山口洋/HEATWAVE (PART2)

 2CD+2DVD「The rising」をリリースしたばかりの、HEATWAVE 山口洋さんへのロングインタビューです。
 そのPART2。


(2008年2月24日/momentにて/インタビュアー:TERA@moment)





 
 山口洋(Hiroshi Yamaguchi)「HEATWAVE」

  Music #64
 
  


    
 山口洋 ロングインタビュー (PART2)

確実に何か宇宙の中に見えてる光みたいなものを見てるのも好きだし。それを何とか人に分かる形にしなきゃいけないって思ってるし、それをモヤモヤしたままで、こんな感じでいいんじゃないかって思ってるし。だから分かってくれると思うけど、抽象も具象も無くなってくるじゃん。わかるでしょ?抽象ってのは具象で、具象ってのは抽象で、主観も客観で、客観も主観じゃん。

TERA (以下:T):では、PART2、宜しくお願いします。

山口洋 (以下:Y):はい。


T:ニューヨークに行かれてからのお話ですが。

Y:母親が英語の教師で、中学、高校、大学で合計8年間も勉強したにもかかわらず、ダウンタウンに行ってチーズバーガーが買えない俺みたいな。そこからのスタート。でも俺も天の邪鬼だから、誰かに助けてもらうとかあり得ないからね。一から英語を覚え、友達を作り、演奏し。で、友達が沢山出来てきて、何故か友達になるのはプエルトリカンだったり、アイリッシュだったりするわけで。酒場にいりびたって、そこで友達になった連中が、お前ほとんどメンタリティがアイルランド人だからアイルランドに行けよって言うわけ。武者修行みたいな。日本でも契約残ってたから、半分日本、半分外国みたいな時期が何年かあって。それで完全に目が覚めたっていうか、日本の閉鎖性っていうか、何じゃこれはみたいな。こんな特殊な状況で音楽やってるのはこの国だけだろって。

T:なるほど。

Y:例えばマネージメントで言うと、日本はレコードが売れた事に対するミュージシャンの印税って1パーセントなんだよね。考えられないじゃん。ミュージシャンがいなければレコード出来ないのに、1パーセントしか払われないわけ。そんなんじゃ生きていけないじゃん。そりゃ100万枚売れりゃ生きていけるけど。俺たちみたいに数万枚じゃ生きていけないわけよ。その代わりに事務所に対して、育成費とか、援助金みたいなのが払われる。俺、援助されたくないよみたいな。でもその中から、俺たちは給料を何万円かもらってるわけでしょ。おかしいじゃん。外国行っていろんな話聞いて、いろんなとこで演奏して、いろんな有名な人間と友達になって、何じゃその日本のシステムはって事を学ぶわけじゃん。マネージメントっていうのはミュージシャンが雇うのが当たり前。じゃお前と組むけど、1年後にはどういう感じになるんだよ、俺たちって。その為にお前にパーセンテージとしてギャランティ払おうって事で、共にリスクを抱えてやっていくからいいわけであって。ライブをやってレコード会社が、低い印税の代わりに、赤字を埋めるみたいな。何か根本的におかしいとこに住んでるって。外人の友達はお前くらいの力量があって何でライブで食えねえんだって。で、ライブをやれば赤字続きでしょ、日本でやってたら。

T:そうですね。

Y:自分が外国行って、アイルランドなんか友達の友達は「ボノ」までいっちゃうくらい狭い国だからさ。いろんな経験をしてきて帰ってくると、東京で行われてる事が「はい?」みたいな、感じでさ。こういう世界にいたら俺自身がダメになるって思ったから。でも当然バンドのメンバーは俺みたいに自由じゃないし、家族があるから。ドメスティックにならざるえなくて。俺の言ってる事全く理解しないじゃん。ていうかもっと勉強して、独立してやんなきゃ駄目だって事言うんだけど、メンバーは家族を食わせる為にマクドナルドでバイトして「フィレオフィッシュ」とか言ってる世界なわけじゃん。それはつりあわないよね。俺が書いてる音楽と。バンドの中にもすごい溝が出来て、上手くいかなくなるから。俺一人の想いが先走ってって。それを誰も理解してくれないっていう辛い2年間があってさ。

T:なるほど。

Y:でも俺は「ヒートウェイヴ」っていうバンドがワールドワイドにいけるっていう自信があったし、どこに出ても負けない自信があったし。バンドのメンバーが次第に離脱していき、俺一人が残り。そんでその事を理解してくれるのは、当時でいうと佐野さんくらいしかいなかった。それでエピックの最後の5枚目のやつは、とりあえずそういう事が分かる人としか音楽出来ないって思ったから、で、佐野元春氏に会いにいったんだ。

T:その5枚目のアルバムはどういう風に作られてるんですか?

Y:とりあえず「ヒートウェイヴ」は俺1人のような状態で、曲を書いてた1995年。95年といえばサリンが撒かれ、震災が起こりっていう、俺にとっては忘れられない年でさ。最初に話をしたけどオウム真理教の上層部って、ほぼ俺らと同じくらいの年だったっていう。やってる事は全く賛同できないけど、あっちの方に行く気持ちは分からないでもないっていうか。あと大災害を前にさ、人間っていうのはあまりにも無力であるって言う事を見るとか。それでも人間っていうのは失敗しながらやり直すっていうのが一番すばらしいとこだっていう。唯一ポジティブな事も感じた年で。

T:はい。

Y:その時代の不気味な感じと、だけど人間がやり直すっていう、再生するっていうその2つのテーマでずーっと考えてた。だからそういう事見つめるために、ネイティブ・アメリカンの生き方にすごく興味があったから。俺も破れモンだから、当時やっと英語もしゃべれるようになってたし。「ヴィジョン・クエスト」っていう儀式があって。砂漠の真ん中に水だけ持ってって、自分を媒介として、地面と空を繋ぐ場所を見つける。そこで3日間過ごす。恐怖のあまりビジョンを見る。それをいわゆるメディスンマンに、こういう夢をみたんだと話すと、例えば分かりやすく言うと雷鳴を見たと、じゃあお前の名前は「ローリング・サンダー」って名前をもらうわけ。俺はね、地球は人間のものじゃないって考えが好きでね。至極まっとうだと思うんだよ。

T:なるほど。

Y:借家に金を払うってのは理解出来るけど、土地は誰のものでもないし、誰のものでもあるかもしれない。特にあの時代はバブルで、どんどん土地の値段が上がっていって。誰のもんだよって思うわけよ、俺は。そこから俺は嫌だから。そういう事言い出したら原始共産制に戻るしかないんだけど、あり得ないし。その時にネイティブの人たちが、まあ日本でいえばアイヌとか、誰のものでもないけど、我々は自然に生かされてるだって考え方がとても俺には自然で。だから本だけ読んで勝手に修行してた、と。ネバダの砂漠で恐怖にうち震えながら、どうしたらいいんだろうって考えてた。かたや国内じゃサリンが撒かれ、震災が起き。やっぱり人生で初めて俺にはプロデューサーが必要だと。

T:実際そのアルバムの作業はどういう風に進んでのですか?


Y:まな板の上に乗った。好きにしてください、言う事は全部聞きます。やっと謙虚になった。この人に任せてみようって。彼が言った言葉で忘れられないのはプロデュースっていうのは励ます事。おかしいんだけどさ、彼は絶対に駄目って言わない。「ん〜、ぐっときてるよ。もう一回やってみよう。」ってもう一回やって「さっきよりエモーショナルなんだ。もう一回やってみよう。」って基本的に駄目だって言わないわけ。それがね、失礼だけどすごい可笑しくて。(笑)

T:(笑)

Y:俺もプロデューサー体質だから、おだてられれば木に登るじゃん。だからやっぱりね、人の励ましとか、人を励ますってすごい労力のいる事で。「大丈夫だよっ」て。ほんとにそれは大きな財産になったし、それからの共同作業ってのは、例えば映像を作ったりとかする段階においても、絶対に俺はノーとは言わない。そいつと何かをやろうとした時点でそいつを信じる。丸投げ。そりゃ丸投げってすごい勇気がいるからね。佐野さんは丸投げしない人だけど、俺はそこからもらったものを進化させていく中で、俺がこいつだって直感で思った人物に関しては、根拠の無い自信と勝算がある。ウルトラセブンのタイトルバックみたいに、ウルトラセブンっていう文字が出てくる事を根拠なく信じてる。それは自分がこの時代に生きていて、感性のアンテナをはって生きていれば、自分が想像してなかったものにたどり着く事も含めて、それも可能なんだって事を学びはじめたんだと思うけどね。結果的に佐野さんのやってくれたアルバムを最後にエピック・ソニーとは契約が切れて。クビだよね。ついでに事務所は自分で辞めようって思って、自分でクビ。何にも無い人間に、31くらいでなったんだ。これで俺に何にも湧いてこないんだったら、俺、音楽やめようと思ってた。

T:なるほど。それで。

Y:俺だって生きてる目標のひとつは、こんな俺だって社会に貢献したいと思ってるわけで。やめてみたら3日目くらいに、また何かが俺に降りてきて、歌詞書き出したら止まらなくなって、30番くらいまである曲で、記憶が正しければ、歌いきるのに十何分かかる。それが書けた時に、俺は天才だなって思ったわけ。ひらめきがあるって。でミュージシャンにとっての武器は楽曲でしかないじゃん。俺はまだこれがあるんだから全然いけるって思って、もう一回レコード会社を決め、事務所も決め、やり直したのが96年。

T:96年。それで、続く活動の流れは?

Y:もう一回メジャーのフィールドに戻ったわけですよ。一回、自由人になってみて。それからは俺も学んだんで、この金があるうちに世界的規模で、出来る事を全部やってみようと思って。俺の金じゃねえし。(笑)例えばデザイナー「駿東宏」と組んでみたり、大好きな「ヴァン・モリソン」のエンジニアにミックスを頼んで俺がロンドン行ったりとか。俺が尊敬している「ドーナル・ラニー」にプロデュースを頼んだりとか。やれる事は全部やった。で、面白い事は沢山あった。例えば「横尾さん」の話で言うと、「横尾さん」が俺を知ってるわけがなくて、成城のアトリエに行って、「僕はこんな人間ですが〜」って歌って、ジャケット描いてくださいってって言ったら、横尾さん最高で、「もう、描きました」って。(笑)

T:(笑)

Y:(笑)。2階に上がっていって、絵を持ってきてくれたりとか。勝てねえやって思ったわけよ。最高じゃん、もう描きましたって。描いてるわけねえだろって思うんだけど。何かねそういういわゆる世間の規範からはみ出しまくって、自分の道を行ってる人に沢山会ったんだよ。それで結局セールスっていうのはふるわなかったんだけど、そのユニバーサルでやってた4、5年の間に、すばらしいアーティストたちと一緒にやれたし。例えば「ドーナル・ラニー」が「今「リアルワールド」でレコーディングしてるから遊びに来い」って、「リアルワールド」にいって。「ピーター・ガブリエル」の持ち物じゃん。規模が違うわけよ。貴族だし。あの人。わかると思うけど日本のレコーディングスタジオってすげえいいの。だけど全部アイソレートされてる。でも音楽っていうのは、こういう会話が、僕と君がヘッドセットしてここにガラス板があって会話しろって変でしょ。それは後々のミキシングの為にアイソレートされてるわけだけど。「ピーター・ガブリエル」の「リアルワールドスタジオ」は多面体になっていて、ミキシング・コンソールが部屋の真ん中にあって、その周りにミュージシャンがいるわけよ。しかもその下に川が流れてるわけよ。まったくアイソレートされてないんだ。あり得ないんだよ。

T:凄いですね。


Y:そんで要するにミキシング・コンソールでエンジニアがスピーカではなく、ミュージシャンがサラウンドで演奏したものが、2チャンネルっていう平面の中で、風景として描けるように出来てるわけ。それをやる為にはミュージシャンが間違えてはいけないって力量も当然必要だし。そんな俺にとって当たり前の事が見せてもらう事も出来る。あわよくば、例えば、外国の本当に一流の、俺が一流と思ってるミュージシャンとツアーやったり演奏したりして、本当に大事なものは何かっていう事を、まあメジャーと契約してるおかげでお金に余裕があったから、ガンガンやらせてもらって。それは本当に金がないと出来ない事だったから、よかったと思う。でもやっぱり俺って「ピーター・ガブリエル」って好きじゃないけど、彼がお金持ってて、「リアルワールド」を作って、世界中のいい、まあ好きな言葉じゃないあけど「ワールドミュージック」、アフリカのミュージシャン、アジアのミュージシャンが来てね、そこで何が行われてるかってのをレコードディングして、レーベルがあって、世界に発信するっていう。俺たちがやろうとしてる事は、それに憧れるんではなくて、自分が自分のテリトリーに帰ってきて、どうやってそれを続けるのかっていう事を考え始めた時に、まあ世界中流浪したおかげで、例えばアメリカっていうのは何度も横断したけど、自分で車運転すれば一日に1600キロ走れるのね、1000マイル。で1000マイル走って、食い物や言葉や何か変わったのかっていったら、変わんないわけよ。相変わらずデニーズがあって、アメリカのデニーズなんて、デニーズ入ったら「いらっしゃいませ、ようこそデニーズへ」なんて絶対言わないんだけどさ。

T:ええ。

Y:て、考えたらこの国は30キロ移動したら、言葉も名物も食いもんもメンタリティも微妙に変わっていくっていう、芳醇な歴史をともなった文化があるわけで。じゃあそれがいわゆる「メガストア」のJ・ポップにそれが反映されてるのかいって言われたら、殆どされてない。それを子供たちが聞いて、大人になっていく時に、今、まだ地方都市に行けばまだいい所が残ってるけど、新しい街道沿いの、ほんとに看板だらけで、紳士服の「コナカ」があって、「ユニクロ」があって、ガソリンスタンドがあって、「ブックオフ」があってみたいなものをね、子供たちが原風景として記憶していくって事がどれだけ恐ろしい事なのかっていう。で、この前「佐野さん」のライブ行ったら、子供たちに残さなきゃいけないものは、家や土地ではなく希望だろって、彼は言ってて、俺もそのとおりだと思う。「村上龍」さんがある本の中で「この国には何もかもあるけど、希望だけが無い。」って言ったんだけど。俺には子供いないけど、例えば街道沿いの看板だらけの風景が原風景として記憶される事に、俺はものすごく抵抗があるし、もっといいものをちゃんと伝えたって思ったから、自分が出来る事は何だって考えて、完全にレコード会社も辞め、事務所も辞め、俺は一匹のミュージシャンとして何が出来るのかって思った時に、たまたま、君も知ってると思うけど、「リクオ」がいてさ。

T:ピアノマンのリクオさんですね。

Y:年間150本ぐらい、客が5人でもやるって、お前大丈夫か?みたいな奴がいて。俺は全面的にあの位置にいけないけど、あいつがやってるノウハウと、メジャーで世界中で俺がこうやってたノウハウって合致するとこがあったわけ。ギター一本だと身軽でしょ。北海道の端っこから八重山諸島にまで最近行くわけよ。そうすると君のようなキチガイがいるんだよ。そういうキチガイがいる街って極地的に盛り上がってるわけ。一杯あるの、そういう場所は。それを俺たち渡り鳥があの街はこんなキチガイがいる、今度、日曜日に行ってみたらどうだって言いながら繋いでいくっていうやり方が、人力インターネット。でもそれはダイレクトなコミュニケーションだから。俺がインターネット大嫌いなのは匿名性の名の下に人を中傷するのはすごい簡単なわけ。俺はそんなところに係わりたくないし、俺がネットに何か書くんだったら、実名と年齢入りでしか書かない。その代わり発言の全部責任を取るし、なんと言われても俺は平気だけど、コミュニケーションって言うものはもっと面倒くさくて、ややこしくてっていうのを引き受けなきゃいけなきゃいけないじゃん。

T:ええ。

Y:だから俺が出来る事はそういう一個一個の場所の事を俺は「ランド・オブ・ミュージック」って名前をつけて、日本にはまだ「ランド・オブ・ミュージック」て沢山あるぞって。でそれを作るにあたっても、みんなにそういう意識を持ってもらいたいから、俺は影も形もないアルバムをつくるのに、先に金を出してもらって。それでどこまで行くのかなって思って、まあ1711人くらいいたわけさ。そうするとまあ実数だから約510万円ぐらいになるわけでしょ。ぎりぎり何とか作れるかなっていう事で、アルバムを作って。あなたたちの一個一個のそういう気持ちがこのアルバムを作ってるんだよって事を、有機的に実験してみたわけ。

T:なるほど。


Y:でも、もう一回やれって言われたら、かなりめげるぐらい大変な。(笑)それはインターネットでも言うし、もちろん現場に行って俺がこういう事やってるんだけど、賛同してくれないかって言うと、まあすっげえ田舎の街に行って40人くらいしか来ない時に、17、8人がさあこうやって払ってくれる。それを俺はホテルに戻ってデータ化して、まとめて人に送るみたいな。地道な事だよ。だけど自分が書いた歌詞を自分のサイトに乗っけるのに、何で権利とか言われなきゃいけないんだってとこがある。こういう時代になったのに、当時のレコード会社が配信してくれないとか、色んな問題をね、解決していかなきゃいけないと思うんですよ。確かに俺の仕事は増えて、昔みたいに「おー、俺はロンドンでミックスだ」みたいな事言えなくなっちゃったし、ビジネスクラスにも乗れなくなっちゃったけど、そんな事は問題じゃなくて、今のこの時期は地べたを這いつくばってでも、俺は貧乏はいいけど貧乏くさいのはよくないと思うだけで。それを続ける事でしかないっていうか。

T:ええ。

Y:毎回毎回、自分が奮い立つ限り、「うへえー、今日きついっ」て思いながら、ベストを尽くす事しかないし。あの、体力的にはまだ俺は出来るし、しんどいんだけど、2、3度病院送りにもなったけど。心の大事なところは病院送りにはならないよね。自分に現場がある限り。フィジカル、メンタルのバランス、自分で何とかやっていけるってところは俺にはよかったかな。何も絶望してないし、まだまだどんなに小ちゃい街のステージでも、PAがなくても、何かメラメラと燃えてくるものがあるからね。だって雪深い北国で2メートルの積雪の日に、楽屋に出番まで閉じ込められていて、外を見たらしんしんと雪が降ってて、誰も来ねえよ、今日って思ってたらくるんだよね、人が。最近はじいちゃん、ばあちゃんとかもくるわけさ。あの歌うたってくださいとか言われた日にゃあ、歌わなきゃ駄目だろ。で彼らは俺がライブやってる間、また積雪がひどくなって、家に入る時雪かきをしなきゃいけないわけじゃない。そういう人々が俺の歌を求めてやって来てくれるかぎりは、やめる気はないし、同時にこのバンドでDVD作ってるように、そういう人たちのところに、残念ながらあれだけのスタッフ抱えて行けないから。仕上げて家の中でも楽しめるようにしていかなきゃいけないと思うし。何かステージに立って思うのは、バンドでまわる大都市の人たちの疲れ方と、俺が一人でギター一本持って行く、ほんとに小さい街の人びとの疲れ方の種類が違うのね。大都市の人たちは本質的に疲れてる。と思うし、地方都市の人々は疲れてるっていうよりも、諦めに近い疲れ方をしている。でもどっちにしても疲れてる。そこが俺は問題だなって思ってて、音楽を通じて、ユンケル飲んで無理に元気になるんじゃなくて、人が元気になるって言う理由ってのはさあ、星の数ぐらいあって。例えば俺が山奥で「ランド・オブ・ミュージック」のミキシングをしてる時に、ほんとに下界から隔絶された大自然の中で、誰もいないとこでやってて、飯食う事も忘れて没頭してる時に、何か腹へってフラフラするなあって思った時に、ふっと気配を感じて振り返ったら、農家のおばちゃんが肉じゃがを持ってて立ってたのよ。それは「ハピネス」じゃん。とかね。

T:いいですね。

Y:人の数だけ幸せがあると思うんだけど、自分の音楽がそういうものであってほしいと思う事に関しては何も諦めてない。それは同時に2008年という時代に生きてるからというものであって欲しい。今のこういう活動はすごく楽しい。同時に俺はこのメディアを見てる人にお伝えしたいのは、君が情熱を込めてやっていることが、諦めずに10年間続けられるんだったら、それは本当の才能だと思う。それをやっていると、必ず忘れた頃に、もう駄目だって時にギフトがやってくる。そんなに神様は不公平に、ヒルズ族だけに運を与えてはいない。よーく自分の五感を張って行きていれば、もう駄目だ、きついって思った時に、思いもかけないギフトをちゃんとくれる。それが人生だと思うよ。だからギフトをもらうのを目指して生きてはいないけど、そのいただくギフトってのは年々本質、且つ自分にとって大事なものになっていくと思う。

T:最近の曲は昔の曲と比べて、どう変わってますか?

Y:昔の曲はね、縦書きで読んでもいい歌詞じゃないと嫌だったんだけど、もうどうでもいい。とっても簡単な言葉で、聞いてて風景が見えて来て、捉え方は千差万別で。

T:あと何か次の構想は?

Y:あのね、昔から思ってたんだけど、音楽とともに映画で摺り込まれてるものとかあって。ほんとにいい映画、自分が好きな映画、とにかくやりたい。中々そのタイミングが無くて、今、サントラのオファーがあって、ん〜って考えてんだけど、それも自分の直感を信じるしか無い。俺は監督としての「ショーン・ペン」が大好きで、「インディアン・ランナー」っていう名作があって、それは「ブルース・スプリングスティーン」が書いた、「ネブラスカ」に入ってる「ハイウェイ・パトロールマン」っていう4分くらいの曲にインスパイアされて、彼が脚本を書いたんだけど。「ジャック・ニッチェ」が音楽をやってて。俺の中ではねえ100点なんだよ。こう、ぽよ〜んって音楽が出てくる感じとかね。つまり一つの曲には、2時間の映画に引き延ばしても耐えられるポテンシャルがあると思うしさあ、その逆もまたそうだし。音楽と映画ってもっと有機的に係わる事が出来ると思うのね、俺は。それを求める人がいるかどうかは分かんないけど、今の日本のテレビみたいな、ボルリューム0にしてても内容がわかるみたいな、そういう世界とは全く逆だよ。俺は耐えられない。テレビの音。うるさくて。人の想像力を全部スポイルしてるじゃん。で、俺がCMのディレクターか何かだったら、放送事故ギリギリで無言にするとかさ、そのほうが絶対インパクトあると思わない。

T:そうですね。

Y:押して駄目なら引いてみなって言葉があるじゃん。だから今の日本の主流となってるものと全く逆なのね。でも音楽も全部そうで、マスタリングで、要するに画面にしたって、音の世界にしたって、弁当箱みたいな、フォーマットって有限なんだよ。それを弁当箱みたいに全部詰め込もうとする、ご飯粒を。でも間引いた方がいいと俺は思う。そういう最低の美的感覚がある人がいて、いい脚本があって、ギャラいらないからやらしてくれって。で、まあそれは驕った言い方をすれば、まあ自分が「佐野さん」の言葉を借りれば、次のジェネレーションにちゃんと希望みたいなもの。俺はその為だったら尽くすと思うし。その為だけには生きてはいないけど。自分一人で生きてるんじゃないって言う、そういうところで自分一人で生きてるんだけど生きてるんじゃないっていう。意味分かる?

T:ええ。

Y:インディペンダントってそうだと思うわけ。そういう意味でインディペンダントな人間が、独りなんだけど一人じゃないっていう気持ちを持って。本当の意味で。今の嫌いな言葉で言えば「コラボレート」ていうか。そういう余地はまだあると思う。だからその辺のバランスをみんながね、置かれた分野で考えて、もうちょっとみんなが全体の事考えて。早い話がだってさあ、地球の温暖化っていうのもここ2年ぐらいで、大きな流れを作らないと、もうどうにもならない事、取り返しのつかない事になると思うんだけどさ。いまだに俺たちは今日も車で化石燃料を使ってやって来て、って現実があるわけでしょ?電車乗るのが面倒くせえとかさ。そういうのを含めて考えなきゃいけないと思うし、考える事が次なるものを生み出すと思うし、と思ってんだけどね。まあ、あまりにもみんな日々が大変だっていうところで、どこまで生き生きとイマジネーションを働かせる事が出来るのかっていうのが今の俺にとっての問題かな。

T:(笑)。音楽でも映像でも、一番新しいものが、代表作に?

Y:それは長い人生振り返らないと分かんないけど、そうあってほしいよね。まあ過去にもいいものあったのかもしれないけど、それ作った瞬間にもうどうでもいい事もあるから。まあ作家はリリースするじゃん。後は俺の手を離れていくから、俺がコントロールしようがないって事を学ぶわけだし、そういう意味ではやっぱり次だと思ってる。死ぬまで最高傑作は次のやつって感じなんじゃないの?

T:すでにもう次に形にしようとしてる事はあるんですか?

Y:ああ、ある。あの作家の友達とか映像の友達とかそろそろ巻き込もうかなって思ってる。さっき言った「ハイウェイ・パトロールマン」の映画になったみたいな、そういう係わり方ってありだと思うんだよね。だから初めて自分のキャリアの中では、ある意味コンセプチュアルなというか、一つの歌があったらそれに呼応してる物語があって、映像があったりとか複合的にやる事も可能なんじゃないかって。でもいいかげん俺もインディペンダントでやってきたけど、それが映画館で封切られるものなのか、テレビの人間を巻き込んで、テレビで放映されるのかどうか分からないけど、そうやってやんなきゃ駄目なんじゃないかって思っていて。少なくとも見てもらわないとね。単館の映画っていったって、青森県弘前市に単館の映画館なんてないわけじゃない。見れないわけじゃない。例えばインターネットを使うべきなのかとか、そういう事を考えてる。

T:なるほど。

Y:でも、その青森県弘前市で「奈良美智」さんの「A to Z」っていう展覧会を見た事があって。ボランティア何百人って手伝ってたのか分かんないけどすごかった。彼のエネルギーは。巨大な展示で、巨大だけどものすごく丁寧で、思い入れがあって、街の中に日本中から、世界中から沢山の客が足を運んでいて。人のエネルギーってここまでいけるんだって、俺なんかまだまだって思ったんだ。そういう人もいるよ。そんな大仰な事じゃなくて、今一番好きな作家は生きてる人は誰だっていったら、「よしもとばなな」さんなんだけど、ほんとに些細な事しか起きないんだけど、その中に俺が感じてる色んな事が宝石みたいにちりばめられていて。何よりも好きなのは読後感が、人間って悪くねえなって思うわけ。何かどろどろしてるんだけど、全然こう、「家政婦は見た」みたいな感じにどろどろしないわけ。(笑)それってすげえなって思ってて。そういう人もいるからね。捨てたもんじゃないよ。と未だに思ってる。今はやりたい事が多すぎて、何をどうしたらいいのか分かんないけど、目標はでっかい方がいいじゃん。

T:話変わりますけど、映画とかってけっこう見てます?

Y:ん〜とね、この2、3年は忙しくて全然見てない。

T:映画は、何から見始めました?

Y:「チャップリン」。「チャップリン」が俺の住んでた街のポルノ映画館でやってて、親父が「これはいいから、お前行こうぜ」って、それで「チャップリン」好きになっちゃた。ベタだけど今一番欲しいのは「寅さん」のボックスセット。(笑)「寅さん」好きなんだよ、俺。

T:昔、正月って言ったら。

Y:ねえ。

T:正月は、「寅さん」見に行ってましたね。

Y:「寅さん」もベタだけど、あんなベタなのもうなくなってしまったし。あれはさあ、いいじゃん。こう日本の滅びゆく風景があって。あんなテキ屋の人なんてもういないしさあ。最高じゃん。でもすぐ怒るしさあ、妹最高だしさあ、「寅さん」好きだなあ。

T:想い出の映画音楽って何かありますか?

Y:まあ決定的に影響を受けたのは「イージー・ライダー」だろうね。中学生の時に見た。あれでまず俺の生き方は時計を捨てなきゃいけないんだと決めたから。あんまり覚えてないけど、ロンドンでたまたま時間があって「ジ・エンド・オブ・ヴァイオレンス」。ヴェンダースの映画だった。あれって英語が難しくて全然分かんないんだけど、「ライ・クーダー」が作った音楽がすごくよくて、何かわかるんだよね。そういう楽しみ方ってあるじゃん。字幕もでないから全然分かんないんだけど、何か音楽に喚起されて。日本に帰って来て字幕入りで見て、ああそうだったのかって、でも俺は言葉がわかんないのが好きだったみたいな。

T:ええ。

Y:何かが分るってことは、何も分かんないんじゃないかって事があって。だってそのくらいに俺たちの脳みその中はモヤモヤしてるはずなんだよね。それはさ、ネバダの砂漠でやってた時に思ったんだけど、自分の内と外に繋がってるのは同じものだと思ってるわけよ。でもある意味それは自分を深く掘り下げて沈んでいく作業でもあるし。その時間はすごくいいんだけど、戻っていくのにすごい体力いるじゃん。そして、さあ飯を食おうって時には、いきなり普通の人になんなきゃいけなわけじゃん、俺ら。夢遊病者みたいになるじゃない。だからそれはすごい体力いるし、その為には体が健康じゃなきゃいけないし。そういう時に電話とか鳴るとほんとに殺してやろうかって思うしさ。そのモヤモヤしてる、けど確実に何か宇宙の中に見えてる光みたいなものを見てるのも好きだし。それを何とか人に分かる形にしなきゃいけないって思ってるし、それをモヤモヤしたままで、こんな感じでいいんじゃないかって思ってるし。だから分かってくれると思うけど、抽象も具象も無くなってくるじゃん。わかるでしょ?抽象ってのは具象で、具象ってのは抽象で、主観も客観で、客観も主観じゃん。

T:コインの裏表ですね。

Y:そうだね。

T:最近、何か面白い出来事ありました?

Y:何だろうなあ。俺が大好きな青森県弘前市に偏屈なオヤジがいて、食ってかなきゃいけないのに、自分の店を知られたくないっていう奴がいて。「アサイラム」って店。それは強制収容所っていう意味なんだけど。そこは何でもかんでも飲み物が500円で、店主無愛想で。その男がすごく好きでね、俺。店にあるのは巨大なコンピューターのiTunesに入った8万曲の音楽だけなんだけど。いい音質で、音楽が流れる。自然に出来てきたルールがあってさ、好きな曲をかけてもいいんだ、昔のジュークボックスみたいに。検索してさ。ただ、その日来てる客層を読めっていう暗黙のルールがあって。空気の読めないDJは30分ぐらいで、お前駄目ってすげ替えられるわけ。俺が行ったとき、午前2時ぐらいに何故か「ロカビリー」で、何でか分かんないけど「エディー・コクラン」とか「バディ・ホリー」がかかってると、店内が異様な興奮に包まれて、サラリーマンがみんなツイストして踊ってるわけよ。

T:(笑)。

Y:これは面白いと思って、音楽ってすげえって思ったっていうか、そういう事よ。俺が望んでるのは。だから今KYって言葉があるけど、空気読めよって。音楽には力があって、ある種の何かトランス状態にさあ、例えばオランダとか行ったらそうだけど、アムスとか歩いてると深夜中、ズッ、ズッ、ズッって流れてるわけじゃん。ああいうトランスじゃなくて、空気を読んで音楽好きにとってはさあ、何か分かんないけど俺全然ロカビリー好きじゃないんだけど、50年代のロックンロールが、ある日突然その場を盛り上げるとかさあ、そういう事っていうのはこの現代においてもありうるわけよ。それはかなり面白かった。それは多分映画でもあるんだろうし、人の中にはそういうものは確実にあると思うんだよね。それがここ1年の間の中で一番おもしろい瞬間だったかな。まあ客は12人くらいだったけど、みんな老いも若いもトランスしてた。(笑)ロカビリーで。

T:最後の質問ですが、山口さんのこれからの旅について?

Y:自分がついえる時に、俺、後30秒で死ぬなって思った時、俺が完成してるわけがなくて、それでも、これが自分がやってきた形じゃんって思えるようにやるって事なんじゃないかなあって。


T:なるほど。

Y:看護婦さんがすごい名言をはいたんだけど、「今まで沢山死んでいく人々を見てきましたけど、人って生きたようにしか死ねないんです。」って言ったわけ。うわ〜、すげえ!「生きたようにしか死ねない」まあ、あなた死ぬよって言われてから人によって、3日だったり、1分だったり、3ヶ月だったりするわけだけど。そこには生きてきたものが非常に凝縮されてくる。自分だけの死生観ってものを勝手に想像した時に、自分がどうやって生きるかっていうのはすごくわかりやすく見えたっていうか。とにかく自分がついえる時に、これが俺がやりたかった形なんだろうなって言えるくらいに、終わればいいんじゃない。旅をすればいいんじゃない。そのプライオリティーっていうのは、間違っても第一に金ではない、って事なんじゃない。自分が興奮する方にいけてればいいんじゃない。

T:今回は、非常に楽しいお話ありがとうございました。

Y:ありがとう。

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山口洋さんの詳しいインフォメーションは、オフィシャルサイト