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momentと交流のある方々へのインタビュー
#47
黒沢秀樹 (PART2)
学生時代からのバンドを経て「L⇔R」結成。さまざまな活動を続け、その休止後、ユニット、ソロ作品を立て続けに発表。現在、プロデュース等、自らのペースで音楽活動中の黒沢秀樹さんのロングインタビュー。そのPART2です。
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momentに関連したミュージシャン、バンド等を紹介します。
#47
「moment CHRISTMAS SESSION 2006」特集
2006年12月24日(日)に開催する、
momentクリスマスイベントの特集です。
出演者の映像メッセージ等も配信。
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#47 CLIP:2006.12.15「Hideki Kurosawa Presents "Wonder-Ring Vol.2"」 CLIP:2006.12.15「須藤 薫&杉 真理 Christmas Concert “Forever Christmas”」 CLIP:「月刊ピカソvol.16/Special Extra Live」 連載コラム:TERA'S SOUNDTRACK REVIEW #47/ 散文詩:「#17/」 KanaT |
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黒沢秀樹 (PART2)
学生時代からのバンドを経て「L⇔R」結成。さまざまな活動を続け、その休止後、ユニット、そしてソロ作品を立て続けに発表。現在、プロデュース等、自らのペースで音楽活動中の黒沢秀樹さんのロングインタビュー。そのPART2です。
(2006年9月30日/momentにて/インタビュアー:TERA@moment)
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黒沢秀樹
(Hideki Kurosawa) 1970年8月28日生まれ。 |
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黒沢秀樹・ロングインタビュー(PART2) |
TERA(以下:T):では、ここからPART2です。よろしくお願いします。
黒沢秀樹(以下:K): はい。
T:フルアルバムは、それから1年ぐらい経ってるんですか?
K:1年は経ってるのかなぁ?いや、"L"が出たのが年末で、1枚目のフルアルバムは次の年の春には出てるはずなんで、そんなに間は空いてないですね。
T:『L⇔R』のネーミングって、きっかけは何だったんですか?
K:それはいろいろ、いい加減なこと言い倒してますけど。
T:(笑)
K:(笑)でも、僕の記憶の中では、何か「記号っぽいものがいいよね」なんて話を、プロデューサーの岡井さんともしていて、『L⇔R』って、ステレオの機械には全部付いてるし、音楽の機械にも全部付いてるし、記号っぽいし、面白いんじゃないのって話で。それが最初にいいんじゃないっていうきっかけだったような気がしますね。
T:僕の記憶では、その『L⇔R』って、バンドのネーミング、デザインのアートワークがマッチしてて。良い感じでオシャレな感じを受けたんですけどね。
K:オシャレだったんすかねぇ(笑)。
T:オシャレっていうかタイミングが時代にあってた感じがしてましたね。
K:僕は、あんまり解んなかったですね。外から見たイメージっていうのが、どういうもんだったのかっていうのは。今思えば確かにそうなのかも知れないですけど。オタクって言葉がでてきた頃で、音楽オタクって言われたり、あと、渋谷系って言われたり。なんかこう、カテゴライズされるのが凄い嫌で、「オタクじゃない!僕らは!」「音楽好きだ!!」と、言ってみたり。
T:そういえば、渋谷系とかありましたね。その頃。外資系の。
K:そうですね。外資系のレコード店とかね。
T:そう。それで アルバム出て、周りの状況の変化、それからの動きは?
K:う〜ん。とにかく、ひたすらレコーディングしてたような記憶が。ただ、やっぱり嬉しかったですよね、僕は。レコーディングスタジオっていうものに行って録音出来たりとか、ああいう場所に行って、「わっ、凄い、こんなコンソールがある」みたいな。最初にレコーディングした時は、本当に嬉しかったような気がしますね。夢中でやってた。
T:そのレコーディングが続く事が幸せだった?
K:そうですね。レコーディングしている事自体は、全く、苦にならなかったですし、楽しかったですよね。うん。
T:例えば、聴いてくれる人の反応みたいなものが出てくる訳で。その辺りはどうだったんですか?
K:まぁ、いろいろ。それこそ、店頭のポップカードに書かれる言葉でいうんであれば、大瀧さんとか、達郎さんとか、引き合いに出される場合もあったし。ビーチボーイズだの、ビートルズだの、っていわれる事もあるし。でも、僕としては、「何とかみたいっ」って言われない感じのバンドになりたいなぁ」、と思ってたんですけどね。
T:オリジナル、独自性を。
K:例えば、ビートルズっていうのを表現する為に、「これって、どんな感じ?」って、聞かれて「ビートルズっぽい感じもあるよ」って、言う人は、たくさんいるけど、 ビートルズの事を「〜っぽい」って言う人はいないじゃないですか。何か、いつかそういう風になりたいなぁとは、ずっと思ってて。
T:その辺は、やっていくうちに段々見えて来たのですか、それとも?
K:その辺は各自、考え方が違うとは思いますけどね。とにかく僕は必死だったんで(笑)。あんまり他の事、何にも考えてなかった気がしますね。とにかく何か自分が思っているような音にしたい、とか。そういう事しか考えてなっかた。うん。本当に音楽のことしか考えてなかったですね、あの頃は。
T:サウンドの追求っていうのは、どういう過程になるんですか?頭の中に響いてくるものを実際、その形にしていくのか、それとも、音を出していく過程で。
K:それは、両方ですよね。だいたい曲は兄貴の黒沢健一が書いてたんですけど、よくあの人が言ってたのは、自分の頭にジャックを差して、そのまま、繋げたらいいって。言い方がもの凄く感覚的なので、僕はよくみんなに「翻訳しろ」とか言われてたんですけど。僕はある種、技術的な部分というか、そういう所に興味があったんで、エンジニアとのやり取りみたいなのはかなりディープに関わってて、それが結構、楽しかったですね。
T:フルアルバム1枚目後は、どういう形に流れたんですか?
K:そうですね。。フルアルバムのレコーディングの時から、嶺川貴子さんが加入して。元々、「女性のコーラスが欲しいよね」なんて話をしてて、それで来てもらったのがきっかけだったんですけど。そのフルアルバムからは、いろんなプロモーションとか、どかっとやりだして、それから3枚目までは、本当にもう、怒濤のようにというか。レコーディングやって、レコーディングやって。で、最初にライブやったのは何時だったんだっけな?2ndアルバムの前だったのかな?ちょっと、そこら辺、僕、曖昧なんですけど。それまで全然、外に出るってことがなくて。
T:ライブは最初どういう感じの形態でやったんですか?
K:最初は、プロデューサーでもあった岡井大ニさんがドラム、遠山裕さんというキーボード/マニュピュレーター、あと、ギターがもう一人っていう編成だったかな?ちょっと記憶が曖昧なんですけどね。いろんな人が出入りしたり。後の"スパイラルライフ"や"AIR"の車谷君とかが、最初のツアーは入ってくれたりだとか。
T:場所はどういう所でやったんですか?
K:一番最初がクアトロだったんですよね。だから、ライブに関しては、いわゆるライブハウスから積み上げて、こう、地道に上がってくっていう感じじゃなくて、全くのレコード先行型アーティストっていう感じでしたよね。『L⇔R』っていう形態になってからは、最初がクアトロでいきなり渋公みたいな。そんな感じだったんで。もう、完全にレコード先行、ですよね。
T:ライブの音っていうのは、以前、バンドの形態でやってた音とアルバムを出してからの音と、全く違いますよね?
K:全く、違いますね。ライブで再現できない事を、最初からやっちゃってる訳ですから。
T:それは、どういう感じだったんですか?
K:そこら辺は、いろんなシークエンス物を使ったりだとか。プロデューサーの岡井大ニさんとキーボードの遠山さんの力っていうのは、やっぱり凄い大きかったと思いますよね。どういう風に再現をするかとか。うん。
T:それは、結果的には、上手くいった?
K:と、思いますけど。まぁ、僕なんかライブっても、今思えばロクにギターも弾けなかったし、その頃(笑)。自分のやる事で精一杯じゃないですか。それに、そんな凝った音を最初に作っちゃって、「どうやって再現しようか?」みたいなところ、ありましたね。
T:それからはライブとか、少しづつ。
K:多くはないですけど、ぼちぼち。ツアーやったりとか。うん。やってましたね。
T:『L⇔R』は、何年くらいの活動になるんですか?
K:トータル7年かな?94年にポニーキャニオンに移籍して。
T:その移籍のきっかけは?
K:いろいろあったんだと思いますよ。ただ、その当時の僕等は、何ていうんだろう、行政と間には大きな溝があったというか。僕等もよく解らなかった部分があって。今となって思えば、あのままずっとポリスターにいた方が良かったのかなぁ?とか、キャニオンに行ってなかったら、あんな事には絶対なってないなあ、とか。
T:キャニオンに行って、何枚ですか?
K:キャニオン行ってからは実質3枚かな?
T:音楽が急に変わったとかは?
K:それは全くないですね。ただ、それをきっかけに嶺川さんが脱退というか、卒業というか。自分のソロをやる為に抜けて、一番最初の3人に戻ってって、感じですね。
T:その影響みたいなのは?
K:うーん。やっている事自体や、音楽の志向性とかは、全然、変わってないですよね。ただ、その、ドラマのタイアップになってヒットが出たりとか、テレビに出たりとか、そうすることによってバンドのイメージは、随分変わったと思いますね。僕は、もう、全くモノが解ってなかったんで。「仕事だ」って言われたら、言われるがままに、こう、「やる」(笑)みたいな。「えー、こんなのヤだなぁ。」と、思っても、まぁ、結局「仕方ないかぁ…仕事だし」みたいなね。
T:嫌な仕事って、どんな仕事なんですか?
K:やっぱ、テレビとか僕、凄い嫌でしたもん。「何でこんな所にいるんだろう?」と。あと、雑誌のレギュラーとか?いわゆる音楽誌って、昔いっぱいあったじゃないですか。そのなかでも、アイドル的な感じのやつとか。だから記憶がないんですよね。その2年くらい。何をやってたのか。
T:本当、嫌だったんですね。
K:嫌だったっていうか、忙しすぎてものが考えられなくなってた。
T:なるほど。
K:一番嫌だったのは、レコーディングスタジオの中まで、そういうのが、入ってくるのが嫌でしたね。
T:テレビとか、雑誌の?
K:雑誌の取材とか、撮影とか。レコーディングしてる最中に、合間を縫ってそういうのが入ってくるっていうのが。僕は凄い、嫌だったんですけどね。
T:じぁ、音楽以外の部分で、露出するという事が多くなった?
K:うん。そのバランスが凄い多くなりましたよね。で、やっぱり元々そういうのが「向いてないんだな」、って。
T:でも、影響はでますよね。普通に考えてね。
K:うん。
T:まぁ、最初から、そういうスタンスでやってるんなら、別でしょうけど。
K:うん。もう初めから「テレビに出たい!」とかさ、何かそういう感じだったら、別に、そうでしょうけど。全くそんな事考えてなかったですからね。
T:ポニキャンの音源は、どんな感じでしたか?今、考えると?
K:やっぱり、レコーディングを重ねる度にいろんな事を吸収していくし、ライブをやる事によって、演奏の質とか、アプローチの仕方も、どんどん変わって。変わってくるというか、上手になっていってるだろうし。うん。
T:その当初、お兄さんが頭にジャックを通しての話で「吐き出したい」音楽は、どんどん再現、出来て来たと?
K:そうでしょね。うん。出来てたんじゃないですかね?と、思いますけど。
T:(笑)。
K:うん。
T:それで、『L⇔R』は、解散? 休止ですか。
K:どうなんでしょうね。僕的にはどっちでも良いと思ってるんですけどねぇ。(笑)。
T:(笑)。
K:まあ、どうなんだろう? 一応、メインの黒沢健一が、活動続けるのが「厳しい」って事になって。『L⇔R』というか、元々3人共誰かが「やりたくない!」って言ったらやめようよ、とは言ってたんで。それはそれで仕様がないね、と。やりたくなったらまた、やれば良いじゃんみたいな。だから、そこら辺は、僕にははっきり言えないですけど。
T:で、それぞれソロ活動みたいな形に?
K:そうですね。うん。
T:それは、その全く『L⇔R』の後っていうのは、3人それぞれ違った感じになったんですか?
K:う〜ん。どうなんでしょうね?僕に関しては、正反対になりましたよね。僕、極端なんで(笑)。何かそれまでこう、自分が解らなかった事とか、何かそういうのが、凄い知りたいというか。何でもやってみたいタイプなんですよ。
『L⇔R』はある程度認知も含めて、一応、成功したというか、そう言われるようなバンドだったと思うんですけど、物事って両方の面があるじゃないですか?かたや、一般的に成功してるとは言われない、僕が凄い好きな、「格好いいな」と、思うアーティストだったりとか、尊敬するミュージシャンの方達がいたとして、一体、そういうものの間には何があるんだろう?と。それで、ソロアルバム1枚、作らせてもらったんですけど。それまでは、リリースが決まって、「何月に発売します」、それに合わせてプロモーションもカッチリ組まれてます、っていうものの中に合わせてやってきた訳で。当然、仕事だから仕方ないですけど、そういうのをやってきた中で、本当に自分に「リアルなものを作ってみたい」、と思って。元々、自分はソロアルバムなんか作る事になるとは、正直、思ってなかったんですよ。
それで、「誰と一緒にやろうかなぁ?」って、思った時に、ピンときたのが、長田進さんだったんですよね。長田さんも、その時凄い忙しくて、ちょっと時間が取れなかったりとかしたんですけど。「そんなの関係ないです」、「長田さんが暇になるまで待ちます」って(笑)。
T:(笑)。ハートランドは解散した後でしたっけ?
K:そうですね。DSLやり始めて。ライブを見て「めちゃくちゃ格好いいな」と思いまして。あの、 ギター弾いてる姿を見て、「ロックだなぁ〜」って。当然その頃から、プロデューサーとして活躍してたDSLの根岸さんとかとも仲良くさせて頂いてたんですけど、「根岸さんか、長田さんか」っていったら、今の自分には「絶対、長田さんだな」って。
多分、タイプ的に僕と長田さんって、正反対の所があると思うんですよね。僕は、基本的にはモノを感覚的に考えてるんだけど、そこにたどりつくまではどうしても理詰めでいっちゃうというか、周りから固めてくみたいな、そんな感じがあって、細かい事が気になると何処までも気にしちゃうところがある。長田さんも細かいんだけど、真逆から攻めていく、みたいなところが。
スタジオなんかでも一発、バーンとやって「いいじゃん」っていったら、絶対これはいいんだよって。その時、僕は心の中で「う〜ん。これ、もう一回やり直したいなぁ」って思ってても、後から聴くと「あ〜、これがやっぱ、一番良かった」みたいな事とかあって。そうですね。本当、やりたいようにやらせてくれて、困った時には、助けてくれる。あの時に、長田さんにゴリ押ししたのは良かったなぁ、と思いますね。
T:ソロをやる前っていうのは、音楽から離れる時間っていうのは、あったんですか?
K:音楽から「離れる」?
T:今まで忙しくしてた中で、ぽっとした時間というか。
K:それは、ありましたね。本っ当、何にもしてなかったですね。(笑)。
T:(笑)。
K:本当、何にもするのを辞めようと。
T:その時、何かやってた事ってあるんですか?
K:まぁ、曲を作ったりとかはしてましたし。音楽聴いたりとかもしてましたし。いろんなところに顔を出すようになったのも、その頃からですよね。それまでは、友達のライブ観に行くとか、飲みに行くとか。そういうことって、殆どなかったですから。だから、本当、自分自身というか、「俺って何?」っていうところを、もう一回やり直し、みたいな。(笑)。
T:それが、ソロアルバムの中の詩であるとかに現れている?
K:それは、あると思いますね。うん。そこは、何処まで自分にリアルなものが作れるか、っていう。今、聴いても、やっぱファーストアルバムって、凄い重いですもんね。「あんな言葉、もう、出てこないなぁ」みたいなのは、ありますし。でも、凄く、自分の中ではやりきれた感があるアルバムですね。
T:ポニーキャニオンは1枚?
K:そうですね。
T:その後、何かあらためて何かやろうとした出来事はあったんですか?音楽の面で。
K:いや、とりあえず、僕はソロアルバムを1枚作った事で、自分を全部、出しきっちゃったところがあって。で、暫く「何しようかなぁ」と思って、いろんな友達とかに逢ったりだとかしてるうちに、『HOW』ってバンドを組むんですけど。それは本当にセッションバンドというか。要はその頃、自分は全部出しきっちゃってるんで、行き当たりばったりで何か作ったりだとか、そういう事が出来たら楽しいなと思って、そのバンドを組んで。まぁ、バンドっていうかユニットですよね。それはもう、全員がソングライターっていうか。で、結局それも、今までメジャーの環境の中でやってきたのを、全く無視して。ぜーんぶ一回自分で作ってみよう(笑)、って思って。で、録音して、CDのパッケージに焼いて、売るところまで一通り全部、自分でやってみたんですよね。偉いしんどくて、(笑)「あ、やっぱ、これは大変だ!」って、その時、初めて思ったんですけど。
T:『HOW』のネーミングは、何処から?
K:あれは有紀ちゃんかなぁ?何かいろいろあったんですけどねぇ、名前の候補が。多分、ボーカルやってた仲村有紀ちゃんってのが、「"How"って、どう?」っていったのが、きっかけだったような気がしますね。
T:いろいろメンバーとかは変わってるんですか?それとも、同じメンバーで?
K:いえ。ドラムの中田くんが入ったり、最初のベースの関さんが抜けて、初期ノーナ・リーブスの小山晃一くんが入ったり。それに僕と、有紀ちゃんと笠鳥くんというギターで。
T:じゃあ、主にライブバンドですかね?
K:別に、"ライブバンド"っていう意識も僕の中ではなかったし。何だろ。実は何も考えてなかったかも知れない(笑)。
T:(笑)なるほど。
K:僕が仕切るっていうよりも、笠鳥くんと有紀ちゃんがその前にやってた、『サラダ』っていうユニットがあって、そのシングルが凄い良い曲で、「誰なんだろう?」って思って。本当、宅録で作っている、粗雑ってんじゃないけど、味わいがある音で録れているテイクなんですけど。凄い才能がある!って勝手に思って、声をかけたんですよ。きっと、もっといい感じでやれるはず、みたいな。どっちかっていうと、自分がやりたいっていうよりも、何か、ちょっと、プロデューサー思考の発想だったんでしょうかね。彼女達がやってる曲が、凄い好きだったから。それをもっといい形にしたい、みたいな。
T:音源は何枚に?
K:結局、3枚出しましたね。最初の1枚は全部、自分達の手作りっていうか。録音も殆ど全部、僕がして。後の2枚は、メーカーさんから声がかかって、ちゃんとスタジオに入って、流通に出して。
T:完全にソロと結構、平行してって感じでしたか?
K:その時は、バンドメインでしたね。
T:『HOW』集中で。
K:うん。で、まぁ。ぼちぼち合間に、僕は違う仕事をしたりしてましたけど。
T:プロデュースの仕事は、その頃からですか?
K:そうですね。うん。元々、気質がそうなんでしょうね。何かね、真ん中に立って「俺を観ろ!」みたいな、そういうのがあんまり得意じゃないっていうか。最近ですよね。やっと、真ん中に立って歌ってる"自分"っていうのが、普通になってきたのは。それまでは、なんかね、真ん中でやってるのは、どうも居心地が悪いというかね。
T:それで、ソロの音源は、どの辺から始まるんですか?
K:その『HOW』が解散してからですよね。前から、「やれ、やれ」とは言われてたんですけど。結局、なかなか、そういう気持ちになれなくて。やっとやる気になった。という感じですかね。
T:それが、何年前ですか?
K:3年ぐらい前ですかね。"winter"を作り始めたのが、一昨年の冬ぐらいかな。それまでもずっと、曲とかは、書いたりしてたんですけどね。
T:そのソロに関しては、ポニキャンから出たソロアルバムの流れの中ではないのですか?
K:う〜ん。サウンド的には僕がやってるものだから、そんなに変わんないと思うんですけど。やっぱ、随分変わったと思いますね。前にどこかでインタビューされた時にも言ったと思うんですけど、結局、なんかモノ作るって、コップに水があったとしたら、それが溢れてるところが作品になるべきだと思うんですよね。元々、人間の感性っていうのは、コップがあったら、そこに水が一杯入って、満たされている状態が普通であって、そこから何か、溢れ出るもので作るべきものなんじゃないかなって、そんな気が僕はしてて。そこが、全く違う方向からのシステマティックなやり方をやり続ける事によって、コップの中の水がジャーって零れちゃったりとか。そうするとやっぱり、溜めるのに時間がかかると思うんですよ。だから、そういうコップに溜める為の作業みたいなのを、ずっと、してたんじゃないのかな?って気がしてて。未だにそうですけどね。
T:その"Winter"後、季節ごとのアルバムが出てくるですけど。"Winter"を作る時から、"スプリング"、"サマー"とか、そういう流れとか考えてたんですか?
K:いや、全然考えてなかったですね。(笑)単純に、例えば12曲なら、12曲を一度に作る為に係るコストであったりとか、時間であったりとか、何かそういうものがこう、結構「しんどいな」っていうのと。後、自分で聴いてて「疲れる」って(笑)。昔、レコードの時代とかだったら、丁度、「片面、聴いて、両面、聴いて」みたいなのが良かったのかもしれないんですけど。何か、最近の聴いてても、全部聴けないんですよね、集中して。あと、言っちゃ悪いけど、捨て曲?みたいな曲があるのが嫌っていう。だったら、「4曲とかで良いじゃん」と。その時にしか、出来ない感じのを作っといて。"ウィンター"、"スプリング"、"サマー"って。全然出るのは、その時期じゃない(笑)。まぁ、作ってたのが、たまたまそれだったから、っていう。
T:それが良いかもしれないですね。
K:そんなのって、まぁ、普通、レコード会社とか、そういうとこで考えたら、まず、許されない事な訳じゃないですか(笑)。
T:なるほどねぇ。そうですねぇ。
K:別に、「良いじゃん。冬、毎年来るし」って。何か、そんな感じですね。
T:要するに1曲づつを大事に作るっていう事ですよね?単純に。
K:そうですね。一人でやってるから、どうしても何か「あーでもない、こーでもない」とか、考えちゃうじゃないですか。時間もかかっちゃうし。でも、それはそれで、何か自分がやりたい事だから良いのかな。作っていくごとに、毎回いろんなゲストに参加して貰ったりだとか。結局、作ってる間に僕が見たり感じたりした事を、ずっと溜め込んでいって、それが曲になったりだとか、レコーディングメンバーになったり、どこそこのスタジオになったりだとか。最初から決まっている訳ではなく、その都度変わっていっても良いのかなぁって、そういう風には思ってますけどねぇ。それが許されるのであれば。うん。
T:"Winter"を作って、その次っていうのは?
K:まぁ、とりあえず、日常的に音楽を作るっていうのをテーマにしたんですよ。例えば、何か、今日、こうしてTERAさんと話をしてるのも、何かのヒントになるかもしれない。結局、全部音楽に結びつくかなぁ、みたいな。だから、「音楽を作ろう!」「曲を作ろう!」みたいな事じゃなくて。何か、常にそういうテンションでいられるのが一番。誰かのライブを観て「曲、作りたいなぁ」とか、何かのレコード聴いて「これ、良いなぁ」とか。結局、そういう事ですかね。
T:割と音楽家の人達って、音楽をガーッてやって、音楽しかやってないような感じのイメージあるじゃないですか?表にそういう情報しか出てこないっていうのもあるし。普通の生活が、全く「ないんじゃないか」みたいな。
K:昔は本当に音楽のことしか、考えてなかった(笑)ですね。だから、ああいう音楽が出来たんだろうと、思うんですけどね。本当、音楽のことしか考えてなかった。行くとこっていったら、本屋とレコード屋しかなかったですからねぇ。「大丈夫か、お前?」っていう、(笑)感じでしたね。
T:普通、どうなんですかね?周りの音楽仲間って。そんな感じですか。
K:人によりけりじゃないですかね。最近はメーカーとか関係なく、自分で一生懸命やって販売のシステムまで作っちゃう人もいるし。かと思えば、全く、その正反対の人もいるし。音楽の作り方も人それぞれだし。誰が良くて、誰が悪いというのはないと思いますね。ただ、思うのは、僕が今、周りにいるアーティストの人達とか、ミュージシャンの方達とか見てると、「かっこいいな」と思ったり、感動するっていうのは、その人の、人と也というか、生き方っていうのが曲とか、演奏とかに出てるんですよね。薄っぺらい奴は薄っぺらい音しか出さないし。同じ楽器を弾いてても、全く違う音がするんですよね。それって、「何なんだろう?」って。特にそれを、最近凄い感じますね。上手いとか下手とかって、当然、プロでやっている人達だから、ある程度自分の事を表現するスキルっていうのは、皆さん持っているとは思うんですけど。それを越えて伝わってくるものってあるなって。最後はそこに尽きるかなぁっていう。話しててつまんない奴って、音楽もつまんないですよね。(笑)うん。話してて格好いいなぁって思う人は、音楽やってても格好いいし。そこは共通だなぁと。作品とその人自身の距離感っていうのを、あえて離してる人っていうのもいるかも知れないですけど、僕はそうじゃない方が好きかな、やっぱり。
T:黒沢さんが、音楽漬けのある期間から、ポッと音楽以外の生活みたいなものを、プラスされて、あらためて音楽についての何か考え方も少し変わったり?
K:音楽の聴き方が変わった、っていうか、聴き方自体は変わってないのかも知れないですけど、感じ方が変わってきてるんじゃないですかね。その、もうちょっと、間口の広い見方をするようになったというか。そうですね。昔解らなかったレコードが、今、聴くと凄い良いと思えたりとか。そういうのって、あると思いますね。
T:ソロアルバムも少しづつ作って、発表して。今後も、そういうスタンスっていうのは?
K:出来れば崩したくないですね。今は本当にクローズドな環境の中で、ホームページの通販のみでやってるんですけど。今いるお客さんにまず、きちんと届けたいっていう気持ちで。ある程度、そういう人達のところに、きちんと届いたら、ちょっともう一回、例えば『L⇔R』っていうバンドを知らない人だったりとか、僕っていう人間を知らない人だったりとか、そういう人達にも積極的に届くような形にしたいと思っていますけどね。話が合うというか音楽の趣味が合う人達って、実は、まだまだ、たくさんいるような気がしてて。
T:話、変わりますが、音楽以外で何かやりたい事ってあるんですか?
K:やりたい事?ありますよね。何か、どっか、違う国とかに住んでみたいなってのは、ありますね。
T:どんな所ですかね?
K:どーなんでしょうね?何か、ふらっと何処か行ってみるとか、そういう事が、あんまり出来ないタイプの人間だから、そう思うんですけど。突然、物凄いレストランで「激食いしてみたい」とか。(笑)。何か極端な所に行って「うわぁ!見た事ない!」みたいな感じ。そういう事はやりたいですね。やろうと思えば出来るのかも知れないですけどね。何か、なかなか、こう、行動に移せないというか。
T:あと今後、何か一緒に。
K:そうですね。是非、是非、やりたいですね。
T:インタビューは以上です。有り難うございます。
K:あんまり内容のない話に。
T:いやいや充分に貴重なお話を有り難うございました。
K:有り難うございました。
PART1へ>>>>>>>>>>
黒沢秀樹さんについて詳しいインフォメーションは、オフィシャルHP(http://www.ourhouse-net.com/hideki/)まで。