池上英樹


日本のみならず、フランス、ドイツ等に単身乗り込み、独自のやり方で、幅広いフィールドにて音楽活動を展開。
'06年夏、初の音源としてオリジナルDVDを発表する、打楽器奏者の池上英樹さんのロングインタビューです。

(2006年6月14日/世田谷momentにて/インタビュアー:TERA@moment



 池上英樹・ロングインタビュー
8歳からジャズ、及びロックドラムを始め、バンド活動をしてきた池上が、その後の人生を変える1枚のクラシックCDに出会ったのは高校生のとき。高校卒業と共にパーカッションとマリンバを始め、クラシックを一から学ぶため、大阪教育大学教養学部音楽科に入学。在学中にパリ国立高等音楽学院、パリ国立音楽院へ留学し、世界的に権威あるコンクール、第46回ミュンヘン国際音楽コンクールで最高位入賞。驚異的なスピード受賞となった。その後ドイツ・カールスルーエ音楽大学へ留学し、最優秀で修了。
ヨーロッパ各地での演奏活動を経て、現在は日本(富士河口湖町)へ居を移し、打楽器を通じて音楽により親しみをもってもらうためのアットホームなワークショップ企画や、町の人々との交流を目的として始めた自宅を解放したコンサート(西湖芸術の家コンサート)を企画、現在ではバスツアーも組まれるほどの好評を博している。この他地元での積極的な活動が注目されている。
2004年4月のリサイタル「Performance!!」では満員の客席を沸かせ、6月の佐渡裕指揮、東京都交響楽団定期演奏会ではソリストとして、石井眞木作曲「アフロ・コンチェルト」を演奏し、大成功を収める。ダンスやペイントとのコラボレーションなど、枠にはまらない試みにチャレンジする一方で、確立されたクラシックパーカッショニストとしての評価は高い。洗練された池上独自の色彩感は聴覚だけでなく視覚をも圧倒。2004年度青山音楽賞、2005年度文化庁芸術祭賞音楽部門新人賞を受賞している。

フランス着いて、まず何の身寄りもなかったんですけど、先生に「半年後にコンクールがあるから受けてみたら?」と言われて、それに向けて準備をするんですけど。それが6年に1回の世界で一番大きい国際コンクールだったので、はしにも棒にも引っかからないと思ってたんですけど、一生懸命やったら一番目になってしまったので、それから少し生活が変わったんですよね。


TERA(以下:T):よろしくお願いします。


池上英樹 (以下:I):はい。

T:まず、ご兄弟はいらっしゃいますか?

I:兄弟は、兄が4つ上にいます。

T:兄弟で遊んだりとかは。

I:全くありません。記憶にありません。


T:幼稚園のころの記憶って、何か残ってます?

I:幼稚園は、逃亡癖があって、保育所に車で30分ぐらいかけて行ってたんですけど、その道を3歳のときに歩いていって、その幼稚園の近所の子供の家で遊んでいたという事件があったのを覚えています。

T:小学校入った頃、何か習い事とかは?

I:小学校。バレーボールを、地域のクラブチームみたいなのに入ってましたね。

T:どんなお子さんだったんですか?

I:(笑)小学校は、半ズボンはくんですけど、半ズボンはくのが嫌で、何かジーンズとかはいたり。あと、ランドセルが嫌だから、何ていうんですかね、大学生が持つような鞄を持ったり、すごいマセガキでした。

T:何か部活とかってあったんですか?

I:小学校の時は、卓球部とかバレー部とか入ってましたね。

T:音楽にまつわる思い出ってありますか。


I:小学校の2年か3年のときに、テレビで「ちびっこのど自慢大会」っていうのでバンドをやっているチームがいて、それでドラムをやりたいなと思い出したのが初めなんですよね。

T:それを見て、早速何かやってみたこととかって。

I:小さい頃は、お年玉もらっても使わないで、親にためてもらっているのを幾らあるか聞いて、そのお金で子供用のドラムセット買ってって言って、すぐ買ってもらいました。

T:その後は。

I:買ってもらった後は、教本とか買って自分でどんどん練習してましたね。


T:最初、何か曲をやるんですか。

I:親から多分聞いてたような、リチャードグレイダーマンとかを聞きながらコピーしたり、あとは、おかずの練習をしたりしてましたね。

T:一人でたたいてるだけでなく、誰かと違う音を入れたりとかは。

I:小学校の頃は全然そういうのなくて、中学に入って、いわゆるブラスバンドが夏か秋にポップスみたいなのをやる時にドラムがいるというので呼ばれて、何かやってましたね。

T:中学の時からバンドを。

I:そうですね。

T:その頃、聞いてた音楽って、どんな音楽なんですか。

I:中学のときは、多分、ボウイとかだと思います。

T:バンドブームみたいな時期?

I:ブームですね。

T:洋楽とかは。

I:うーん。思い出すのが全然ないんですけど。全然ないですね。ラウドネスとか、アースシェイカーとか、日本の。

T:ロックっぽい感じで

I:ハードロック系ですね。

T:歌を歌ってみようとか、そういうのは。

I:なかったですね。

T:ドラムっていうか。打楽器のほうに?

I:そうですね。

T:高校入ると、何か活動的に変わってきたんですか。

I:高校入るとバンドをもっとやり出して、プロ志向の大人たちの人たちに混ざってやってましたね。結構それでライブとか出たりしてました。

T:バンドはオリジナルバンド。

I:とか、Xとか。カバーを。

T:初めて結成したバンドの名前とかって。

I:全然覚えてない。(笑)全く覚えてない。

T:いろんなバンドを掛け持ちしてたんですか。

I:そうですね、はい。

T:まだ仕事ではなく?

I:仕事ではなくて。

T:勉強と音楽活動は、どういう配分に?

I:高校の時は、普通にバイトもしてたので、学校も多分半分ぐらいは行ってたと思うんですけど。その時期になると「わーっ」とそっちやってって感じだったでしょうね、多分。

T:高校卒業するころって、将来の事とか考えたりすると思いますが。

I:大学入る時は、仏文科に行きたいと思って、別に大した理由じゃなく服が好きとか、そういう理由だったと思うんですけど、そこで1個しか受けなくて落ちて、何にも後のことを考えてなかったので、途方に暮れたんですけど、その時に「もう一回ちょっと音楽でやってみようかな」とか思ったんだと思うんですよね。

T:具体的に行動した事ってあるんですか?

I:具体的には、その時にちょうどリンクして、クラシックのバイオリニストのCDを知人から聞いて、「いいから聞いて」という風に言われて聞いてみて。すごく衝撃受けて、それで何か一回まじめにやるなら、そういうクラシックというか、理論的な事も勉強しなきゃいけないんじゃないかと思い、クラシックの音大に入るための予備校みたいなところに入りましたね。

T:それは高校出てすぐですか?

I:落ちたから、出た時、すぐです。

T:そこはどういうところなんですか?

I:それは受験の為のピアノとか、歌とか、ピアノで流した音を楽譜に書く訓練とか、そういう受験のための勉強ですね。

T:そこに行って何か発見したものとか、新たに考えた事とかあるんですか?

I:いや、特に。するっと、苦労しましたけどね、もちろん。何も知らなかったので。でも、その時は超苦学生で、新聞配達とかしながらその授業料を払い、四畳半の家で寝てみたいな。1万円ぐらいの練馬の上石神井というところに住んでたんですけど、そういういわゆる何十年か前の苦学生のような生活を地で行きながら、そういう勉強をしたっていう思い出があるけど、生活は苦労したけど音楽はそんなに。

T:それは1年間ですか。

I:1年間です。

T:そこを出て、何か始めた事は。

I:そこから、一応音楽大学。大阪の方なんですけど、そこに受けて、そこがひっかかって、そっから大阪の方に行く事に。

T:そこの学校で、まず何かした事は?

I:そこで先生がマリンバという楽器専門の先生fだったので、マリンバをほとんどやった事がなかったんですけど。それまでドラムばっかりだったので、そこからマリンバを始めてっていうのが、今までと違う事ですね。

T:それはたまたま、その先生がマリンバだった。

I:先生がたまたまマリンバだったっていうとこが大きいと思います。でも、クラシックに入った時のキッカケが、バイオリニストの曲を聞いていいと思ったので、どちらかというとリズム系というよりは、メロディなんですよね。そういう旋律。それに「すごい美しいな」とか思ったのがあったので、太鼓だとそういう事が出来ないから、そういうものをやりいたいなと、曲でも思ってたので、それがマリンバという楽器で出来るというような感覚だったと思います。

T:練習過程なんですけど、割とつかみがよかったとか、そういうのは。

I:「いけるかも!」とか。うーん。最初は本当に出来が悪くて、しかも苦学生だったので、学校にあんまり行けず、バイトばっかりして練習も1週間に1時間ぐらいしかしなかったような生活だったんですよね。だから、3年ぐらいまではそんな感じで、音楽をやっているというか仕事してるって感じだったんですよ。そっからだんだん少しずつ生活より音楽の方に興味が出てきてっていう感じです。

T:学校は4年間ですよね。残りの1年間っていうのはどういう感じだったんですか。

I:バイトばっかりです。ひたすら仕事ばっかりですね。

T:大学出る頃に何か?

I:出る時に、コンクールがあって、日本で一番大きいやつで。それを受けてみようと。そんなバイトばっかりしてないで、1回真剣に練習して、受けてみようと思って頑張ったら、3位だったんですけど、その時は必ず1位になると偉そうに思っていて、それですごい言葉だけで言うと傲慢な感じなんですけど、「何で?」っていう感じで、それで「もう日本はいいか」っていう感じでフランスに行ってしまうんですけど、すぐに。

T:なぜフランスだったんですか?

I:大学、落ちた大学受けたときが仏文科受けたいという事があったんで、フランスに行ってみたいなと。音楽関係なくっていうのがありますね。

T:それは、目的としては第一に音楽。

I:そうですね。一応音楽の留学という事ですね。奨学金もらって、やっと音楽に没頭する生活が始まったという感じですね。

T:フランス着いて、まず。

I:フランス着いて、まず何の身寄りもなかったんですけど、教えてもらった先生に「半年後にコンクールがあるから、それを受けてみたら?」という風に言われて、それに向けて準備をするんですけど、それが、6年に1回しかない世界で一番大きい国際コンクールだったので、はしにも棒にも引っかからないと思ってたんですけど、一生懸命やったら、一番目になってしまったので、それから少し生活が変わったんですよね。

T:フランスに行った年にあったコンクールですか?

I:そうなんです。半年後だから、まだ学校も入る前。向こうは10月からなので、学校が。4月ぐらいに行って、で、10月ぐらい、9月だったかな、コンクールは。

T:それはマリンバですか?

I:打楽器ですね。マリンバもやったんですけど、打楽器、ティンパニとか小太鼓だけとか、いろんな打楽器を並べたりとか、全部です。

T:曲はオリジナルになるんてすか?

I:そうですね。課題曲とかがあって、そういうオリジナル曲があるんです。

T:練習としては半年だけ?

I:いやいや。もうフランスに行って何カ月かは家を決めたり、楽器があるので、普通の小さいアパートには住めないから、結構、苦労して、結局コンクールに準備をしたのは2か月前ぐらいからですね。

T:凄いですね。コンクールで一番目になった後っていうのは、何か状況的に変わるわけですか?

I:そうですね。やっぱりヨーロッパ中、中と言ってもあれですけど、割といろんなところからコンサート依頼が来るようになったり、賞金も結構、入りましたので、もう本当に「お金がない、ない」という生活から少しましになったのと、突然ものすごく忙しくなって、毎週どっかでコンサートがあるみたいな生活になったんですよ。

T:それはお仕事として始めたわけですよね。

I:そうですね。仕事になってしまってますね。

T:フランス行って数カ月して、賞をとって、忙しくなった、と。いろんな国というのは例えば、どういう国ですか?

I:ドイツとか、そうですね、オーストリア、スウェーデンとか、ベルギーとか、オランダとか、イギリスも行きましたし。

T:外国生活ですが、行って、すんなりと慣れましたか?

I:そうですね。あんまりどこにいてもカルチャーショックがない人間で普通にばっと行けてしまうみたいです。

T:フランスには何年ぐらいいたんですか?

I:フランスには三年半いて、その3年半の間忙しかったんですけど、まだ全然、自分が気持ちの準備が出来ないうちに忙しくなってしまって、そういう生活はちょっともう疲れ果ててしまって。それで、きちんと勉強したかったというところで、ドイツに今度。学校を変わってドイツに行くことにしたんです。

T:フランスに三年半。次のドイツでは何年ですか?

I:結局、2年ぐらいですかね。

T:ドイツでは何か変わった事はあったんですか?

I:ドイツは、今までの生活をがらっと変えて、学生らしい、本当にきちんと学校に行き、練習をしてレッスンを受けるという生活をしました。だから1からやり直したっていう感じですね。

T:そのドイツの学校は、どういう学校だったんですか?

I:「カールスルーエ」というフランクフルトの近くにある音大なんですけど、先生がすばらしい先生でいらっしゃって、ひたすらその先生と一緒に音楽の事だけ考えて生活したっていう時代ですね。

T:そこで何か自分が変わった点というのは?

I:そうですね。変わった点。割と、するするとうまく音楽を始めてからいってしまったので、そんなに簡単なものじゃないというのは心の中で思ってたんですけど、現実のコンサートなり何なりが忙しかったりして、それに流れていってたんですけど、その時に自分のやりたい事とか、自分の求める音とか、そういうものをすごい考えるようになりました。

T:その今につながる打楽器のスタイルというものは、ドイツから始まったわけですね。

I:そうですね。ドイツになぜ行ったかというと、その先生がよかったからなんですけど、フランスでも歌の先生に習っていて、その先生の言っている事が自分にはショックで、その先生が言っている事とそのドイツの先生が言っている事が割と同じで、シンクロするものがいっぱいあって、それで今までのやり方では全然だめなんだなという事で、変わったということですね。もうこれから何十年かかっても出来るかどうかわからないような課題をその先生に与えてもらったので、今はそれを出来ているかどうか確認しながらやり続けているという感じですかね。

T:ドイツに行ってた時は、フランスからの仕事的な流れというのは続いていたわけですか?

I:全部もうやめちゃいましたね。切れましたね。

T:ドイツから日本に戻ってくるまでの期間、それはもう決めてたわけですか。二年間。

I:そうですね。結局、コンサートしないとお金も入らないので、完全にお金がなくなってしまったという事が理由、大きな理由ではないんですけど、何とかしようと思ったら出来たんですけど、そこまでしがみつくよりも、日本が嫌いじゃないから、日本に帰って、地に足着いて勉強しながら生活したいなと思って帰ってきました。

T:ドイツから帰ってきたのが、何年前になるんですか。

I:3年前ぐらいになりますかね、2002年ぐらいかな。

T:久しぶりの日本?

I:ドイツに行ってからはほとんど帰ってないですけど、フランス時代はいっぱい帰ってて。

T:帰ってきて、まず日本でやったことっていうのは。


I:僕は、日本のすごくビジネスベースなんですけど、それにどうしても全然乗れなくて、留学時代に理想的な勉強をしていたわけなんですよね。朝から晩まで音楽のこと考えて、理想だけ追求するみたいな。だから、それから全然抜け出せずに、2年間ぐらいはそのギャップにもんもんと苦しみ、悶えた2年間ぐらいでしたね。全然合わせられなかった、日本のスタイルに。

T:仕事とか活動は?

I:ちょこちょこしながら、帰ってきたばっかりでそんなになかったですけど、音楽事務所にも入らせてもらえたから、少しずつやっていってたっていう感じですかね。

T:拠点はどこになるんですか。日本に帰ってきて。

I:帰ってすぐは東京ですね。

T:ライブはすぐには、しなかったんですか?

I:ちょこちょこっとやってました。

T:そこから変化みたいなものは?

I:初めは理想の世界に住んでたから、何もかもが嫌だったんですけど、日本のやり方が。でも、そこからやっぱりかたくなすぎるなっていうか、もっと楽しんでもらうこと、スケートのあれと同じじゃないかなと思うんです。プロスケーターになったとたんに、アイスダンスとかやるじゃないですか、照明使ったり。今までは本当に試練を自分に与えて高めていくっていう学生生活から、少し楽しませるとか、やっぱりそういうものに対して意識を開いていかないといけないなと思い出してからは楽になって、それからは割といい感じなんですけどね。日本に帰るまではひたすら固かったので、すごい変わったと思います。

T:今、河口湖にいらっしゃるんですけど、それは何年前ぐらいなんですか?

I:もう2年になりますね。

T:河口湖に移ったのは、なぜですか?

I:それは物理的に打楽器の量が膨大にあるので、東京に借りてたおうちの中には入り入れないということとか、音の問題ですね。河口湖は、留学時代から夏に音楽祭があるんですけど、それに呼んでいただいてて、毎年そこに行ってて、夢物語でこんなところに住めたらいいなって皆さん言うと思うんですけど。それで実際「本当に住みたいんだけど。」みたいな話をしたら、探してくださる方がいて、それで即、決めたっていう感じですね。

T:実際、住み心地、どうだったですか?

I:最初行った時は、もう、悪いことなかったですね、なんにも。本当に何もかもがよかったです。今もいいですけど。

T:練習も家の中で出来るんですか?

I:もう24時間。

T:じゃあ、周りはあんまり家はなく。

I:100メートル四方ぐらいはないですね。

T:毎日は、どういう生活に?

I:コンサートがあったり、地方に行ってその間抜けてて、月に半分、ことしはそんなに入れてないですけど、去年とかだと月に半分ぐらい山梨にいて、そういう生活のスケジュールですが。朝8時におきて、大体9時から11時まで練習して、昼御飯食って、夜ごはんまでに4、5時間練習して、で、食べてちょっと休んでまた2時間ぐらいやり、ゆっくりして寝るっていう感じですかね。コンサートのとき以外は大体そういう生活です。

T:いろいろ内容はあると思うんですけども、リハーサルと練習って、1人の場合が多いと思うんですが。孤独になりませんか?

I:そうですね。それがずっとなので、たまにピアノの人とか、一緒に打楽器の人とやると、「なんて楽しいんだろう。」と思いますけど、1人のほうがやりたい事を全部自分でやれるので、向いてるんじゃないかな?と思うんですよね。楽しいというのでも、なんか気持ちよくなって終わっちゃうんですよね。一緒にやってると。だから追求するということを全然もう忘れちゃう、どうでもいいやみたいな感じになってしまうので。

T:演奏曲は、クラシック曲からポピュラーな曲まで、いろいろあるんですけど、どういう基準で決めたりするんですか?

I:そうですね、クラシックは自分が気に入ったものしかやらないですし、ポピュラーも、自分が感覚的にいい曲だなと思ったら何でもやりますかね。最近は。肌感覚で選んでいます。

T:ここ最近、何か変わってきたこととか、ありますか?

I:それまでは、本当に1人の世界にこもってて、苦しみも喜びも1人の世界でやってたんですけど。だんだんと、人とかかわる事を覚えてきて、そういう意味では、曲を選ぶ時も聞く人のイメージが浮かぶし、自分が、少し人とかかわりたい気になってきたんだと思います。それは大分変わってきたかな。本当はコンサートなんか、前はしたくなかったんですよね。自分で練習して、うだうだ練習していればそれで満足だったっていう感じですね。今は「人の前で弾きたい」とか、そういうのが出てきたんです。

T:今度、音源がDVDという形になるんですけど、CDという形の話があったりしたと思うんですけど、つくらなかった理由はあるんですか?

I:うまくいかなかったのが、いつも音の問題で、マリンバっていうのが横に長い楽器で、しかも響かない、残響がない楽器なので、すごく難しいかったという事ですね。音が。なかなか自分の思うような音にならなかった。試してみたけどという事ですね。それに尽きますね。

T:DVD撮影が終わって編集も終盤になってきて、今、こういうことがやりたかったって、改めて感じたりしてますか?

I:まずは、こういう流れをつくったのが何でかというと、自分1人こもってて、人とかかわって、いろんな経験というか、感じたこともあり、それでやっと外に気が向いてきたっていう、自分の流れのドラマをオリジナル作品とかじゃなくて、今まで勉強したクラシックの作品でピタッとはまる名曲というか、いい曲をうまく流れにそわせて、ドラマ的であり、1個1個の作品はすごく充実したものになればいいなという企画があったんですよね。それで、最近、1年前ぐらいからフラメンコを始めたりして、スペインのものが好きなので、そういうものが中心に来つつ、フランスで勉強してきたから、フランスのものとか、太鼓のオリジナルとか、そういうものを散りばめつつ一本筋がとおった作品になればいいなというのがあって。

T:曲の並び、そのものが、池上さんのオリジナルの世界感という。

I:そうですね。とても自分的なというか、いろんな顔を見せる前の自分の柱みたいなのが出てると思います。

T:今年の夏(8月)に河口湖で上演する舞台に関してですが。

I:これは道化作家という、ピエロとかいろいろあるんですけど、道化というものをつくっているむらい さんっていう人が演出とか、舞台美術をつくってて。その道化の世界を、僕が音楽、オリジナルもちょっとあるんですけど、クラシックでピタッとはまるものをいろいろ選んで、僕は今、クラシックバレエとか、パントマイムとかを習いだして、そういうパフォーマンス的なものも音楽と一体化した形でっていうような舞台をつくろうとしています。

T:見どころを教えて下さい。

I:1部と2部とあって、1部は、クラシックのコンサート形式で、スペインのものばっかりやって、後半の劇はスペインの力強いかっこいい感じと対照に、すごくロマンチックな、うっとりするようなものとか、ちょっとコミカルなものとか、そういうものを散りばめてつくってるんですね。だから、その対比もおもしろいし、ピエロの衣装着てピエロになりきって40分間を、いろいろ弾いたり、演じたりしながら過ごすっていう感じなんですけど。それは初めての試みなので。

T:そこからまた新たなパフォーマンスというか、舞台を見せる新しい流れみたいなのが。

I:出きていくんじゃないかなと思ってますけど。

T:ことし後半の予定ってほかには。

I:後半、その音楽祭の後は、シエナノウィンドオーケストラっていう、コンチェルトであったり、あとは、10月、仙台の音楽祭とか、コンサートはいろいろありますし、いろんなところで。企画的な新しい事は、8月ですね。

T:これからも、打楽器を続けていかれると思いますけど。どうなっていくと思いますか。

I:今回のDVDを撮って思ったのは、自分が演奏してる時、僕は本当に動かないタイプなんですよ。演奏しながらうわーっと動く人もいるんですけど、僕は演奏しているときは音だけを聞いてほしいので。動くと見た感じが印象がつよくなっちゃう。だけど本来、自分はダンスとか大好きで動きたい人なんですよ。そのパフォーマンスと音楽というものがどんどん融合していけば、自分の表したいことっていうのが存分に出ていくんじゃないかなという予感はしていますね。ただ、パフォーマーになるとかそういうことじゃないのかもしれないですけど。

T:最後に、ファンの方にメッセージをお願いいたします。

I:多分、ずっと見てくださる方だったらわかると思いますが、クラシックやりだして10年ぐらい、すごく変わってきたんですよ。すごいスピードで変わってきてるので、これからが落ち着くとは多分思えないので、裏切りの連続だと思うんですけど。それをどこまで一緒になって楽しんでくれるかですね。楽しんでいただきたいと思います。

T:これからの活動が楽しみです。今日はありがとうございます。

I:ありがとうございます。

end>



池上英樹初音源DVD『Toucher』が間もなくリリースされます。素晴らしいDVDですので、下記ライブ会場にてお手元にどうぞ。

<池上英樹/2006年8月ライブスケジュール>

2006年8月12〜19日 山梨「河口湖音楽祭」
2006年8月12、13日 山梨・河口湖円形ホール
2006年8月19日 山梨・河口湖ステラシアター
2006年8月24日 奈良・大和郡山城ホール
2006年8月25日 愛知・立芸術劇場
2006年8月27日 東京・ルネ小平

池上英樹さんの詳しいインフォメーションに関しましては、
池上英樹オフィシャルHP(http://www.geocities.jp/ikegami_hideki/index.html)まで。