ナリオ監督は、momentが注目している新進気鋭の映像作家である。
11月4日、最新作「ネゴシくん」の上映がロフトプラスワンにて行われた。
サイレントの映像に「活弁」、「サウンドトラック演奏」、「効果音」をライブで乗せるという異例のコラボレーションで上映された「ネゴシくん」は、ナリオ監督の現在のパワーを感じさせる素晴らしい作品だった。
その翌日、momentのKENがインタビューを試みた。
(2002.11.5 世田谷「moment」にて)
KEN(以下K):momentとの関係を説明してもらえますか?
ナリオ(以下N):「ブリキの自発団」という劇団で一緒に芝居をやっていた人から、寺澤さん(TERA)を紹介してもらって、スカパーの音楽番組を一緒にやらせてもらったりしていたのと、東京想舎に最初に来た時にはド素人だった櫻井君(KEN)が寺澤さんと融合して参加しているっていうのもある。
K:(笑)。はじめに、ナリオさんが上京してきたきっかけから教えて下さい。
N:高校を入学式の次の日に辞めて、何をしたらいいのか全然わからなくて。学歴も無いし、時間にもルーズだし自分には何もできないと思っていた。SEXも一生できないと思ってたし(笑)。で、何をするわけでもないが、とりあえず東京に来て、アパートを借り、バイトを探して、東京での生活が始まったんだよね。とりあえずライブハウスというものに行ってみたかった(笑)。「宝島」の同じページを何百回も読んでいるような少年だったから。当時、ブルーハ−ツ、ジュンスカ、ラフィン・ノーズ、コブラ、アナーキー、ケンジ&ザ・トリップス、ニューロティカとかがすごく好きだった。それでライブに行きまくったり、憧れだった「ロンドンナイト」のスタッフを1年ぐらいやったりして、かなりその時期、東京を満喫しましたね。「バンドやろうぜ」っていう雑誌のオシャレ大賞とったりもしたね(笑)。
K:(笑)その後、どうなっていくんですか?
N:役者をやり始めて、それからずっと舞台で6、7年、「ブリキの自発団」というところでやっていたんですが、ある時、片桐はいりさん、山下千景さんらの主力が全員辞めてしまって、『安吾とタンゴ』という芝居の主役が自動的に僕になったりする訳ですが、やっぱりナリオじゃ、主役は無理だったということでノ(笑)。その後、「ブリキ」もいつの間にか活動休止になった。で、役者でどうにかしなければと思っていたから、まず映画に出たいというのがあった。でも映画に出るのはなかなか大変な事で、オーディションなんてのもいくつかいくんだけれども、だいたい落ちるんだよね。
K:それはどういう理由で?
N:単純に下手なんだよ(笑)。
K:・・・・。
N:ビールのCMのオーディションに行ったら、伊東四郎さんと共演する役だったかな、オーディション会場で、本当のビールと水が入っているコップがあって、「好きな方でいいですよ、飲んでみて下さい。」っていうのよ。で、ビールを飲みながらサッカーを観て、「おっ!点が入った!やったー!」でビールを飲んで「うまい!!」と(笑)。で、広告代理店の人とかがいて、これは本当のビールを飲んだ方がいいんだろうなと思って、そっちを飲んだら顔が真っ赤になっちゃって、これは芝居どころじゃない(笑)。ボロボロでこれは駄目だと思っていたらやっぱり駄目だった。
K:(笑)
N:そういう駄目な日々で、映画に出たいんだけどなかなか自分が出られるものが無い、だったら自分の出る映画を作ってしまえという事から始まったんだよね。でも、それまで自主映画というものが大嫌いで、まわりにそういう人もいなかったから「ビデオサロン(ビデオ技術情報誌)」を買ったりして、カメラはVX1000っていうのがいいんだ、とか今の時代はパソコンを使ったノンリニア編集がいいのかなとか。で、かなりの借金をしてSONYのVX1000とバイオを買ったのね。
K:それが映像作家としての始まりだったわけですね。
N:そう、それで『N.』という映画を作った。『N.』はNARIOの『N』ね。僕が、監督・脚本・主演・編集すべてをやって、それで、案外周りにはウケて、未来テレビの主催する「零映画祭」というので3位に入賞したりして、まあいい気になっていたわけですよ。
K:1作目は勢いで、結構あっさり撮れたんですか?
N:その当時、みんな経験なんてないから適当な役者仲間をつかまえて「あんたカメラマンだから、このカメラ貸してあげるから持って帰って一晩で慣れてきて」なんて言って、やったりして。半年ぐらいかけて作ったのかな?
K:未来テレビと関わるようになったきっかけはなんですか?
N:知り合いに業界人の集まるお花見があるから行こうって誘われて代々木公園に行ったら、未来テレビのプロデューサーの人を紹介してもらったのね。その人から「バー青山」っていう所で毎週月曜日に自主映画とか映像をやっている若者達が集まるイベントがあるから来たらどうだって言われて、そこへ行ったら未来テレビで番組を作っている人達がたくさんいた。それで、『N』を見せたら「零映画祭」に出してみたらどうだって話になったりして、付き合いが始まって、じゃあ番組を作らないかって話になったんだよね。役者では全然お金にならなかったのに、作り手になったらなぜかどんどん仕事が来るようになったりして、しかも役者をやっている時よりもすごく面白い。役者の時はその作品の一部でしかなかったけど、監督になったら脚本から、衣装、ロケーション、キャスティングすべて構築する事ができるという楽しさがあって、責任もついてまわるけど、全体を操る事ができるのが心地よくてどんどん作っていったんだよね。
K:『N』は零映画祭以外ではどこかで上映したんですか?
N:自主映画の人たちがやっていた、「自主上映会」というのをすごい“ダサイ”と感じていたのね。で、何か別の方法が無いかと考えた結果、やったのが“ロードムービー”。渋谷のデパートのシャッターとかをスクリーンにして夜8時ぐらいから自分の作品を上映する。路上で上映するから“ロードムービー”(笑)。最初の作品『N』は、もともとその路上での公開を前提にしていたから、どっから観ても分かりやすいものにしようとしたのね。それでどのシーンから観ても話が何となくわかるような作りにした。これは小屋代がかからないし、圧倒的多数の人に観てもらえるし、この発想はノーベル賞ものだなと(笑)でも実際やってみると冬だったから寒いし、発電機やらプロジェクターやらが重くてその当時、車なんてなかったから電車で運ばなきゃいけなくて、非常にめんどくさかったんだよね(笑)。
K:一人で撮影と編集をやっていた時はどっちの作業の方が好きでした?
N:僕は非常に非力でカメラを長時間持っていると、手が震えちゃって撮影どころじゃないんだよ(笑)。今はいいカメラマンと出会って一緒にできるからいいけど、始めた当時は周りにカメラを扱える人なんていなかったからしょうがなく自分でやってたけど、もともとあんまり好きじゃないね。編集は自分の作品の為の素材がどんどん形になっていくというのが楽しくて、きっとそういう作業が好きなんでしょうね。
K:東京想舎の成り立ちと、今のメンバーについて教えて下さい。
N:『東京タワー』のチラシにもコメントを書いてくれたライターの織田裕二くんと、『鉄人R』というロックとプロレスのミニコミを出した時に付けた名前が「東京想舎」で、そのミニコミは1号しか出さなくて、その後ずっと封印していたんだけど、映像をやろうと思った時に「東京想舎」という名前を引っぱり出してきて、この名前でやろうという事になったんだよね。その時のメンバーは山本真規子という女優一人とスタッフが一人だったね。今のメンバーは、作品をどっかで観て連絡してきた人から、知り合いのつてで来た人からいろいろだよ。
K:役者はもうやらないんですか?
N:役者も楽しいからやりたいけど、今は作る方が楽しいからね。でも最近も『湘南爆走族』のオークションに知り合いの役者の人に誘われて一緒に行ったよ。バイクの免許が無くて落ちちゃったけど(笑)。
K:ナリオさんの言う「ロックと音楽の融合」の融合とはどんなものですか?
N:僕は、SEXやバイオレンス、ドラックという要素が無くてもロックは描けるんじゃないかと思っているから、自分なりのやり方でロックなものを描けたらいいなと。極端な話、嫁と姑の話でもロックは描けると思うんだけど、やっぱりそれはすごく難しい作業で、僕が今まで作った一番ロックな映画は「ネゴシくん」になってしまったんだよね。結局ああいうものでないとロックは描けないのかなあ・・・。難しいよなぁ。でも、『東京タワー』はその一歩になったと思うんだよね。僕は“青春”がすごく好きだから(笑)。“青春”をキーワードにロックを描けたらいいな。
K:最後に。
N:今回、“moment”を立ち上げるという事で、またなにか一緒にできたらいいなと。
人とのつながりは大事にしたいし、僕は友だち百人作りたいタイプなんで(笑)
END.
今後も、momentが注目していくナリオ監督は、来年、更にスピードアップして活躍の場を広げて行く事だろう。
もっとナリオ監督の事を知りたい人は、東京想舎のweb siteを訪れてみて下さい。
東京想舎 http://www.tokyososha.com/
未来テレビ http://www.miraitv.com/index.html
Astro Cheap http://fox.zero.ad.jp/astro/ac.html
Pict-up http://www.enbu.co.jp/pic/