MAMALAID RAG(PART3)

2009年、待望のニューシングルを連続リリース中のMAMALAID RAG、田中拡邦さんへのロングインタビュー。
そのPART3です。

(2009年4月某日/momentにて/インタビュアー:TERA@moment)





 MAMALAID RAG (田中拡邦)
 ロングインタビュー (PART3)

  Talk&Interview #77
 
  


    
 MAMALAID RAG/田中拡邦 ロングインタビュー (PART3)
1995年
地元・佐賀にてMAMALAID RAGの母体となるバンドを結成。 初のオリジナル曲制作。

1996年
地元・佐賀のライブハウス“ガイルス”、お祭り・イベントを中心に精力的にライブ活動を行う。この頃、伝説的グループ「はっぴぃえんど」と出会い、日本語詞によるオリジナル楽曲の制作を本格的に始める。2曲目に完成した「風にゆられて」は、のちにシングル「目抜き通り」に収録。

1997年
4曲入りデモカセットテープ「束の間」を地元のスタジオで録音。2日間でミックスダウンまで終了。ジャケット歌詞カード付き。200本完売。 大学受験勉強のためバンド活動の一時中断を余儀なくされる。
11月  佐賀医科大学学園祭のステージに参加。

1998年
上京。曲作りにリハーサル。 都内を中心としたライブ活動。

2001年
老舗ロック喫茶“B.Y.G”(渋谷・道玄坂)にてライブを始める。
  
2002年
3月 ソニー・ミュージック・アソシエイテッド・レコードより初のミニアルバム『春雨道中』をリリース。
6月 シングル『目抜き通り』リリース。
9月 シングル『夜汽車』 ファースト・アルバム『MAMALAID RAG』リリース。
12月 大阪・東京・福岡にて初のワンマン・ツアー。東京・渋谷クアトロは発売と同時に即完。
 
2003年
6月  ミニ・アルバム『きみの瞳の中に』リリース。
7月  東京・福岡・大阪・名古屋にてワンマン・ツアー。

2004年
春  カセットテープレコーダーとマッキントッシュを組み合わせての自宅録音を始める。
8月  シングル『そばにいたい』 リリース。
秋  8トラックのオープンレコーダーおよびミキサー入手。フルアナログでの本格的な自宅録音期間に入る。CM用音源制作に大部分の時間を費やす。

2005年
年明 さらに録音機器類を入手、レコーディング。
1月 シングル『街頭/ふたりで目覚めたら』リリース。
4月  東京キネマクラブにてワンマンライブ『IN CONCERT』。
7月  FUJI ROCK FESTIVALに初出演。自宅録音を中断・破棄、商業スタジオでのレコーディング作業に戻る。
11月 ミニ・アルバム『銀の爪』リリース。

2006年
3月  シングル『消えた恋』リリース。
4月 2ndアルバム『MAMALAID RAG 2』リリース。
6月 リカットシングル 「レイン」リリース
7月 東京キネマクラブ・福岡にてワンマンライブ『IN CONCERT 2』。
8月 ライジングサンに出演。

2007年
まれにライブ。

2008年
MAMALAID RAGの活動を再開、しつつあったが、11月の2年3ヶ月振りとなった単独コンサートをもって再開。
本格的に作曲を再開、およびレコーディング。

2009年
1月 2年7ヶ月振りとなる、シングル「オフェリア」リリース。
2月 「オフェリア」リリースを受けての単独コンサート。
3月 活動再開第二弾シングル「空に飛ぶ想い」リリース。
5月 第三弾シングル「すてきなダンス」リリース。


TERA(以下:T):では、PART3です。よろしくお願いします。

MAMALAID RAG・田中拡邦(以下:M):よろしくお願いします。

T:まず、1stフルアルバムのお話からですが。レコーディング辺りから。

M:はい。とにかくずっとレコーディングをやってましたね。で、前にも言ったように、曲作りの一年があったんで、もうアルバムの曲はほぼ全てあったんです。なんで僕としてはアレンジャーにもなったんで、佐橋さんがいなくなって。曲はあるしもう完全にこの時期ってのはアレンジャー気取り(笑)アレンジャー気分というか、バンドの一員というよりはアレンジャーの気持ちですよね。

T:すごい、楽しい感じですか?

M:うん、楽しいし、試行錯誤の繰り返しだし、ていう感じでみんなでわいわい作ったって感じでしたね。


T:アルバムの内容的にはシングル曲ももちろん収録されてる?

M:ですね。「春雨」「目抜き」「夜汽車」は入ってると思いますね。

T:他の曲はどんな感じの構成になっているんですか?

M:「悲しみにさようなら」って曲が一曲目かな。これはなんか、「悲しみによこんにちは」からきてるんじゃないか、って言われたんですけど、これは違うんですよ(笑)

T:(笑)

M:全然違うんですよね。これも曲作りの一年の間に作った曲なんですけど録り終えたら、一番出来が良かったんで一曲目に持ってきたっていう。当時キャロル・キングなんかをよく聴いてたんでそういう影響が強いですね。それから「彼女のタペストリー」これはもう完全にボサノバ・アレンジで。元々エイトビートのアレンジで録ってたんですけど、それも破棄して完全にボサノバ・アレンジで録り直したっていう。それから「カフェテラス」っていう曲。これは初めてそのオーケストラを録り、ダビングした結構大人数の編成でしたね。リード楽器にクラリネットを使ってて、その譜面は僕が書いたんですけど、当時まだ譜面てものに慣れてなくて、一晩かけてアレンジして譜面を書いた覚えがありますね。それから「向こう側」って曲かな。これなんかは元々フォークっぽい感じの曲だったんですけど、バンドアレンジにした曲なんですけど。とにかくこの時期は詩に凝ってて、当時その相対性理論てのが小学校時代に色々勉強したのが蘇ってて思い出して面白いなあ、って思ってたんですけど。そこからその、誰にも今は掴めない、っていう、相対性理論は「今」は無いっていうことなんで、ずっと動いてるっていう。そこからそういうアイデアを持ってきたような曲ですね。それから「ワトスン」これは元々その冗談で作ったような曲で、元々ドクターワトスン君!って曲だったんですけど、あのシャーロックホームズの助手兼語り手の。歌詞に、「燃える太陽 好きなだけ焼き付けてくれたまえ」っていう歌詞があったんで、シャーロックホームズってだいたい、ワトスン君に「聞きたまえ」って、始まるんですね。こんな話があるんだけど興味があるか、みたいな。それからドクターワトスン君!になったっていう曲なんですけど。ただ音楽的にはこうサザンロックっぽい感じを実験してみた曲ですね。それから、「Her life」かな。「Her life」は唯一の書き下ろしなんですね。インストを一曲入れようってことで書いた曲で、実は違う曲も書いてリハーサルもして明日録音、ってとこまでいったんですけど。当日の朝になって僕がなんか気に入らなくなっちゃって。んでその朝に書こうと思って、まずは食事をしようと思って朝早く出かけたんですね。そしたら帰りがけかなんかに近所の妊娠中の女性とすれ違って、んでなんかピンと来て、タイトルが先に出来たんですね、「Her life」っていう。彼女の人生、っていうような。なんかいいなあって思って。で、一息で家で書き上げちゃった曲ですね。で、スタジオに持ったら、もの凄いみんな嫌な顔しましたね(笑)

T:(笑)

M:さんざん昨日リハーサルしといてなんなんだ、みたいな。


T:その前に録った曲の仕上がりを、みんな満足してた感じ?

M:満足、かどうかはわかんないですけど、まあ、とにかく腹が決まってたんでしょうね。


T:その曲は全くそれでおしまいですか?

M:いや、それが後にそのセカンドアルバムでちょっと書き足して出てくるんですけど。


T:無駄ではなかったと。

M:そうですね。話がちょっと伏線があって、というか、そのリハーサルしてた曲、後に「HER MEDITATION」って曲になるんですけど、その曲がマイナーキーだったんですね。で、クロスウォークってバンドはマイナーキーの曲ばかりで、で、mamaragはファーストアルバムは一曲もマイナーキーを入れない、のはどうか、って自分で思ったんですね。その曲だけマイナーだったんで、メジャーな曲にしたかった、っていう実は隠れた理由があって、で「Her life」メジャースケールの「Her life」を書いたっていうことなんですね。それからあとは「春雨道中」と、「目抜き通り」が最後で。あと「感情」って曲がありまして、これは弾き語りの曲ですね。元々はバンドでやるバージョンだったんですけど、理由は忘れたんですけどなぜか弾き語りになっちゃったっていう。これはあんまり上手くいかなかった覚えがありますね。

T:このジャケットの写真はどんな?

M:ああ、これはなんか相当昔のアメリカのある写真家の作品らしいですね。で、許諾を申請してOKが出たと、っていうことみたいです。

T:これもディレクターの方のこだわりですか?

M:あー、それはもうこだわってんじゃないですかね(笑)もう僕らは何も言いませんでしたからね。相当なこだわりだと思いますね。

T:で、アルバムが出てライブとか?

M:いや、もう常にライブはもうじゃんじゃんやってましたね。出すたびにインストアやら何やら。アルバム後のはツアーを確か東阪福とやったと思いますね。

T:この頃の印象的なライブは?

M:クアトロがもうその酸欠になるようになったのは印象的でしたね。それは非常にこう、「春雨」からアルバムまで一つの流れで、一つの壁を越えたというか。前のバンドではなし得なかったその…。まあ、ようするに少し話題になったわけですよね。それはその、僕らのやり方でやるんだっていうところから始まったわけですから、それはもう嬉しかったですね。

T:それはmamaragファンが、新たに生まれたってことですか。

M:うん、新たに来た人多かったですね。やっぱり「春雨」のきっかけっていうのが大きかったみたいですね。


T:皆さんどうやってmamaragを見つけたっていうか、その音楽を聴くようになった?というかどういうところからきたお客さんでした?

M:まあそのマーケティング調査をしているわけではないんで、ちょっとアレなんですけど、例えばファンレターとか、後は当時僕ラジオもやってたんでそういうのから分析すると、ラジオ、「春雨」をラジオで聴きました、っていうのがもっとも多かったですね。カーラジオっていうのが一番多かったような気がしますね。

T:車で聴いて、気に入ってCDを手に取る、みたいな?

M:うん、そうですね。だから当時は、さっきもレコード会社のことは言ってましたけど、そういう意味でもなんか最後の世代じゃないですかまだ。なんて言うんでしょう。まあ今でも勿論あると思うんですけど。ただ、なんていうか今よりも状況がそういう傾向だったというか。ラジオで聴いていいな、って思ってそのまま買うっていうような。以前までの流れがまだあった、ていうか。今はもっとそういう状況って減ってるんじゃないでしょうかね、全体的に。もちろんないわけではないと思いますけど、傾向として。

T:この頃、iTuneみたいな配信って?

M:あったとは思いますけどまだ、急激に伸びたのはこの数年じゃないですか。だからウェイトがそっちでは全然無かったですね、だからまだやっぱりインターネットよりもテレビ、ラジオ、あと衛星放送、そっちだったんじゃないですかね。もちろん今でもそっちもあると思うんですけど傾向として。よくライブ終わって次の仕事に向かう車に乗り込むと「春雨」がかかったりとか。なんかそういう状況がよくありましたからね。


T:で、翌年2003年。「きみの瞳の中に」は。

M:これはその前にですね、アルバムのリリースを機にドラムの山田君がやめちゃうんですよね。


T:九州に戻られたとかがあったんですか?

M:いや、そういうのではなくて、かなりそのmamaragっていうバンドを、新しいブランドですけど、それを始めた僕のやり口っていうのがかなり強引だったんですね。今までと違うものをやる、とか、僕ら主導でやる、とかっていう風に持っていかなければいけなかったので、かなりメンバーにも帝国主義的な(笑)バンドの内容がありましたね。かなりその、共和制というよりは言う通りにやってもらう、というような。それでその、ドラムの山田君的には前のバンドが終わると同時にやっぱり終わっちゃったところがあるんじゃないですかね。それで脱退して僕と江口がまた、高校のときの、ドラムが脱退したときの状態にまたなっちゃったわけです。またバンド出来ないよね、困ったぞ、っていう。で、アルバム出して調子が良くて、一番いいときにそんな状況になって、色んな人から責められるわ、責任追及されるわ、こっちは大変だわ、でどうしたものかなって。

T:それは2002年の暮れですか?

M:ですね。


T:大変でしたね。

M:んで、さて困ったぞ、っていうんで江口と新メンバー探しに出かけたんですね。で、キーボードのナカムラくんっていうのがいて、彼がジャズメンだったんで各大学のジャズサークルに出入りしてて、ジャズサークルの人間だったらある程度腕は保証できるだろうということで、各大学のジャズサークルを回ったんですね。そこで出会ったのが豊田大雄くんっていう、二代目のドラマーで、まあとにかくテクニックを持ってるドラマーで。彼が決まったのが年明けで、それから作り始めて2003年3月くらいですかね、「きみの瞳の中に」っていうのを作りましたね。

T:内容的に前のアルバム「MAMALAID RAG」との違いというか。ドラマーの方が変わられたこともあるとは思うんですけど?

M:そうですね、一つのターム、シングルからフルアルバムまでいって、色んな人に飽きない音楽だねって言われたんです。で、それがどうにもひっかかっちゃって。飽きない、っていうことはすっと入り込む力も無いんじゃないかと。それがその、いわゆるコマーシャルさ、っていうのかな、ポピュラリティ、じゃないですけど、大衆性に欠けるんじゃないかっていう、というのをふっと思って。次は逆の方向から真逆の、ひっくり返して作ってみようと思ったんですね。で、それを僕は飽きる音楽って呼んだんですけど。んでまず最初に作ったのが「きみの瞳の中に」っていう表題曲なんですね。その頃からその、二元論、というか僕の健康上の理由もあってマクロビオテックっていう食事療法を始めて。食事療法を始めたのはアルバム作り終えてからなんですけど、そういった考え方をするようになって、二元論っていう。

T:簡単に言うと?

M:二元論って言うのは、全て表と裏がある、と。昼と夜があって男と女がいてオンとオフがあってっていう、まあ濃い薄いとか辛い甘いとか強い弱いとか白い黒いとか、まあ二つに分類するような考え方ですね。それを音楽にも応用してみようっていうコンセプトでもあったんです。そのコンセプトで、ミニアルバム五曲のうち、最初の三曲をそのコンセプトで作って、後半の二曲は前のアルバム通りのコンセプトで作ってますね。で、この一曲目の「きみの瞳の中に」は、ぼくらに言わせて見ればまんまと、というか初めてCMのタイアップが来た曲だったんですね。それはもうなにかしらそういう結果を出せるんじゃないかっていうのが僕らの中にはあったんですけど。ま、ソニーは、ディレクターは自分達のプロモーションの成果だと言ってましたけどね(笑)。僕らなりには音楽的な理由があったんですね。そういうこともあり、そういうコンセプトで作ったんですね。で、同じく二曲目もそういうコンセプトで「泣きたい気持ち」これはロックンロールですね。それから三曲目が「きみに夢中」これもそういった、ビートルズの影響が大きいポップス。で後半の「Darjeeling tea」と「それが望みさ」っていうのが、前のアルバムどおり複雑な和音を使って作ってる曲で。「それが望みさ」って曲なんかは特にサビが聞き流してよ、っていうそれが望みさっていう。「きみの瞳の中に」っていう最初の三曲は、聞き流せない曲にしてあって、その二曲は前のアルバムどおり聞き流せる飽きないコンセプト、で作ったんですけど。あるインタビュアーから大して売れてない人がこんなこと歌っても、そんな偉そうなこと言ってもねぇ、なんて評価を頂きまして。そういうなんか別に真面目なつもりではなかったんですけど。冗談半分で書いたんですけど。まあそういう五曲が入ってる、mamarag第二期と言えるような一枚ですね。

T:このアルバムから新しいものができた、って一つ挙げるとすれば、それは何ですか?

M:そのポピュラリティというかシンプルさ、というか伝わるスピードの速さを意識したようなコンセプトに、つまり最初のアルバム一連の「春雨」の流れからいくと真逆のやり方、ていうのに尽きる感じですかね。それにベースの江口が凄く反応したんですね。それで彼が曲作りを始めたんです。それが凄くこう大きくて。

T:その曲も入ってる?

M:その曲も録ったんですけどうまくいかなくて。棚上げになるんです。「きみの瞳の中に」でとったタイアップの後に、次のアコースティックバージョンを作って欲しいって言われて、で、作るんですけど、したら次のタームもって言うんで、今度新曲で行きたいと。そういうときにちょうど曲がなくて。で、江口の曲が録り逃してたんでそこで江口の曲を録ったんですね。で、それがCMでわりと話題になって、んで本ちゃんバージョンを出すことになるんですね。

T:シングルですか?

M:シングルですね。「そばにいたい」っていう。それが2004年ですかね。

T:夏ぐらいですね。

M:ですね。その間、前は2003年の3月で。


T:6月ですね。

M:6月?あ、3月レコーディングか。その間一年何してたかって言うと、そのつまりCMの要請にずっと答えてたんですよ。やれ、アコースティックバージョンが欲しいやら、新曲のCMバージョンが欲しいやら、それの夏バージョンが欲しいとか。まあ九州の電通さんが気に入ってくれてその今から数えると合計で1ターム三ヶ月を6タームやらせてもらったんです。間に一回違うバンドが入ったんですけど、まあ異例ですよね、それだけ連続して同じドコモの、NTTのCMで使ってくれた、っていうのは。でそのCMの要請に答える形で、自分らのアルバム制作っていうのが全然進まなくて。で、その間にCMでうちの曲が話題になってきたんで、シングル盤を出そうっていうんで作ったのが「そばにいたい」、でB面にその以前CM用に作った「きみの瞳の中に」のアコースティックバージョンが入ってるという。ま、CMシングル盤ですね。だからもうそれは割り切ってジャケットもCMの画像でいいよっていって。完全に割り切りな、商業的なシングル盤ですね。

T:2004年出た後、どういう動きになったんですか?

M:ちょうどその2003年の「きみの瞳の中に」のミニアルバムの後ぐらいから録音形態っていうのも徐々に気になり始めて、自宅録音っていうのを始めるんですね。で、どうもスタジオで録る音っていうのがずーっと気に入らなかったんですよ。で、ようはそのデジタル録音っていうのがいけないんじゃないかと。というところかアナログ録音、テープでの録音っていうのを試し始めるんですね。で、「そばにいたい」っていうシングル盤は実はカセットテープで録ってて、それはコンピュータも使ってるんですけど、リズムトラックはカセットテープで録ってて。

T:具体的にはどのように録るんですか?

M:カセットテープのマルチトラックレコーダっていう中学校のときに買った、当時4万円もしましたけど、4チャンネルなんですけどそれで録るわけです。もう走行ピッチも不安定だしノイズはのるし、アレなんですけどなかなか思い描いたのが録れるんですよ。

T:どういったところで録るんですか?

M:場所はスタジオでドラムだけ録って、後は自宅で。

T:自宅の環境で録ると。

M:音質的に実験を始めるんです。あとはやっぱりスタジオだと時間の制限があるので。それも一度とことん好きなだけやってみたいって時期でもあったんですけど。でそのカセットテープで仕上げたシングル盤から、さすがにもう音質的にはカセットテープでは我慢できないってなって、それで僕は秋葉原でオープンリールの8トラックの1/2インチのタスカム、レコーダーを購入するんですね。それがもう面白い機械で。オープンリールの世代ではないんでオープンリール自体が初めてで、レコーディングではマスターで使うハーフインチのものをマルチトラックに使うんですけど、なんでスタジオのアナログレコーダーに比べると音質は落ちるんですけど、音質の落ち具合がちょうど6、70年代ぐらいの感じに似てて非常にいいんですね。かなり安価で買ったんですけど、定価は2、30年前くらいで40万くらいするものでかなり高価な精密なもので、ピッチやらノイズやらそういうのも非常に性能のいい機械、それにして引き続きそのCMの要請に答える形で、曲を録音するんですね。で、その発展系で作ったシングル盤が「街灯/ふたりで目覚めたら」「ふたりで目覚めたら」って曲はCMで流れた、それで作った、録った曲ですね。

T:これも「そばにいたい」と同じタイアップの?

M:そうですね、そういう流れですね。それから、

T:2005年、ですね。

M:それが2005年?


T:はい。

M:ああ2005年の1月?

T:はい、1月ですね。ミニアルバムです。

M:それから、「銀の爪」ミニアルバム。あ、その前にですね。前後しますけど豊田君が、「きみの瞳の中に」一枚で脱退するんですよね。やっぱりバンドとしてのまとまりがつかなかったんですね。初めからの、山田君ほどの、結束力が持てなかったんですね。彼のドラムは非常にテクニカルではあったんですけれども色んな音楽に対応できるようなタイプというよりは非常にこうハイテクニックな感じであったんで、なかなか上手く折り合いがつかず。やめちゃってつまり江口の曲と「街灯/ふたりで目覚めたら」っていうのは僕がドラムを叩いてますね。

T:ああ、そうなんですか。

M:それも大きい変化でしたね。


T:ドラムって以前は叩いてたりしたことあったんですか?

M:いや、遊びでリハーサルスタジオでやったりはしてたんですけど。ポール・マッカートニーみたいなもので暇があれば色んな楽器をいじってたっていう。だからレコーディングのときも勝手に人のドラムセットに座ってドカドカ叩いたりって感じで、まあにわかではあったんですけどやってたんです。なんで、その頃から、もちろんギター、ボーカルおよびキーボード類、それからドラムス、で、ベースは江口がやって、録音からミックスまで、その二枚のシングル盤は全て自分達でやってたんでどんどん大変になってった時期ですね。非常にこう余裕が無かったというか。かなり濃厚な時期でしたね。それで僕はとにかくCM制作とマルチで自分達でやるって言うのに嫌気が差してて。もう学べるところは学んだってとこもあったんです。自宅録音で得られるのも。そのCMからヒットを生み出そうっていう方向にどんどん行くスタッフと、だんだん話が合わなくなってきて、僕はとにかくそのアルバムが作りたかったんですね。そういう目先のCMではなくて。アイテムとしての。mamaragのアルバムっていうのを。で、及び自宅録音をやめようっことで作ったのが「銀の爪」で、自宅録音でも録ったりしてる曲もあった中で全部破棄してスタジオに久しぶりに戻ってきて、やったアルバムですね。「銀の爪」はそれで、しかもそのちょっとクロスウォーク時代のマイナーキーのブルーズロックみたいな雰囲気の曲で。「カレンダー」は既に宅録で仕上げてたんですけど、録り直した曲。それから「金色の午后」は、これも録ってた曲のリテイクですね。それから「心のドア」これはレコーディングスタジオで思いつきでそのまま録音したような、かなり即興的な曲。それで最後はライブ、キネマ倶楽部でその頃ライブを始めて、そのライブでの「キネマ倶楽部のテーマ」っていうそのライブ用に作曲した曲を収録してますね。という「銀の爪」。

T:タイトルが「銀の爪」意味は?

M:これは色んな人にタカの爪とか(笑)色んなこと言われたんですけど。タカの爪じゃない。その僕は始めはすぐ意味が通じると思ってつけたんですけど、意外に通じなくて色んなとこで説明する羽目になった。これは女性のマニキュアのことですね。「銀の爪」が引き裂いた傷跡っていう意味で、女性の爪のことを言ってるつもりなんですけどね。まあ分かる人は分かったんですけど。まあ三割くらいでしたね。そういうタイトルですね。


T:なにかアルバムのジャケットイメージがこの辺からなんか変化しますね。「MAMALAID RAG」って文字が。これは?

M:これはですね、僕がですね、竹久夢二に傾倒し始めまして(笑)。


T:なるほど(笑)。

M:で、その夢二デザインだと。江口にもう文字デザインの素晴らしさを展開し。江口と僕の素晴らしいところ、っていうかいいところは、このコンビがいいところは、僕が何かアイデアを思いついて披露すると、必ずこう共鳴してくれるんですね。「おお確かにいい」と。んでデザイナー、アートディレクターに是非そういうものを作ってくれと。文字デザイン及びその切り絵の様な。んでところがその思った以上に夢二の文字デザインはそう簡単に真似のできるものではなかったんですね。で、真似をしちゃうとそのままになっちゃうし、オリジナルなものを作ろうとすると夢二デザインほど洗練された感じにならない。そこがその完全に誤算でしたね。だから意図したものとは別な伝わり方がしたような気がするんですけど、まあでも方向性としてはそういう方向性で、そうですね、「銀の爪」からジャケットの主導権は僕らが握り始めましたね。

T:それで、がらっと変わったんですね。

M:そうですね。

T:なんか、こう、挿絵的な感じですよね。いい感じですよね。

M:そうですね。


PART3 END>>>    PART2>>>   PART1>>>

今年2009年、久しぶりの新音源を連発するママレイドラグ。

1月リリースの「オフェリア」に続いて、3月18日にリリースした、
2009年セカンドシングル「空に飛ぶ想い」(c/w 恋の予感)。
5月には第三弾シングル「すてきなダンス」をリリース。
そんなママラグ田中拡邦さんよりメッセージ映像をお届けしています。


    

MAMALAID RAGの詳しいインフォメーションは、オフィシャルサイトまで!

Movie

MAMALAID RAG /
SPECAIL MESSAGE 2009 SPRING」


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