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![]() TOUR CLIMAX 2003.5.9 [DVD] (タワーレコード限定販売) 2003.8.6/bounce records/ mochiv-001/¥3675(税込) ■すべて、2003.05.09 東京SHIBUYA-AX収録 オフショット映像も収録 LIVE 2003.5-6.7.9[CD]
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#10 Report:「DSL/ドクター・ストレンジラブ」 NEW ALBUM REPORT PART-1 Live:井上富雄「cajun moon night Vol.3」 Clip:おちあいさとこ『ことば』 Web site:「DR.STRANGELOVE NET」http://dr-strangelove.under.jp/ Web site:「radiofish」http://www.tfm.co.jp/radiofish/ 連載 TERA'S SOUNDTRACK REVIEW /KEN'S BOOK REVIEW / JUNYA'S SELECT GUITARSHOP |
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momentに関連したミュージシャン、バンド等を紹介します。
根岸孝旨
/ Takamune Negishi
現在、待望の約4年ぶりになるニューアルバム、レコーディング中の、Dr.StrangeLoveの根岸孝旨氏の、過去から現在までを辿ったインタビューです。
(2003年10月6日/世田谷momentにて/インタビュアー:TERA@moment)
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楽器をいじって曲ができるっていうタイプではなく「イメージをもって楽器に向かった時に曲ができる」ってうか、先に大体メロディーがもう浮かんでるんですよ。「こういうの」とか「こういう世界観」みたいなのがあって。それがない状態で楽器に向かっても何もできないですよね。それがあって楽器に向かえば、割と順調にできますけど。うん。だから作曲家とかやってる時は、ほとんど楽器なしですね。 TERA(以下 T):それでは宜しくお願いします。まず生まれから教えて下さい。 根岸孝旨(以下 N):生まれは埼玉県、今はさいたま市ですね。 T:そこで育ったんですか? ![]() T:小学校からは? N:隣が小学校だったんで。うち、農家で実家で。 T:えぇ。 N:その隣の小学校に行ってました。 T:その頃は、どういう遊びとかしてたんですか? N:もう川にザリガニ捕りに行ったり、自然多いとこだったんで。 もうとにかくフナを釣りに行ったり、冬になったら、ちょっと古墳みたいなのがあって、そこにいつも、トタン板持って行って、「ソリーーー!」とか言って。すごい活動的な子供でしたよ。毎日血だらけになって遊ぶ、みたいな。 T:じゃあもうギリギリまで遊んで帰ってくるっていう? N:でもうち、ちょっと学校の先生だったんで、ちょっとそれなりには厳しくて。 T:あ〜なるほど。 あ、うちもそうだったんですよ。 N:(笑)ヤバいっすよねぇ。あんまりそういう風に、結構学校の先生って体裁があるから制約が厳しいじゃないですか。そうするとやっぱり枠から外れたことをやりたいやりたいって、ず〜っと思ってて、でもなんか大人になってくるにしたがって、どんどんそうなるって、ヤバいですよね(笑)母親の唯一の教育の間違いはそれだろうなって思う(笑) T:(笑) 兄弟は? N:妹が1人。 T:一緒に遊んだりしたんですか? N:いや、しないですねぇ。 T:まったく? N:まったく。妹と僕は「犬猿の仲」と言われるくらいすごい仲悪かったです。掴み合いケンカとか、別に相談ごととかもしないし。ちっちゃい頃は僕が成績良かったんで、妹がひがんでたみたいなのも、やっぱり当時はあったんですよね。高校ぐらいになると、あいつはちょっとアイドルの追っかけとかやりだして(笑) 結構むちゃくちゃだったですけど。逆に大学に入ったら逆になっちゃって、あいつは真面目になって、今やもう学校の先生やってて2児の母で。えらい真面目です。すごく怒られますね、いつも。 T:(笑)「なにやってんのぉ?」みたいな? N:そうそう。なんか「フラフラしてんじゃない」みたいな。今だに遊んでると思われてるんで。 T:音楽にふれられたのは、いつぐらいからですか? N:興味があったのは幼稚園ぐらいから。『帰ってきたヨッパライ』が大好きで。フォーククルーセーダーズの。あれ声がもう。当時はテープの回転で変えてたらしいんですけど、いわゆる音声変えるみたいな、ケロケロ声で「ファッ、ファッ」とかやってて、子供心にやっぱりあれが面白くて、それで聴き出して。ちょうどスパイダーズが解散するぐらいの時で、僕が小学校に入ったぐらい。スパイダーズって曲を覚えやすいじゃないですか。" バンバンババババババババーン♪"(笑) やっぱりそれで当時やっぱり堺正章さんがバラエティーみたいなのに出始めてて「マチャアキが面白い」って思って、堺正章さんのソロのシングルとか、井上順さんのソロのシングルとかを聴いて。グループサウンズ系を。親はそういうのどちらかというと反対派だったんで、家にはなかったんですけど。近所で聴かしてもらって。うちのすぐ裏に住んでる農家のお兄さんが、古井戸の大ファンだったんですよ。 T:ほぉ。 ![]() T:最初楽器は何から入ったんですか? N:ギターですね。 T:割りと早く、覚えてしまった? N:いや、もう全然。まわりに教えてくれる人もいないんで。その同級生のギターの奴と、2人で見よう見まねで「こうなんじゃねーの?」「あーなんじゃねぇの?」って言いながらやって。当時はキャロルが全盛期だったんで。日本のロックバンドといえば。僕とか、今もそうなんですけど、結構、からまれやすい(笑)気の弱そうなところもあり〜のなんで、当時よく不良にからまれたんですけど、その不良のリーダーが、僕がちょっと「♪ファンキー・モンキー・ベイビー」を教えたので(笑)「♪ファンキー・モンキー・ベイビー」弾けるっていうんで、結構その地元の不良には守ってもらえてですね。俺が財布カツアゲされたっつったら取り返しに。「倍返し」みたいなね(笑)。 T:(笑)音楽が、役にたったと。 N:役にたった(笑)。それで「ギター弾けるといいことあるんだ」と思って(笑)。「自分を守る手段としてのギター」っていうのもありましたねぇ。 T:なるほど。 N:うん。まぁでも、それはあと後付けですけど。あの当時の気持ちが今あれば、今もっとすげぇ上手くなってるなと思うんですけど(笑)。 T:では中学時代は、もうギター三昧で? N:そうですね。ギターですね。 T:高校入ると、何か変わってくるんですか? N:高校入ると、僕、プログレッシブロックに非常に興味があったんで。あれってクラッシックが、すごい関わってくるじゃないですか。ピンクフロイドとかはそんな事なかったんですけど、そのイエスとかキング・クリムゾンとかに興味を持つと、クラシカルな楽器が入ってきたりするんで。ストラビンスキーとかかかってたりするじゃないですか。イエスのライブ、1曲目はストラビンスキーみたいな(笑)。そうすると「クラシック出来ないと自分の思ってるロックはできないんじゃないか」と思って、高校に入って、すぐクラッシックギター部に入ったんですよ(笑)。クラシックギター部に入った理由はただ1つ。そのイエスの「♪ムード・フォー・ア・デイ」を弾ける人がいて、そこのクラブに入った。で、やってく内に、クラシックが面白くなってっちゃって高校2年ぐらいの時はバンドを一生懸命やってましたけど、高校3年になったらクラシックばっかりやってましたね。 T:っていうのは? ![]() T:最初のバンド名は、どんな名前だったんですか? N:え〜とあ〜れは、ひどいですよぉ。言っていいものなのかどうか(笑)。 T: いや(笑)。教えてほしいですね(笑)。 N:僕が付けたんじゃないんですよ!僕はあとから。ベースを高校の先輩がやっててバイクで事故して、それででもイーストウエストに出なきゃいけないっていうんで「誰か弾ける奴はいないか」ったらその深瀬と小田原が「あいつだったら出来るんじゃないの?」って。僕はその当時、ベースなんか真面目にやったことがなかったのを「ベースやれ」って言われて。高校2年の時に、小田原と1回やる時に、ギターじゃなくてベースやってくれって言われて。僕、人にベース借りてやったのが最初だったんですけど。加入するんで「ベース買わなきゃ」ってなって、初めてちゃんと自分のベースを買いました。 T:で。バンド名のほうは? N:ムフフフフ(笑)。言わなきゃダメ?(笑)それ僕が付けたんじゃないですよ。 T:えぇ(笑)。 N:そのフジテレビの深瀬が。「これは言っていいな」(笑)付けてて、 『※猫印牛乳ビンテージ』っていう訳のわかんないバンドで(照笑)。 T:はっはっは!それは結構続いてたんですか? N:いや。そのイーストウエスト出ただけで。その後、活動停止、みたいな(笑) T:(笑)。 N:その後、僕は小田原と大学のやつらと一緒に違うバンドを作って。 T:そのバンドは何という名前なんですか? N:最初は、当時、他にも2つぐらい同じ名前のバンドがあって『The KIDS』ってバンドが2つくらい。 T:『The KIDS』? ![]() T:なるほど。 N:何かその頃はだいぶみんなの目的がバラバラになって。俺はちょうどよく 長田(進)とシータカ(古田たかし)さんと知り合って、で、新しいバンド作ろうと思ってそっち始めたっていう。で、Dr.StrangeLoveになった、っていう。すごい前の話なんですけどね。 T:いつ頃なんですか?Dr.StrangeLoveになったっていうのは。 N:僕がだからサザンオールスターズ始めるちょい前ですからねぇ。 岡村靖幸くんをやってる頃ですから。何年になんでしょう? T:80年の後半くらいですねぇ。 N:岡村靖幸くんの"DATE TOUR"のギターが長田で、その時に長田に「バンドやろうよ」って言ったのが最初なんで。で、その時に違うところからバンドに誘われて、そのドラムがシータカさんだったんですよ。 T:あ〜、なるほど。 N:それでシータカさんに「いいギター見つけたんだけど、長田っていう」っつったら「あ〜、ハートランドで一緒だよ」って。「え〜!話し早いじゃん」って、安易にシータカさんと飲んだ勢いでバンドが結成されたっていう。 T:なるほど。あの、ちょっと前に戻るんですけども、プロになるキッカケっていうのは? N:小田原とやってたそのバンドで、まだ「The KIDS」の名前だった頃かな? それをやってた時に、彼が当時のユイ音楽工房に知り合いがいて。あるバンドのマネージャーだったんだけど、その人が来て「仕事をやらないか」と言われて「ちょっと紹介したい人がいる」って、当時の太田裕美ちゃんのバンドのバンマス。今ヒップランドってう事務所にいる成沢彰三さんっていう人が昔はドラマーで、今でも彼のドラム大好きで「またやんねーかな」とか思ってるんですけど。もうやるわけないんですけど(笑)その彼があの当時、デビューしてたんですよ。そのバンドが解散して、また自分は「セッションミュージシャンに戻る」と。で、「太田裕美ちゃんのツアーやるから、ベースは若い奴に変えたいからお前やれ」って。それが最初。 T:それで、どういう風に流れていくんですか? N:いろいろ有りすぎてうまく言えないんですけど(笑)。当時どうやって知り合ったのか覚えてないんですけど。ユイ音楽工房の流れかな?で、伊藤さやかをやれって言われて。伊藤さやかをやってる時にまた知り合った当時スキンっていう元祖パンクバンド、テレビのオーディション番組から出てきたパンクバンドがあって、ギターの奴とドラムの奴とも何かやりながら、その当時「POW!」になった時にデモテープがナベプロに行ったんですよね。当時ナベプロにいたディレクター、渡辺音楽出版かな?その人から「作曲家やれ」って言われて。その時に書いたたまたまの曲が「結構いいから新人のデビュー曲にする」とか言って。その曲は最終的にプレゼンで落ちて。で、当時織田哲郎さんがちょうど「♪シーズン・イン・ザ・サン」でヒットを出してて、織田哲郎さんと「もう1人作曲家が欲しい」って、その彼に「もっと新しい曲書け」って言われて、「まぁ人の為の曲なんかわかんないけど書いてみる」って、「自分のバンドっぽくないな」と思いつつ、書いた曲がその新人のデビュー曲になって、それからあの当時は、アイドル歌手とかアニメの作家みたいなのをやってましたねぇ。当時からポニーキャニオンとかにも出入りしてたし、おニャン子関係の曲とか書いてたんですよ(笑)。 T:その頃は、バンドよりも作家っていう感じですか? N:いや、バンドもちゃんとやってましたよ。ずっと。やっぱりバンドがあって、じゃないと、どうも何かこう仕事になると、やっぱり何か自分でも違うなぁって思うし。バンドっていうか、自分の活動をやってないと仕事に反映されないってゆうか。今もそのバンドをやる度合いが上がると、どんどん収入が減っていくっていう(笑)まぁ、当たり前と言えば当たり前な。自分のバンドで、ほんとはこう成功したいっていうのがずっと夢だった。「だった」っていうか今も夢なんですけど(笑)どうして自分のバンドでは食えないのかなぁ。そんなに難しいことやってる訳じゃないんですけどね(笑)。 T:途中「POW!」が、活動が中止になったりっていう時がありましたよね? で、また復活とか。その頃の活動っていうのは? N:そうですねぇ。20代の半ばぐらいから岡村(靖幸)くんがやっぱり中心でしたねぇ。岡村くんがとにかく厳しいので(笑)岡村くんの所で当時は色々な事を思ったりもしましたが、今思うと、すごいいい経験をしてたなぁと思って。彼の無理難題をクリアしてて。だから彼のおかげで、長田とも知り合ったわけだし、あと今回参加してくれてる山本拓夫もそこで知り合ってるし、今思えば自分には。当時は「なんか辛ぇ〜なぁ」って思うことが多かったですけど、今思えば、あの当時の頑張りが、今だいぶ助かってるっていうか。今岡村くんに「ありがとう!」っていうところもあるんですけど。 T:あとサザンオールスターズとの活動を話していただけますか? ![]() T:実際にライブをやってどうでしたか? N:いやぁ、緊張しましたよ、やっぱり(笑)。いきなりスタジアムで何万人ですよね。武道館は経験あったんですけど、スタジアムでワンマンなんて経験ないじゃないですか。俺よりもお客さんの方がサザンの事を良く知ってる訳で。お客さんの勢いとかにやられましたね。でも当時はああゆうので、みんなでワーーッてやるのとか憧れてはいたので、最初はすごい嬉しかったですよね。やっぱり日本のトップミュージシャン達とやれるっていうのも大きかったし。 T:それと同時期に「SENCE OF WONDER」の活動がありましたよね。 N:はい。SENCE OF WONDERは、岡村くんをやってる時に始めたんじゃないかな?それはたまたま、難波(弘之)さんとは僕がアレンジちょこちょこやり出した時に、難波さんにキーボードを頼んでて、実はそのスタジオでプログレ好きだって話しで、「そうなんだ」みたいなことになって。レベッカのギターの是永(巧一)とも難波さん繋がってて、是永も「ベースは根岸がいいよ」って言ったらしくて。オーディションやるっていうから「オーディションなんかじゃ僕は受からないから、そんなものやるんだったら僕はいいです」って言って。「まぁとりあえず遊びにおいでよ」って言われて遊びに行ったら、もう譜面が用意されてて、「チクショー騙された」と思ったんですけど(笑)。だからまぁ、僕より上手い人はいっぱいいたと思うんですけど。多分、歌も多少できるし、多分、当時一番若かったと思うんですよ。「一番おもしろそうだ」って事で、やり出したんだと思うんですが T:具体的に参加してみてどうでしたか? N:あ〜。「難しいな」って思いましたね(笑)。あの時期はいっぱい練習してましたね。あとサザンも入ったばっかで曲いっぱいやらなきゃいけないし。もういきなり34曲とか渡されちゃいますからね。「え゛ぇ!?」みたいな(笑)。目が点でしたね。あの当時が一番ベース弾いてたんじゃないですかね。練習するとかに関わらず「もうやらなきゃ追いつかない」みたいな感じでしたからね。今みたいに何とかなるだろう、みたいな考え方なんかなくてですね、ほんとに練習してましたよ。今あのぐらいやればっていうかやらなきゃダメですね。練習します。はい、すいません。 T:もちろんその頃はすでに「もう楽器はベースだ」っていう感じだったんですか? N:やっぱり最初にベースでお金をもらうようになってからは、もうやっぱり「ベーシストだ」っていう。ずっと20代入ってからはずっと。10代の時はそんな事、考えもしなかったですけど(笑)。何か、スーッと運良くプロになって、運良くここまで来てるっていう感じですかねぇ。 T:曲を作る時はピアノですか?ギターですか? ![]() T:譜面には? N:いやぁ、昔から譜面書いてると忘れちゃうんで。譜面は、いまだに苦手ですね。 T:じゃもう即、音楽にしていくっていう感じで? N:そうですね。譜面なんか見てたら忘れちゃうみたいな。でもプロになってからは簡単な譜面は書いとかないと忘れるっていうのもあるんですけどね。うん。でも忘れるようなものは「たいしたものではない」っていうのが俺の信条なんで。はい。 T:Coccoさんのプロデュースなどをされていましたよね。 N:はい。 T:Coccoさんとのコラボレーションっていうか、プロデュースを? N:もともとビクターのディレクターの寺田が20代に入ってからの友達で、彼とは知り合いが長かったくせに知り合って10何年、ほとんどまともに一緒に仕事をしたことがなく。年に何度かは必ず会って、飲んだり帰り遊びに行ったりとかして、「なんか一緒にできたらね」ってず〜っと言ってたんだけど。まぁ、あんまりそういうのもなく。たまたまビクターが沖縄でちっちゃいオーディションみたいなのをやった時に。Coccoは別に何の賞も取ってないんだけど、その当時宣伝やってたセンタくんっていうのが、Coccoに興味を持って「ちょっと東京に呼ぶわ」って。呼んで寺田も会った時に、「この子はちょっと何かしだかすかも知れん」と思ったみたいで。でも当時、詞も曲も書いてなくて。寺田が「君は何かあるんだったら詞を書いてみて」って言って。そしたら1ヶ月くらいで、すごい分厚いやつにいっぱい詞を書いてきて。それで寺田が慌てて電話してきて「ねぎ坊、凄いよ!ひょっとしたら化けるかもしれない」って。でも僕は当時、全然有名ではないので、とりあえずちょっとでも名のある人で、寺田としてはやりたかったみたいで、そういう何人かの人たちとコラポレートはやらせつつも、どうもうまく先が見えないという事になって。柴草玲ちゃんの曲付けて。ご存知のように売れた曲はいっぱいあるわけで。何か凄いいい感じなのに何かが足りないって事になってて、僕がたまたまちっちゃいマンションのプリプロスタジオみたいなところに行って「ここをこうすればいいんじゃないの?」って軽く言った話が、Coccoには凄い何か効いたみたいで。そのまんまデビューアルバムの1曲目に入ってる「♪首」って曲のセッションやったんだけど。Coccoが「こないだのネギって人もう1回呼んで」みたいになって。ところが、もう「インディーズでやる」っていうのが決まってて、SCUDELIA ELECTROの石田(小吉)がやる事になってて。彼が「SPIRAL LIFE」やってる時に、僕がベースやってたんで。その流れで僕がベースを弾くって事になって。したらCoccoに「なんでネギはベース弾いてるだけなの?」って(笑)。「いや、だって俺はそういう風に呼ばれて来てるから」って(笑)。で、寺田に「何で全部ネギにやらせないの?」って事になって。そのインディーズ、TOWER RECORDSのbounceで出したやつの後に「本チャンをやろう」という時に、Coccoの希望で僕になったていう。感じですね。 T:Coccoさんから出てきたものを、全部根岸さんが拾い上げていくっていう感じですか? N:んー、そうですね。曲はもう彼女。世界観も彼女が持ってて、それをどうするか。彼女がどうしていいかわからないから。だから、よく言うんですけど、僕は「通訳」彼女の。音楽やる時の、僕は通訳なんで。 T:その辺りって、やっぱりnanacoさんに似てますよね? N:やっぱ似てますね。 T:そういう感じですよね。 N:うん。 T:で、それをキッカケにずっと関わっていく感じですか? N:そうですね。 T:最初、DSLはインディーズからでしたよね? N:はい。最初、もともとはその前にインディーズのカセットを出してたんですけどね。知り合いのエンジニアが伊豆にスタジオがあって超安い値段でやれるっていうんで、みんなで泊まり込んで。突貫工事のようにバァ〜ッと作って(笑)。それはそれで良かったんですけどね。 T:カセットの後、インディーズがあって。そしてメジャーで、アルバム 『Dr.StrangeLove』を。 N:当時は完全に1曲1曲分業制でしたね。自分がやりたい曲を作って持ってきて、みんなで軽くやってみてうまくいきそうな曲をそのままアルバムとして詰めていくっていう。この他にも何曲もあったんですけどね。 T:世界観みたいなものは、最初から何となくあったんですか? ![]() T:映画のサントラ1枚やってますよね?『鮫肌男と桃尻女』。 N:あれはねぇ「出来るのかな?」っていうくらい時間がなくてですね。 T:その時、映画の音楽は初めて? ![]() T:その年に、アルバム『Twin Suns』を。これはどういうアルバムに? N:はい。『Twin Suns』は長田と俺が、漠然となんですけどね。ちょうどバブルの後の音楽業界の景気がいい時期で、何かこう、まろやかな音楽をやっててもしょうがないと。「何かザラザラした手触りのまんまのアルバムを作れないものか」っていう話をしてて。それでどうなんでしょうね?当時はまだ景気が良かったんで、デモもスタジオで録らしてくれたりしたんで、最初は今回とは逆で、長田がまったく、こう最初のうちはペンがにぶってましてですね(笑)。僕がどんどん先に作るっていう感じでしたね。最初に「♪Love on the Air」のデモデモを、僕が勝手にスタジオに入って1人で演奏して作って、そのデモのドラムとギターとベース。ベースは変えたかなぁ?そのまんまなんですけど(笑)すごいヘタクソなドラムで(笑)。うまくTchad Blakeがごまかしてくれてるからいいんですけど。当時俺も長田もTchad Blakeの作品が大好きで。冗談で「チャドにデモでも送ってみるか」って送ったら「やるよ」って返事が来て。「え゛ぇー?! 」みたいな。「やべぇ〜真面目に作ろう」みたいな(笑)。それで長田がようやく、こう燃えてくれてですね。最初のうちは、「もう長田いいから早く帰ってくれ」みたいな感じだったんですけどね(笑)。 T:全曲、その時に作り始めたっていう感じですか? N:そうですね。それまでの曲は、全部一度オミットして、新しいものを全部やろうって事になって。当時、だからあのライブだけでやってた曲とかもなしにして「もう全部新しく作る」って言って。シータカさんも抜けたから、いわゆる2人だけでやり出そうっていうのがきっかけで。ドラムも全曲自分でできる訳もなく、昔のよしみに「小田原やってよ」みたいな感じで。 T:出来は? N:いや、もう作った時は「も〜すげぇもん作っちゃったなぁ」とか(笑)。今聴くとね、色々ありますけど(笑)。当時は。そりゃそうですよ。『Dr.StrangeLove』出したときもそうですよ。「どうだコノヤロー!」くらいのつもりで作ってますよ、もちろん。今聴くとね「あそこをこうすれば」っていうよりも「ん〜、もっと全体的に」っていうのはありますけど。でもよく出来てると思うし。もうちょっと話題になっても良かったんじゃないの?と思う点はいっぱいありますけどね。難しいんですかね?結構、簡単な事しかやってないんですけどねぇ。やっぱりミュージシャンとしては、まだまだたいしたことない、っていう事で(笑)。 T:で、4年ですかね?今、待望のニューアルバムのレコーディング中ですね。 ![]() T:そのニューアルバムの話については、また今後、あらためてゆっくり聞かせてもらうと言う事で。 N:はい(笑)。とりあえず長田と口裏合わしとかないといけない(笑)。 T:ええ(笑)。 N:二人で違うこと言ってるとまずい(笑)。 -end- 根岸孝旨さんのインフォメーションは 「オフィシャルHP」→http://www.cool-net.co.jp/dsl/ また、アンオフィシャルサイトHP 「Dr.StrangeLove net」→http://dr-strangelove.under.jp/ |
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『moment jam session#1』を終えて映像メッセージ&根岸さんにとってベースとは? | ||||||||
『moment jam session #1 』を終えて
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『根岸さんにとってベースとは?』 |
by ken-G