プラネタリウム(佐藤史朗+榎本高)

 アコーディオンユニット、プラネタリウム(佐藤史朗+榎本高)へのロングインタビュー。

(2008年6月12日/momentにて/インタビュアー:TERA@moment)





 
 プラネタリウム(佐藤史朗+榎本高)

  Music #66
 
  


    
 プラネタリウム ロングインタビュー

プラネタリウムとしても何かCDを作ろうか、みたいな話になったんだよね。だからリハーサルを始めてから2年ぐらい経っているのかな。で、CDは出来て、皆さんに聴いて頂けて割と好評だったんだけど、そこからライブやるまで又更に1年ぐらいあるんです。

TERA (以下:T):では、宜しくお願いいたします。まずは、プラネタリウムの結成の経緯からで。

佐藤史朗(以下:S):はい。では榎本君、どうぞ。

榎本高(以下:E):僕が喋っちゃって良いんですか? そんなに経緯というほどのことは無くて、たまたま昔から知り合いで、たまたまお互いに暇で、何かやってみようという風に始まったのがきっかけで、それからもう、すでに何となくずるずると続けて10年、と言うのが一番ざくっとした要約の仕方だと…そうなるんではないでしょうか。

S:なんか微妙に違うなぁ。

E:そう?  だからやっぱり言った方が(笑)

S:10年ほど前のある宴席で久しぶりに会って、色んな人と飲みながら話しているときに『最近アコーディオンやり始めたんだ』なんて話をしてたら、その翌日か翌々日に榎本君から電話が掛かってきたんですよ。

E:あれ? そうだっけ。

S;で、『俺暇なんですけど』っていう榎本君の一言で『じゃ、一緒にやろう』って事で。

E:あれ? そうだったけ?

S:うん。

E:要するに、どっちがやって欲しかったかって事を今主張しあってるという(笑)

S:(笑)

E:それが10年前ということで。何となくそれから続いたということですねこれは。


T:最初の1年の活動ってどんな感じだったんですか?

S:アコーディオンっていう楽器を始めて間もない頃だったから、何ができるのか良く分からないっていうところからやり始めてるわけです。アコーディオンって何が弾けるんだろう。アコーディオンとベースで何が出来るんだろうっていうのを探ってたっていう感じだったと思う。

T:プラネタリウムっていう曲ありますよね。

S&E:はい。

T:あれは初期ですよね。

S:初期っていうか、2人で練習を始めた頃に、何の曲やろうかっていう事で色々曲を持ち寄ってやったわけですが、その中の1曲だったんです。元々は加藤いづみさんというシンガーソングライターのアルバム用に作った曲で、歌ものなんですが、雰囲気がアコーディオンに合いそうに感じて。おフランスっぽい雰囲気のワルツで、インストでもいけそうに思って、こんなのやるとどうなるのかなってやり始めたっていう感じですね。

T;バンド名が先なんですか?その曲の『プラネタリウム』が先だったんですか?

S:いやいや、『プラネタリウム』っていう曲は我々より以前にあったんです。

T:その『プラネタリウム』っていうタイトルが?

S:はい。

T:成る程。

S:『プラネタリウム』って曲のタイトルは、加藤いづみさんのプロデューサーの高橋研氏がつけたんです。詞も彼が書いたわけですけれども。で、その楽曲が加藤いづみさんのアルバムに収録されていた訳です。それは我々ふたりが一緒に音を出し始める前の話なんです。それで、ふたりで「どんな曲やろうか」なんて曲を探しているような時に、あの曲やってみると面白いかなぁっていう事で、やり始めたということです。

E:その頃は別に、バンド名という程のものは特にそんなに考えていなかったかも。とりあえずなんか、リハーサルで練習しようよみたいな。何かその、ユニット名とかあった方が良いんじゃないなんて話になった時に、本当は別の名前を考えていたんですよね。ところが、その名前が違うバンドでもうすでに使われちゃってたっていう事が判明して、でもなんか名前があった方が良いだろうということで、何となく、語感も良いし、『プラネタリウム』で良いか、みたいな。そんな感じでそういう風になったんじゃないのかな。違いましたっけ?

S:バンド名は、CD作るにあたってどうしようかっていう事になったんだよね。

E:そうだっけ?

S:うん。

T:CDを作るのはすぐだったんですか。

S:すぐじゃないですよね?

E:2年ぐらいしてから作ったと思いますね。


T:じゃぁライブで曲がどんどん出来てきてっていう感じですか?

S:いやいや。

E:ライブをやったのはまた更に後なんで。


T:あ、そうなんですか。

S:そうそう。

E:もう一回整理すると、初めリハーサルだけでずっとやっていて、リハーサルをやってたらやっぱり、CDみたいなのが有ったほうが良いよね、っていうことになって。ちょっと横道にそれますが、その頃、別の自主制作CDを僕が作っていて。今みたいにそんなに簡単にCD作れる状況では10年前は無かったんですが、やってみると思っていたよりもいい感じに作れたんです。で、そんな話をしていたら、じゃあプラネタリウムとしても何かCDを作ろうか、みたいな話になったんだよね。だからリハーサルを始めてから2年ぐらい経っているのかな。で、CDは出来て、皆さんに聴いて頂けて割と好評だったんだけど、そこからライブやるまで又更に1年ぐらいあるんです。

S:ライブをやるにあたって、パーカッションの参加っていう事になったんだよね。

E:ライブをやりたいから入ってもらったんだっけ? そこはなんか曖昧かもしれないけど、結局彼が入ることになってライブをやるようになった。何年間かその後はパーカッションが居たんですよね。何年だったんだろうな。HPとか見れば正確な年代は分かるんだけれども、ライブの一番初めのヤツも2000年ぐらいなのかな。

S:うーん。かな。一番最初は自由が丘のイベント。

E:あ、そうだよね。

S:あれが夏でしょ多分。

E:あれと一番最初のMANDA-LA2は接近してたよね。

S:その年の秋だよね。秋か、冬の初めか。夏に自由が丘の商店街のあちこちでライブをやるっていうイベントに出て、そこで初めてパーカッションを含めた3人でライブをやったんですよ。それが最初。で、ライブハウスはその年の秋か冬。


T;その後の2ndアルバム以降っていうのは、曲作りのタイミングみたいなものがあるんですか。ライブと平行して?

S:あんまりはっきりは覚えていませんけど、1枚作って、じゃあ次だみたいな。なんとなくある程度の時間が経つと作りたくなるっていう事だったんじゃないのかな。

E:あんまり明快な作戦とか、ヴィジョンとか、そういうものがある訳ではなくて。『作ってからぼちぼち1年半経ったね。じゃぁ作ろうか』みたいな。こういう風に作らなきゃならないって決まっている訳では無いので、だからそういう自由な気持ちの盛り上がりと共に。結局でもそれが、大体振り返ってみれば2年ずつぐらいの間隔になっているみたいですね。


T:今、割とバンドじゃないですか。それはだんだんバンド編成にしようみたいになっていったんですか?

S:まぁそういう風にしたくなってきたんだろうね。パーカッションとやっていて、感じた物足りなさとかそういう事がきっと、ああいう編成になったんだと思いますよ。で、その頃の僕の考えはやっぱりアコーディオンの音楽にありがちでないスタイルが良いと思ったから。パーカッション、ベース、アコーディオンって有りそうな感じがするけど、もうちょいロック寄りの編成のアコーディオンの音楽っていうのは、僕の知る限りあんまり無かったわけですよ。だからもうちょっとロック寄りの感じが良いなぁ、というところからそうなっていった。榎本君もきっと、もっと低域のズシンとくる感じが欲しいというところから、ドラムが欲しくなってきたんだと思うんだよね。だんだん流れでそうなったっていう事だと思うんですけど。

T:曲が出来る時っていうのはリハーサルなんですか。どっちかが曲が出来た時にふと一緒にやるっていう感じなんですか。

E:95%くらいは史朗さんの曲なんで。それは史朗さんに聞いたほうが。

S:最近の場合はバンドスタイルっていうことが凄く頭にあるから、そのリハーサルで作っていくっていう意識があるけど。その前は、初期の頃は2人でしこしこ多重録音してたから、ちょっと違う作り方だったと思いますね。今はもっとライブ寄りな曲の作り方になっている。前は宅録系だから。


T:場所はどういうところで録るんですか?

S:CDのレコーディング? それも時期によって違います。

T:最初は?

S:最初は榎本君の家だね。

E;1枚目2枚目っていうのは完全に家内製手工業的。多分だからCDの音源の中で外でやったって言うのはマスタリングぐらいで、ミックスに至るまで…1枚目2枚目まではミックスも僕がやっているし、録音も殆どうちか史朗さんの所。所謂レコーディングスタジオっていうものは一切使わず録ったんです。ミックスだけ3枚目は外のスタジオでやって、少しずつそういう意味では、それに関しての活動の幅も広がっていて。今やっている4人が全員スタジオに入って、全員がせーのでドンと演奏するっていうスタイルを初めて出来たのは、4枚目の『No Border』というアルバムからなんだよね。3枚目もドラム入っているけど、それは僕らが先に録ったものに後からドラムを加えたっていう形なんで。


T:『No Border』は割りと一発録り的な感じなんですか。

E:先に素材をこさえておいて後からそれに被せたのも何曲か有るし、殆どスタジオライブ的な状況でドンと録った曲も何曲かありますね。本来なら、時間が有り余るほど使えるなら全部ドンでやれば良いんだけど、なかなかそうはいかないので、初めに録れるものは自宅で録っておいてみたいな形と平行してやったんでしょうね。

S:機材の変遷も結構笑えるね。


T:機材?

S:うん。最初はVSだよね。

E:あぁ、そうだね。ローランドVS880。

S:VSと、うちはA-DATだった、あの頃。

E:あぁ、そうだね。1stアルバムはそうだった。

S:1stは、VSで録音されたベースの音をうちのA-DATに流し込み、で、うちでアコーディオンをひとりでしこしこと録音する、みたいな。

E:でも本当に1枚目の全部で5曲くらいあるうちの殆どは、二人とも一緒には演奏していないっていう訳で。なかなか他に作りようが無かったっていうのもあるけどね。
でもお互いに1人でこそっとやるのが好きだったっていうのもあったのかもしれない。


T:CDがドイツでリリースされたんですよね。その経緯を改めて。

S:何枚かCD作って、なんかもうちょい展開したいなという思いから、色々な人に聴いてもらう訳ですが、そういう中にとある音楽出版社の人が居て、その人に聴いてもらって、『どうにかならんですかね』と聞いたわけです。その音楽出版社っていうのは海外の音楽作品を日本に紹介したり、日本の音楽作品を海外に紹介したりというようなことをする所で。『こういうのは海外で受けたりしないんですかね』っていうような感じで聴いてもらったんですけどね、『どうかなぁ、ま、駄目だと思うよ』とかいう話だったの(笑)。で、しばらくしたら、ドイツの音楽出版社でちょっと興味を持った人が居たということで。その人が『ドイツにはアコーディオンの音楽はたくさんあるけど、ちょっと柔らかいタイプの音楽が多くて、プラネタリウムのようなハードなサウンドのアコーディオンミュージックっていうのはあんまり無いから、興味持つレコード会社は有ると思う。』っていうことで『探してみよう』って。で、程なく、ハイパーテンション・ミュージックというレコード会社が、インディーズですけれど、『うちでやりたい』という話をしてきた、という事なんですよね。

T:それが去年?

S:去年の秋に契約したんだっけ?
 
E:いやいや。発売が去年の秋だから。

S:あぁそっか。あ、じゃあ去年の初めぐらいに…

E:春ぐらいかに、一応書面上の契約みたいなのは。夏前ぐらいにそういうことをやっていた気がします。話は一昨年の秋ぐらいから始まってるんじゃないのかな。ちょっとはっきりは覚えていないけれど。展開としてはゆっくり展開していってっていう感じだったんで、それぐらい前だったかもしれないですね。始まりは。

S:ちょうど『No Border』のレコーディングしている時に…

E:だとすると一昨年の春だね。だってレコーディングは3月だもんね。一昨年の。

S:だってなんか、『その音があがったらそれも向こうに渡して』とか、そんなことを言っていた記憶があるんだよね。

E:あ、そうだね。それは、確かにあった。『ギリギリで間に合いますね』なんて言ってたから。だとすると一昨年の秋ではなく、一昨年のもう、3月とか2月ぐらいに始まっていたんだ。


T;当初はその『No Border』の中からの曲っていう感じだったんですか?それともベスト的な?

S:いや。その形もまだはっきりしていなかったんじゃないかな。最初は。

E:話していて思い出してきたんだけど、全作品を送って、向こうも向こうなりの好みというかがあって、同じ一枚のアルバムに入っている曲でも、こちらとしてはこれは良いと思うけどこれはあんまりどうでしょう?みたいなのがあって。それをなんかセレクトしていくような形にして、ベスト盤的な形にするのが良いのではないでしょうか、なんて形に自然と流れて行ったんだろうね、多分。僕らのCD自体、曲がフルCDでは無いので、1枚が5〜6曲のものなんで、向こうとしてはやっぱり、10何曲入っているものが作りたかったっていうのもあったのかも知れないですよね。まぁでもそれは、お互いにとってよろしいんではないでしょうか、という話だったんだと思いますよ、多分。


T:じゃあ、ある程度向こうがチョイスしてっていう。

E:曲は向こうがチョイスしたんだっけ?

S:うん。で、最終的にこれよりこっちの方が良いんじゃないですかっていうのが1曲。

E:1曲だけ差し替えてもらったんだっけ。


T;タイトルは何ていうタイトルなんですか。

S:『天象儀』。

T:おお。あえて日本語で。

E:それが向こうからのかなり強いリクエストで、タイトル名に漢字を使いたいっていう。その背景には、ヨーロッパでは凄く漢字というものに対する神秘性というか、そういう注目度が高いと。いうのが一つと。東洋からきたものだという所在をはっきりさせる為には、所謂プラネタリウムっていう英表記よりも、そういったものが入っていたほうがアピール度があるんじゃないだろうか、なんていう感じで。その『天象儀』っていう形で漢字を使いたいっていうのは、向こうのレーベルからのかなり強いリクエストであったという記憶がありますけどね。僕らとしてはちょっと、どうなんだろうっていうのもあったんだけど、それだけ向こうが必要だっていうんなら、それはそれで良いのかなっていう風に思ったような記憶が僕の中にはあるけど。そんな感じだよね。

S:でも、『天象儀』なんて言葉知らないですよね。知らないって言うかさ、辞書引いても出てないよね。

E:寧ろ向こうの人がそういう言葉を知っているって言うのが面白いでしょ。


T;実際にものがあがったのは去年ですか。

S:去年の秋。

E:もうちょっと初めは早い話だったんだよね。やっぱり少しずれこんでいってっていう。


T:上がってきたCDを見てどんな感じでしたか。

S;その前にデザインのやり取りはあって。『このジャケットは無いんじゃない』とか色々そういうのをやって、それでジャケット最終的なデザインっていうのは分かっていたんですが、実物を手にすると、質感とかとてもいいなぁと思いました。最初にドイツの出版社の人と会った時に、何か凄くこのパッケージのデザインとか懲りたがっているような人だったよね。

E:うん。そうね。

S:所謂プラスチックで出来たケースは嫌だなみたいな感じで最初言っていて、パタパタパタって開いていくような、デジパックっていうような形態のを凄く好んでいるような人だったので、だからなんかきっと、そういう人が向こうに絡んでいるからパッケージもいい感じになるんじゃないかな、とは思ってたの。で、あがったの見て、割と良いなと思いました。ただまぁちょっと色合いが地味だなという感じはするけど、まぁ良いかなと。

E:今言った最初の向こうの出してきた案から比べれば、こっちの意向も伝えて。この前も一緒にやってもらったカメラのカナコちゃんとかにも、写真をこっちからもだす必要があるっていうんでライブの写真を撮ってもらうようになって。その写真を送ったりしてっていう。お互いにやり取りしながら進んでいったから、そういう意味では一つの努力の結集。初めから比べると全然良いと思うし、満足できるものになってますよね。写真とか凄く良いと思うし。


T:それは手に入れようとしたら通販とかで手に入るんでしょうか。

S:はい。アマゾンとかそういうところで。『天象儀』と入力していただければ出るんですけれど。ライブ会場でも一応置いてますが、今はインターネットで買った方が安いですね。

T:今年以降、活動に関して何か考えていることとかありますか。

S:どうなんですかね。ヨーロッパツアーが実現するっていうのが一番強い願望なんですけどね。あとはやっぱり、ニューアルバムを出すっていう事ですかね。

E:まぁライブは続けていける限り続けていくという事だと思うし、なかなかやっぱりいきなりメガヒットっていう形のバンドでは多分無いんだろうと思うので、地道にライブを続けていくっていう事かなというのはあるので。それはやっていけるだけやっていきたいって思っているのと。個人的にはバンドサウンドでやってきたものは一つの完成形みたいになっているのかなっていうのもあって、今回こういう違う形でやらせてもらえるのは凄く楽しみなことだし、自分たちの間口を広げていく作業も、また有りだなぁっていうのは思いますよね。具体的にどうこうっていうのが思い浮かぶわけでは無いんだけれど。いい機会、ですよね。ちゃんと喋ってますよ、そっちの事も(笑)

S:史朗さんは前にインタビューでご紹介しているんですけど、榎本さんの他の活動に関してこの場でお聞かせ頂ければと。

E:うーん、あんまり他の活動無いんですけど、所謂『呼ばれれば何処にでも行く』というセッションミュージシャンであることも事実だし、他のギタリストのカノウヨシアキさんとずっとここ一年ちょとバンドっぽい形でやっているし、やれることは何でもっていうのが個人的なスタンスなんで、何でもやっていきたいですよね。でも軸としてはやっぱり『プラネタリウム』っていうのも僕としては軸だし、それもやりつつということでしょうね。これでね『プラネタリウム』で忙しすぎて他のことが出来ないっていうぐらいになるのは、それはそれで理想としてはあるんだろうけど、まぁそうはならないだろうから色んな事を平行してやっていくんだとは思いますけど。


T:それについては佐藤さん何かありますか。 『プラネタリウム』の今後については。

S:最近の思いとしてはですね、もうちょっと僕の技量がアップすると良いな、という思いがあって(笑)。最近は、遅まきながらアコーディオンの練習っていうものが僕の大きなテーマなんです。『プラネタリウム』はきっとね、なんとなくその時の色々な状況に左右されながらも、曲を作りたい、音楽を生み出したいという欲求がある限りはきっと続けられるユニットだと思うんですけど、充実した音楽を作り出す為にもやっぱりもうちょっと上手くなりたいなっていう思いが、最近は切にあるんだよね(笑)。最近の僕のテーマはそこら辺ですね。


T:了解しました。

S:了解されちゃった(笑)

E&T:(笑)

END>>>