もう若い客が今度『アナーキー』を知らない世代が、また来てくれたりとか。音楽的なとこも自信あったから俺。「あー、これ全然裏切っても全然引っ張っていけんじゃん」って俺の自負があって。まあこれどうでもいいんだけど、その第二期、4人になってからなんだけど、ドラムは『レンチ』っていうバンドの名越を入れてからなんだけど、その出した1枚目とかのレコ評がすごくいい訳よ。「何て裏切ってるんだ。ざま−みやがれ」みたいな。
T:実質それが第二期アナーキーに?
F:だね。何か『アナーキー』のパブリックイメージを続けていければ、もっと売れると思うのよ。それは俺の癖と「そんな安易なことしても面白い?」みたいなさ。「全然、『無政府』じゃねーじゃん」みたいなさ。
T:この時レコード会社は?
F:ビクター。2枚出して、ライブ1枚出して、オリジナルアルバムの3枚目が、キングレコードになったの。
T:2回目の再結成ライブの後は?
F:うん、ちょっとユニットで。『ルナシー』がちょっと休憩というか、してた時期があって。で、Jが体が空いてて、「なんかやってみようか」ってことで。
T:『GaZa』って、バンド名の由来は?
F:いわゆる、ガザ地区の『GaZa』。これは単発、一発だけで。ドラムレスのDJと、ギター・ベース・ボーカルって感じの。もうキャーキャーキャーキャー『ルナシー』のファンばっかだから。みんなJの方パッと見ちゃってさ、「こっちいるぞ、オラー」って感じで。「Jさーん」とかって。「まあ、そらそうだろうな。そうなることはわかってたわ」みたいな(笑)。
T:それで『アナーキー』として、ラッパーとのコラボレーション。
F:うん。『ラッパ我リヤ』と。
T:これは、どういう経緯で。
F:えーっと、外国でもほら、ラッパーといわゆるラウドロックがコラボレートしたりとかって流行ってたじゃない。DJがリミックスしたりとか、多分それの流れだけど。ラッパーはラッパーのチームというか集団、そん中に何個もあるんだろうけど。ロックのいかつい連中とくっついて。『ガリヤ』の方の事務所から「こういうアルバム出したいんだけど」ってことで来て。「じゃあ、曲かいたからウチおいでよ」っつって『我リヤ』の連中呼んで。したら、もうその場で言葉バシバシ言うのよ。「カッコイイなー」と思って。「なんか無駄がねーや、コイツら」と思って。「ラッパーっつーのも結構面白いもんじゃん」と思ってさ。何かヘナチョコなラップじゃないから。何かテンションの低ーいラップいるじゃない、誰とは言わないけどね。「俺達なんとか〜」ぐらいのテンション低いんじゃなくて、『我リヤ』はガーっと歌ってくれてるから。俺好きだから、そういうの。家で、あのデッカイ2人が立って歌い始めて「カッコイイじゃん、カッコイイじゃん」と思ってさ、うん。1曲だけだったんだけど、以外にこの曲『あるある大辞典』で流れてんだよね。あれって何秒間だと大丈夫じゃない。「きったねーよなー。印税くれよ、バカヤロー」と思ってさ。家で観てたら「悪玉コレステロールが何とか・・・」ってとこで、「あれっ?これ俺の曲じゃねーの?「金くれ!
バカヤロー!」みたいな。「また悪玉かよ」と思いながら(笑)。
T:次は『BADFISH』ですが。
F:うん。昔『ブラッティー・イミテイション・ソサエティ』っていうバンドがあって、ものすごい俺好きなバンドだったのよ。そこでギタリストが辞めるってことで、俺起用されて。皆20代なのよ。俺だけ40代だったのよ。1年くらい格闘して、「やっぱなんか合わない」って、音楽的にじゃなくて何か色んな事で合わない様で。冗談まじりに「シンさん酒癖悪いからよー」とかって言いながら、「風呂入んねーしよー」とかって。まあ、どうでもいいんだけど。で何か新しいギターが俺の後に、『スネイルランプ』のアキオが入って。
T:そして、その後『ARE YOU JAP?!』ですね。
F:前からずーっと思ってた「俺が一番聞きてーアルバムを作りたい」。で、俺の好きなボーカリストで。例えばCD屋に行って「清志郎さんのガツっとしたの聴いてみてーなー」とか思って。「うーん」とか思いながら「そっか、俺が作っちゃうべか」。で、「泉谷のあーいうとこ好きだし」とか色々思ってて・・・。事務所と話してて「こーいうのどうかなー」っつって。「じゃあレコ−ド会社に企画通してみっか」って。俺の交友関係を、名前を全部あげて「こういう人とやってみたい」っつったら「これは凄いな」って事で。「是非」って事で。それからお金と時間の交渉して。ま、俺は今までで一番気に入ってるアルバムだけど。また、この次なんかアルバム出たら、それが一番気に入るんだろうけどさ(笑)。
T:タイトルの『ARE YOU JAP?!』っていうのは、どこから?
F:『DJ KRUSH』とかって、いわゆるジャパニーズヒップホップの先駆者とか言われてるけど、もの凄い「和」の人なのよ。日本を大事にしてるし。何か話した時に「ヒップホップとかって、形だけの奴って多いっすよね」って話、家でしてたりとか、飲んで話してて。街歩くと外国でヒップホップ流行ってたの。こっちでファッションばっか流行るじゃない。そのアイデンティティーの無さに「あれっ?」とか思って。「お前らニューヨーク行ってこいよ、バカヤロー」と思って。ズボンこういう風にね(片足まくりあげて)歩いてる連中がいるじゃないですか。あれ意味知ってる?
T:いえ。
F:あれはね、ここに拳銃隠してませんよっていう、僕は平和主義ですよっていう合図なのよ。向こうはギャング多いじゃん、ロスとかニューヨークとか。それも知らずにさ、もうそろそろ拳銃入ってくるかもしれんけど、まぁ、そんなんも知らんでなんかこうそんな格好してみたりとか、嫌だね!あと帽子のキャップの被り方一つでもチームによって違うし。それを俺、向こうのヒップホップの奴とか、元ギャングとかが、今ギャングの奴かわからんけど、と一緒に演奏したりとかしてるわけじゃない?すっと、渋谷行ってもなんかこうね、そういうカッコしてて、なんか情けなくなったわけよ。パンクは、リスト・バンドにユニオンジャック付けてるし「お前行けよ、バカヤロー!」と思ってさ。なんかそういうことに、別にアイデンティティー大切にしろっていうわけじゃなくて、「なんでそうなの?」っていう。だから俺は、このタイトルを取材とかで聞くと、「ARE
YOU JAP?!って、あなた日本人ですか?って、すごい問題提起ですよね」って言われんだけど、俺は「お前はジャップか?ジャパニーズか?」って意味合いで作ったのよ。だから、そういうヒップホップの格好したりとか、わけわかんない格好したりとか「だから、ジャップって呼ばれんだぞ」と。だから別に日本刀差して和服で歩けとかっていってるわけじゃなくて、「カッチョよく生きようぜ!」みたいなさ。そういう意味合いで、まあ付けたし。それに、後付けなんだけど、ここの日本の俺の好きなアーティストとかが、このアルバム、例えば外国に行ったり持ってったりした時に「これジャップが作ったの?こんなすげーの」って思わせたいしねえ。それから「日本のロックシーンが凄い向こうにウケて、ニューヨークとかロスで日本のミュージシャンの格好を真似するぐらいになろうよ」と。なんかわかる? 言ってること。
T:わかります。
F:その辺がね、どうも面白くなかったのよ、なんか。向こうで流行んねーと、こっちが動かない。で、『リンプ・ビズキット』とかラップと、いわゆるラウドロックが流行ると、今度日本で流行るじゃない。なんで、「こっちが先なもんないのかなー」とか思ってた。
T:なるほど。
F:ま、武士とか能とか好きだから、日本が好きっていうのも多分、俺ん中にいっぱいあると思うんだけど。そういうのを、いろいろ込めてだね。だから、関係ないけど、グレイシ−が来た時に桜庭がボロボロにした(拍手)。楽しい、面白いじゃん。むこうは、だって日本の柔術を取り入れてるわけでしょ?それで勝ってたわけじゃない。それがまた本家が潰したりしたら、そういうことが俺は面白いんであって、音楽とかもっとねえ、「日本のロックはこれじゃー!っていうのやろうよ」みたいなさ。韓国のロックだって、やっぱ韓国のものがあるし、そういうところ?「フニャフニャすんなよ」みたいなとこがあって。
『ARE YOU JAP?!』について
T:1曲ずつ聞いていいですか?
F:あ、いいっすよ。
T:1曲目の『BREAK』。これは。
F:えーと、これは一応DJ KRUSHと、あとRIZEのジェシーと、3人で。俺とKRUSHでトラックを作って、全部に言えるんだけどオケを作って、デモテープ作って、それを聞かせて、これでOKかな?って事で。OKじゃなかったら何小節削るとか、そういう作業で、ボーカリストに関しては、現場だけだったんですよ。だからセッションなしで。時間的制約とかもあって。失礼な思いさせた人もいるんだけど。KRUSHと作って「ジェシー、これに何かのせて」と。テーマは何にも、全部任せると。「リリックはもう君らに任せるんで。好きなようにやってくれ」って言った方が、結局向こうにもプレッシャーかけて、いい具合に。「下手なもん歌えねーな」と。セッションとかしてたら「そこ、もうちょっとこうだね」なんてやりとり無いとこで持ってくわけじゃない、「これ清書です」って持ってきたのが『BREAK』。
T:なるほど。
F:ジェシーは「ツアー中の新幹線の中で、また書き変えた」とか何か言ってて。凄く真面目にレコーディングして。アイツまだ21だったかな?そん時。凄い真面目にやってて、レコーディングの仕方も慣れてて。俺の20歳の頃のレコーディングの同じぐらいじゃない?「俺ってなんてバカだったんだろーな」と思いながらね。「全然違うじゃん」みたいな。
T:2曲目の『ジライヤ』ですが。
F:これもまあ、一緒に、清志郎さんに音源あげて。で、清志郎さんもホントは一緒に作りたかったって。「どうもすみません」ってことで。一緒にやりながら、あーだこーだっつって、作りたかったみたいで。ちょっと怒られたわけじゃないけど、そういうこと言われて、どうせならね。。
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T:『ジライヤ』って、これタイトルは。
F:清志郎さんが付けたんですよ。今回何にも言ってないんだけど、殆どがもう、いわゆるテロの事。歌詞が。ちょうど「9.11」の、その年の10月とか11月にレコーディングだったんで、みんな歌詞がそっちに向いたみたいで。別に狙った訳じゃなくて。したら、こっちも意味合いが何か出てきて。後付けなんだけど。
T:3曲目『馬鹿ヴィシャス』。
F:『ロリータ18号』。マーチャンはね。結構『ロリータ』を何回も観てるんだけど、ふざけるのよ。わざと。テレなのか、何だか。バカみたいに「ヘッヘ〜ン」とかって歌うわけよ。マサヨのプライベートの事は良く知ってる訳だから「お前はね、ホントは凄いセクシーなんだよ」って。「それをテレて、わざとがらっぱち風にやってんのは知ってるけど、まっすぐ行ってみ」と。「そうすっと、ものすごいお前ベッピンやから」っていう事で。奴とはスタジオ入って「メロディをこう歌ってくれ」と。結構きれいなメロディを作って。ふざけられる所を残さず。「ま、こういってくれ」と。したら、出来はすごい良くて。「何かマーチャン、ダメ声で歌下手なんだけど、一生懸命ふざけない表現方法をとったとこに、俺の狙いとしては「グッド!」と思って。
T:あー、なるほど。
F:あと清志郎さん時もそうなんだけど「バックに俺のうるさい音楽で清志郎さんのボーカルがのったらカッコイイだろうな」と思った訳よ。「カッコイイだろーなー」と思ってさ。
T:次は、5曲目の『 ワイルドピース』。
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F:これも泉谷に怒られたんだけど、清志郎さんと同じ理由で。「コラボレートなら一緒に作んなきゃダメじゃねーか、バカヤロー」って言われて。泉谷のツアー中に「俺のソロにちょっと手伝って」と。「おー、わかったわかった」って。コンセプトは好きなというか、リスペクトしてるボーカリストに俺の曲で。皆歌詞が結構大事な人ばっかなのよ。「やってね!」「おー、わかったわかった」「歌うんだよ!」「おー、わかった」って。何回かやってたんだけど、「もー、すぐ忘れるからさ」と思って。その内、電話かかってきて「おう、歌詞出来たんだけどよー」ってさ。「もうちょっとだな」って思って。「じゃあ本番な」とかって。で、当日来ました。その時、清志郎さんも見学に来てたのよ。「おう、忌野じゃねーか」なんて話してて。「じゃあ藤沼、歌詞これだよ」とか言って。「ここはこうやって、歌メロディがこうなってな、これでな、お前のメロディは何とかかんとかだ!」なんて言いながら。「じゃあ俺、監督してっから」「何言ってんの。大将歌うんだよ!」「俺歌うのかよ!」って言うから「何回言ったと思ってんの!」「聞いてねーよ!」って言ったら、清志郎さんが「何言ってんだ泉谷。お前、ここではそういう事になってるんだ」とか言いながら。「まいったな、コイツ!」「しょうがねー。じやあ、俺歌うよ」って。「あったりめーじゃねーか!」と思いながら。したら清志郎さんが歌メロ聞いて「これってもう泉谷のメロディだと思いませんか?」って言ったら「そうだな。お前いいとこついてるぞ」と。それなのに「何だ、このメロディは」とかって始まって。まあいつもの(笑)。
T:6曲目の『花はどこに咲くの?』。
F:うん。町田康と色んなとこですれ違いはしてるんだけど、一回も作品を作った事がなくて。もの凄く好きな奴で。歌詞とかも好きなのね。本も好きだし。何かの機会に一回一緒にやってみたいなと思ってて。楽曲を渡して。「テーマは何かある?」って言うから「日本って匂いがあって、さびれた感じがあれば」。何か町田のイメージってそれだったのよ。「何か、このストリートの脇行くと、ちょっとコアなとこがあるんじゃねー」っていう様な匂いがしたから。そこが俺また好きなとこで、「そんなんがあればいいかなー?」って。したら、もの凄く良くて。ま、聞いて下さい。
T:次は、『国旗はためく下に』。
F:『国旗はためく下に』は、これ泉谷の曲を。自分で歌うんで「オリジナル書こうかな?」と思ってたんだけど、書けんで。この曲は凄くやりたかったの。泉谷と2人でやってたり、バンドやってる時も。凄い鳥肌が立つのよ、かっこ良くて。「なーんてカッコイイんだろう」というか。「あーこれ国旗はためく下に、」もの凄い昔の曲なんだけど。「この時代からこういう歌詞歌ってたのか。凄いなー」って。別に右翼左翼とかっていう一般的カテゴリーじゃなくて、何かもう、何か良いのよ。歌詞が。シビレるというか、グググッと来て。「これ歌ってみたいな」と思って、俺がアレンジして。泉谷に「歌ってもいい?」って言って「おー、歌え歌え。印税俺のとこに入るからいいよ」とかっていう感じで。
T:次。『VALE TUDO GUITAR Inst.』。
F:『バーリー・トゥードゥ・ギター』っていうのは、『バーリー・トゥードゥ』って格闘技の。「ギタリストだからギターの何かをやった方がいいんじゃないか」って話になって「じゃあ俺がオケだけ、リズムボックスというか、ベースだけ入れて、5人ぐらいのギタリストで。スタジオに来るまで聞かせない」と、何も。で、「こっからここまで弾いて」って。「何してもいいよ」「これ小節ね、一応小節」として。「この16小節をあげる、君に」。キーだけの約束ごとはあった、例えば「EとCです」とかさ、「C7です」と。「このオケだけちょっと聞いて他のとこ聞かないで、ここだけ入れて」と。「君のアプローチで」。その聞かせなかったっていうのは、そういうとこで、来た瞬間に自分の解釈で。例えば「何にも入れなくてもいい」と「ギター弾かなくてもいい」と「それが表現だったらそれでも良し」と。それからもうめっちゃくちゃダビングしまくってもいいし、ギターを投げる音を入れたいっても、それでもいいし。全部あとは自分のジャッジに、各ミュージシャン方に任せますと。「それが1曲なったら、どうなんだろう?」っていう実験的な事をやってみて。するとほら、出るじゃん?なんか癖とか性格とか。だから「曲のイントロがあってエンディングがある中の流れがこうだってこと全部無視して、ブツ切りに皆にあげて、くっつけてみたらどうなるだろうな?」っていうことでやってみたのね。泉谷に、最後に演奏が終わったあたりからギターソロ弾いてもらって。一人でジャーって弾いてて「バカヤロー、なんだ、う、俺うまいー!」とかって入ってる、それが欲しくて、オチとして。
T:(笑)なるほど。
F:でも、チャボさんとかアベくんとか。それはもう、すごい実験的な、あれで。ま、俺なりに「もうちょっとなんか、あー、こういうとこダメだったなー」っていうのがやっぱあったから。でも実験的には「すごく面白かったな」と思って。発想面白いでしょ?
でも。。
T:うーん、面白いっすね。誰もやってないっすもんね。次は、『ありがたや節 』。
F:これは柴山(俊之)さんに、こう低い声で日本の『オ〜』でもいいし何でもいいけど、なんか『ロ〜』でもいいんだけど。「ああいう毒の強いの出せんのは、この人かな?」って。歌詞も全部任せてあるって言ったじゃない?したら『アリガタヤブシ』っていう、ずっと「ありがたやー、ありがたやー」って、ずっと連呼してんのよ。「こんなの歌になんのかなー」と思ったら、のったらなってさ。「こういうミスマッチっとかってカッコイイな」って。大体それ風な歌詞をのせるじゃない?マッチするような。いわゆる誰かがやってきたマニュアルに沿ったような事をするじゃん。それを、あえてしなくて「ありがたやー、ありがたやー」ずっと言ってたら、それがえらい気持ちいいのよ。「凄いなー」と思って。楽曲聴いた時に、前から『アリガタヤブシ』っていうフレーズを入れたかったらしくて、柴山さんは。それに合う曲がなくて、自分の中で。だから「結構ミスマッチっていいもんだなー」というか。こうやっちゃいけないっていうのってあるじゃない? 映画でもこうやっちゃいけないような。それをやめちゃった方が絶対面白い訳じゃない。今まで残った斬新な人って、やっちゃいけない事やってきてる訳じゃない。その感覚とか積極性が俺やっぱ好きで。最後は。これDJに頼もうと思ったんだけど。予算と時間の問題で「俺がやっちゃうべ」っつって。
T:YOZAKURA(夜桜) BROTHERS!?
F:そうそう。エンジニアと俺で『YOZAKURA(夜桜) BROTHERS』。普通なら1曲をリミックスするよね。それを「何か面白くないな」と。何かの1曲になる訳じゃない。普通リズムトラックとか、ギターのパターンとかなんだけど「全曲のどっか引っ張ってこよう」と。「全曲でわかりやすいのはボーカルだな」と。全員の。だから、キーもちょっと変えてみたりとかコンピュータで出来るから。なるべくリズムを変えないで合うようにリズムを作ってみたりとか、ループ作ったり。そこにメインの歌詞だったりとか面白い歌詞を全部入れて1曲にしてみたの。濱田(三代目魚武濱田成夫)はちょうど遊びに来てて。「レコーディング遊びにおいでよ」っつったら来て。「ちょっと濱田、詩の朗読やって」っつって。卵丼一杯で。どうもすみませんでした。
T:今後の活動というか、何かやってみたい事とかはありますか?
F:さっき言ったけど、ボーカルを何か入れて。これのライブ(『ARE
YOU JAP?!
』発売記念ライヴ)をやった時に、インスタントじゃないけど、バンド組んだのよ。で、ドラムが『レンチ』の名越で、ベースが元『ジギー』の戸城。その3人で「ボーカルを誰か1人立ててやりたいね!」っていう話は、もうしてんだけど。もう半年も過ぎて。居ないんだよね。ボーカルいいのが。それはやってみたいな。全然若い子でもいいんだけどさ。日本の音を出していきたいっていうか。元々イギリスとかアメリカとかの音楽が入ってきた上で、エレキとかが、鳴った訳なんだけど、いつももらってばっかだから、こっちから外国に「ほらー」って返したいな、と思いますね。
T:今日は、長々とありがとうございました。
F:いやいや。
最後は、『今、藤沼さんにとって、ギターの存在とは?』を聴いてみました。これはムービーで本人の言葉を聴いて下さい。藤沼さんの詳しいインフォメーションは、HPをチェックしてみて下さい。また、short
filmの『ROCK WILL NEVER DIE?』も、合わせてお楽しみ下さい。
藤沼伸一オフィシャルホームページ
http://www.tt.rim.or.jp/~bell/s_shinichi.html
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