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TOUR CLIMAX 2003.5.9 [DVD] (タワーレコード限定販売) 2003.8.6/bounce records/ mochiv-001/¥3675(税込) ■すべて、2003.05.09 東京SHIBUYA-AX収録 オフショット映像も収録 LIVE 2003.5-6.7.9[CD]
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#22 REPORT:04.09.10/「CAJUN MOON BAND」(東京/原宿Blue Jay Way) REPORT:04.09.21/「福田眞純 yoga resort」(東京/渋谷公園通りクラシックス) LIVE: 04.10.23/「天才トノサマBAND」(川崎/セルビアンナイト) LIVE: 04.10.25/「ノボルヒロシ」(吉祥寺/スターパインズカフェ) 連載 TERA'S SOUNDTRACK REVIEW |
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momentに関連したミュージシャン、バンド等を紹介します。
#22
ありましの
1999年4月、京都で在学中、ユニット「Nobody Knows」結成。
2003年に上京し、現在ソロとして、全国をライブ活動しながら、
アルバムのレコーディング中の、ありましのさんのインタビュー
です。
吉沢梅乃
/ Umeno
Yoshizawa
2001年、CDデビュー。2003年に、アルバム『color』リリース。そして、今年の春、「Howlling
Butterfly」を結成、ソロ、バンドと、精力的な活動を続けている吉沢梅乃さんのインタビューです。
(2004年9月27日/世田谷momentにて/インタビュアー:TERA@moment)
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高校時代にいろいろ逢った子たちが、本当に家庭環境が複雑な子、虐待されてる子、自分で自分を傷つけてしまう子、そういう友達がすごく周りに多くて、すごく考えさせられて、自分に何が出来るんだろうと思った時に、自分が100%経験をしているんだったら、きっと一緒にしゃべって、わかってあげられるんだろうけど、自分が100%以上経験してなかったら、やっぱりそういう子たちから見たら、「わかるはずない!」って、そうなっちゃうのは自分も何となくわかったから、「そっか!」って。「歌で!」って。 TERA(以下:T):よろしくお願いいたします。 吉沢梅乃(以下:Y):よろしくお願いします。 T:まず、生まれと場所から教えてください。 Y:亀戸です。東京の。違うかな。今、両国の方だけど、何歳だろう? ほんとに印象がない。覚えてないぐらいの時、亀戸にいた記憶があるから、多分、亀戸かな? T:小さい頃は、どんな遊びを? Y:私は集団生活が苦手な子だったから。ほんとはみんなと溶け込みたくてしようがないんだけど、結構ね、友達と1人ずつ2人で、ピンで鬼ごっこしたりとかしてた。始まらないじゃん!みたいな。どっちかじゃん!みたいな、そういう感じで、何か意味もなく、ただ遊ぶ事は好きで、家の中にいれる子じゃなかったんで、外に飛び出して鬼ごっこをして。妹がいるので妹の友達とかを混ぜて遊ぶのが好きだった。仕切りたがり屋なのかな、もしかしたら??? T:妹とは仲よかったですか?普通に。 Y:小さい頃から、妹はくっついてきてばっかり。でも妹、すっごくかわいかったから。いつも、私の友達の家に遊びに行くのでも、常に一緒。妹も連れていく。 T:はじめて聴いたCDは? Y:ほんとに一番初めに聴いて、自分の印象があるのは、「男と女のラブゲーム」かな。おばあちゃんが好きで。一緒に「男と女のラブゲーム」とか歌ってたのがカセットテープに残ってます。おばあちゃんとデュエットして一緒に歌った記憶がある。多分それかな。 T:小さい頃は、どんなテレビ見てました? Y:私、あんまりアニメを見るんじゃなくて、小さい時から「サスペンス劇場」とか、そういう大人の複雑な、何ていうんだろう、不倫とかそういうものにばっか興味を持って、りかちゃん人形で遊んだ経験とかがないんですよね。 T:小学校の時、部活とかは? Y:小学校の時は、バスケ部だったかな?バスケ部だったけど、ルールわからないでやってた。 T:誰も教えてくれなかったの? Y:普通に入ってて、とにかく運動やりたくてね、スポーツが。バスケ部っていう事になって、私と友達と女の子が3人ぐらいしかいなかったんですよね。あと、男の先輩たちばっかりで、もうみんな上手いじゃないですか。私、ボール取るのに必死だったから、パスとかの記憶よりも、しがみついて。でっかいじゃないですか、男の人の方が。先輩だったし。だから、一生懸命ボールを取りに行ってた。「何だよ、このやろう」って言いながら。そんな記憶しかない。だから、全然ルールはわかってなかった。 T:小学生の時、好きだった音楽は? Y:小学生の時、すごく好きな子がいて……。で、何も言えなかったくせに、勝手に失恋をしたと思い込み、ドリカムの曲、聴いたな。聴いてひとりで家で泣いてましたね。みんなには、「え?」っていう目で見られるような子だったんで、多分。大人の人には、よく「かわいげのない子供だね」と言われましたね。何かわからないけど、多分「ませガキ」だったんでしょう。 T:泣いてしまうまでに、感情が多感だった? Y:何かね、好きだから。「近づきたい、近づきたい」と思ってて、普通に、じゃれあったりとか。今も交流があるんですけど、自分の担任になってくれる先生がすっごいいい先生で。何ていうんだろう、みんなと勉強をちゃんとしなさいという事を教えるよりも、みんなとの「和」っていうか、仲間の大切さみたいなものをすごく教わったので、何か誰がこの子を好きとか、誰だれちゃんが好きとか、だれだれ君が好きというのがわかると、二人を仲よくさせようとしてくれるんですよね。だから、それで仲よくなったりしゃべったりはしたんだけど、何かうわさで聞いたのかな、違う女の子が好きっていうのを。その時に、「あ、もうだめなんだ」って、自分は被害妄想が強いので、かなりネガティブなので、やばいぐらい落ちてましたね。勝手に悲しんでました。みんなが知らないところで・・・。 T:他に思い出ある曲って? Y:うちの母が割と音楽は好きだったんで、洋楽はよく聴いてて、今でも流れてくると、「あ、これ」ってわかるんだけど、名前と曲名がわかってないから、いつもみんなに「これ何ですか?何ですか?」って、名前言われてもわからないっていうぐらいだから、多分洋楽も普通に聞いてたし、何だろうな、思い出の曲って。安室奈美恵さんとか、多分聞いてたと思う。友達と、そうだ!友達と踊るのがすごく好きで、友達とラジカセみたいなのを家の下にわざわざ持っていって、見てほしいオーラがあったから、家の下にいって、安室奈美恵さんのCDをかけて、振り付け考えて踊ってたな。見てよ、見てよというばかりに。 T:見てくれたの? Y:「何やってんの」(笑)「うるさいから」って。「近所迷惑だよ」って。でも「カッコいいとか言ってよ」みたいな感じだったけど、二人でその晩、落ちてました。うちらはカッコいいと思ってやってたのに、何だったのみたいな。そういうのやってた、勝手に。勝手に何かつくるのがすごく好きな子だったから、急に私は先生役、じゃあ、あんたは違うA先生とB先生、違う先生役とか、勝手にシチュエーション考えてドラマをつくってみたりとか、何だかんだ仕切って勝手にやってましたね。 T:中学入ると? Y:中学校の時は、小学校でずっと毎日一緒にいた友達と1回離れて。私はすごく独占欲が人に対して強いから、多分伸び伸びしたかったんだろうな、その子。今ではすごく仲いいけど。でも、そのときは一時その子と離れて。小学校の時とは中学校って違うんですよね。もてるタイプの人が。小学生の時にもててたような男の子が、中学生になったら、「もう、何、あの人」って言われる感じになってたりとかして、また中学校の時は3年間ずっと好きな人がいましたね。一人の人に集中すると、ずっと思ってるから、よくみんなが熱しやすく冷めやすいっていうけど、多分私は熱しにくく、さめにくいんだと思う。ずっとその人を思ってたね、すごい。その人を思って、今度はドリカムの「LOVE LOVE LOVE」とか「好き」っていう曲を聴いて泣いてたな。 T:片思いだったのですか? Y:結局片思いでしたね。そう。その時って、何が好きって、雰囲気たったり、とにかくその人を好きだった理由は、私、集団で「がー」ってやるのがすごく嫌い。嫌いっていうか苦手な子だったので、私が好きになった人も一匹狼タイプで、一人ででも大丈夫な、一人でどっか行って、みんながくっついていくみたいなタイプだったから、その堂々とした感じがすごいいいな、人間としていいな。媚びてないっていうか、本能のままに動いてるっていうか、生きてる感じがすごい好きになったんですけど、その頃の私は人と普通にしゃべれるような子じゃ全然なくて、引っ込み思案で、自分の思ってる事を言えない子だったので、告白は頑張ってしたけど、結局だめだったな。 T:引っ込み思案で? Y:ちょっとした事で、友達に、何か「あんたのここがいいよね」って言われた一言だけでも、すごくうれしがってる子だったから、何だろうな?深く物事を考えなさそうに、外では見せつつ、中では一人で孤独にどんどん自分を追い込んでいくタイプなので、引っ込み思案という事で、人とうまく話したり出来なかったかもしれない。だから、自分の思ってることを言う前に、相手がこうしたいって言ったら、自分がそうしたくなくてもそれに合わせちゃうっていう子だった。何でここで言えないんだろうっていう悔しい部分もあったし。だけど、それを思うように外に出せないっていうか、タイミングがわからない。呼吸っていうか、普通にする呼吸がどんどん乱れていくんですよね、何かを言おうとすると。どうすればいいんだって。じゃあ、黙ってたほうが楽だって思って、黙ってる子だったかな。たまに自分で根暗だなと思いますよ、すごく。 T:今でも? Y:うん。今でも。 T:何か部活は? Y:中学1年生の時にバスケ部をやっていて、中学2年生の時に、バスケに飽きたっていうか、何をやっても続かない子だったので、中学2年生では体操部に入って、そこでもまた、もういいやと思い、あきらめが早いので、中3の時は歴史研究部に入り「よし、これだ」と思い、転々としてました。あと中学生の時、選択授業で音楽をやってて、私はピアノかな? 友達がトロンボーンで、みんなでね、私が好きな曲「ムーンライトセレナーデ」を人前で舞台の上でやった。学校の中での記憶がすごいあって。放課後みんなで練習したりとかして。あれはやってよかったし、楽しかったなっていう。青春だって、今は思う。 T:上手く出来た? Y:みんなすっごい上手いわけじゃなく、ちょっと出来るよぐらいだったから、普通にトロンボーンをやってる子が2人いて、私がピアノだった気がするんだ。もう1人はトランペットかな。4、5人ぐらいでやったね。音楽の先生と仲よかったから、いろんな事を教えてくれて。私がピアノを習ってて、楽譜を読めるから、楽譜を見てみんなで。わけわからないながらも、つくり上げて、「この感じじゃん」みたいな。本番前まで、1回も完璧に合った事がなかった。本番に始めて、今まででやっぱり一番いいのが出来てよかったねって。「はじめてみんなで合ったじゃん」みたいな感覚だった。 T:中学を卒業した頃は? Y:中学を卒業する頃は、「こういう自分が嫌だ」と。引っ込み思案で、人の顔色を見てしまう。人の顔色を見て生きてる気がして、自分で、そういう自分が嫌だと思い、私と全然全く逆に、逆な生き方をしている友達が、中学校の時にいて、その子をずっと見てた気がするな。どういう風になったら、こういう風に色んな人としゃべったり、笑ったり出来るんだろうって。「変わらなきゃ」と思った、中学3年生の時に。「どうやって変われるんだろう」って。初めはわからないけど、少し真似をしてみればいいのかな?って。自分の中での「こうしたほうがいい」っていう材料なんて、中学生の頃はまだなかったから、「じゃあ、とりあえず真似してみたらいいのかな」と思って、真似したけど、結局うまくいかなくてって悩んでて。「高校に行ってもうまくやっていけるのかな」っていう不安を持ちながら、卒業していきましたね。 T:何か変わった? Y:何かね、人数があんまり多くない学校で、自分にも責任があるんだろうけど・・・。何かあると、女の子にシカトされたりとか、そういう時期があったんですけど、それを理由で1回も学校を休んだことがなくて。逃げるのがすごく大嫌いで、人から逃げるっていう前に、自分自身から逃げてる事になるって、その時からずっと思ってたから、自分自身に負けたら、自分自身に悪いし、自分を生んでくれた親に失礼だって、常に頭に考えてて、「絶対そういう子にはなりたくない」と思ってたから。変われる気がしたし、本来の自分を表現できるようになれば、きっと違う自分を発見できるんじゃないかなって思ってたから、苦しい部分と悲しい部分、切ない部分もあったけど。だけど、変われるんじゃないかっていう、自分自身を楽しめる自分もいて。 T:いっぱい考える人だった? Y:多分、今は、こういうふうに人にしゃべったり、自分を知って欲しいなって思う事が、素直に出せるようになったけれど、根本的な性格とか、内面的、考えてることっていうのは、幼稚園とか小学校ぐらいから全然変わってないですね。 T:高校でどうなりましたか? Y:高校に行って、色んな人と出逢った。多かったのが、私と一緒で「歌を歌いたい、女優に憧れてる」子だったりとか、地方から出てきて、ひとり暮らしをしてる子がすごく多かったので、何て自分って甘えてるんだろうっていう部分にすごく刺激されましたね。好奇心だけは旺盛だったので、いろんな方言を聞くのがすごくわくわくするし、そういう子たちって、恥ずかしがったりとかするんですけどね、友達も「方言、嫌だよ」とかって言うんですけど、私は居心地がよくて、地方から出てきた友達が、その子の親が電話をかけてきた時なんかは、私、もうずっと隣で聞いてますね。方言でしゃべるから。わくわくするし、うらやましかった。私と住んできた環境が違うっていう事にどきどきしたし、わくわくした。とりあえず、高校生活はいろんな人としゃべろうと思った。固定観念を持つ人間にだけは絶対になりたくないと思ってて。答えなんて、あるようでないものって言ったら変だけど、いろんな答えがあって、それが感性だからいいんじゃないかなと思ってたから、いろんな人としゃべる事によって、そういう風に受け止めたんだっていうのが聞けるし。すごい楽しい世界でした。高校生活が一番楽しかった。その頃に出会った友達とかがいなかったら、今の私はいないなって思うぐらい、私の居場所でした。 T:歌手になりたいと思ったのは? Y:私が覚えてる限りだと、8歳とか9歳とかかな。今、振り返って自分のおばあちゃんとかお母さんに話を聞くと2歳ぐらいからマイクを持って人前で歌う、家のベランダを開けて、外に向かって歌うような子だった、みんな聞いてくださいっていう子だったらしくて。多分自分自身か気づいてないだけで、覚えてないだけで、ほんとは多分生まれた時からそういう事に憧れてたんだろうなって、すごい思う。きっとお母さんのお腹の中にいるときから、いろんな音楽とか聞いてたと思うから、いつからやり始めたかっていうのはなく、知らないうちにマイクを持って、人前で歌って、みんなが笑ってくれたら、それはすごく自分にとって幸せだったし。生まれたときから、そういう風に「自分はやる」って決めてた気がする、今考えると「宿命」だと心から思う。 T:実際の動きは? Y:中学3年生の終わりかな?高校生になる前に、今一緒にやってるピカソの人たちと会うきっかけがあって。 T:そのきっかけは? Y:私のおばあちゃんが家を持ってて、その家をスタジオとして使っているのがピカソの人たちで。私は、歌いたいっていうのは常に思ってたから、会うきっかけをおばあちゃんにつくってもらって会って。ただ、初めは普通に話をするだけだったんでけど、自分で勝手に、おばあちゃんの家に行ってカセットテープとかCDを入れて録音して、聞いてもらったら、「やってみようよ」っていう事になったので、そこからが始まりです。今考えると、自然にいろんな事を身につけられましたね。しかられた記憶もなくて、今も一緒にピカソの人たちとやってるっていう理由は、すごく私が伸び伸びっていうか、自然体の梅乃をそのままみんなが感じて受けとめてくれて、自分は自然体でしかいられないタイプっていうか、自然体でしか生きれないなと思うから、すごい私には合ってて。何か今でもわくわくしますね。そのスタジオが北越谷にあるんですけど、そこに行くとわくわくする。それは一番初めにそのスタジオで会ったときと全然変わってない。そのわくわく感は。 T:ピカソに、初めて会った時の事って覚えてますか? Y:覚えてます。私、制服で行ったんですけど、ピカソの辻畑さんと東さんに会って、引っ込み思案な私は正座をして、一言もしゃべりませんでした。おばあちゃんが横にいて、おばあちゃんがずっとしゃべってて。「これじゃだめだ」って、自分で思ってたんだけど結局しゃべれなくて。でも、多分歌を歌うのが好きなんだよね?って聞かれた時だけは、「はい」って。それだけは自信を持っていつでも言ってた気がするな。 T:高校に入るのと同時に、音楽活動を? Y:そうですね。ちゃんとね、ちゃんとって言ったらおかしいけど、まずは学校卒業することっていうのが絶対当たり前だと思うから、それだけは優先しなさいってみんな言ってくれたから、学校の生活を満喫してた自分のほうが、多分そのころは大きかったかな。 T:最初のレコーディング、その作業の話を聞かせて下さい。 Y:はい。北越谷のスタジオで歌を歌ったんですけど、何だろう。時間をかけたっていうよりは、結構、短時間で終わった気がする。その時にすぐ歌って、それからいろいろな作業に。でも今思うと、その頃は多分何も考えてなかったなと思います。何も考えずに、ただ歌が好きで歌ってた自分がいる。 T:それからどういう動きに? Y:一番初めに歌ったのは「チガウ夢」っていう曲。CDの「チガウ夢」とは詞が違うんですけど、その時は、初めて辻畑さんたちの前で、一緒にやる曲を聞かせてもらって、初めに歌ったのは「チガウ夢」だった気がする。そこから『天使にできないこと』っていう3曲入りのシングルをつくって。 T:2つの「チガウ夢」っていうのは? Y:最初「チガウ夢」っていうのは、「別々の違う道を選んでしまった」っていう内容でした。新しいやつはアニメのエンディングテーマになったんですけど、虹の出てくるシーンとか、いろんなシーンが入って、一番初めの「チガウ夢」っていう悲しい部分とはちょっと違って、「明日に向かって頑張っていこうぜ!」っていう、前向きな曲に仕上がってます。 T:『天使にできないこと』が、実際、CDの形になった時は? Y:自分の歌がこうなってる実感がわかなくて、「何だこれ」って。「すごいな」と。びっくりっていうか、こういう風に出来ていくんだと。それまでは当たり前にCD屋さんに行ったらそういうものを買って、どうつくられていくのかっていうのが全然わからなかったのに、自分が歌って、ジャケットが出来て。すごいな、すごいなとしか言いようがなかったし、圧倒されてた。 T:周りの反応は? Y:周りの、そうですね、親もそうだし、親戚もそうだし、みんな喜んでましたよ。あと、初めのうちは友達に聞かせなかったな。どういう風に説明していいかわからなかったし。どういう風に受けとめられるんだろうと思ったら、緊張しちゃって。でも少したって、「こういうのをやっているんだ」って言って聞かせたり、みんな「いいね、すごいね」って、そういう意見を結構言ってもらえたから、すごく嬉しかった、純粋に。 T:ライブ活動は? Y:多分16歳の時。渋谷で、ピカソの辻畑さんと東さんと私で初めてライブをやりました。 T:はじめてのライブはどんな感じだったんですか? Y:今もそうだけど、どきどきした。どっかのお祭りとか、そういう人前で歌う事は10歳ぐらいの時から、何度か経験した事があったんですけど、大会に出場するとか、コンテストに出るとかとは全然違うから、すごい舞い上がってた記憶がある。でも、本番前、すごいえへら笑ってた自分もいた。だから私があんまり緊張してるように見られないっていわれるんですよ。すっごい緊張、どきどきしてるのに。周りの人か泣いちゃったり、震えて、もうだめとか、そういうのがすごいいっぱいあるから、いつもライブ前やるたんび、友達にも親にも、だれにも会いたくないの。私以上に緊張して、一番初めのライブの時は、友達が本番前に泣き始めちゃって、「どうしよう、どうしよう」ってずっと言ってて。「ごめんね」みたいな。「でも、やるよ」って感じで、私は普通にやって。そのときは、小学校のときの担任の先生が自分の息子さん連れてきてくれたんですけど、「よかったわよ、こういうことをやっているのね」とかって。何かちょっと安心してくれたかな?と思って。今、自分はこういうことをやってるんですって。そう!それで、終わった後に、初めて撮ったの。終わった後に、東さんと辻畑さんと3人で写真撮ったの。それが初だった。だから、何かぎこちないの、並んでる位置が。最近見てないけど、多分見たら笑える気がする。それが初めてのライブだったな。 T:学生生活と音楽活動と両立させて。学校は休まずに? Y:学校は、はっきし言って休みました(笑)休んだ。休みましたね。 T:でも、さっき高校生活はすごい楽しかったって。 Y:(笑)そう言ってたのに、行かなかったのはなぜ?ってなるか。学校は好きだった。すっごい好きだし、楽しかったし。ただ、起きれなかったっていうかね。朝方まで何してたんだって話だけど、学校は好きだったな。ほんといい先生で、今でも会いに行くんですけど。何て言うのかな、自分の性格を全面に出せたのか高校生活で、それをわかってくれる人、その見たものをそのまま受けとめるんじゃなくて、その子が隠し持ってるものだったり、外に出さないけどうちに潜めてる悲しさだったり、痛みだったり、そういうのを自分もわかってあげたいなって、すごい思った時期でもあるし、逆に私か外に出せない部分をすごくわかってくれる人が周りにその時期多くて、そのころに出会った人たちとは、今、すごいつながってますね。自分がこういう風にしゃべれる様に自分を表現できるっていうか、ありのままの自分を口に出してしゃべれるっていうのは、その時期があったからだと思う。だから、学校はすごく好きだった。楽しみ方とか、遊び方とか、見たものを感じる自分の感性だったり、そういうのが自分自身と違う友達ばっかりだったから、そういうのを夜通しひとり暮らししてる友達の家で語ってたな。人、人間っていうものがすごく好きで、人としゃべる事がすごく好きだなって再確認した。その前までは、好きなはずなのにうまくできないから、怖がってしまって、それ以上前に進めない自分がいたけど、自分で自分自身を止めてたけど、そのころの自分は全面に出して、みんながそれを受けとめてくれたし、逆に自分もそれを受けとめられる人間にならなきゃって、やってもらってばっかりじゃ悪い、いろんなことを考えたから、いろんなことが全然違った。 T:音楽活動が変えた部分ってありますか。 Y:音楽活動というか、気持ち的な事ですけど、自分が、何で歌を歌いたいかという理由が、どんどん変化していって。一番初めは歌が好きだった。ただ歌いたかった。でもいろんな人と出会うことによって、自分にその人たちを救う事が出来ればとか、少し支えになれればとか。高校時代にいろいろ逢った子たちが、家庭環境が複雑な子、虐待されてる子、自分で自分を傷つけてしまう子、そういう友達がすごく周りに多くて、すごく考えさせられて、自分に何が出来るんだろうと思った時に、自分が100%経験をしているんだったら、きっと一緒にしゃべって、わかってあげられるんだろうけど、自分が100%以上経験してなかったら、やっぱりそういう子たちから見たら、わかるはずないって、そうなっちゃうのは、自分も何となくわかったから、そっかって。歌でって。絶対みんな色んな事を抱えてるから。ずっと暗い顔をしてたんだけど、曲を聞いて、あ、そっか、こういう人もいるんだ、梅乃みたいな子もいるんだとか。でも感じ方がみな違うから、勝手にそれを解釈してもらっても結構だと思います。これが合ってるとか、そういう事はない。限りがないから。力になりたいなって思って、進んでたんですけど。ある時、自分がすごく色んな事に悩んだ時期っていうのがあって、その時に「本当に歌に支えられてるのは、自分自身だな」という事にすごく感謝しました。 T:語り合った事というのは? Y:自分の家庭環境、自分の居場所がない時があって、それに対してすごく考えて。でも、言い訳って言ったら変だけど、子供だったから手段が見つからなかった。どう自分が悩んだ事に対して対処していけばいいのか、どう気持ちを切り換えたらいいのかっていうのが、全然わからなくて、ただ悲しい事があったら悩む、苦しい事があったら胸の中にしまっちゃうとか、自分の発散方法と言ったら変だけど、そういうのがわからなかったから、悩んだときは悩みっぱなしでしたね。みんなも色々あったと思うけど、ほんとに類は友を呼ぶって、ほんとにそうだなと思いましたね。自分がそういう複雑な状況にあったんですけど、その時に一緒にいた周りの友達とかも、複雑な環境だったり、普通じゃあり得ないことを当たり前に感じてたり、親にやられてたりしてる子たちが多かったから、一緒に悪い方向にお互いにマイナスになる方向にいくんじゃなくて、その時にがっつりと手を握ったっていうか、抱きしめ合ったっていうか、みんなで生きていこうって。逆に色んな人たちを自分たちが経験した事で救えたらいいなって。そんな簡単な事じゃないっていうのはわかってるけど。自分たちも初めから色んな人たちに心を開けてるわけじゃないから、今でも壁をつくっちゃう部分はすごくあるし。人間だから自分をいい風に見せようと思う自分もどこかにいるし。でも、こういう風にはなりたくないね、こういう気持ちは忘れてたくないっていうことを、多分高校生活、ずっといろんな子と語り合ってたなっていうのが、一番の印象ですね。 T:CD『天使にできないこと』リリース後は? Y:『雨と賛美歌』っていうマキシを。「雨と賛美歌」は、辻畑さんがつくった曲なんですけど、何て言うんだろう。私は「雨と賛美歌」っていう曲がすごく好きで。初めの鐘の音だったり、その後のテーマの部分からすごい包み込むような優しい音の中に人間の現実的な詞か書いてあって、内容は、「やっぱりいろんな壁にこれからぶつかっていく事があるけど、一たんここで休憩する時間も必要だよ」っていう。「立ち止まる時だってあるよ」っていう、そういう曲なんです。どんな曲もそうなんですけど、こういうのって運命なのかなと思うのが、曲が出来る度に、曲に会うたびに、その内容を自分がその直後に経験してたりする部分があって、「雨と賛美歌」をもらった時は自分が悩んでる時で、苦しくて。「雨と賛美歌」の中に2番のテーマで「きょうも誰かが星になり、誰かが生まれる」という部分があるんですが。今日もみんな生きてて、私がこうやってしゃべってる間も、どこか、違う場所では人間同士が傷つけあったり、虐待をされてる子がいたりとか、けんかをしてる人がいたり、一瞬一瞬、自分の目に見えない範囲で何が起きてるか全然わからないし、予想外だし、想像外だし、でも、そういう一瞬一瞬をみんなに大切にしてほしいなっていう。自分にとっての、その時、その時をすごい大切にしてほしいなと思って歌いました。 T:なるほど。その後は。 Y:その後にさっきの『チガウ夢』かな?を出して。ジャケット撮影に繰り出したんですけど。 T:どのあたりに? Y:北越谷から少し車で移動した、図書館みたいな建物があって、その周り付近とか、逆にスタジオの中で写真撮ったりとか。今の吉沢梅乃のホームページのトップ画面と同じ写真でリンゴを持って撮った。それで、外で撮ったときは、化粧を頑張ってしたのに、風が強くなって、その瞬間の自分がすごく「わーっ」て顔をしているのとか結構撮られちゃって、それはおいしくないだろうって。そのときに着てたワイシャツ、七分丈の白いシャツがあるんだけど、本番当日忘れて。家に。マネジャーの車に乗って、少し走ってから気づいて、家に居た妹呼んで。北越谷の先まで。すっごい迷惑かけた気がする。そう。それは覚えてる。あ、やっちゃったって。よく抜けてるって言われるけど、ほんと案の定やっちゃって。で、それを着るからっていうから、前もって多分ハンガーにシャツをかけといて、なれない事をしたんですよ、ハンガーにかけて、袋をかけて、汚れないようにって。いつもは寸前になるまで、私、荷物の用意とか絶対にしない人で、当日に確認しながら入れて出ていく人なので、やっぱりなれない事ってしないほうがいいのかなって思った。いいことしたつもりでいたのに、裏目に出て、すごい妹に迷惑かけた記憶がある。 T:その後は? Y:高校卒業してるな。でも?待て?その『天使にできないこと』の後に、『ジェシカ』っていうのを出した。(笑)すいません。順番をたどっていったら、そういう事になった。(笑)『雨と賛美歌』の印象が自分の中で強いから、その話をしたくてしようがないのかも。 T:じゃあ、4枚出して。 Y:4枚、です、かね。違ってたら、笑えないですか?これ。うん、4枚かな。 T:高校時代を終わる頃は? Y:生活的に。高校3年生の時は、「これでやっと歌に集中できる」って思っちゃった。 T:アーティスト活動を「絶対」という? Y:絶対と思った。夢っていうか、歌に対して夢が変わった事がなくて、ずっと一筋っていうか。部活がころころ変わって、私はあきらめが早くてってさっき言ったとおり、何に対しても自分が別に一番じゃなくてもいい。学校のクラスでも、勉強ができるとか、スポーツができる、全然そんな事には憧れてなくて、負けず嫌いじゃないんだな。自分って違うんだな。平気な子なんだと思ってたのに、歌に関しては何か熱くなる自分がいて、それだけは人に言われたくない、これだけは絶対自分ができる、自分を信じて、自分自身に勝つ。これだけですね。歌、音楽っていうものだけは、飽きたりもしてないし、飽きるっていうか、さめる事も飽きる事もない、そういう次元じゃないと思う。音楽だけには熱くなっちゃう自分がいる。どうしようもなく。すべてに対して。熱く突っ走る、音楽だけには負けず嫌いなんだなと。自分が夢中になるもの、好きになるもの、自分が本当に心からっていうか、気持ちから体全体でね、好きなものには、人間ってこれだけ熱くなれるんだっていうことに、多分気づかせてくれたのは、音楽だけだし、これからも音楽だけだなと思います。 T:高校卒業して、どういう生活に? Y:高校卒業したては、インストアライブや、ラジオ番組を持ってて。 T:どんな番組? Y:ベイエフエムで月曜日から金曜かな、5分番組ですけど。そういう番組をやってたり。あと「ららぽーと」とかそういうところで公開録音の仕事をしたり。あとは、「FM TRIANGLE SUPER AUDITION」っていう企画に参加させてもらいました。8組ずつ出ていくんですよ。月ごとに8組ずつ、2月エントリーで、8組のライブをやるんですけど、曲を流してもらったり電話で瞬間的投票をね。ホームページにもアップされてるから一般の人たちの投票とかで決まるんですけど。2月のグランプリになったので、7月20日に最終で、みんなでやる。グランプリと準グランプリで。 T:歌った歌は? Y:「ヒリ/ヒリ」っていう曲です。『color』の1曲目の曲。 T:アルバム『color』はどういう風に製作を? Y:アルバムの中に入ってる曲は、新曲も4曲ぐらい。だけど昔にとった「TIMELESS MELODY」っていう曲だったりとか、そういうものも入っていて、10曲入りなんですけど。タイトルは私がつけました。『color』。本当に15歳ぐらいの時から歌ってた曲とか、最近の曲とか、1つずつ自分がすごく大切にしている曲、全部が収録されてて。1つずつみんな、聴いた人たちか色をつければいいなと思って、これはこういう色っぽいよねとか、こんな感じかするねとか、そういうのを全然いろいろ自分たちのイメージで決めてくれればいいなって。そして色んな1曲ずつに、いろんな色があるなっていうのを勝手に私が思い、『color』っていうタイトルにしました。そして、私の絵心がない絵が書いてあります。絵って言っちゃいけない、イラスト?(笑)多分見ればわかる。 T:そのアルバム後の動きは? Y:そうですね。一時期ね、ちょこちょこライブはやったりしてたんですけど、一時期ライブも何もやってない時期があったな。私、ちょうどその頃、引きこもり生活に入ってます。 T:どんな感じで? Y:何もしない。何に疲れたのか、何が悲しくてか、何なのかわからないけど。 T:全く外に出れなかった? Y:全く。もともと家にいれない性格って、さっき言ったじゃないですか。性格なのに、逆にぐあい悪くても外に出ていけば直るほど外大好き人間。逆に家にいると何日も治らないぐらい、あんまり家の中に閉じこもってるっていうか、一つの場所にずっといることが苦手な人なのに、この時期はずっと家にいた気がする。全く外に出なくて、人とのかかわりを求めなかった。断ち切るとかそういうのじゃないけど、私の中での引きこもり。誰ともしゃべらない1日っていうのも、誰ともしゃべらない10分とか5分とかっていのもあんまりないっていうか、もっと1人の時間を大切にしなさいって周りに言われるぐらい、人としゃべってないとやっていけない自分だったのに、ほんと全くに近いぐらい、人との関係を拒絶してる時期がありました。 T:何もやってなかった? Y:何もやってなかった。テレビを見て、音楽を聞いて、何も考えてなかった。何も考えたくなかったのかな。何か、いろんな事がその前にあって、高校生の時っていうのは、自分の行く場所っていうか、学校に当たり前に行く、そこで会えば友達としゃべるし、帰れば友達と遊ぶし、語るしっていうのを当たり前にやってたのに、急に高校卒業すると、みんな、同棲をしたり、ばたばた結婚をする友達がほんとふえて、時間帯が合わなかったんですよね。自分が仕事をしてると余計に。例えばリハーサルでもそうだし、決められてるようで決められてなかったりする部分って私はあるけど、友達とかは家、自分の生活の為に仕事してるから。夜になれば寝るし、私が逆に仕事をする頃に友達が帰ってきて寝てたりとか、そういう時間帯も合わなかったし、友達が結婚とか同棲をしてしまうと、夜中に急に悲しいからって電話してっていうのも、失礼だっていろいろ考えたりとか、いろんな意味でみんな方向性が違う年ごろで、周りにいる友達とかが、割としっかりした子が多かったから、ひとり暮らししてるし、親と一緒に暮らしてるっていう子が周りにいないので、高校生の時から、みんなお金をためて出ていって、自分でやりくりをするような子たちばっかりだったから孤独になりましたね。自分の居場所は?って思いました。 T:その気持ちを打破したきっかけは? Y:小さい時からの幼なじみと会って、いろんな話をしました。久しぶりに外に出て。自分が苦しい事も、全部泣きながら。それで、多分何か見えないところで肩を押された感じ。ほんとにバンって叩かれた訳じゃないけど、その子が「進め、もうここじゃないよ」って言ってる気がした。「今いるのは自分の居場所じゃないよ」って。自分の居場所を見つけるのって、自分だし、自分自身だと思うし、自分で。だから、目には見えないけど背中を押してくれた気がしたから、何か自分の人生だから、何でもやってみようっていう、前向きな気持ちに。その子に会ってすぐに切りかわるわけじゃないけれど、だんだんとなっていく方向に。そこからいろんな事をあらためて始めようと思って。 T:活動的には停滞してた? Y:ライブとかやってない時期とかもあります。 T:活動を再会したのはいつぐらいから。 Y:本当に始まったのは、最近。バンド活動をしてですね。月に何本もライブをやるっていう経験も初めてだし。だから「Howling Butterfly」っていうバンドを、5月に初ライブをやってからのこの4か月は、自分の中でいろいろな事がありました。自分の中で色んな発見があって。全く知らなかった自分に出会えた。それがすごく楽しいです。これからどんな自分が、どんどん出てくるのか、どんなものを自分が持っているのか、まだ眠っているものがあるのか、それは人と出会う事によって引き出してくれる時もあるし、自分が気づいて前に進んでいくこともあるし、すごく充実した期間を過ごしていて、それは吉沢梅乃としてというか、私自身にプラスになっています。 T:最後に、これから何かバンド活動を続けて、また個人的に変わっていきたい事は? Y:自分の今の壁が、まだ自分自身が持っている引っ込み思案な部分っていうのが、100%全開になっていないなという部分がすごく悔しいから、まだ人の目を見てしまう自分がいる。そういう自分自身の壁にぶつかっている自分もいます。それに悲しんだり、苦しんだりしてる自分も今いるし、そういうものと常にくっついてくるなとも思うし。でも、泣きながらも進めてる限りは、私は頑張るだろうし、何か見つけようとするだろうし。だから、色んな事はしたいですよ、これから。私は、ジャンル問わず音楽が好きっていうか、ヒップホップも聞くし、ロックも好きだし、ブルースとか、逆にクラシック、ピアノだけとか、そういうのもすごく好きで。色んなものに触れたいと思ってるので、今はこれをやりたい、あれをやりたいっていう事は、ゆくゆくの夢、夢はたくさんまだあって、いろんな事に挑戦したいんですけど、今私がやりたい、やるべき事は、もっともっと自分自身を知っていくというか。自分をコントロール出来るって言ったら変だけど、そういう風になっていきたいなと。今、自分に言い聞かせているのは、「あんまり無理するなよ」って。それはすごく思います。だから、これからの自分自身が楽しみです。「悩むし、悲しむ」んだけど、その悩んだ最後には、自分に生まれた事に感謝をしてるし、生まれ変わっても自分になりたいって、いつも思うんですよ。また、悩んで苦しんで、こんな自分は嫌だって思うんだけど、最後にはまた生まれ変わったら絶対自分になりたいって、その繰り返しだから、きっと。例えば今の自分が嫌でも、あした、あさっての自分をまた好きになるかもしれない、そういう事をずっと続けていってもいいんじゃないかなと思うし。楽しみです。いろんな事が。色んな人との関わり合いがすごく楽しみ。それも全部が楽しみ。だから、話したいですね、色んな人と。それが本当の自分の夢かも。いろんな人と常に触れていたいなと思います。 -end- 吉沢梅乃・ライブインフォメーション --------------------------------------------------------- 『Shino Arima Presents/ありましの&吉沢梅乃ツーマンライブ』 出演:吉沢梅乃/ありましの 日時:2004.10.11(月) 会場:渋谷SPUMA 料金:¥1200+order 問合せ:http://www.spuma.jp/ ---------------------------------------------------------- 『Howling Butterfly』 出演:Howling Butterfly/他 日時:2004.10.20(水) 会場:渋谷RUIDO K2 料金:adv : 1,800yen / door : 2,300yen 問合せ:http://www.ruido.org/k2/ ------------------------------------------------------------- 吉沢梅乃さんの詳しいインフォメーションは、 「吉沢梅乃/HP」(http://www.pro-picasso.com/umeno/) 「Howling Butterfly/HP」(http://www.howlingbutterfly.net/)まで。 |
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by ken-G