KOTEZ


これまでに、「KOTEZ&YANCY」として、2枚のアルバムをリリース。
現在、さまざまな活動を展開中の、ブルースハープ奏者のKOTEZさんへのロングインタビューです。

(2005年11月01日/世田谷momentにて/インタビュアー:TERA@moment)









KOTEZ


17才の頃にブルースハープを手にする。
セッションやライブ中、突然割り込んで吹き出すという
自由なやり方で、音楽の輪を広げていく。
その後、F.I.H.ハーモニカコンテストでグランプリを得る。
これをきっかけに本格的にブルースハープをやることを
決意。
22才のときにシカゴに渡り、タング・ブロック奏法を
体験し、黒っぽいブルース、R&B、ソウル、ジャズに
魅かれていく。
様々なセッション、ライブをハードにこなし、
ジャンルに囚われない自由な音楽を演奏する。

主な使用ハーモニカは、
HORNER マリンバンド・クラシック
(輸入元 モリダイラ楽器)
HERING スーパー20、HERING BLUES、
BLACK BLUES
(輸入元 ヤマハミュージックトレーディング)
 KOTEZインタビュー

ライブ終わった後にみんな飲んでたりするんですよ、ミュージシャンとか。当時一緒にやってたベーシストと酔った勢いで、「ここはブルースのライブやってないんですか」って。「今、ここでオーディションライブとかできないですかね」って。人がいっぱいいるわけですから、これは宣伝になるだろうなと思って、「やらせてくれ」って。で、やりまして、そしたらうけたんですね、すごく。直ぐにそこのマスターが次いつ来ますかと。


TERA(以下:T):じゃあよろしくお願いします。


KOTEZ(以下:K):お願いします。

T:まず、生まれと場所から教えてください。

K:東京の調布市の緑が丘っていう、世田谷と調布の間ですね。一番外れのところで生まれました。

T:兄弟は?


K:兄弟はいないですね、一人ですね。

T:小さいころは、どんな遊びを?

K:そうですね、すっごい小さいころ。覚えてるのは、夏になったらクワガタとったり、乗れない自転車を年上の人に教えて、乗り方を教えてもらったりとか、小さい頃はそんな遊びしてましたね。ゲームとかってまだなかったですからね。あっても、ボードゲームみたいな。やっぱりサッカーとかかな。あとプラモデルつくったりしてましたね。

T:アウトドアかインドアかっていうと?

K:小学校4年まではインドア派でしたね、多分。プラモデルとかつくってたり。その後はサッカー、アウトドアになるんですかね。

T:小学校のとき、何か音楽的、楽器的なものって、何かやってたんですか?

K:小学校のときは、全然音楽が嫌いで、小学校低学年のとき、僕らの時代はハーモニカ、やっぱりあったんですよ、リコーダーとか。それで、もう全然下手で。要するに、決まったことができなかったんです。それで、残されて泣きながらカエルの歌一人で。(笑)そういうのありましたよ。

T:小学校の時の得意な学科って何だったんですか?

K:やっぱり、図工ですね。図工とか社会とか。そういうのは得意でしたね。

T:絵をかくとか?

K:絵よりはものをつくるみたいな。うん。

T:その中で、印象的だったものは?

K:よく、いすつくったりとかするじゃないですか。机とかつくりましたね。色を派手な色に塗ったりとか。風船を膨らませて、風船の周りに濡れた新聞紙をつけて、何ていうのかな。そういうのは好きでしたね、何かつくるのは。

T:音楽的には、例えば初めて買ったレコードは?

K:初めてかったやつ、覚えてるもの。小学校の5年、五、六年のころですね、RCですね。RCサクセションの「ラプソディ」ですね。ライブ盤。あれを吉祥寺の中古レコード屋で買いましたね。それ覚えてますね。

T:キッカケとして、ラジオで聞いたとか、テレビで見たとか、あったんですか?

K:テレビで、ちょうど清志郎さんと教授がやってたじゃないですか。「いけないルージュマジック」。あれを見て、「すごいな、何だろうこれは」って。その前に、そうですね、小学校4年の時に、僕、団地育ちなんですけど、団地のやっぱり先輩っていうか、年上のお兄ちゃんとかが、「スネークマンショー」聞いてるんですよ。何か知らないけど、そういうのにすごくはまって。すごく内輪の笑いなんですけど。で、小学校4年のときに、田舎の親戚のお兄ちゃんに買ってもらったんですね、それが「急いで口で吸え」っていうアルバム。あれが一番最初かもしれないですね、欲しいって言って買ってもらって。あれって、音楽も入ってるじゃないですか、ギャグも入ってるんですけど。いろんなバンドの、シーナ&ロケッツなんかが入ってたりして。あの辺が一番最初ですね。だから、Y.M.Oなんですかね、多分。多分そうですね、Y.M.Oが好きで、坂本龍一が出てるっていうんで、多分ベストテンか何か見てたんですね。そうしたら清志郎さんが出てきて。「何なんだ、これは」って。Y.M.OからRCにがらっと行ってという感じですね。

T:それで、買って、聴いた時の印象は?

K:買って聞いた印象は、何か歌詞がおもしろかったですね。清志郎さんの歌詞って、ちょっと想像するとスケベじゃないですか。小学校の僕にもわかるんですね、それが。これはちょっとスケベな歌なんだとか。これは何なんだろうかっていう事になって、聴いていくうちに、RCも全部買って、買えるものは買って聞いて。本とかも買うわけですよRC関連の。そうすると、ブルースとかソウルとかリズムアンドブルースとか言葉がいっぱいでてきて、何なんだろう?って。ローリングストーンズが出てくるんですよ。それをまた全部聞きだすんですね、ストーンズ聞いたりとか。ストーンズ聞くと、「あ、これすごいRCに似てるな」と。それっぽいバンド、日本のバンドとかも聞くようになってきて、それでだんだんブラックミュージックにはまっていったっていう。それが、中学から高校にかけてですかね。

T:中学1年になって、やり始めたこととかあったんですか?

K:サッカーやってましたね。引き続きサッカーやってたんですけど、サッカーも飽きてきて、音楽聞いてたんですけど。それで、格闘技好きになったんですね、プロレスが好きになって。

T:最初は?

K:最初は、やっぱり長州力さんじゃないですかね。

T:あー、なるほど。80年頭ぐらいですね。

K:ですね。半ばぐらいかな。うん。

T:藤波との頃?

K:もっと後ですね。高田延彦選手がまだ若手のころですね。維新軍団っていう、何かわーわー言ってるみたいな。マイクパフォーマンスでわーわー言って、何かこう、おもしろいじゃないですか、乱闘っていうか。わーわー言ってまた来週みたいな。どきどきして、また次の金曜日にチェックするみたいな。うん。まあ、でも音楽は聞いてましたよね、その時に。でもその時は楽器をやるとかっていう意識は全然なくて、うん。そうですね。何かプロレスとRC関係の音楽とサッカーが一緒になってる時代がありましたね、だから。

T:高校入ると何か変わったことは?

K:もう学校行かなくなったんですよね。そのときですね、もうハーモニカにはまったのは。

T:そもそも何が。

K:一番最初は、僕の世代でブルースとか聞いてる友達があんまりいなくて、近くにギター弾いてる友達がいて。彼の家に行くと、いつもブルースとか聞かせてくれるんですよ、いろいろと。その中で、やっぱりクリームって、クラプトンの、ジャックブルースが「トレインタイム」っていうのでハーモニカ吹いてるんですよ。それ、すごいなと思って。あと、清志郎さんもハーモニカ吹いてたし、何かハーモニカっていいんじゃない、安そうだし、簡単そうだしみたいな。そうですね。そんな時期に、ちょうど高校のときに、何か貸し切りでライブハウスで何かやったんですよね。そのときはボーカルでやったんですけど。

T:何を歌ったんですか?

K:そのときはね、チャックペリーとストーンズとRCと、何かその辺のやつ。周りはみんな何かラフィンノーズとか、ブルーハーツとか、レッドウォリアーズとか。

T:ちょうどバンドブームで?

K:バンドブームのときです。ストーンズとか、そんなのやってましたよ。当時好きだった女の子呼んで、見に来てくれたんですけど、「すっごいよかった、爆風スランプみたいで」って言われて、爆風は悪いバンドじゃないんですけど、ちょっとショックで。ありがとうって。というのがありましたね。(笑)

T:その時は、ハーモニカは吹いて、、。

K:そのときはまだ吹いてないですね、その直後ぐらいじゃないですかね。16か17のときですね、ハーモニカ買ったのが。

T:主にライブハウスに出るっていうのは、どういう流れで?

K:自分が出るきっかけですか。それは、やっぱり十七、八ぐらいの時から、とにかく一つの事に、はまるとガーっといくので、渋谷のロック喫茶でバイトしたりして。ハーモニカを練習して、ぴあとか、当時、東京だとシティーロードという雑誌があって、いろいろなライブハウスの情報が載ってて、その中に載ってるじゃないですか、ブルースセッションデーとか、この日はブルースですよとか、そういうのを全部行ける限り全部行きまして、何か本で呼んだんですね。ブルースっていうのは、アフターアワーズセッションとか、そういうセッションで何かジャムセッションで出来上がるんだか、盛り上がるんだかって見て、これは行かないとと思って。結構、いろんなライブハウス行ったりして。ハーモニカ全然吹けないのにライブやりたかったんですね、やらせてくださいって。今考えると無謀なことを。すっごい大先輩のミュージシャンとか、ライブのときにずかずかと行って「吹かせてください」っていうのを結構やってましたね。みんな「生意気なやつがいる」みたいな感じで覚えてくれて。

T:ハーモニカ、練習みたいなものって?

K:練習ですか。そうですね、外で吹いてましたね、やっぱり。公園で。公園で練習して。家で練習するときは、布団かぶったりね、そういう練習方法というか、あと、レコードに合わせて吹く練習。かけながら、自分が持ってるキーのハーモニカで合うかなって、練習しましたね。そのうちハーモニカ、キーが12キーあるんですけど、そのうちだんだん12キーそろえまして、とっかえひっかえやったりとか。コピーみたいなのを結構やりましたね、そのころ。

T:もちろん、最初からうまくはないわけで。

K:そうですね。テクニックは知らないですからね。やってくうちに覚えていったという感じですね。

T:周りの反応とかで知っていくわけですか、自分の実力みたいなものとか、「うまくなったな」とか。

K:要するに、できないフレーズとかできるようになったりして。人前でやっていくと、「あ、うけてるな」とか。何でそれがわかったかっていうと、最初のころはほんと吹けなかったですから、吹けないときにお客さんから「やめろ」って言われたり、「もっと練習してこい」とかって言われたり、すっごいされましたからね、そういうのがだんだんなくなってきたんで、あ、普通に吹けるようになってきたのかなって。

T:それは始めてどのぐらいで?

K:えっとね、やっぱり二、三年じゃないですか。二、三年のうちですね。最初の変化が出てきたのは。教則本とかを買って、読んで、ビデオとか見たりとかしたんですけど、直接習いに行ったことはなくて、日本にたくさんブルースハープを吹く人がいて、そういう人のところ、ライブ見に行ったり、たまに「そこどうやってやるんですか?」って聞いたりして。僕より先輩の人たちは、みんな師匠みたいな部分ありますよね。うん。

T:KOTEZさんは、歌も上手いじゃないですか。歌も何か訓練したんですか?

K:歌は、ライブをいっぱいやったんですよね、結局。とにかくセッションも行きつつ、自分で同い年ぐらいの人とバンド組んだり、週何回もやってましたね。で、スタジオも入ったりしてたし。ずっと歌ってたからじゃないですかね。それで、確立されたというとあれですけど、今みたいに歌ってるっていうのは、その頃から出来上がってきたかな。

T:歌に関して、ルーツとか、こういう感じで歌いたいとかって、最初にあったんですか?

K:一番最初ですか。やっぱり曲にもよりますよね。例えばマディ・ウォーターズっていう人がいて、ブルースの。その人の曲を聞いて、それをカバーするじゃないですか、そういう風に歌いたいと。同じキーで歌おうみたいな。そういう無茶なことやってましたね、最初のころは。そんな声出るわけもないのに。最初の頃は、とにかくキーが同じじゃないとあれだとか、もうそういうのありましたね、変な頑固な感じっていうかな。そうですね。

T:ほかに、歌い方が好きだとか、そういう人は?

K:聞く人は、みんなすべていいなと思いますよ。まあ、でもほんと月並みですけど、サムクックとかすごいなと思うし、やっぱりだから、清志郎さんだったりするんですよね、ルーツは。清志郎さんが好きだからオーティスレディングで、オーティスレディングの師匠はサムクックみたいな感じで。サムクック何やってたかというと、ゴスペルやってたりして、そうするとその周辺の人聞いたりとか。そうすると、サムクックから枝分かれして、ボビーウーマックが出てきたりして。何かそういうに、みんなつながってるんですよ。

T:二、三年たってライブハウスでやって、90年代入ってた?

K:90年代入ってますね。

T:それから、どういう展開に?

K:年に1回ハーモニカのコンテストがあるんですよ、アマチュアコンテストがあって。あるライブハウスのセッションに行ったときに、そこにハーモニカ吹く人が来てて、その人が「こういうコンテストがあるんだけど出れば」って。出たらお金もらえるのかなって。友達のギタリストと一緒に出ようって、テープを送ったんですね。そうしたら「一次予選通過です」みたいな。要するにそのコンテストの、優秀賞を決めるのは、ライブで決めるんですよ。いついつ全国から10組ぐらい集まって。ハーモニカって言っても、テンホールズと呼ばれるブルースハープと、小学校でやるような2段に分かれてる複音ハーモニカ、ダブルリード部門。あとスティービーワンダー、ツーツシールマンスが使うレバーの付いたクロマチック。トリオ等によるアンサンブルとか部門が幾つかあって。まとめてホールでコンテストやるんですけど、それに出まして、周りすごいうまいんですよ、当然みんな。テクニックすごいし、どうしようかって。何か楽しくやろうみたいな。わーってやったら、すごい盛り上がったんですね。おかたいコンテストなんで普通みんなシーンとしてるじゃないですか。僕がこう、「イェイ」とかやったのかな。わーって盛り上がって。それが買われて1位になったんですね、何か。「なんだ一位じゃん」と思って、「日本一じゃん」と思って。今度はトロフィー持って行くんですね、いろんなライブハウスに。今年の1位だからみたいな。そうするとですね、そんなコンテストにも出ない人でうまい人いっぱいいるんですよ。(笑)「何それ」みたいな。漫画みたいな話ですけど、ほんとにそういうのやってましたね。それが21の時かな。

T:で、その後の展開って、どういう感じになるんですか?

K:やっぱり色んな人と知り合うんですよ。ハーモニカですから、飛び道具的な扱いでというか、みんな呼んでくれて。「今度いついつあるから、一緒にやろうよ」って。「行きます」って。「キーは何ですか」って感じでやってました。で、そういうブルースかかる、ソウルかかるお店とかいっぱい行くようになって、ある時どこかでライブ終わった後に、そのメンバーと一緒に「自由が丘にすごいいいバーがあるから行こうよ」って言われて、「すごいいいピアニストがいて、すごいいい店だから」って。酔った勢いでいくんですけど、そこでピアノ弾いてたのが、今、一緒にやってるヤンシーなんですけど、その頃は、オールドジャズスタイルっていうんですか、ものすごい古いスタイルのジャズをやってまして、ブギウギっぽい感じの。白人のギタリストとボーカルの人と二人でやってたんですね、すごいかっこよくて、「いいじゃん」と思って。で、悪い虫が出たんですね、ハーモニカ持ってますから、ライブ終わった後なんで、ばっと吹き出しまして、ステージまで行ってしまったっていう。そしたら、当然そういう場って盛り上がるじゃないですか、変なわけわからないやつがハーモニカ吹き出したら。案の定盛り上がりまして、後でヤンシーに聞くと、「そんなに盛り上がってなかったんじゃないか」って言うんですけど、僕はすごく盛り上がったような気がして。で、毎週来るねなんて言って、半ば強引に自由が丘に、そのお見せに通って。それがヤンシーと出会ったきっかけですけどね。

T:そこから何か変化は?


K: その頃ぐらいからですかね、ローリングストーンズのお手本になったというか、バンドブルースのジャンルっていうか、シカゴブルースっていうのがあるんですけど、それにものすごくはまりまして、どうしてはまったかというと、ハーモニカが一番目立つんですね、そのシカゴブルースっていうのは。大体編成がボーカルとギター2人ないし3人とピアノ、ドラム、ベースにハーモニカがいるんですよ。普通ハーモニカっていうと、フォークチックな感じのが多いんですが、そのシカゴブルースのものを聞きますと、ものすごく目立つんですよ。リード楽器のように。マイクでこう、ハーモニカをマイクもってアンプリファイドするっていうんですけど、普通に吹くよりも、ちょっとドライブしてるような、例えばポールバターフィールドとか、ああいうタイプなんですけどね。シカゴブルースにはまりまして、シカゴブルースだけ聞いてた時期ですね、割と。

T:もう、そのころは、将来的に、これで生活していくぞみたいな。

K:そういうのないですね。なかったですね。よくあるじゃないですか。武道館出るぞとか、プロになるとか、全然ないんですね、そういうのは。とにかく吹きたい。ライブやりたい、うまくなりたいだけでしたね。

T:それ以外のことっていうのは、何かやってるわけですか。

K:やってましたね。親父の関係で、技術関係のバイトしたりとか、あと音楽かかるお店だったりとか、そういうのが多いですね。あと、日雇いみたいなのもやったことあるし。いろいろですね。いろいろやってましたね。

T:ヤンシーとの出会いが90年代の中盤ぐらいですか?


K:そうですね。まあ、いろんな人と知り合って。ヤンシーもピアニストなので、例えばだれだれのセッション、ボーカリストがいて、それのセッションとかにいろんなところから呼ばれて集まるんですけど、そういうところでたびたび一緒になる機会があったんですよ。ハーモニカ僕で、ヤンシーがピアノっていうのが。で、まあ、そういうのがいろいろ続いてて。で、僕の中の意識としては、ブルース、その後か、シカゴに行ったんですね。本場を知らないとだめだみたいな感じで。

T:それは、自分の腕を磨くっていうこと?

K:それもありますね。それもあるし、でも、やっぱり単純に見てみたいっていうのがありますよね。どういう状況なのか。実際、本とかビデオぐらいしかわからないじゃないですか。CDとかレコードで。「ほんとのところはどうなんだろう?」って。シカゴブルースってどうなってるんだって、見に行きまして、あんまり長い期間いなかったんですけど、何かある意味飽きちゃったんですね、何か。向こうでソウルのバンドとか、ブルースのバンドとか、ジャズとか見たんですけど、何かね、ちょっと飽きちゃった部分があって、何なんだろう、日本語の曲がないからだみたいな、よくよく考えれば。当たり前ですよね、シカゴって日本語のロックとかあるわけないし。それで、シカゴから帰ってきまして、シカゴでも当然セッションとかやるんですよ、やって。当時一緒にシカゴブルースを追求してたバンドがありまして、そのメンバーと一緒に、そういう今のシカゴブルースっぽい感じでやるんですけど、自分の中でちょっと飽きが来ていたというか、もっといろんな事やりたいって。別にジャンル限定しなくていいんじゃないかみたいな。そんな時ですね、ヤンシーと「一緒にやろう」って言ったのは。

T:それは、出会ってからどのぐらいたつんですか。

K:結構たってると思いますね。

T:1990年代後半?

K:そうですね、後半ですね。90年代後半ぐらいですね。で、ある荻窪のほうにあるライブハウスがあって、そこがで8周年って言ったかな、それが出き初めての時に見に行きまして、新しいライブハウスができたって。で、行ってですね、そうですそこでも割と乱入的な感じのあれだったんですけど、当然ライブハウスって、ライブ終わった後に打ち上げっていうか、終わった後みんな飲んでたりするんですよ、ミュージシャンとか。僕初めて言った時、当時一緒にやってたベーシストと一緒に酔った勢いでやって。「ここはブルースのライブやってないんですか?」って。やってないです。「僕、ハーモニカで、彼ベースなんですけど、今、ここでオーディションライブとかできないですかね」って。人がいっぱいいるわけですから、これはとにかく宣伝になるだろうなと思って、「やらせてくれ」って。で、やりまして、そしたらうけたんですね、すごく。そこのマスターが「次、いつ来ますか」とかって。「次、いつ空いてるんですか」って言ったら、月曜か何かにあいてたのかな、それも4日後か何かなんですよ、「じゃあ、来ますから」なんて。で、行って、毎週月曜日空いてたもんで、「毎週月曜日来ますよ」って。(笑)で、毎週月曜日、ブルースナイトなんて言って。月曜なんて人が来ないじゃないですか、ほとんど。ミュージシャンも呼べないし、最初のころはいろんな人呼んでたんですけど、人も入らないし、お金も払えないし。どうしようかなと思った時に、ヤンシーと、って思って。ちょうどその頃もっといろんな事やりたかったんで、ピアノとハープってあんまりないし、ヤンシーだったらいろんな事できるし、なんていって、それで百回続けたんですね、その月曜日っていうやつを。2年間ですか、多分。その時期にいろんな人が見にきてくれて。で、たまたま見にきてくれてた人が、CD出さないかっていう話で。それで、ブルースカーニバルって毎年やってるブルースのイベントがあって、「それに出ないか」っていう話があって、「出たいです」って、昔から見に行ってましたからね、やっぱり。憂歌団とかも出てるイベントで。それに出たのが、2000年とかじゃないですかね。

T:CDも2000年頃ですね。

K:2000年か2001年ですね。

T:どっちが最初ですか、CDとブルースカーニバルと。

K:ブルースカーニバル、最初に日本人だけのイベントがあったんですよ、ブルースの。ブルース系の日本人だけのイベントがあって、それに出た後にCDを出しまして、それでブルースカーニバルに。

T:日本人だけのブルースイベントって?

K:ウエストロードブルースバンドと、憂歌団のメンバーといった割とベテランの方から、僕らみたいな。Kyonさんも出てましたね。ブラックボトムブラスバンドとか。そういうイベントがありまして、そうです。みんな、僕らの事なんかほとんど知らないですからね。ネームバリュー的に。で、コテツアンドヤンシーって出て。ほとんどの人がそのとき初めて知ったっていう人が多いですね、後から聞くと。そのときに、やっぱりハーモニカとピアノでやったデュオのインパクトがやっぱりあったみたいで。「あいつは何なんだ」って。ですね、それでブルースカーニバル出て、CDを。ブルースカーニバル2回出たのかな、で、CD2枚出しまして。2003年か、そこらに。

T:CDの制作過程って、どんな感じだったんですか?

K:ほとんどハーモニカと歌を一発どりでやったような気がしますね。コテツ&ヤンシーっていうデュオの名義であるんですが、ほとんどがバンドスタイルっていうか、ドラムとベースと、リハーサルをやって。じゃあ、とりますみたいな感じで。

T:楽曲自体は?

K:カバー曲中心ですね。ヤンシーのピアノとデュオでライブをやっている時はアレンジ変えてやるんですよ。古いブルースなんだけど、ファンクアレンジ、クラブジャズ的にアレンジしてみたり、ピアノとハーモニカのデュオですから、ほとんどヤンシーがアレンジをしてる感じで、僕が「この曲をちょっとファンクでやりたいんだけど」って。「こういう感じで」っていうと、ヤンシーがコードつけてってみたいな。それが毎週実験的にライブで出来たんで、その中で培った独特のスタイルで約音しましたね。

T:タイトルは?

K:「ROAD MOVIE」といいます。

T:どこからタイトルを?

K:「ロードムービー」ってあるじゃないですか、ジャームッシュとか。何かそういうのを見ているようなアルバムにしたかったっていうのかな、サントラ、ある意味サウンドトラックというか、ある意味BGMに近いんですよ。純粋なブルースファンからすれば、こんなのブルースじゃないと思うだろうし、ちょっとジャズっぽい匂いもあったりして、ジャズのファンから言うと。ブルースでもジャズでもない」っていう感じをキャッチコピーにしたんですよね。

T:日本的なものっていうのは?

K:日本的なものが強くなるのは2枚目「ORGANIC MUSIC」ですね。細野晴臣さんのカバーや古いブルースを日本語に意訳した曲など。1枚目が割とクールな感じというか、夜のバーでも聞けるような感じなんですけど、2枚目は結構もう昼間でも聞けちゃうような。ナチュラルな感じですね。

T:リリース後の展開は?

K:やはりインディーズなので、ライブ、手売りっていうのが多かったり、お店によって試聴機に置いてもらうようなところがあったりして。逆によかったのが、ブルースコーナーには余り置かれなかったんですね。J-POPコーナーに入ったりとかして。あるレコード屋さんなんか、ちょうどそのころエゴラッピンが売れ始めていて、ディスク1がエゴラッピン、ディスク2がコテツ&ヤンシーっていう、そういう流れで売れたりとかして。そういうので、結構知ってもらったりとか。ちょこちょこそういうラジオでかかったり等、そういうのがありました。あとは、ドクタージョンのオープニングアクトやった時があって、その時に初めて僕らを知ったっていう人が結構多かったみたいで。

T:どうでした、ドクタージョンは。

K:いや、楽しかったですよ。その前に生で5回ぐらい見てるんですけどね。オープニングアクトなのに結構時間も押してしまって、アンコールまでやるみたいな、ひどい。クレーム来ましたね、やっぱり、それは。(笑)似てないドクタージョンの真似やったりね。それ、うけてましたけどね。

T:それ、映像、何か残ってたりは?

K:あれはないでしょうね、多分。「すいません、遅れましてごめんなさい」なんて言ってるのに、ヤンシーと二人てニコニコしてドクタージョンと写真撮ったりして、その写真ありますけどね。

T:ヤンシーとの活動の流れは?

K:あと、オルダラっていうアーティストのオープニングアクトや、春一番っていう大阪のイベントにも出ましたね。今はなき(高田)渡さんと大塚まさじさんが聞いてて。「あれを日本語でやればいいのにな」って、すごい言われましたけど。その時、カバーでやったんですよ。日本語でやればいいのになって。まさじさんが「日本語でやらなきゃだめだ」って。そしたら渡さんは「何でもいいんだよ」なんて言ってましたけどね。酔ってましたね二人とも。でも、聞いてもらってたなっていうのがすごい嬉しかったですね。で、そうこうやっていくうちに、ヤンシーが割とポップスのフィールドで活躍するようになってきて、色んなところで売れっ子になってきて、去年だっけな、ソロでアルバム出したんですよね、すごいいいアルバムで。

T:それは、同じレーベルですか?

K:いや、違うところです、それは。今でもやってるんですけど、クレイジーフィンガーズっていう、ピアニストばっかりの、Kyonさんとリクオさんを中心とした、ポップなピアノロックバンドっていうんですかね。それやりだしてから、ソロを出したのかな、ヤンシー。

T:コテツ&ヤンシー名義で3枚目は?

K:そうですね。予定はあります。そのうちって感じですね。3枚目ね。

T:ライブ活動は、コンスタントに続けていくということですよね。

K:そうですね。やってますね。ヤンシーともやってますし。あとは、いろんな人のサポートとか、セッション多いですね。で、やっぱり自分が結構いろんなものが好きなので、色々やりたいなと。

T:ライブだけじゃなくて、いろいろいろんな活動の幅が広がっているみたいで、この間ナレーションの仕事とか、ブルースのDVDとか。


K:そうですね、何か、仕事っていうか、人と人をつなげるのが結構多いですね。ある友達がいて、その友達が例えば映画会社の人で、プロモーションの話とか、ある楽器屋さんの人と楽器の輸入代理元の人と合わせて一緒に飲ませて、そこに僕もいるんですけど、こういうことやったらいいんじゃないですかなんて言ったら、それがそのままうまくいったりとか、そういうパイプライン的なというか、そういうの多いですね。

T:あのDVD特典のスケルトンのブルーのかわいいハーモニカね、よかったですよね。

K:(笑)それは。「THE BLUES Movie Project」っていう8枚組のDVDBOXが出たんですが、DVDを出す会社の人が、特典として「何がいいかな」なんて話をしている時に、「ハーモニカとかいいんじゃないの」って。僕が使ってるハーモニカの日本の代理元の人に合わせて、これでいいんじゃないなんていろいろ話をしてたら、それがほんとに特典でついたっていう、そういうマニアックな話ですけど。

T:あれ、嬉しいですよね。

K:単純にね。

T:吹くつもりもない人が吹きたくなりますよね、あのDVD見た後に。

K:そうですよね。要するにDVDを買うとハーモニカがついてくるっていうだけの話ですけどね。ハーモニカは結構みんな持ってるんじゃないですか、でも。一本は。吹けないけど持ってますとか。

T:で、今現在なんですけど、ハーモニカ以外でコテツさんがやりたい事って。

K:以外でですか。楽器ですか。

T:音楽以外で。

K:ありますよ、いろいろ。(笑)うん。いっぱいありますけどね。(笑)言いたくないかな。

T:当面は、ライブ活動が中心に。

K:そうですね。レコーディングと。ライブは好きですよ、やっぱり。生活の一部ですね、ほんとに。平均して10から15本ペースですね。そうすると、やっぱり生活の一部なんですよね、すごく。

T:無理せず、生活しているという感じ。

K:ライブがずっと続いたら、つらいでしょうね、多分。毎日とか続いてたら。無理はしてないですけどね。でもやっぱり興味あったら、すぐ行っちゃうタイプなんで、例えば何かでたまたま例えばテレビとかラジオで聞いて、日本人のアーティストとかで聞いて、これいいな、この人いいなって、このドラムだれなんだろうって気になったら調べて、その人が出てるライブ見に行きますもんね、やっぱり。知り合いになりたいから、知り合いになっちゃうんですよ。(笑)

T:じゃあ、常に今の活動が一番やりたいことみたいになっているんですね。

K:そうですね。あとは、何とか録音をしたいですね、ヤンシーと3枚目を。

T:みんな待ってるんじゃないですかね。

K:そうですね、よく言われますね。待っててくださいなんて言ってますけど。

T:じゃあ、また完成した時に、是非、お話を聞かせてください。

K:そうですね。こんな地味な感じでいいんですか、何かマニアックな。

T:面白かったです、ありがとうございました。

K:ありがとうございました。




-end-

 
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