黒沢秀樹 (PART1)


学生時代からのバンドを経て「L-R」結成。さまざまな活動を続け、その休止後、ユニット、そしてソロ作品を立て続けに発表。現在、プロデュース等、自らのペースで音楽活動中の黒沢秀樹さんのロングインタビュー。そのPART1です。

(2006年9月30日/momentにて/インタビュアー:TERA@moment)





 黒沢秀樹 (Hideki Kurosawa)

  1970年8月28日生まれ。
  1991年、黒沢健一、木下裕晴と共にL⇔Rとしてデビュー。
  13枚のシングル、7枚のオリジナルアルバムを発表。
  1997 年11月、L⇔R活動休止後、ソロアルバム制作を開始。
  1999年4月シングル「Believe」アルバム「Believe」を発表。
  1999年 8月、ソングライター/ミュージシャンユニット
  「HOW」を結成、メンバー、プロデューサーとして活動。
  03年の解散までに3枚のミニアルバムを発表。
  03年4月、ドリームスヴィルレーベルのコンピレーション盤に
  真城めぐみ(Hicksville)片岡知子(Instant Cytron)と共に
  「黒沢秀樹&リトル・ギャング」として参加。
  04年2月ミニアルバム「winter」を発表、ソロプロジェクトを
  再開。04年9月ミニアルバム「spring」発表。
  04年8月よりRide on Babyのプロデュースを開始。
  05年3月有里知花with海北大輔「Good Luck To You」の
  共作詞、作曲、サウンドプロデュース&アレンジ、ギターで
  参加する等、コンポーザー、プロデューサー、アレンジャー、
  ギタリストとしても幅広く活動中。
  06年4月ソロプロジェクトのミニアルバム「summer」発表。
  
 
詳しいインフォメーション→オフィシャルサイト


    
 黒沢秀樹・ロングインタビュー(PART1)

溜り場みたいになってたレコード屋さんがあって。学校が終わるとそこに行って、常連のお客さんとかと缶コーヒー飲みながら、皆でレコード聴いたりしてて。そこがいわゆる昔の'60代の音楽とか店長が凄く好きで。個性的な店だったんで、やっぱりそういう人たちが集まって来て。その当時でいう立派な大人というか、おっさんとか、普通に来るんですけど。そこに来ると皆、友達みたいな。そこで知り合った同じ歳ぐらいの奴らと一緒にバンド組んだのが、僕は初めてですね。

TERA(以下:T):宜しくお願いします。まず生まれた場所を教えて下さい。

黒沢秀樹(以下:K):生まれた場所は、茨城県の日立市という日立製作所の企業城下町みたいな感じの所です。何にもない、工場しかないような所で。

T:ご兄弟とか?

K:兄弟は3人いて、全部、男なんですよ。で、僕が真ん中で。兄貴が2コ上で、弟が僕の5つ下なんですよ。


T:僕と近いですねぇ。

K:えっ、そうなんですか?

T:僕も兄貴が1コ上の弟が7つ下ですね。3人兄弟で真ん中ですね。


K:ははは。お兄さんて何やってらっしゃるんですか?


T:銀行員かな?

K:あっ、堅い…(笑)。堅いですね、弟さんは?


T:ユニバーサルスタジオで働いてます。


K:えっ、大阪の?

T:衣装なんかつくってますね。


K:じゃぁ、上のお兄さんと下の弟さんでは、全然、業種が、こう、違う系。


T:そうそう。で、小さい頃は弟が一番、可愛がられる、みたいな?


K:やっぱり兄貴が一番可愛がられてたんじゃないんですかね。多分、おじいちゃんがいて、「初孫!」みたいな感じで。家は子供の頃家族がいっぱい居たんですよ。


T:へぇ〜。

K:凄いちっちゃい時は両親と、僕が生まれるまでは同じ敷地の別の家に住んでたんですけど。いわゆる、その実家というか、本家っていうか、おじいさんが住んでるお家があって。敷地内に何軒かお家があったんですけど、その中の端っこみたいな所に住んでたんです。 弟が生まれる前に一緒になったのかな?それで、同じ敷地の中で一人暮らししてる伯母さんがいて、全部で7人ぐらい居たんですよ。

T:大家族ですね。サザエさん状態で。


K:そうそう。で、親戚がすごく多かったんで。出たり入ったりが激しくて。

T:代々?

K:代々なのかどうなのかわからないけど、多分、何か、そんな感じなんじゃないんですかね。だから、男の子のやっぱり長男っていうと、それはおじいさんは可愛いがるでしょう。


T:なるほど、なるほど。

K:それもきっかけで、音楽にも繋がるんじゃないかと。僕はまだその頃、記憶が無いくらい小さいんですけど。幼稚園くらいの時から、僕の兄貴がレコード大好きで。おもちゃがレコード。で、おじいさんがそれを見て、裏の質屋で凄く大きな良いステレオを買ってくれたんですよ。兄貴に。小学生になる前じゃないかな?その当時でいう家具調ステレオ。 もう、どっか―ん!みたいな。 それを買ってくれて。それで、さらに従兄弟が2人おりまして、それも随分歳の離れた従兄弟。僕らとはひと回り以上、違うのかな?だから、今の丁度、45、50くらいなのかな?片方は、アメリカンロック大好きで、ディラン大好きで、当時腰までの長髪だったり。片方はブリティッシュロック好きで、ずっと、東京の大学行って帰ってこない、みたいな。

T:(笑)。

K:で、そのステレオ聴きに家に来る訳ですよ。(笑)。それで、その、聴いて要らなくなったレコードとか、家に置いてって。で、それをきっかけに、何かその、ロックというか、洋楽というか、そういうのをどっぷり。


T:幼稚園、小学校入る頃っていうのは、既にレコードを?

K:うーん。そうですね。有ったんじゃないですかね。だから僕はそんなに…記憶が無いんですけど。ただ、小学校六年生くらいの時点で、兄貴はもう、LPレコード120枚くらい持ってましたからね。凄い大事にしてて。

T:その中で気に入ったLPとかあったんですか?よく聴いてたとか。


K:僕はやっぱりビートルズのレコードですね。大好きで、よく聴いてましたね。うん。僕は子供の時からスリーコードのロックンロール物とかが好きで。で、まだ日本語もロクに読めないから、英語なんて読める訳ないじゃないですか(笑)。要は、そこら辺に昔のシングル盤みたいのがぱーっとあるんですけど。その中から自分の好きなレコードを。「林檎のはビートルズだ…」と。「自由の女神の絵のやつはCCRだ…」とか。まぁ、そんな感じで聴いてた記憶があります。

T:小さい頃、まぁ、小学校の低学年ぐらいなんですけども、よく見てたテレビとかあります?

K:テレビ、なに見てたんだろ。そう、土曜日、帰ってくると"お笑いスター誕生"はよく観てましたね。(笑)。  "ひょうきん族"は、もうちょっと後でしたよね?

T:そうですよね。後ですよね。本とかは、何読んでました?


K:本は好きでしたね、子供の頃から。家の親父って学校の先生なんですよ。で、もう、格好つける為に買ったとしか思えない文学全集みたいなのとかが、ダーっとあるんですよ。多分、今でもあるんですけど、壁一面に。その文学全集が ダーっと入ってるんですけど、おそらく、一度も読まれたことのない物が凄い沢山あって。そういうのをこっそり抜き出して読んでたりとかしてましたね。活字に対しては凄く興味が子供の頃からあって、昔の本だから書き方が昔の字で書いてあった気が。だから、途中で挫折したりしましたね。


T:小学校高学年は、部活とかは?

K:全然そんなのはやってなかったですね、特に。

T:趣味っていうのは?

K:子供の頃ですか?子供の頃っていうのは、オーソドックスですよね。もちろん、歳の近い兄貴と一緒に遊んだりとか、レコード聴いたりしたりとかしてましたけど。後は、普通にプラモデル作ったりとかしてましたね。プラモデル作るの大好きでしたね。

T:えっ、どんなジャンルですか?

K:車ですね。子供の頃、車、大好きでしたね。車狂い。今でも結構、好きですけど。

T:"スーパーカー"ブーム?

K:丁度、"スーパーカー"ブームでしたけど、そういうの関係なく、その到来以前に車が好きで。

T:へぇ〜。

K:で、一日、家の前の道路に座って、車を眺めてたりとか。走ってくる車のエンジンの音で、「これは日産のFFだ!」とか、(笑)そんな感じの。

T:それ凄いですね。電車とかでは、よくありますけどね。


K:電車は僕、全然、解んないですけど。


T:車って、難しいですよね、もっと。


K:車が大好きでしたね。当時は、家に車がなかったんで、何処かに車で行く時には、おじいさんがタクシーとか、ハイヤーとか、電話で呼んでたんですよ。それで、新しい車種が入ると、それに乗りたくて。呼ぶ時には「新しいのにしてって、言ってくれっ!!」って、頼んでました。(笑)。

T:(笑)へぇ〜。

K:でも、乗ると、車酔いする子供でしたね。

T:じゃあ、プラモデルは、車が並んでたの?

K:うん、いっぱい作りましたねぇ。プラモデルは。

T:中学入る頃、新しい展開ありました?

K:音楽とか聴き始めるのって、中学生くらいじゃないですか?僕もそれくらいからですよね。意識してレコード屋さんに行って、レコードを買いに行こうと思ったりとか。貸しレコード屋さんとかも、その当時、出てきたんで。
    
T:まず、自分で買ったレコードは?

K:僕は"LET IT BE"のアルバムですね。既に家にはあったんですけど、"泳げたいやき君"状態で。


T:(笑)。

K:自分のやつが欲しかったんですよ。

T:なるほど、なるほど。

K:昔、デパートとかの催事場で中古盤セールみたいなのがよく廻って来てて。
そこで買ったのが多分、最初だと思いますね。600円だったんですよ(笑)。


T:輸入盤ですか?日本盤ですか?

K:あれは日本盤だったと思います。そんなに状態の良いものでは、なかったと思いますけど、自分のが欲しくて買いましたね。

T:中学になって楽器とかって?

K:全然、ですね。まぁ、楽器も、兄貴が高校入って、バンドやり始めて、そういうの見てっていうか。さっき言った従兄弟の兄貴とかが、フォークギター持ってたりだとか、エレキギター持ってたり。エレキギターを家に使えなくなったのを置いてって。アンプとかね、それでよく遊んでましたね。だから子供の頃は、そういう置いてったやつで遊んでて。そう、後、ウクレレとかも。


T:お!

K:昔、"なんとかスタンプ"って、集めると交換出来るやつあったじゃないですか。あれを集めて交換して貰ったりとかして。それに色塗ったりとかして、サイケデリックペイントみたいにして遊んだりとか、してましたね。

T:じゃぁ、最初、手にした楽器は?

K:自分で手にしたっていうのはギターですね。玩具と同じに、スタンプで交換して貰ったのとか、従兄弟の兄貴が置いてったフォークギターとかエレキギターとかあったけど、チューニングの仕方も解んないんで。弦も、何か段々、なくなってくるんですよね。弦の換え方も張り方も解んないし。取りあえず、アンプにいれたら、音が出る、デカイ音が出る。いれたら煙がゴバーっと出て(笑)。「危ない!危ない!」みたいな。何かそんな事がありましたけど。


T:じゃ、まだ実家は変わらず。

K:うん。日立市に。

T:高校は?

K:地元の高校ですね。兄貴と高校は一緒なんですけど。

T:高校に入って何か。

K:高校生活は本当につまらなかったですね。つまらなかったというか、全く話が皆と合わなくて。何か努めて地味に、というか。意識してた訳じゃないんですけど、全然面白くなかったですね。まぁ、行きはしましたけど。その頃から、レコード屋とかに出入りするようになって。まぁ、溜り場みたいになってたレコード屋さんがあって。学校が終わるとそこに行って、常連のお客さんとかと缶コーヒー飲みながら、皆でレコード聴いたりしてて。そこがいわゆる昔の'60代の音楽とか店長が凄く好きで。個性的な店だったんで、やっぱりそういう人たちが集まって来て。その当時でいう立派な大人というか、おっさんとか、普通に来るんですけど。そこに来ると皆友達みたいな。そこで知り合った、何か同じ歳ぐらいの奴らと一緒にバンド組んだのが、僕は初めてですね。

T:バンドの編成はどんな感じだったんですか?最初は。

K:一番最初は、ベース、ギター、ドラム。で、僕、だったのかな?確か、4人編成だったかな?

T:どんなジャンルの音楽だったんですか?

K:何だろ?カバーというか、皆、コピーが最初。だから、ビートルズやったりとか。ギターの奴がツェッペリンが好きだったから、時々、ツェッペリンの曲をそいつがやったりだとか、でも、まぁ、ビートルズとか、多かったですね。そんな難しいこと出来ないんで。

T:発表の場っていうと。

K:無いに等しかったですよね。(笑)。

T:なるほど。

K:だから、ライブハウスっても地元じゃそんなもんなかったし。ちょっと街中にあるライブハウスに出るのが目標みたいな。そんな感じでやってましたね。

T:結構、そのバンドは長続きしたんですか?


K:いえ、そんなでもなかったな。結局、2年、高校に入ってから、どれぐらいやってたのか解んないですけど。高校3年くらいに入ってから、そのギターの奴とかが、結局、お父さんが厳しくて「勉強しないから駄目だ!」とか言って、ギターを捨てられたりとかして。

T:(笑)

K:それで、そのままみたいな。

T:バンド名とかって?

K:バンド名…。それは内緒です!(笑)。でも一回、コンテストみたいなのに出て、オリジナルは確か2、3曲作ってて。


T:そうなんですか。

K:で、よくコンテストとかあったんですよ。昔、それで、なんか1回、賞とか貰ったりしたこと、ありましたよ。


T:楽曲名とか覚えてます?

K:全然覚えてないですねぇ(笑)。

T:どういう作り方してたんですか。バンド集まって、ですか?

K:いや、ギターで僕が作ったのを、皆に、こうこうこうとか、リズムはこうとか一度やって、そんな感じですね。

T:もう音源とかは全く存在してない?

K:多分、ないんじゃないんですかねぇ。どこ行ったのか解んないですねぇ。探せば出てくるのかもしれないけど、恐くて聴きたくないです。(笑)


T:(笑)なるほど。で、卒業すると?

K:丁度その頃ですね、僕が高校3年生くらいの時にもう兄貴がバンドやっていて。レコード会社やプロダクションから話があったりとかして。それで、もう東京に来てて。そうしたらバンドのギターの人が、ちょっと倒れてしまって。それで、もう、ライブのブッキングは決まってて、やんなきゃいけないからって呼ばれたのが、一緒にやる事になった最初のきっかけなんですね。


T:呼ばれた、っていっても、東京に出て来た訳ではない?

K:えぇ、僕まだ高校生で。

T:そうですよね。

K:それで始まったら、結局、そのまま「やりましょう」みたいな話になって。高校の夏休み以降ぐらいは、なんか、ライブがあると兄貴んちに行って、泊まって。で、次の日の朝帰って来て、そのまま学校に行く、みたいな。

T:なるほど。ライブはどの辺でやったりしたんですか?


K:昔は、そうですね。うーん。吉祥寺かな?いろんな所で、ちょくちょくやりましたけどね。


T:形にはなんなかったんですか?音源とか?

K:音源は、いろいろと作ったりはしたんですけどね。結局、そのバンド自体も、なかなかデビューするみたいな話がうまく進まなくて。昔よく、青田刈りとかあったじゃないですか?そういう時期だったんで。それで結局メンバーも、抜けていったりとか、やめちゃったりして、最終的に僕と兄貴二人になってしまった、みたいな。

T:それが何年後ぐらいなんですか?

K:それで2年くらいかな?多分。

T:まだ二十歳前で。

K:僕は、そうですねぇ。二十歳になるか、ならないか、くらいな感じでしょうね。一応、僕は学校に行く、という名目で(笑)専門学校に入って、「レコーディングエンジニアになりたい」っていう話をして、そういえば親も納得かなって。"エンジニア"って名前が付いてると。

T:(笑)硬い表現で。

K:うん。硬い表現で。でも元々、僕はホントにそういうエンジニアニングとかやりたくて。好きだったんで。結局自分でそういう仕事も、やるようになったから。そういうのが凄い、好きだった。"MTR"とか出始めの頃から使い倒してましたね。


T:お兄さんと2人組になってから、どういう活動を始めたんですか?


K:2人組になったっていうか、「なってしまった!」(笑)って感じなんですけど。その時、丁度、「ポールマッカートニーが初来日する」という話があって、記念にポールマッカートニーを観て「もう、やめよう」と(笑)、開き直りをして。それまでレコード会社さんだの、メーカーさんだの何だのと偉そうな人達に、こう、沢山聴いてもらって、全然「あーでもない。こーでもない」と、言われていて、兄貴も、相当、しんどかったんじゃないんですかね。結局、どうせ誰も聴かないんだから、思いきったものを作ろうって事になって、趣味趣味の、人のこと考えないで作ろう、っていったデモテープがあったんですよ。そんな時期に、僕らの事を見つけてくれたというか、後のプロデューサーの岡井大二さんが電話をかけてきて「おまえらなにやってるんだ」と。「デモテープ聴かせろ」と。送ったのが、今のポリスターの牧村さんの耳に入って。

T:なるほど。

K:それが結構、衝撃的で。それまで会ったの音楽業界の人とは言う事が全く違ってて、こんな人っているんだって。それからですよね。いわゆる『L→R』の原型みたいなものができたのは。後に入る木下に関しては、僕と兄貴がバンド形態でやっている時に、友達の伝手でライブ観に来てくれてて。どうしても「一緒にやらせろ。やらせろ」と言っていて。彼はその当時、全然、僕等とはあんまり関係ないというか。その当時の凄い…何ていうんだろう、もう、セミプロみたいな感じでやってて。プロのシンガーのバックバンドのお手伝いみたいな仕事も大学行きながらやってたりとかしたんだけど。


T:そこから『L→R』の始まりみたいな?

K:そうですね。話せばいろいろ、あるんですけどね。


T:(笑)。とりあえず、メーカーと一緒になって動き出す訳ですよね?

K:そうですね。うん。

T:まず、レコーディング、なんですか?


K:えーっとね。デモテープを録って、最初どうだったんだろうな。でも、デビューから暫くの間は、もう、ずーっと、レコーディングしてましたね。ライブは一切、やらないというか。

T:デビューっていうのは、まず、CDですよね?


K:CDですね。一番最初に出したのは"エル"っていう、5曲入りのアルバムで。

T:それは今までやってた曲の中から?

K:えー。あれはどうだったんだ?結局、それまでずーっと作ってた曲から、もう一回、こう。作り直す、じゃないけど。全くの新曲ってのもあったのかな?ちょっと、そこら辺は、僕は定かじゃないですけど。昔からあった曲っていっても、その数年だと思いますけどね。

T:以前のバンドから、多少『L→R』の音楽と交差してる部分があるんですか?

K:そうですね。近いとは思いますけど。何しろメインソングライターであり、ボーカリストである黒沢健一っていう人の個性が。あの人の書く曲っていうのは、独特だし。何ていうんだろ、曲自体のクオリティーは変わってないですよね。後はその、サウンド、というのがバンド形態で出来るサウンドなのか、そうじゃないのかみたいな。だから、レコーディングスタジオに行って、逆にドラムレスで、メンバー3人しかいない、っていうことで、「バンド形態じゃなきゃ駄目だ」みたいな制約もないし、何でもいろんなことが出来た。音では、凄い自由度があったんじゃないんですかね。
    
T:1枚目"エル"が出た後の周りの反応っていうか、変化っていうのは?

K:"エル"自体は、殆どノープロモーションで。限定みたいな感じで出した物だったので。それからファーストアルバムまでは、そんなに動きはなかったんじゃないですかね。やっぱりフルアルバムの時からですよね。大きく動き出したのは。

T:なるほど。では、この辺りまでで、PART1を終了します!

K:はい。



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黒沢秀樹さんについて詳しいインフォメーションは、オフィシャルHP(http://www.ourhouse-net.com/hideki/)まで。