新春対談:辻畑鉄也(Picasso) & 水本 諭 (2010年新春)

過去のライブ等を集めたベストアーカイブ映像集「Picasso Video Archives Vol.1」を発表したPicassoの辻畑鉄也さんと、
今年デビューする水本諭さんの2010年新春インタビュー。


(2009年12月某日/momentにて/インタビュアー:TERA@moment)

 2009年新春対談:辻畑鉄也(Picasso) × 水本 諭

TERA@moment(以下:Q)よろしくお願い致します。2010年新春対談ということで辻畑さんと水本さんに来ていただきました。まずですね、二人の出会いから教えてください。

辻畑鉄也:(以下:T)知り合いの山口大学教授がいて、その人の紹介で「いいシンガーがいるから聴いてくれよ」みたいなことがあってね。

水本 諭:(以下:M)そうですね。知り合いの知り合い、みたいな感じでいろんな人を通して、あれいつでしたっけ?

T:二年半前だね。

M:最初は、僕は音楽のプロデューサーっていうのがどういう人か、会ったことが一度もなかった。

T:短パンはいて。

M:そうです、短パンにポロシャツにサンダル。まぁこの人じゃないなって思った人が、そうだったっていう(笑)


T:あのね、俺もね、コイツじゃないだろうなって思ったよ(笑)何か地味に新幹線の駅の椅子に肩丸めて座ってたもんね。水本もビーチサンダルはいてたよ。

M:はいてましたっけ?


T:はいてたよ。

M:まあそういう出会いでした。


Q:それで、出会いからどういう流れに?

T:う〜ん、確か2日後か3日後にライブがあって。うちが今やってる「ペリカントラックス」のライブがあって「それにすぐ出ろ」と。で、出てもらって好評だった。地味だったけどね。

M:地味でしたね。


Q:それが何年前に?

T:2年前・・・。

Q:季節は?

T:夏でしたね。

Q:その日のライブはどんな感じでしたか?

M:なんだろう、よく分からないまま、勢いでそのまま出てくれって感じで出て、3〜4曲やって。でもまあ今振り返ると「地味」の一言かな。少しは変われたんですかね。

T:まあ、すごく変わったと思う。服装が綺麗になったよね。


M:あの時ってどうでしたっけ?


T:結構、すさまじかった(笑)


M:そうですか。


Q:それで、「ペリカントラックス」所属みたいな形になるんですよね?

T:そうですね。当時やろうとしてたことの、山口で新人を発掘して、っていう中では才能的にはピカイチだったし、話とかレコーディングしてるうちに。ミュージシャンとしての学習能力がすごく高かったからこれはすごく伸びるなと。それでまずはコイツでいこうと。でもやっぱり2年かかるんだよね。そこはサクサクっと出来て、っていうわけにはやっぱりいかなかったよね。時間かかった。特にライブに関しては。曲作りに関しては、聴いてその都度ここはこうしたほうがいいんじゃないかっていうのは対応できたとしても、ライブはとにかく回数を重ねないとつかめないというか。特に初期の頃は人を集めるのが大変だったよね。山口は人が少ないし、人が全然集まらないなかでライブやってたからね。

Q:音源的には最初に録り始めたものは?

T:最初は「クローバー」だよね?


M:「クローバー」です。

T:あれは最初からあって、ただ構成を入れ替えたりとかで。


M:ただあの、最初のイントロのジャ―ンの部分に一体何時間、何日費やしたのかっていう。変なこだわりがあって。


T:こだわったね。頭のジャ―ンのコードを何にしようかって。いろんなコードを重ねて、だからちょっとよくわかんないコードになったよね。

M:そうなんですよね。


T:でもそういうこだわりは必要だなぁと。面白いことだからね。


Q:あの、3曲入りのCDですか?

T:そうそう。で、「月が笑う」という曲ができて、そっちの方がライブの評判がよかったんだよね、知り合いの中で。で、地味だけどそれをメインにしようか、みたいな。ほんとはシングルで、一年以上たつけど、それでいろんなことが決まるといいなっていうくらいの気持ちだったんだけど、なんせ社会状況がリーマンショック以来業界的にもかなりひどい状況だったので、なかなか決まりづらくて、こいつついてないなって思ったけど、粘ってねばってここまで来たっていう感じだよね。

M:ほんと粘りました。


T:あくまでも最初のシングルは名刺代わりでいろんな動きをするためのものだったから、メディアにしかり、東京で動くにあたってのものだったので。それ以降すぐ作ろうと思えば作れたんだけど、まずちょっと待とうと。待つのがいいのかどうか、ちょっとわからないけどね。

Q:活動はライブがメインに?

M:そうですね、とにかくライブをやって、今ありがたいことに山口のほうでは定期的にお客さんが付いてきてくれて。で、その人たちのためっていうのもありますし、新しいお客さん獲得のためにというか。とにかくライブをすることですね。


T:でもやっぱりなかなか周知させていくっていうのは地方では難しくて。メディアを使うにしてもメディア自体音楽番組がなかったりとかするので。それで東京にもってきていろいろ動くけどなかなか腰が重い社会状況だったりして、これっていいと思ってるのは自分だけかなぁみたいなことを思いながら孤軍奮闘してた2年だったかなあ。ここにきていろんな人が認めてくれてね、先日のライブも好評だったし。その、いいと思ってるのはおれだけかなぁって言ったじゃないですか。僕は本人として正直、自分は曲かいてこれはいいと思ってるけど、自分だけなのかもしれないなって思ったこともありましたね。うん、それはね、水本のほうがそう思うと思う。なんでかって言うと、おれは今までいろんな人を見てきてるから。どう考えたってこれはすばらしいよねって思うのに比べる物があるわけ。でも水本の場合ないから、ほんと「自分だけかな」って思ってただろうなぁと。よくそれで、続けるのって精神力いると思うんだけど、続けてたなぁと思うけど。他にやることもなかったし(笑)お互いそれに賭けてたからね。

M:そうですね。


Q:来年にかけての動きで今発表できるものって?

T:具体的には言えないオフレコなことばかりなんだけど、かなりメジャーな動きになる予定だし、具体的にも動き始めているので。だから爆発してもらわなきゃ困る。そもそも、地味にじわじわとっていう体制でいってないから、行くんだったらドカンと行こうよってことで、それについてきてくれている人もいるので、面白いことになるんじゃないかなと思います。あと、山口県から出始めて、広島の方でもメディアが全面的にバックアップしてくれる話があって、東京でもこの動きがあって、だんだん山口と東京でじわっと両極端から攻めていくような感じ。面白いなと思います。楽しませていただきますよ、来年は。

Q:モーメントで撮影したコンベンションライブのドキュメントを配信するのですが、あの日のことを振り返って。

M:あんまりおぼえてないんですよね、正直。あの日、当日東京についてすぐライブやったんで、なんか良く分からないままリハーサルがあってよく分からないまま本番終わって。とにかく緊張してあんまり覚えてない。やりきったのかどうなのか自分でもよく分かってない感じでしたね。

T:あとやっぱりそういうコンベンションライブって、見本市みたいなもんだから、今回水本一人のライブだし。大変なのはライブが終わってからだね。終わってからのご挨拶だったりとか、失礼のないようにどうもありがとうございましたとか。ずっとこれ続くよ。

M:でも、それはそういう人たちがいること自体がありがたいことですけど。

T:今はそう思うでしょ?それがそのうちね、違う感じになるんだよ(笑)


Q:来年いろいろと楽しみなことがあると。

T:きっとね、すごいことになると思う。やっとね、自分がいいと思うものにこだわってずっと粘る、で成果がでる。はっきり言っていま、「素晴らしい。なんで今まで山口でしか活動してなかったの?」って言われるわけ。でも「前々からいいから聴いてくれって、ライブもやりましょう」って「一年前から言ってるでしょ」と。でもそういうものかもしれないですね。

Q:動き始めてから回りが目を向け始めるのは普通で。

T:そうなんだよね。こういうことっていうのは、今までの経験からして、動き始めると転がって行くから。


Q:動き始めたってことですよね。

T:そうだね。そうそう。ここからが僕の腕の見せ所なんですよ、大変なんですよ。


M:期待しています。


Q:続いてですねPicassoの話題を。2009年は25周年だったということで今改めて思うことなど。

T:そうですね、ここ2年はPicassoのことよりもとにかく新人を育てて世に出すっていうことに邁進してきたから。ただそれにはPicassoの二人の力ももらったし協力してもらっていろいろやってきたんだけど。考えてみたら25年って四半世紀だからねぇ、あの頃生まれた子供がもう結婚するみたいなことでしょ?だからそろそろ自分たちの作品にも手をつけたいなと思っていて。そのためにも今山口でやってることが成功すれば余裕持ってやっとゆっくりできるんじゃないかなとおもってるんだけど。この2年はとにかく、水本も含めて山口で何かを作り出して世に送り出すっていうことだけで終わった2年だった。ほかの二人には申し訳なかったけど、いやな顔ひとつせずいろいろ手伝ってくれて二人には感謝してます。

Q:12月25日に、Picassoのビデオアーカイブ集が出たんですけど。

T:見ました。


Q:どんな感じですか?

T:これはねぇ、自分の年取った姿はすさまじいなって思うんだけど、他の二人はかっこいいなって思うよ。なんで俺ってこうなんだろうなって思うんだけど、すごく面白かった。それは何かっていうと、初期のころのテレビの映像があって、まあテレビだからかもしれないんだけど、当時自分はロッカーだと思ってたんだけど、ロックスピリットのかけらもないよね。映像を見ると。これはちょっと思ってたのと見られかたは違うなと。でもなんか、今は知恵がついてるけど、当時知恵がないままやってるよさみたいなのがあるなって。とにかく面白い。今回のビデオはほんと面白い、楽しめました。自分のすさまじくなった姿も微笑みながら見ることができました、ぜひ楽しんでください。

Q:客観的に見れるようになった?

T:そうだね。あと、どこでこの映像見つけたのみたいなのもあって、結構なマル秘映像
みたいなのもあったり。ぜひ我が家にも一枚置いておきたいと思います。


Q:Picasso自体の動きは?ライブとか。

T:やっと東京とのつながりの動きが始まってきたので、戻ってこられると思う、東京の方に。だからまた3人が集まっていろんなことをするっていうのもやりやすくなったので。前はいちいち2人に山口まできてもらってたの。でもそれがなくなって割とフットワーク軽くなるのでいろいろなことできたらいいなと。もちろん、今回手がけている水本諭の音楽関係も2人に手伝ってほしいし、Picassoの音楽は常に発表していきたいなと。

Q:なるほど。ひとつ、ファンのワードとして「ロータスイーター」というのが。

T:あったねえ。


Q:幻のままに止まってるんですけど。

T:作品はあったりなんかするんだけどねぇ、結構パワーが要るんだよね、一枚の作品作るって。だから、まとめて作品としてちゃんと発表したいと思ってるんですけど。僕が山口で一人でライブとかもやり始めてるんで、また新しい感じのライブもできるようになるかなと思ってます。

Q:ライブで新曲も是非!

T:そうだね。歌詞が相変わらず覚えらんないんだけどね(笑)がんばります。

Q: ファンの皆さんも期待して待ってると思います。


T: みんなも年とったろうね。と思うけど、まぁ楽しみながら生きていきましょう。


Q:2010年どんな年にしたいですか?それぞれ一言ずつ。

T:2010年、自分にとっては、今山口でやってることが自分の人生最後のプロジェクトになるなっていう覚悟でやってたから、それは爆発させたい。で、後進につなげたい。

M:僕はとにかく社長の息子さんの学費を稼がなきゃいけない(笑)とにかくスタートですかね、僕にとっては。今まではスタート切れてなかったと思うんですよね。そこまで行けてなかった。いいスタート切って、とにかくビッグになること。ビッグになる、ってあまり最近聞かないですけど、そんな感じです。


T:やっぱり、やることの規模のスケールアップの度合いをガンと今年上げないといけないね。

M:そうだと思います。


Q:では、また2010年後半に改めてインタビューをさせていただきたいと思います。

T:その時はもうすごいと思う。指輪してるわ。(笑)


M:金キラ?(笑)


T:もうね、エルビスプレスリー状態。(笑)


Q:(笑)

T:(笑)全身ヴィトンのスーツとか着て、結構、センス悪かったりしてね。


M:来てもらえない状況になってるかも(笑)


Q:(笑)今日はありがとうございました。

T&M:ありがとうございました。


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