土橋一夫(Kazuo Dobashi)

 『Groovin'』「レコード・コレクターズ」等での執筆、CDリイシュー監修、番組&イベント企画制作などで大活躍中の、
 ライターで編集者の土橋一夫さん、緊急インタビューです。


(2007年8月22日/乃木坂ソニースタジオにて/インタビュアー:TERA@moment)





 土橋一夫 (Kazuo Dobashi)

  Talk&Interview #56
 
  


    
 土橋一夫(kazuo Dobashi) インタビュー

自分で専攻したのが文学部の史学科で考古学やってたんですよ。それは、その前からの発掘やったりとか、探検したりとかっていうのの延長線上だったんですけど、それで本格的に考古学の勉強をして、発掘調査とかやったりして、将来は多分そっちに行って研究室に残って研究者になるのかなと思ってましたね。

TERA(以下:T):宜しくお願いします。

土橋一夫(以下:D):宜しくお願いします。


T:土橋さんの生まれはどちらですか。

D:生まれはね、現在のさいたま市、昔で言うところの埼玉県大宮市。


T:なるほど。小さいころは、どんなお子さんだったんですか。

D:結構外を走り回って友達と遊ぶのが好きだったですね。あと探検したりするのがね。

T:ご兄弟とかって。

D:下に妹がいます。


T:そうですか。よく遊んだりとか。

D:うん、そうですね。

T:どちらかというと外で遊ぶほうですか。

D:そう。でも半々かな。

T:小学校のときは、何か好きなこととか、よくやってたこととか。

D:探検するとかがすごい好きだったっていうのは、多分当時「川口浩探検隊」とか、テレビでああいう番組をやっていたせいもあると思うんですけど、自分で調べて何かにまとめるっていうのがすごい好きな子供だったんで。だから、学校の勉強でいうと社会科が断トツに好きで、よくそんなことやってましたね。あとは野球ですね。


T:あ、なるほど。どこのチームが好きだったんですか。

D:当時はね、最初は巨人から入って、V9のころだったから、やっぱり。巨人から入って、その後、巨人ファンを長嶋が引退するときにやめて、その後はいろいろ。中日とか近鉄とか応援してましたけどね。


T:じゃあ、小学校六年生まで野球は。

D:地元のソフトボールのチームですけど、それはずっと小学校のときやってました。


T:音楽とかってどうだったんですか。

D:音楽はね、自分から能動的にやるとかっていうことはそんなにはなかったんですけども、一緒に住んでいた祖父がすごく音楽好きだったんで、小さいころからレコードとかラジオを聴いたりとか、そういう習慣はありましたね。ただ、ほとんどその頃はイージーリスニングでした。

T:特に何か自分でレコードをお買いになったりとかっていうのは、小学校のころ。

D:小学校のときは特にはなかったですね。

T:そうですか。中学校に入ると何か…。

D:中学に入ってから、何と言っても僕は大瀧詠一さんが心の師匠なんで、大瀧さんの『ロング・バケイション』を聴いてやっぱり人生が変わって、それで今でもこの仕事をやっているようなものですから。まさにそうですね。


T:最初、聴き始めたきっかけみたいのってあるんですか。

D:きっかけは、そのころ大瀧さんと、その前にYMOがあって、79年に『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』が出て、あれからやっぱりYMOにはまってしまって、そういうのを友達と貸し借りして聴いたりしてたんですけども。それが最初の体験ですね。細野さんに興味を持って、そこからユーミンを聴くんですよ。ユーミンを聴いてみたら何てことはなくて、キャラメル・ママ、ティン・パン・アレーとYMOが繋がっているというのが分かって、細野晴臣っていう人はすごいなと思って。鈴木茂さんや林立夫さん、松任谷正隆さんも含めてね、その辺からですね。音楽を聴くのが面白くなったのは。

T:自分でギターを弾いたりとかっていうのは。

D:それは全然後ですね。高校に入ってからですね。

T:なるほど、なるほど。洋楽とかっていうのは。

D:洋楽はね、特にあんまり意識して聴いてはなかったんですけど、やっぱり当時のヒット物、80年代の始め、82年とか83年になるとマイケル・ジャクソンとか、あとイギリス勢でも結構出てましたし、あの辺は普通に聴いてました。特にそんなに突き詰めて聴くっていう感じじゃなかったですけどね、当時は。

T:勉強のほうとかはどうだったんですか。

D:勉強は一応してましたけどね、それなりにですね。

T:高校時代は何か変化は。何か部活とか、そういう。

D:高校は、天文学のクラブに入ってたんですよ。だから、星の観測をやったりしながら、そこは地学部みたいなクラブだったんで、「川口浩探検隊」がまだ頭に残っていて、天文と地質調査と両方やっていて、1年の時とかには忘れられないですけど、奥多摩のほうの鍾乳洞まで30キロのテント背負って先輩たちと探検に行ったりとか、そんなことしてましたね。山登りはしょっちゅう。小学校のときから父親がやってた影響もあって、山登りはずっとやっていたんで。


T:天体観測で何かエピソードはあるんですか。

D:天体観測ね、流星観測っていうのをよくやったんですよ。当時、休みの週末とか夏休みとかを使って日光とか秩父とかに行くんですよ。この間もペルセウス座流星群ってすごい話題になりましたけど、ああいうものの観測がおもしろいんですよ。一晩に200個見たことありますから、僕は。

T:特別な望遠鏡で観測するんですか。

D:望遠鏡も持ってましたけど、望遠鏡とかじゃなくて肉眼で、目視での観測でしたけどね。あとはFM使った、FMの電波観測とかね、よくやってましたね、そういうのを。

T:でも高校行くと、話変わるんですけど、ライヴとかに行ったりとかっていうことは。

D:ライヴはね、田舎の学校だったんでそんなには行ってないんですけど、埼玉でもちょっと田舎のほうに行っていたんで、高校は。ただその頃は友達とレコードの貸し借りっていうのはすごい増えましたよね。高校時代のときに放送部の友達がいて、彼が佐野元春のすごいファンで、彼とやっぱりいろいろレコードの貸し借りをしたりとか、あと同じクラブにいた仲間とやっぱりレコードの貸し借りして、僕が大滝詠一さんや杉真理さんやYMOを貸して、何かまた別の物借りるとか、そういうことはよくやってましたね。

T:高校入るころって、将来何になりたいとかっていうのは、何となく固まってくると思うんですけど、その頃ってどういう感じで。

D:高校時代は放送関係の仕事に就きたいと思ってましたね。番組の制作をやりたいって。ラジオの。それはずっと思っていて。高校から大学にかけてはラジオの日々で、伊藤銀次さんとか、佐野元春さんとか、杉真理さんとか、山下達郎さん、松尾清憲さん、大瀧さんもそうだし、みんなそのころ番組持ってたじゃないですか。聴いてましたから、多分そういう番組を作りたいなと思ったんですね。専らラジオでしたね、その頃は。

T:じゃあ、もう高校出る、卒業するころには、何か具体的にそういうヴィジョンというか。

D:うーん。あんまり考えたことなかったけど、漠然とそんな感じで、マスコミ関係というか、そういう放送関係の仕事をしたいっていうのは、ずっと思ってましたね。

T:普通に大学進学という感じですか。

D:ええ、そうです。


T:そこでは何か、特に。

D:大学は、音楽関係のサークルに入ったのが一つと、あと、自分で専攻したのが文学部の史学科で考古学やってたんですよ。それは、その前からの発掘やったりとか、探検したりとかっていうのの延長線上だったんですけど、それで本格的に考古学の勉強をして、発掘調査とかやったりして、将来は多分そっちに行って研究室に残って研究者になるのかなと思ってましたね。

T:何かあれですね、若きインディー・ジョーンズみたいな感じ。

D:そう。そういうのがある一方で、放送関係とか音楽関係もやってみたいなっていう、両方思ってましたね。まだ本当に漠然とでしたけど。


T:何かバイトとか、将来につながる仕事みたいなものっていうのは、大学時代に何かあったんですか。

D:バイトは、ほとんど研究室の仕事だったんで、発掘のアルバイトとかでしたけど、あとサークルのほうでバンドで演奏したりとかいうこともあったり、いろんなところに行って演奏することがあるわけですよ。そうすると、自分たちのやりたいものじゃなくて、求められるものをやらないといけないので、下手するとどこかのお祭りみたいな場所に行って、アニメ・ソングの演奏もしなくちゃいけないし、流行ってる歌謡曲もやらなきゃいけないしみたいな、でもそこで音を自分でとって譜面にしたりとか、そういう事をやり始めたのは、その頃でしたね。それで相当鍛えられましたね。

T:バンドっていうのは、どういう編成だったんですか。

D:もう、それはそのときによって。ケース・バイ・ケースでしたね。


T:担当は。

D:僕はベースでした。


T:ベースですか。ずっとベース。

D:ずっとベースですね。

T:で、大学を卒業する頃にはどんな感じになっていくんですか。

D:で、そろそろ卒業で就職してどうしようかなって考えたときに、やっぱり最初に言ったマスコミ関係というか、放送関係、それと音楽関係っていうのが僕の中でずっと残っていまして、結局その2
つを軸に就職活動するという感じになりましたね。

T:結果は。

D:で、結果的にテイチクというレコード会社に入るんですけど。

T:なるほど。

D:はい。

T:じゃあ、最初はレコード会社。

D:レコード会社でした。

T:そこではどういうお仕事を。

D:最初は営業ですね。その後、2年半ぐらいやった時点で急遽呼ばれて販促の仕事で本社に異動になりまして、そこで洋楽の販促を1年半ぐらいやって、その後、新しくレコード会社というか、レーベルを立ち上げるということで、そこに来ないかと言われて、そこに行って、そこでも販促とか制作までやりましたけど。

T:そのレーベルはどういうレーベルだったんですか。

D:そこはね、もともと立ち上げたときは、結構タイアップが決まってるアーティストをやるっていう、ちょっと特殊なレーベルで、ある程度展開の仕方が決まっていて、それをどうするかっていうようなセクションだったんですけど、途中からそうじゃないものも色々やるようになってきて。なので、もう色々ヴィジュアル系のバンドまでやってましたけど。メタルから、洋楽から、あと映像制作もやってましたから、ローリング・ストーンズの来日公演のビデオ化も担当しましたし。

T:デザインとかっていうのは、そのころ何か。

D:デザインは、そのころディレクターをやってると、結局デザイナーと一緒に仕事をしないといけなくなるわけですよ。それで仕事をデザイナーとやってるうちに、デザイナーから覚えたんですね。何とか自分で。すごく少人数のレーベルだったんで、結局何でもやらなきゃいけないということだったんで、そこで鍛えられましたね、ほんとに。印刷の知識とか、デザインの知識なんていうのは、ほんとにその時期がなかったら覚えることがなかったと思うんですけど。

T:なるほど、なるほど。それ以降はどんな感じの動きになるんですか。

D:結局そのレーベルがなくなってというか、もともとテイチクから出て別レーベルという形でテイチクの傘下でやってたんですけど、そのレーベルがテイチクの中にまた戻されるということになって、それでそのタイミングで僕は会社をやめまして、一時期ジャニーズ・エンターテイメントにいまして、KinKi KIdsとか少年隊とかの販促をやっていまして。で、その後自分の事務所で新たに『Groovin'』という雑誌をつくるということに、結果的になるんですけど。結局僕ができることっていったら音楽しかないので。


T:なるほど。最初は『Groovin'』でしたっけ。

D:はい、『Groovin'』です。

T:で、今、CDのリマスタリングとか、いろいろと仕事はものすごい増えてると思うんですけど、それはどういう感じで…。

D:元々レコード会社でずっとディレクターをやってたというのもありまして、自分の好きだった音楽、思い入れのあるものというのは特にそうなんですけど、やっぱりきちんとした形で今の若い音楽ファンに提示しなければいけないというのが、自分の中でずっとありまして、洋楽で再発なんかも昔やっていたこともありますし、その辺の制作の知識と経験はあるので、何とかそれを使ってできないかなって考えたときに、やっぱりやってみたいと思ったのは、杉真理さんとか伊藤銀次さん、その辺だったんですね。なので、たまたまそう思っていたところ、ソニーの川原伸司さんという方がいらして、川原さんと知り合ったことが、すごく大きかったんですけども、それで川原さんが昔からの杉さんのブレーンだったこともあって、その辺の再発へと話が発展していくんです。


T:あの、音楽ライター的なお仕事に関しては、どういう流れで。

D:ライターはね、まだレコード会社にいた当時に、たまたま知り合いに雑誌の編集者が何人かいて、その人たちに書いてみないかって言われたのがきっかけですね。実は自分ではライターだとは全く思っていないんですよ。

T:なるほど、なるほど。一言でご職業を言うと、何になるんですか。

D:編集者って言ってますね。

T:なるほど、わかりました。また、CDのほうに戻るんですけども、その杉さんと銀次さんの、去年ぐらいからもう企画が展開していると思うんですけど、まず杉さんのほうからどういう感じの流れになるんですか。

D:杉さんは、もう企画自体は5年ぐらい前からあって、で、その川原さんと出会ったことによって、どこのタイミングで出そうかって話をずっとしてたんですよ。たまたま今年がビクターからデビューして30周年ということだったので、それでここに合わせるのがいいだろうということで、一昨年ぐらいからいろんな関係各所にお話をしまして、それでやっと出せることになったと、簡単に言うとそんな感じですね。

T:杉真理30周年プロジェクトでは特別サイト等、いろんなことをしてると思うんですけど、すべて携わってるという感じに。

D:まあ、そうですね。基本的には全部そうですね。どういうことをやろうかっていう計画は、僕が中心になっていろんな方にご協力いただいて全部決めてきたっていう感じですから。

T:再発CDのボーナス・トラックは、かなり充実していますね。

D:そうですね。やっぱり買う側からするとね、ああいうものがあるかないかって、すごく大きいと思いますし、特に杉さんの場合は、1回は必ずCDにはなっているので、昔聴いていた方にもやっぱりもう一度いい音で聴いていただきたいというのがありますので、そうするとやはり魅力的な内容にしたいなということで、いろいろと杉さんご本人をはじめ関係者、特にPAのエンジニアをやっていらした方とか、番組関係の方とか、そういう方にご協力いただいて、音源をいろいろ探してきました。

T:まだこれからも続くわけですよね。来年にかけて。で、銀次さんの方はどんな感じですか。

D:銀次さんも杉さんと同じで、当初は川原さんと相談して、その後ソニーの吉田格さんというプロデューサーを紹介して頂いて、数年前から進めてきました。当時、川原さんがいらしたソニー・ミュージック系のブルーワン・ミュージックで銀次さんは活動されていましたので、その頃からずっとお話をさせていただいていました。現実的になったのは、1つは4年前にココナツ・バンクのアルバムに関わらせて頂いたことと、去年の10月、僕がずっと長門芳郎さんと何年もやっているイヴェントがありまして、丸の内でやってるトーク・ライヴがあって、そこに銀次さんに出ていただいたんですよ。映像をかけたり、音をかけたりしながら、銀次さんの今までの活動を紹介するという内容のイヴェントだったんですけれども、その前にブルーワン・ミュージックにお邪魔して、何かイヴェントで使えそうな面白いものはないかなということで、当時のマネージャーさんや銀次さんと一緒に色々探したんですよ。そこで出てきたものっていうのが、実は今回ボーナス・トラックとしてかなり入っているんですけど、その辺からですね、具体的に動き出したのは。


T:で、今、どんな感じの流れになってるんですか。

D:今はまさにここでマスタリングをやってるんですけども、かつてポリスターから出たアルバムが7枚、プラス93年にKi/oonから出た『LOVE PARADE』、ミニ・アルバムも含む8枚をすべてオリジナル・フォーマットで新たにマスタリングしましてプラス、ボーナス・トラックで。しかも紙ジャケット仕様で、10月24日にリリースということで、今まさにその作業をやっているところですね。僕が担当させて頂いたものは単に発売するタイトルを決めてライナーを書くという事務的なものではなくて、基本的に責任を持って僕とそしてご本人がマスタリングに立ち会って、必ず納得した音でリリースするというやり方をとってます。だからここのところはスタジオ籠もりの毎日です。

T:で、先ほどちょっと出た長門さんとのイヴェントや、あと番組、その辺なんですけれども、それはいつから、どういうきっかけで始まったんですか。

D:それはね、今やってるのは、FMのラジオの番組『ようこそ夢街名曲堂へ!』と、あと『Pied Piper Days』という丸の内で2か月に1回やってるイヴェントと、その2つが主にあるんですけど、もともとは長門芳郎さんがかつて70年代から80年代末まで南青山で経営されていた「Pied Piper House」っていうね、伝説的なレコード屋さんがあったんですけど、そのレコード屋さんを今の時代に電波上で復活できないかというところから、そのラジオのアイディアは始まりました。毎週1時間番組でもう350回ぐらいの放送回数になるんですけど。で、もう一つのイヴェントのほうは、それを実際にリスナーの方たちに見えるような形で、あとラジオだと映像は見せられませんから、例えばゲストを招いてレアな映像を見たりとか、そういう機会もつくりたいなということで、こちらも今、無料で2か月に1回、偶数月にケンウッドスクエア丸の内でやっています。

T:土橋さん、momentでもイヴェントで司会進行をやっていただいたり、大きなイヴェントでも、杉さんのイヴェントとかでもいろいろやられてますよね。これからやってみたい構想みたいなものって、何かあるんですか。

D:特にはないですけれども、このところ杉真理さん、須藤薫さん、伊藤銀次さんと再発をさせていただきましたので、その流れを何とか大事にして、またそこにつながるようなものを、今後もやっていきたいですね。あと、現在杉真理さんのニュー・アルバムの制作に入っています。銀次さんに関しては、やっぱり今年が、ちょうどソロ・デビューから数えると30周年ということで、そのソロ・デビュー作となった『Deadly Drive』っていう77年のアルバムを何とかいい形で出したいですね。


T:わかりました。最後になんですけども、今、『Groovin'』編集長ということで、今後『Groovin'』以外にも編集者として何かやりたい本みたいなものとか、将来的に何かありますか。

D:そうですね。去年、全然違う切り口で『ジャケガイノススメ』っていう本と、それと連動したCDのシリーズをずっと出させていただいていて、あの流れのものをまたやってみたいなっていうのはあります。音楽とデザインの関係をクローズ・アップして、持っていて、そして聴いて楽しめるものを今後も出していきたいです。全然邦楽とは違う切り口なんですけども、ああいうものもさらにやってみたいなっていうのは考えてますね。

T:なるほど。わかりました。今日はありがとうございました。

D:こちらこそ、ありがとうございました。



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