丸山圭子&石黒ケイ


2006年1月20日に、東京・赤坂グラフィティにて、初のジョイントライブを行なう、
丸山圭子さんと石黒ケイさんの、特別新春対談です。


(2005年12月15日/世田谷momentにて/インタビュアー:TERA@moment)

 丸山圭子&石黒ケイ インタビュー

TERA(以下:T):今回は、対談という事で、お二人で。宜しくお願いします! まず丸山さんから、デビュー頃のお話を。

丸山:はい。私は、デビューのきっかけは、何年っていうのがね、すごくもう、三十年ぐら前で、記憶がうすいんですけど、正確には何年なんでしょうね。昭和の四十七、八年っていう感じですね。その時、十八歳で、あのころニッポン放送で、ビバウタノイチっていう、オールナイトニッポンが主催しているコンテストがあって、それにちょっと高校生の時に応募してみました。で、その最初は、高校生でやってたバンドで応募してたんですけど、それはもうあっと言う間に落っこって。その後に、受験をしながら何か自分のやりたいことを探っているような時期だったので、まさか合格するとは夢にも思わなかったんですが、とりあえず受けてみて、その時に「オリジナルをつくったら、いいんじゃない?」みたいなアドバイスがあって。それまでは、作ってはいたんですけど。

石黒:じゃあ、もともとデビューされるときから、もう、シンガーソングライターの。

丸山:そうですね。それで、たまたまそのときに歌った「しまふくろうの森」っていう絵本を読んで感動してつくった曲だったんですけど、その曲が、ちょっと着眼点もおもしろいっていうか、北海道にね、しまふくろうっていうのがいたんですけど、それがアイヌの狩りの神様で絶滅したんですね。それを童話にしたっていう。今で言うエコ関係の、エコロジーの物語で、その着眼点が多分おもしろかったのかなと思うんですけど、そんなんで自分の曲で優勝してっていう形で。ところが、全く曲もそんなに書いてないし、初めてに近かったんですね。だから、優勝して、エレックレコードっていうところに入って、すぐに「アルバムをつくりましょう」って言われたときには、すごくびっくりして、えー、みたいな。曲もないしどうしようっていう感じで、あわてて曲を作って。(笑)

石黒:じゃあ、もう「レコーディングしましょう」っていうお話から、もう曲をつくりためたんですか?

丸山:そうですね。もうそれまでは本当に、いや、二、三曲ぐらいあったのかもしれないんですけど、全く皆様に聞いていただくみたいな、そういうのは全くないですから、そういう意識もなく、ただ好きでつくってた感じだったんで。そうですね、ただ優勝してから、曲、その曲をつくるのがすごく楽しかったんですね。それで、曲をつくるのってこんなにおもしろいんだっていうのが、味をしめてて、それで結構十曲ぐらいまでは、サクサクとできたんで、でも本当にほとんどそこにあった十曲を入れたっていうアルバムがデビュー作ですね。それがエレックのときに一枚出たんですけどね。

石黒:私は、もっと屈折しているというか、最初はアイドル路線みたいなので、筒見京平さんの曲で一応、高田みずえさんが大ヒットしてたころの時代なんですよ。「硝子坂」。あのころ私も「恋人時間」という曲で、アイドルの人たちがわーっと出るラジオ番組だとか、そういうのに出て始まってたんですね。それで、だんだんみんなアイドルはきらきら輝かなきゃいけないのに、全然どんどん顔は曇ってるし、つまらないなと思いながらやってるから、周りも盛り上がらないし、曲も売れないし。それで、たまたま事務所が山崎ハコさんと一緒だったんですよ。一緒のコンテストで彼女が優勝して、私もソロになってみないかって声かけられて歌手になったみたいな感じなんですけど。だから、アイドル路線で行ったんだけど、アイドル路線だめで、私もやっぱりそのころすごく自分で曲つくりたい、曲つくりたいって思ってて、で、自分でギターを持ったり、ピアノ弾いたりして曲をつくって、シンガーソングライターのほうの道に、そこから行ったんですよ。

丸山:ハコさんはエレックレコードだったんですよね。

石黒:何かジョイントされたこととかは?

丸山:ジョイントは、タイプ違うんでなかったんですけど。(笑)ハコさんの迫力はいつも見せていただいて、すごい人だなみたいな感じで。最近はありましたね。エレック復活みたいなコンサートでお目にかかりましたけど、そうですか。なるほどね。あのころっていうのは、私もなんですけど、ちょうどニッポン放送のコンテストに優勝したときに、エレックレコードっていう吉田拓郎さんから始まったレコード会社と、それからソニーと両方スカウトされたんですよ。

石黒:わー、すごい。

丸山:ところが私は、ソニーのイメージは、ソニーの方にも言ってるんですけど、すごくそのころやっぱり、郷ひろみさんとか、天地真理さんとか、もうアイドル路線まっしぐらみたいな感じで、ちょっとアイドルはねみたいな気持ちになってて、それでエレックのほうについてやったんですけど。それがまあ、すごいレコード会社で、泉谷しげるさんとか、行ってみたらすごくハードなメンバーで(笑)、びっくりしたんですけど。でも、鍛えられたっていうかね、そういう中でおもしろかった3年ぐらいをちょっと過ごしましたね。そうですね、だからアイドルっていう形っていうのは、何か若いっていうか、そういう年齢の女性とかが出てくると、一斉にみんながそういう方向。で、すごくおきれいだったですよね。(笑)何かやたら美人歌手とか、美人シンガーとかって書かれて。

石黒:そうそう、書いてあった。

丸山:それがプレッシャーで、対してそんなもんでもないのに、そういうふうに書かれるっていう、心の中で葛藤がいつもありましたよ。イメージのほうが、膨らんじゃって、自分がついていかないみたいな苦しみみたいなね。

石黒:丸山さんは、何ていうか、芸能界チックの方じゃないんですか?

丸山:芸能界チックじゃないんですよね。だから、結構アウトローな雰囲気でやってたんですけどね。

石黒:何かどうぞこのまま」が大ヒットしてらっしゃったり、結構活動を客観的に見ても、もっと私は芸能人よみたいな感じになってもおかしくないのに、そういう雰囲気ってあんまりないですよね。

丸山:全然ないですね。というか、そういう雰囲気が好きじゃなくて、出身がエレックっていうのが、まず多分もう染みついてるんだと思うんですけど、もちろん泉谷さんにしても、武田鉄也さんなんかもいたんで、今や大芸能人でね、俳優さんにもなられて、もう本当に業界のドンのようになってますけど、でもそのころはすごくメジャーとマイナーの感じだけに分かれてて、どうもメジャーに対しての、ちょっと抵抗みたいなのが、やっぱりあったんですよ。

石黒:じゃあ、丸山さんも結構マイペースな方なんですか?

丸山:そうですね。非常にそういう風に、ファンの皆様には申し訳ないなみたいな。売れてる時に、子ども産んじゃったりとか、そういうことやってました。

石黒:何ていうんでしょう、芸能界の中での野望みたいなのを持ってたわけでもないんですか?

丸山:そうですね。あんまり、そうですね、どうぞこのままっていう曲は二十歳のときにつくって、いきなり売れて、そのアルバムをつくったときには野望というか、このアルバムがちょっと受け入れてもらえない、世の中に受け入れてもらえなかったら、自分はこういう歌でやっていくっていうのは、もう無理なのかなぐらいの覚悟で、何か自分としてはそういう気合の入れ方をして。一枚一枚がどんな形で受け入れてもらえるのかなっていうことに対して、すごく神経をつかってたところがありましたね。というか、歌手っていう部分が、一番苦手なんですよ、実は。

石黒:だって、歌手でしょう。

丸山:ソングライティング、作詞作曲がやりたくて、だんだんそっちが面白くなっちゃって。

石黒:いろんな方に曲書いてらっしゃいますね。

丸山:そうですね。それもやったし、あと、結構とにかく照れ屋で、最初にステージ出たときに、足がたがた震えちゃって、全然だめで。それで、エレックに入ったときに、ケメ君っていたんですよ、昔ね。ケメ君の前座で全国回ったんですけど、そのときにいきなりホールのステージでギターもって歌わされて、ピアノの方がついてくれたんですけど、もう全くアマチュア素人で、足は震えるは、手が震えるは、声震えるはで全然ちゃんと歌えなくて、それがトラウマになっちゃってて、もうその後にそれを抜けるまでにものすごく時間がかかったんですね。「どうぞこのまま」を歌ったのは、その三年後ぐらいだったんで、その間コンサートやったり、ラジオでしゃべったりいろいろやってて、少しずつはなれたんですけど、でも上がり症で、それがクリアできなかったっていうのが、結構あったんですよ。だから、もう、思ったことの表現がステージの上で30%しかできないみたいなことがあったんで、すごい固いとかみんなに言われてね、固いっていうか緊張してるんですけどみたいな感じで。だから、一番歌って表現するのが苦手っていうのが長かった、割と。それで、すごく、売れてからいろいろと。

石黒:吹っ切れて。

丸山:吹っ切れるところまではなかなかいかなかったですね。演出をしてもらったりして、それをこなすが大変になったりして、気持ちいいっていうところまでいかないんですよ、ステージで歌うっていうところがね。で、もう、とにかく必死でやり終えるっていう感じが続いてて。まあ、本当に楽しいななんて感じられるようになったのは、二十代後半の出産して、もう一回出てからですね。出産したために何年か休んだんで、その間に、何年でもない、1年ぐらいですかね、休んだんて、その間にエネルギーがたまって、それでちょっと吹っ切れたっていうか、出産によって吹っ切れたかもしれないみたいな(笑)度胸が。

石黒:力んでね、下半身力んでね。(笑)

丸山:ちょっと変わりますね。そうですね。

石黒:じゃあ、私もそうなのかしら。四十四歳で子どもを産んだんですけど、私四十四歳で下半身に力んで、吹っ切れたのかな。(笑)

丸山:いろんな仕事も含めて。今回は初めてで。

石黒:お会いしませんでしたよね。

丸山:お会いしませんでしたね。

石黒:きょうだって二回目ですよね。

丸山:そうですよね。前も話したんですけど、私のうちにある70年代のFM誌にお写真が載ってて、私も載ってて、それずっとよく見てたんで。

石黒:私も見てました。

丸山:イメージが、やっぱりそこにあるんですよ、私。

石黒:割と黒いジャンパー、革ジャンとジーパンとか、割と男っぽい格好してネクタイしてたりとか、あのころしてて。結構つっぱってて。生意気なところもありました。丸山さんは、生意気なところなかったですか?

丸山:ありましたよ。すごく。すごく生意気だったんじゃないですかね。何かエレックのころ、泉谷さんとかにお前は生意気だとかって思いっきり言われましたんで、結構物おじせずに、ばばばばって思ったことを言っちゃうようなところがちょっと、今でもあるんですけど、割と母親が下町のほうの人なんで、結構そういうところもあるんで。

石黒:私もどっちかというと本音人間で、建前よりも本音っていうタイプで。

丸山:じゃあ、どっか共通するところもあるかもしれないですね。

石黒:そうですね。

丸山:いや、そうですね。私のことばっかり話しちゃったけど、ほんとに。その後は?デビューをなさってから。

石黒:アイドル路線をやめて、シンガーソングライターの道を行って、それでその中で私は丸山さんみたいにヒット曲ないし、とにかくアルバムは何枚も出したんですよ。で、また事務所の中のスタッフの感じだと思うんだけれども、とにかく焦点を絞らないんですよ。ちょっと、ジャズっぽいものでいい線行くと、今度はころっと方向転換して、もっとポップなほうに行っちゃったりとか、そういうことでうまくつくらなかったっていうか、自分もつくれなかったこともあるんだろうし。で、本当に大の不器用で、それで丸山さんもさっきおっしゃってましたけども、私もどっちかっていうと上がり症で、自分をばーんって発揮するほうじゃない、すぐ発揮するほうじゃないタイプで。だから、なんか長い旅だったような気がするっていう感じですね、今思うと。なかなか周りの方との。丸山さんは、スタッフどうでした? めぐまれてました?

丸山:めぐまれてなかったわけじゃないと思うんですけど、考え方の違いっていうのが、やっぱり皆さんあると思うんですけど、ぶつかりあいっていうのは常にやってきていて、やっぱり今になるとわかるけど、おわかりになると思うんですけど、相手が自分に対して思ってるイメージとか、望んでいる音楽とか、そういうものと自分がやりたいということのギャップっていうのは常にあるなっていうのがあって、ところが若いときは、そういうことを自制できなくて、もうとにかく自分がやりたいことばっかりを、こっち行くって言ったら、もうそれみたいな。

石黒:でも、それを一緒にスタッフがついてきてくれたんですか。

丸山:最初は大丈夫だったんですけど、結構「どうぞこのまま」で認めてもらってからは、そこから数枚のアルバムは本当に思いっきりやったんですけど、その辺か、また年齢も変われば、周りも変わればっていう感じで、そうするといろんな要望がまた変わってきて。やっぱり何ですかね、出産してから、女としての歌を歌うっていうことに対してはものすごく大変で、あの時代もあるんですけど、やっぱり子どもを産んで。

石黒:女として歌うのが大変でっていうことは、もう母になっちゃうっていう事ですか?

丸山:そうですね。というか、時代がね、もう子どもを産んで、恋の歌を歌うんですかみたいなのを、女性誌には思いっきりそういうふうに書かれて、それでどうやってそれを、子どもが横に寝てるのにって。

石黒:今の時代だったら、何言ってるのよみたいなね。今は、母親だろうが、何だろうが、よければいいみたいな時代だもんね。

丸山:そうそう。例えばプロモーションで、ラジオとかに出るじゃないですか。そうすると、聞かれることがアルバムの話よりも、お子さんのおむつは変えれるんですかとか、変えますよみたいな。(笑)そんなことどうでもいいでしょみたいな。もうほんとにね、そういうプライベートな質問ばっかりでしたね。それで、しようがないから自分のほうか話を展開して。

石黒:でも、それはやっぱりヒット曲が出た人の感じることよね。私なんかはそういうのは逆にヒット曲がない分だけ、なかった。だけどやっぱり、そう、何ていうの、割と男と女のどろどろっとした歌とかを中心に歌うんで、男とのことはどうだみたいな、そういうことはあったけど。でも、私がばんと大ヒット曲が出てて、売れてるシンガーだったりすれば、もっと追っかけられたり、男と歩いてたらどうのって言われたりしたんでしょうけど、私の場合は割と地味に、何ていうのか、自分のペースでライブ活動をやってたんで、その辺は自由だったところもあるかな。

丸山:多分、男女のことはまだあれなんでしょうけど、母親になるっていうことが、やっぱり世の中の人は、特に日本って昔はもう閉鎖された感じだったんで、奥様だから奥行けみたいな感じだから、本当にすごくそういう部分では、まだまだ風当たりが強くて。私の前に出産したシンガーソングライターは、多分イルカさんだけです。

石黒:イルカさんって、あの方、お子さんいらっしゃるんですか?

丸山:いますね。ちょうど、2年ぐらい私より先輩で、お子さんがいて、もう25で出産したんで、余りに早かったのもあるんですけど。だから、そんなんで。その後は本当にいろんな方も出産もなされば、結婚もしてっていう感じで、今なんかおっしゃるとおり、もう誰かが子ども産んで歌ってても、そんなこと忘れちゃうみたいな、すごく変わってたんで。

石黒:そうですよね。やっぱり母になってから歌う、子どもを産む前と産んだ後って、感性みたいなのは変化がありましたでしょう。

丸山:そうですね。まず、我が道をいきまくってたんで、やっぱり人の心っていうのがわからないで、やっぱり自分自身もすごくわがままだったりとか、ものすごくそういうところがあったんじゃないかと思うし、思いやりも欠けててみたいな。でも、子どもができると、常に人を意識してなきゃいけないものがあるから、やっぱりついつい周りの人のことも気づかって。

石黒:割と、基本的には家庭的な方なんですか、丸山さんって。

丸山:そうかもしれないですね。家にいて、やっぱりうちの家族との時間っていうのをものすごく大事に思ってて、そういうイメージがなかったみたいなんですよ。「どうぞこのまま」を歌って。

石黒:あの歌はね、ほんとに男と女の、そういう歌だもん。やっぱり母でおしめ変えてるなんて、そういうイメージじゃないもんね。

丸山:だから、タモリさんに昔、朝御飯は何食べますかって言われて、ご飯と味噌汁と納豆ですねって言ったら、イメージ違うって言われて(笑)何かコンチネンタルブレックファストじゃないけど、そういうのを食べてる感じとか言われて、そうかもしれないなって。歌の世界の中の自分っていうのは、割とそういうものを出してるのはたしかで、一つはやっぱり自分の中のいろんな要素の中のそういう面を特に出したくて、かっこよくね、かっこいい、今よく言ってるけどハンサムガールじゃないけど、そういう格好いい女の人に憧れてて、それを歌いたかったんですね。だから、もう本当に日常との、俳優さんなんかもあると思うけど、日常とのギャップって絶対あるじゃないですか。だから、そこが結びつくまでにはちょっと時間がかかりましたよね。今は、今のほうがそういう部分では全くナチュラルで、ふだんの自分と歌ってる自分との、ステージの上ではもちろん表現してますけど、でもすごくそこが近づいたんで。

石黒:じゃあ、今が一番いいっていう感覚ありますか?

丸山:そうですね。ものすごくありますね。楽ですよね。

石黒:私も16年間、30歳でぷっつんって切れちゃって、芸能界っていうか、音楽をやめちゃって、それで16年間過ごしてきて、それで歌い始めたでしょう。やっぱり歌に対しての気持ちとか、何か違ってきました。昔は、昔より少しだけ深くなったかなっていうか、考えるようになった。前のほうが何考えないで歌ってたのかなって思えるぐらい、ちょっと、やっぱり年かな。(笑)年の功かな。

丸山:やっぱりそれもあるかもしれないですね。20代って、あんまり考えないかもね、そういうこと。

石黒:1月20日ジョイントしますでしょう。どんなステージにしたいと思いますか?

丸山:そうですね。いつもこのごろは、割と詩を伝えようっていう気持ちが強くて、日本語ってすごく変わってきちゃってるみたいなところもあるので、何か言葉の美しさっていうのを聞いてほしくて。

石黒:そうですよね。

丸山:そういう感じの曲を、このごろずっとステージで歌ってるんで、その辺の曲をいろいろ並べたいと思うし。

石黒:私も割と詩と詩の行間の世界とか、やっぱりじっくり感じるように、最近は少しはなれたんじゃないかなと思うから、やっぱり何かもう大人って言ってもいいんですよね。でも、私、自分の精神的なものがどっか子どものところがあるから。

丸山:一緒ですよ。

石黒:でも、一緒にいるとすごく大人の女性といるなっていう気がするんですけど。私より数倍しっかりしてらっしゃるというか、そういう気がするんですけど。

丸山:全然ないですよ、ほんとに。もう超天然だし。

石黒:何か安心感ありますよね、そばにいると。何か丸山さんといると、何とかなっちゃうかなみたいな安心感。不思議なオーラですね。

丸山:そうですか。(笑)母が長いせいですかね。何かそれはね、よく言われますね。

石黒:ちょっとだけ、この15分間隣に座っただけで感じました、そういうオーラを。丸い山なんで、丸山で、そうですかね。何かホットなんでしょうか。何かね、そういう癒しじゃないけど、自分の中にそういう人に対しての歌うときでもそうなんですけど、何かこう、時間を大事に、やっぱり癒すだけじゃないんですけど、いろんな気持ちを分け合って、さまざまな人の心っていうの中に安心もありだけども、いろんな切なさや寂しさやを含めて、何か思い出してほしい感情ってあるじゃないですか。日常だと、そういうのがついつい出せないっていうことってあるでしょう。だから、たまにこう。

丸山:最近、いろんなものがごちょごちょあり過ぎて、そういうことを思わない。思わないで暮らしてる。そういうところを大切にしたいですね、今度のコンサートね。

石黒:そうなんですよ、すごく何かね。

丸山:で、ご一緒に2曲ぐらい歌を。

石黒:歌いましょう。私が言うのもあれだけど。

丸山:曲はまだここで公開しなくてもいいのかな。

石黒:そうですね。お楽しみっていうことで。私がイメージするには、最初に、私がステージをやりまして、それで終わって、丸山さんをお呼びして、それで一緒に何か歌って、それで丸山さんのステージにお渡しするっていうのがいいかなと思うんだけど、丸山さんはどう思います?

丸山:大丈夫です。

石黒:「よろしいでしょうか」みたいな。

T:最後に、近況、新譜について教えて下さい。

丸山:私は今3曲入りのマキシをつくっておりまして、当日間に合うと思いますので、よろしかったらって感じなんですけど、内容としては、「雨上がり」っていう曲がメインなんですけど、「どうぞこのまま」から約30年、ひたむきな恋っていうものとか、人の気持ちの一途さとか、そういうものを大切に歌ってまいりまして、そのシリーズの本当に集約されたものかもしれないと思う曲です。一人の女性を忘れられない男性がいまして、女性を愛してる男性がいまして、その人に恋をしてしまうというね、非常に切ない恋の歌です。ぜひ聞いてください。

石黒:DVD「KAY INDIGO」っていうDVDが出てまして、それでアルバムは「パンドラの匣」っていうアルバムが出てます。宣伝が下手でどうやっていいかわからないんですけど、そんな感じです。



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【インフォメーション】

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