YORKE.


momentのイベントでは、毎回、ライブペインティングを披露していただいています。現在、さまざまなフィールドで活躍中のペインター、YORKE.へのロングインタビューです。

(2005年10月13日/世田谷momentにて/インタビュアー:TERA@moment)


(C)masaaki hiraga
YORKE.


ライブペインティングで都内を中心に描き続け、
2005/秋には海外Los Angelesでのライブペインティング
など。
Los AngelesのJoshua Tree National Parkでは、
Gravity Engineのフロントマン/Brad Wilcoxと共に
断崖絶壁でのライブペインティングなど絵を描く場所を常に
求め続けているアーティスト。
その場所の空気や一瞬を捉え描き続けるライブペインティングでは常に見るものを圧倒し、ファンも多い。
その独特なスタイルが少しづつ共感を
生み始めるようになり、CDジャケットや、
ミュージシャンのステージ衣装、映画広告、
ショップディスプレイ等で絵を提供するなど
自ら活動の幅を広げている。
 YORKE.インタビュー

うん。でも、それはもうほんとにその一瞬空気とは話してるんだ。ぱっと来るっていうか。入る感じがするのかな。
ごめん、うまく話せないや。


TERA(以下:T):では宜しくお願いします!

YORKE.(以下:Y):はい。

T:まず生まれた場所を教えてください。

Y:生まれた場所は東京池袋。

T:ど真ん中だ。

Y:ど真ん中。

T:じゃあ、遊び場も池袋?

Y:うん。でも、板橋も。引っ越して。

T:割とどういうお子さんだったんですか?

Y:お子さんのときですか。あんまり今と変わらないんじゃないですかね。よく言われるので。割と目立ちたがり屋で。落ち着きがないってよく言われて。いまだに変わってないかもしれない。

T:保育園のときは、至って普通?

Y:普通でもないかな。でも、やっぱり絵描くのは好きで。あと、外で遊んだり、木登りが得意だったな。

T:小学校入ると、何か?

Y:スカートめくりがうまくなったなあ。

T:先生の?

Y:先生の、いや、女の子の。

T:小学校入ると何か変わったことって?

Y:変わったことは、少しずつ悪いこと覚えるようになった。

T:例えば?

Y:たばこを吸ったでしょ、あとはここでは話せないな。

T:すごい活発な子ですよね。

Y:そうですよね。

T:何か、音楽とか、映画とか、そういうものって小学生のときは覚えてる?

Y:音楽? 映画は、「GOD FATHER」をうちの父親と見てたのは覚えてるかな。すごく印象に残ってる映画。音楽だと、好きだったのは、BOOWYとかね。あと、ブルーハーツとか。ブルーハーツは中学生かな。BOOWY、結構はまったな、そういえば。友達の影響ではまることが多かった。一番最初買ったCDが、たま。「さよなら人類」。たしかあれ一番最初だったのかな。

T:テレビとか、結構見てた?

Y:テレビはそんなに見てないです。テレビ見るよりも外で遊んでるほうが好きだったから。

T:小学生上級生っていうか、中学入る前ぐらいは、どんな遊びを?

Y:缶蹴りでしょ、どろけい、あと自転車で競争とか、秘密基地を建てたり、ほんとに小学生がやるような遊び全般だよね。

T:中学入ると?

Y:中学入ったら、バスケットボール始めて夢中だったかな。あとは、けんか。中学生のときいっぱいけんかをしたなっていうのを覚えてますね。

T:割と部活がメイン?

Y:部活メイン。授業中は眠る時間と決めてたから。

T:絵はまだ? そのころは。

Y:絵はね、そのころからもずっと描いてて、机とかに落書きしてはシンナーで消してみたいな。一人だけうすい机になってたっていうのはよく覚えてる。あと、トイレとか、卒業式の前の日なんか落書きしまくったのを覚えてる。

T:どんな感じの絵だったの?

Y:中学生のときは、ほんとに夜露死苦!から始まって、龍書いたり、あと好きな女の子の写真見て机に絵描いては、好きな子がばれるっていうことがよくあって。あと、何だろう。あと、ひたすら名前書いてましたね。自分の名前書いて。参上!つければいいみたいな。なんか、そういうのが好きだった。

T:中学のころは、学校と家の往復? それとも外とも?

Y:学校と家の間に友達の家によるっていうのは、必ず。家には余り帰らない日が多かったなあ。

T:で、高校生。

Y:高校生は、もうバスケットボールメインで、それが好きで入った学校だし、なので、もうずっとほんとに3年間バスケットボールづけっていう感じで。

T:高校1年になるとバイトとかは?

Y:少しやったな。神宮でビールの売り子とか。ラーメン屋でちょっと働いてた。でも、基本的に部活が忙しかったから、余りバイトよりもバスケットボールオンリーで。そういう生活で。

T:将来的なものもバスケの中に?

Y:入ってましたね。バスケットボールの選手。でも、NBAとかじゃなくて、実業団とかに興味があって、でもお金稼げるかどうか微妙だなと思って。そのときは、外でもバスケットやってたから、ストリートバスケとかで知り合う黒人とかにスプレーでペイントしてるやつとかいたんですよね。こんなのもあるかみたいな。で、ちょっとはまってやったりしたかな。

T:スプレーはどういうところで?

Y:いろんなとこ。

T:高校のときも、割と?

Y:高校生ぐらいのときにそれやり始めて、19ぐらいまでこっそり、結構続いてたかな。

T:絵を書くのは場所的には、渋谷とか新宿とか、そういう?

Y:場所はもうどこでも。でもこれはここで言っていいのか。何回か捕まってるから。うん。

T:つかまったのはどこ?

Y:あんまり話したくないんだよね。

T:それもスプレー?

Y:無視。

T:その時は、絵を残したい為でしょう、でも、消されるっていう。

Y:10代のときって、何か今みたいにまじめに絵かいてるっていうよりも、今もそんなに変わってないかもしれないけど、もうちょっと何か足跡べたべたつけて、それを違う日に自分が通って見つけるのがちょっと好きだったんで。何かよくいるグラフティのライターとつるむっていうことはあんまりしなくて、結構一人で落書きしては、それを一人な眺めてみたいな、そういう事かなあ。

T:主にキャンバスはどこに?

Y:キャンバスというものに絵をかいたっていうのは、もうちょっと後だったんで、高校卒業する前ぐらい。それまでは本当に美術の時間でしか絵はかいたことないっていうか、ほかで落書きしてるぐらいで。

T:美術の時間にかく絵っていうのは、課題の絵?

Y:課題のデッサンとか、手のデッサンかけとか、前の友達の似顔絵書きなさいとか、コップとか。おれ、選択で美術選んだんですよ、高校は。

T:でもまだバスケの比重のほうが多い?

Y:全然大きかったし、ただ、でもバスケットボールは限界があるなってどっかで感じてて。それでどうしようかなみたいなのが長かったかな。何やろうかって。行ってた高校が大学まである高校だったから、そこに行くのもよかったんですけど、何しろ成績が悪くて、夜間でしか行けないって言われて、じゃあ行く意味ないなと思って。大学もバスケットボールで行くのもなと思って。とりあえずそれはやめたんですよね。それで、高3のときに美術の先生が、バスケットやめるんだったら予備校行って見たらどうかなと言われたの。それで美術の予備校行ったんですよ。体験入学みたいな。で行って、それまでほんと男子だけだったんで、クラスが。予備校ってのが女子が多かったんですよね。2対8ぐらいで女子。

T:ほとんど女子校?

Y:予備校なんですけど、女子が多いの、美術の予備校って。それで決めたって感じで。(笑)最初の年は親にお願いして、半年ぐらいお金何とかしてくれって頼んで。で、結局だめで。

T:じゃあ、高校出て、次の展開としては?

Y:で、その後やっぱりお金がなくて、もうちょっとまじめにやろうかなみたいに。ふらふらフリーターですね、ほんとに。いろんなところでアルバイトして。で、そんなことやってたら、プロフィールとかにも書いてたんですけど、親友が死んだんですよ。自殺。飛び降り?飛べる?それがでかかったかな、やっぱり。それがちょうど二十歳です。はっきりと覚えてる。4月1日。

T:その頃、バスケは?

Y:もうほんとに遊びでしかやってなくて、でもまだ少しやってて、週1回クラブチームの練習に顔出したり。友達のチームに入ったりとかしてやってたぐらいで。でもほかのことをやりたいなっていうのが強くなってきたかな。

T:美術の予備校に行って、何か変わったことはあったんですか?

Y:ほとんど何も変わってないかな。女の子とのつきあい方が少し派手になったぐらいで。高校のときよりちょっと女の子を覚えたかなみたいな、そういう感じですかね。

T:まだ独り暮らしではない?

Y:一人になったり、家に戻ったり、結構転々としてたかもね。

T:その後起こったことは?

Y:友達が亡くなって、それでそれから2年ぐらいは結構まじめに働いてたかな。お金ためようと思って。

T:何のために?

Y:やっぱり美大に行こうと思って、予備校年間100万以上かかるから、ちょっとお金ためようと思った。21とか22ぐらいのときに、予備校にまた、絵を持っていって、全然相手にされず、すごい下手くそだったから、デッサンとかなんですけどね。今思えばうまいも下手もねえだろうと思うけど、あのときはそれしか術を知らなかったから。で、ぼろくそに言われて、そう、今でも覚えてる、あれ。で、そこに行こうって決めたんですね。そいつ見返してやろうって、わけわからない。たかだか予備校の一番偉い先生。1年そこで、夜間通いながら働いて。で、その年も受験落ちたんだ。それで、その次の年に特待生で来いって言われて、金かからないなら行くかみたいなノリで行って、それで夜働きながら今度は昼間通ってみたいな生活を2年ぐらいかな、続けて。でも大学には行かずみたいな。

T:そこではひたすらデッサンを?

Y:デッサンとか、平面構成とか、立体つくったり、ちょっと独特なやり方してたかもしれない、すごい変わり者だったから。

T:そこは何人ぐらいいく学校なの?

Y:全部で50人ぐらいかな。予備校ですね、ほんとに大学行くための。それはすごい勉強になった。今思えば。

T:じゃあ、木炭とか。

Y:鉛筆デッサンがすごい好きで、でっかいの描くのが好きだったな。

T:自由課題ではないんでしょう。すべて与えられた課題で。

Y:そうなんですよね。でも、与えられる事にはほとんど従わずにすごい自由にやってたなあ、デザイン科っていうところに入ったのに。デザインには向いてないって。そう、デザイナーになろうと思ったんだ、そういえば。かっこいいから。

T:主にデザイナーっていうのは、当時どういうイメージで?

Y:グラフィックの広告とか、駅に貼ってある広告とか、ああいうのっていいなと思って、ちょっとあこがれたけど、自分に向いてないなっていうのもそこで思ったな。デザインには制約があるから絶対にダメだあって感じ。

T:「絵描きになったほうがいい」って勧められたときは、どういう感じだったの?

Y:絵描きでご飯食べれるのかなっていうのと、仕事になるかっていったらどうなんだろうっていうことを思い始めて、でも仕事になったら最高だなみたいな。ずっと絵かいてられるんだもんなみたいなことを思ったから、やっぱり考え方は絵描きっぽいなと思ったのを覚えてる。そんな浪人してるときに、海行った帰りのビアガーデンで、友達が働いてたんですけど、働いてたビアガーデン最終日だからって遊びに行ったら、そこのお店の看板を描いてるっていうイラストレーターってのに出会って、結構有名な人だったんですよね、2人いて。ちょうど絵を持ってて、それでこういう仕事があるのかっていうのを初めて知った。それが23ぐらいのときですね。絵で仕事になるのかみたいな。で、ちょっと嬉しくて、その人に絵見せたら、お前は仕事になる!みたいなこと言われて、それで調子に乗ってその人の家に遊びにいって、アトリエに次の日ぐらいに訪ねて行って、60枚ぐらいデッサン持っていったのかな、それですごい嫌な顔されたな、ほんとに来るなよ...って(笑)

T:そのデッサンは……

Y:予備校とか、家とかで描いたやつを持っていって。で、なんかそれで一個仕事紹介してやるみたいなこと言われて、それで調子乗ったみたいな感じですかね。

T:それで、仕事を紹介してもらって?

Y:そうですね。ファイル持ってないの?って言われて、ファイルなんか持ってないよ...みたいな。

T:それは作品集っていうこと?

Y:自分の作品のファイルを持ってるかって言われて、考えたことないなみたいな。で、とりあえずデッサンをコピーして1冊ぐらい作ってみたら?みたいな事を勧められて。そういう感じで、その日、その人と一緒にファイルにして、教えてもらいながら。こういう感じで見せるといいよみたいな。小さい落書きとか持ってて、こういうのいいじゃんみたいな。イラストの仕事できるよって言われて。でも、そのときはちょっと悩んで、お金にするためにやってない、みたいなことが強かったのに、あるCDジャケットになっちゃったみたいな。使われちゃって、あ、なっちゃったみたいな。

T:それは?

Y:ものは「異邦人」っていうビーズ関係の。松本さんとザードのやつかな。最初のはボツになったんですけど、ボツっていうのは気に入らないなと思って、直接行きたい!その事務所に。で、行って、ギターでも描いてみるか?なんて言われて描いたら、それが決まったみたいな感じ。

T:じゃあ、その場で描いたものが。

Y:なんかファイルよりもそういうほうがいいなと思って、直接行ってあれはよかったなと思う。それでその辺で仕事し始めて、絵がお金に変わるんだっていうのをちょっと知って、イラストレーターもどきみたいな仕事を初めて、いくつかの仕事をして、調子に乗ってそのときに1個仕事入ったら、ほかのバイトを全部やめちゃったんですよ、その日に。もうこれだけでやろうみたいな。そしたら、その後食えなくて、(笑)全然仕事がなくて、そりゃそうですよね、知ってる人いないんだから。(笑)

T:仕事っていうのは、その事務所の仕事と。

Y:とか、たまたまバーで知り合ったデザイナーの人に映画の広告のタイトルかいてみたいな、そういうグラフィティみたいなノリで書けるやつを。それやったり。眼鏡屋さんのディスプレイつくって、ごてごてにペイントしたやつとかつくったりして、少しお金もらって、でもそれじゃ全然食えなくて、家賃も払えないし。結局、でもバイトしてたときの残りがあったんで、お金は。しばらくはそれで微妙に食えて。半年ぐらいそういうのやってたら飽きて、絵をお金に変えていくっていうことはやめようと思って、生み出して行くうちにお金になっちゃうがいいなみたいな。で、ライブペイントはずっとやってたからもう少し、本気で取り組むようになった。

T:そもそもライブペイントを始めたのは、いつぐらい?

Y:一番最初にやったのは19歳ぐらいのときかな。クラブで友達がファッションショーやるっていって。その前かな。あんまり覚えてないなあ。クラブで絵描く人探してるみたいなこと言われて、展示してくれないかって言われて、展示するのは嫌だなと思って、最初はそういうのから始まったという思うんですよね。それがもう何年も続いてるみたいな。

T:最初のライブペインティングってどういう手法っていうか、どういう感じだったの?

Y:手で書くのは今と変わらないんですけど、指とかで書くのは。でもね、時間も短かったかな、音に合わせて、DJに合わせてかくとか、そういう感じ。で、なんかちょっと終わっても終わってないみたいな、そういう感じだったかな。

T:それは予備校時代?

Y:多分。そのときは、行ってないときかもしれないな。ちょっとクラブにはまったときがあって、六本木とか歌舞伎町とかで、毎週金曜、土曜行ってるときがあったから、そのときぐらいかな。それでたまたまそういうイベントのオーガナイザーと知り合って、絵でも描いてよみたいな、あ、じゃあ描くよ、みたいな。で、スプレーでクラブでやったら大変なことになっちゃって、何人かばたばた倒れちゃうような感じだったときがあった。そういえば。あと、短時間で何とかできるわけないから、それにいらいらしてペンキかぶっちゃったり、それで坊主頭になったりとかっていうこともあったな。とにかく絵を描いてはうまくいかなくて、パフォーマンスしてるから、結局動物園の中の動物みたいな気分が嫌で、もうちょっと絵を見せたいのにみたいなストレスで、結構わけのわからないことやってたな。意味もなく人殴ったり、とにかくいらいらしてる時期だったな。

T:それはただ単に絵をかきたいということの中で、自分で何とか出来ないみたいな?

Y:うん。そういう感じ。作品つくれてないなみたいなのをずっと感じてて、家で描いてるほうがいいものできちゃうみたいな。じゃあ、展示したほうがいいかというと、でも今ここで作りたい!ずっと感じてたんだよなと思って。だんだんそれができるようになってきた感じがして、何年もやってるとそれがおもしろくなってきて、どこで描いても、ライブで描いてもあんまり気分が変わらずに絵を描けるようになってきたのが、ちょうど2年前ぐらいからそんな感じで、それからすごい楽しくなって。そうすると、カメラマンが俺を撮ってみたいって言い出したり、映像で残したいって言われたりということが起き出して、これは嬉しいかも!みたいな。そうすると、普段描いてる絵も、もっと深くなってきたり。でも、今もまだいろいろやりたいなっていう状態は続いてる。

T:うまく行き始めて、ビジネスな様になった瞬間みたいなものって?

Y:それはビジネスにしたいなと、ほんとに思ってる、その、例えば空間でその瞬間に何か表現出来るのがYORKE.しかいなかったら、それはちゃんとお金にならないとおかしいなと思い始めたんですよね。で、そうしないと、おれ自身ご飯食べれなかったら、それを続けられなかったら意味ないなと思って、そういうやり方でやりたくないから、少しでもお金に変えていこうっていうのは、すごく意識してやり始めて、だからやっぱり当然見る人のこととかも意識しながら絵を描くようになってきて、なおかつ作品のあるべき姿とかも、ちょっと意識してるんじゃないかなと思います。それよりも、今動いて、ここで絵が出来上がるのが美しいとか、この作品はここでしか誕生出来ないっていうことを、ってのが一番だけどね。でもビジネスとしてはあんまりうまくいってないかもしれない。今月も生活はいっぱいいっぱい(笑)

T:でも、はっきりと、例えばCDジャケットとか、パンフレットとかっていうのは、相場みたいなものがあるじゃない。でも、ちょっとした立体展示ものとか、ライブものとか、そういうのって定価みたいなものがないじゃない。そういうの難しくない?

Y:難しい。しかもおれ的にも、ここの場所で描く事が全てっていうのも多いから、そうなると本当にビール1杯だって嬉しいしって引き受けちゃうこともあるし、なかなかお金の話っていうのは正直しづらいし、本当のこと言えばもらわなくても全然気持ちいいんですけど、でもそれだと生活できないから。だから、CDジャケットたまにやったり、あとは肉体労働で少しやったり、何とか生きてれば絵かけるからなっていうのがあるし。本当はもう少し出来上がった作品とかも買ってもらって、そういうので生活できたら、今よりもっと幸せかなとは思います。

T:それがベストだよね。

Y:あと、写真がいっぱいあるから、写真集でも1個できて、それを少し買ってもらったりね。そういうのも、やり続けてたらあるような気がする。でも今はまだいっぱい感じる場所や、どんな場所でだって絵を描き続けたい。

T:例えば同じようなことをやってる人に出会ったりとかしたことは?

Y:ありますよ。ライブペイントを見に行ったりもする。ただでもやっぱり同じようなふうにライブではかくけど、同じじゃないからなあ。あまり入り込めずに帰るという事が良くあるんだ。

T:そういうチームみたいなのつくったりとかって。

Y:それは全然興味なしですね。やっぱり独りでやり続けたい。やっぱり例えば3人いたとして、2人、3人、4人いたとして、遠慮したら作品つくれないなっていうのがあるし、そういうのができる相手がいるかっていったら、絶対にいないと思ってて、絵とかに関しては、やっぱり自分の作品で、作品は一人歩きするし、そう考えると、やっぱりだれかと一緒っていうのは絶対無理で、例えばおれが創ったものをいいねって言ってくれる人が、これはこういう作品ですって解説してくれるような事はありだと思うけど。

T:でも、絵描きのチームじゃなくて、Tシャツをつくるとかの仲間っていつもよく周りにいるじゃない。どういうふうにつながってるの?

Y:それは飲み屋でつかまえたり、結構そういうのが多くて、街で偶然声かけた人とか、カメラマンそうですよね。街で声かけて話してるうちに撮りたいって言ってくれて、今も続いてるみたいな。リンちゃんなんかも、映像、ちょっととっておいてほしいなって言ったら、ぱっと来てくれちゃったり、そういう人とずっとつながってる感じで。それも、Tシャツとかも一回つくってみないとわからなくて、つくってるうちにだんだんこれもおもしろい、あれもおもしろいって言い出して、やってるうちに、こいつはこういうところすごいなとか、自分にできないことを持ってる人には惹かてしまうから。そういう人とつながっていたいっていうのは、すごいありますね。

T:モーメントのイベントで何回かやってもらってるんだけど、最初の2回ぐらいの手法と、最近の手法というか、絵的なものが変わってきてるんだけども、あれはどういう流れが。

Y:モーメントでは、ほんとに思いっきりやらせてもらって、最初の2回とかすごい勉強になったんだけど、片づけがまず大変だなみたいな。それで、もう少し綺麗に終われないかなということを考え始めたんですよね、12月のイベントのときに。それからちょっと変わって、ライブで書くとき、例えば多くの人が手伝ってくれたりするんだけど、これ一人で出来たらいいな。もうちょっとクールに終わりたいっていうだけでああいう感じになったみたいな。あとは、でもその日のやっぱり気分とかっていうのはすごく大きくて、すごいド派手にやっちゃうときもあるし。少しでも絵かくときに、精神的に少し落ち着いたかもしれない。前は、いろいろペンキ投げたり壊したりとかした中から生んでいく感じだったけど、それをもう少し紙の中だけでやれてるというか。でも、またロサンゼルス行って変わってきた気がする。

T:どの辺?

Y:自分で少し制限やルールを作ってたのかな、これはなし。例えば汚すのなしだとか。だから汚すのやってみようとか、本当に制限を自分でつけちゃうのが怖くて、いつも制限を消すためにいろいろやってる気がして。なんか制限つけると、例えば赤一色でも、ほかの赤が見えなくなるような感覚が怖くて。ちょっと最近のライブペイントやって思ってたのは、やっぱりそういうことが起き始めてて、ちょっとライブペイントつまらないなみたいな。だからもう一回ちょっと1からぶっ壊すかみたいな。完成だと自分が認めた作品を燃やしたり、そういうことをやり続けて生きて行きたいな。

T:でも、空間を計算しないで瞬発的に始めるよね。

Y:うん。でも、それはもうほんとにその一瞬空気とは話してるんだ。ぱっと来るっていうか。入る感じがするのかな。
ごめん、うまく話せないや。

T:立体的なものと平面的なものがあるじゃない。あれっていうのは、何か気分によって?

Y:気分もあるしいつもやってる事だから、例えばここで絵を描いていいって言われたら、そのときの気分、最近イベントとかでは少し考えるようになってきたかな、ここの空間だったらどういうことができるかなっていうのを、ちょっと読めるようになってきたかもしれない。ここだったら立体がおもしろいかなとか、というのがすごく大雑把には頭の中でイメージがあって、それをいつも自分が裏切ってるみたいな。立体みたいなのをつくろうとイメージしたのに!とか、大きい絵描こうと思ったのに、すごい小さくなっちゃったり、意外とそういうふうに、うん。何かミュージシャンとかと違って、同じ表現をすることでも、一曲っていうのがないんだ、決まった一曲がないから、その場で一曲つくるみたいな感じだから。うん。いつも裏切られるみたいな。それが素敵な始まりを予感出来る。

T:音楽の中でライブペイントする時は、何か瞬発的な発見とか、何かで自分の体が動いてくるとか、そういうのって?

Y:それはありますね。この人の音に包まれたらいい絵が生まれそうとか。っていうのは、音聞いててもそういうことを思うようになって、逆にこれ嫌だな、あんまり絵描きたい気分にならない音だなとか、それは自分的にですけど、多分好き嫌いもあるし。ソロでやり始めたりとかして、写真スタジオ借りたり、この間だと洋服屋さんでやったり、自分の好きな音で、自分の好きな空間でっていうのをやり始めて、それはやっぱりいい夜だなあ。

T:ホームページも音ついてたりするじゃない。ああいう音のある世界、スペースは?

Y:正直、ものつくるときとかは、別に無音でもかまわない。自分の体の中で音はなってる気がするけど、それは何かギターで表現できる音でもないし、例えば空気があるじゃないですか。空気を触った音とかっていうのは、自分でしか感じられないから、何かそういうのを表現するのは多分難しいと思うけど、ホームページとかっていうのは、自分でつくってるものじゃなくて、ある程度デザイナーの人がつくってくれてて、それに合うイメージで音を持ってきてるから、それは何かすごいなとしか思えなくて、それはなし!とかっていうのは思わないっていうか。だってかっこいいよね、みたいな。

T:今、yorke.のイメージは、ホームページで、ライブペインティングでと、とらえられたりするじゃない。yorke.自身は自分のイメージみたいなものっていうのを、ある程度作り上げようとしているのか、それとも別に流れのままなの?

Y:それはすごく意識して。やっぱり自分でイメージとかっていうのを管理しないといけないなと、それは。職業が何にかかわらず、おれは絵描きのyorke.としてそういうのはすごく意識して、絵を描くときも、ライブで作るときも。ホームページも。今のインタビュー受けてるときも、多分すごくいろいろ考えてるんだけど、これは話すことかな、話さないことかなっていうのは、すごい考えるようになった。寺沢さんとお酒飲んでしゃべってるほうが、もっとプライベートなことばんばんしゃべると思うし。

T:じゃあ、今後、よりイメージ的に、「yorke.」っていうアーティストを作り上げて。

Y:そこまで考えてないかな。っていうか、いろんなところで絵を描きたいの、いろんなところでほんとに絵描いちゃうよみたいな、それだけあればいいかなっていう。絵かくの好きだし、やっぱり自分の狭いアパートじゃ大きい絵かけないし、それで大きいところを求めていろんなところを旅して、大きい絵残してっていうことができたら、最高だろうなと。そうやって見られてればいいかな。うん、それだけでいい。

T:yorke.のイメージっていうと、「かっこよさ」みたいなものとか、「かっこづけ」のこだわりみたいなものが見えるんだけど。「ここでカッコつけてやろう」みたいなね。

Y:それはあると思うね、絶対あると思う。

T:そういうのが、すごいいい感じなんだよね、僕の中では。

Y:たまにダサイなと思うときが、当然あるけど、でもね、それはそう思ってもらえるのはすごい嬉しくて、やっぱり絵描きってアトリエにこもって1日じゅうかいてる人もいれば、いろんなところで絵を描くやつがいてもいいかなっていうのもあるし、本当に僕は天才じゃないし、ただ絵を描くのが好きで、みんなの前で絵を描きたいの。だから、当然やっぱり見られてるっていうことは多少は意識してると思う。最近は服装も少し意識してるかもしれない。の割には自分で洋服買わないみたいな。あ、これかっこいいからちょうだいみたいな。

T:絵描きとかっていうと、昔からあるイメージがあるじゃない、貧しくて、、とか。

Y:それは、貧しいは貧しいけど。それは金銭的だけで、心は豊かでありたいんだ。

T:yorke.なりに絵描きっていうもののイメージを、自分のパターンで変えていこうみたいなものっていうのも。

Y:あるかも。何ていうんだろう、この人だからっていうのになりたいのかな。YORKE.が描いたマジックの線一本だから価値があるとか、そういうふうになっていきたいなとは思いますね。ほかの人が描くマジックの一本でなくて。だから、その一本に対してもすごい多分自分の中で感じて、線を引いてるんだと思うんですよね。

T:今回、アメリカに行くことになって、1週間?その1週間の流れみたいなものを教えてもらいたいんだけども。何が起こっていったか。

Y:成田発、まず夕方出て、向こうにお昼につくんですよね。その日にライブがあったんです、初日に。というのは、1週間しかいないから、何か無駄にしたくないなと思って、すぐに何かやりたいって。それで、お昼について打ち合わせして、画材買いに行って本番みたいな。スープたべて本番みたいな。

T:場所はどういうことだったの?

Y:最初、日本で聞いたらメタルショップっていうところだっていって、ヘビメタ?と思ったんですけど、行ったらほんとにメタルの工場だったんですよ、鉄工場。すごいかっこいい場所。メタルショップ。いかつい兄ちゃんとか、もしかしたら昔犯罪者だった人が多いのかな、そういう工場で、でもみんな気のいい人で、出るバンドが2バンドで、すごいかっこいいバンドで、ほんとこの場所で絵を描けるんだみたいな感じだったんですけど、画材買いに行ってスープ食ってきたら、完璧に組まれてて、めちゃめちゃかっこいい、PVの撮影みたいな。YORKE.あの箱で描いてよって、何か小屋みたいなところで描いたんですけど。飛行機の中でも全然寝れなかったから、すごい疲れてるはずなんだけど、ものすごくテンション高くなっちゃって。その日はいい夜を過ごせたなあ。

T:時間的には、どのぐらい?

Y:2時間半とか3時間ぐらいだから、いつもどおり。絵を描くのもいつもどおりの感じで描いてたんだけど、やっぱり何かが違うっていうのを、初日には感じて。まず、見てる人が外国人ばっかりっいうのが、すげー、アメリカ人しかいないよーみたいな。終わればすごいビール勧めてくる若いやつとか、見に来てる人たちも多種多様というか、いろんな人がいて、ギャングみたいなやつからかわいい女の子まで。ロス素敵かも!と思った初日でした。

T:で、2日目は。

Y:2日目は、本当は10時に起きて。その2日目がメインだったんですよ。ロス行った一番の理由というか、グラビティエンジンっていうバンドのCDのリリースパーティーで。それが最初のきっかけでロス行ったので、その日が本番というか。それで、10時にグラビティエンジンのボーカルのブラッドと朝一緒に買い出しとか、パーティーの買い出し手伝おうと思って行ったら、11時半ぐらいまで寝ちゃって、2人とも、前の日飲みすぎて。で、10時半、11時半ぐらいから、ファットバーガーっていうハンパーガーを食べて、帰ったら、ブラッドの彼女達がピザを用意してくれてて、食べたこと内緒にピザも食べて、グラビティエンジンのリハーサルを聞きながら。で、建築家のダンっていう人を紹介してもらって、画材屋に連れていってもらって。画材屋が日本と全然違うんですよ。紙とかばら売りしてなくて、困ったなと思って、結局ロールの紙とかにして、1枚3ドルぐらいするんですよ、普通の画用紙が。高過ぎじゃん。日本ではこんなのあり得ないっていう話を説明してもらって。画用紙とかもばら売りしてなくて、買うやついないもんみたいな。スケッチブック買って。普通日本だとスケッチブック買うほうが高いのにい。何でそういう売り方しないの、売ってくれって言ったんだけど通用しなくて。ブリックって画材屋なんですけど、そこのショーンっていう人にいろいろお世話になり、でも結局お金は使って、120ドルぐらいそこで使ったんですよ。結構買った。2万円分ぐらい使って、それでグラビティエンジンのリリースパーティーに、レイディータウンっていうバンドも。それは一軒家の裏庭で、でっかいところでバンドがやってる真ん中でやってて、そのデコレーションをやっていくみたいな感じ。ギターに絵かいたり、バンドがやってる間に一つの空間にしていくみたいな、すごく美しかった。

T:その一軒家っていうのは? 

Y:どうなんだろう。最初ジャネットっていう女の子の家で過ごして、その後ブラッドの家だったから、どうなんでしょうね。そこは2人で借りてるような家、ルームメイトと。

T:でかい!っていう感じではない?

Y:家自体はそんなに、普通かな。日本からすると広いけれど。おれが住んでるアパートから比べたら、相当広いな。まず、庭はほんとに美しいところで、坂になってる。そこに50人か60人ぐらい来て。それで、もうホームパーティーみたいな、すごいいい空間だったよ。

T:そのリリースにかかわった人とか、そのプレス関係とか?

Y:きっと。でも、そんなに大きいバンドではなくて、個人で製作したりとか、プロデュースしてとかだから、すごいアットホームないいパーティーでしたね。あれは最高だった。

T:そこは割と立体ものとか。

Y:ギターに絵描いたりしたでしょう、あと紙にかいたり。後々そこでたくさん絵を描くことになるんですけど、とりあえず2日目はそんな感じで、で、終わった後ビール飲みすぎて、またカリフォルニアワインを飲みすぎて、ぶっ倒れてみたいな。(笑)朝の5時ぐらいかなあ。

T:で、3日目は?

Y:2日目は10時ぐらいにたたき起こされて、で、ご飯食べに行こうと。何かやたらとご飯食べにいったりっていうのが多くて、昼からカフェ入ってパスタたべたり、あと3日目何したんだろう。クラブに行った。ロスで一番でかいクラブに。っていうか、ちょうど誘ってくれた人がいて、一緒にいたスージーっていう女の子の仕事仲間の人が。その前にレストランでご飯食べて、まあ、ご飯食べて、ご飯食べて、ちょっと買い物して、クラブ行ってみたいな。で、また2時か3時まで。

T:その日は何もかくことはなく。

Y:3日目はほとんどもう放心状態で、2日ぶっ通しで絵描いたから。ちょっと落書きぐらいで。あと、日記書いたりしてて、寝る前に。それウェブで公開しているんですけどね。

T:4日目は。

Y:4日目は起きて、4日目から、ロスの人や風景を描き始めたんですよね。カフェ入って隣の人を描いたり。それを描き始めて、ビバリーセンターに行ったとき、大きなソファで眠ってしまったんだけど、黒人に囲まれたりしながら、警備員に起こされて。ほんとそういうの1日じゅう1人で。一緒に行った友達も買い物とかしてて、俺は買うものないし絵を描きたいって気分だった。

T:ビバリーセンターの近くだったの?

Y:ビバリーセンターまで車で30分ぐらいかな。結構近かったですね。フリーウエイがあるじゃないですか、あれでがんがん行っちゃうからすごい。4日目ビバリーセンターかな、多分そんなかんじで。その日は1日絵かいて、ドローイングしたり。次の日、パームスプリングスに行こうってなってて、その次の日バスキア見に行こうって言ってたんで、バスキアに会えるっていうことがすごくわくわくしてて早くみたい、早くみたいっていう気持ちで、きょう行かないの、きょう行かないのってずっと言ってたと思う。それで、4日目それで、また夜ごはん食べて飲みすぎて。その日ぐらいから、ブラッドの家に泊まりに行くことになって、変な日本語教えたり。で、ブラッドがだんだん日本語うまくなってきて、おはようとか言って、おれがグッドモーニングみたいな、拙い英語で話す日本人と拙い日本語を話す外人みたいになってきて、おもしろいかった。(笑)そこにいたジェイソンっていうのがいるんですけど、ルームメイトの。ジェイソンは日本語全くだめだから、おもしろい感じだったんですけどね。どこでも生活できるなって感じた。

T:次の日は。

Y:次の日は、パームスプリングへ行こうと、お昼ぐらいに出発して、ちょうど2時間ぐらい走って、パームスプリングじゃなくて、ナショナルパークにいって、ブラッドもギター1本持って来たんですけど、ギター1本と絵を描く事を1日やって、崖っぷちで絵かいたり、暮れるまで。街灯が全くないから、夜になったらもう真っ暗で車のライトしか明かりがない場所。

T:画材は何で書いてたの?

Y:画材はそのときはいつもどおり。水性のペンキと、何かクレヨンみたいなの。それで、大きい絵かいて、野生のリスとかに出会ったり、崖っぷちがすごかった。風が強すぎて絵がばんばん飛んで。激しかったね、あれすごい。ブラッドがずっと弾いてくれて。ブラッドのドラキュラっていう曲と、ディスハビットがすごい好きで、何回も聞かせてくれて。

T:その日はそんな感じで。

Y:夜、車で帰る途中で星が、とにかく。圧倒されて、天の川まで見えて。あれはほんとうにすごく感動した。あんな数見たことないっていう。結構目が悪いから、星きれいに見えるよって言われてもあんまり見えなかったりするんですけど、あそこはほんとにすごかった。まぶしかったし、ノー街灯だから、山の影と星しかないっていう。しばらくちょっと動けなかった。その日はそんな感じで帰りにチャイナタウンでご飯食べて、食堂みたいなところで。すっげーまずくて、そこが。それでご飯食べて。帰って爆睡みたいな。

T:で、期待の次の日は。

Y:次の日は、モカにいく前、何だかんだで夕方ぐらいになっちゃって、お昼、メルローズとか行ったのかな、メルローズでショッピングしたりして、そのときに絵が1枚売れた。靴屋に入って靴屋にちょうどデザイナーがいて、一緒に買い物してた子が靴買いたいっていって。すごいお世話になってたから、一足買ってあげられたらいいけど、お金がないな。だから、1枚絵が売れて、100ドルで買ってくれたから、その100ドル足して、靴を一個買って。絵1枚で安くしてもらったみたいな。そういうことがあって、それ、その日だったかな。その前の日に買ったサングラスがその日壊れたのかな。600円ぐらいで買ったやつ。で、結構覚えてないもんだね。夕方になってモカに向かって、モカのそばがなかなか入れなかった、その日。ディズニー何とかがオープンする、赤い絨毯ひいてやってて、封鎖されてて、道が。すごい遠回りして、駐車場探して。そのなかなか行けない感じもすごいよくて。5時過ぎたら、モカって、木曜日の5時過ぎはただなんですよ。ただで入れちゃうんだなと思って、ちょっと恐る恐る足を踏み入れて。

T:中には何が。

Y:中にはバスキアの生前の作品がずらりと。びっくり、大感動して。よく、日本で、バスキアに似てると言われたりするんですけど、で、言われ始めてからちょっとバスキアのこと知って、ちゃんと画集とか見るようになったけど、彼に似てるって言われることがすごい光栄だなっていうことを感じたかな。でもやっぱりどっか似てるところがある気がするけど、やっぱり素敵だった。圧倒された。画集で見てる作品だから、やっぱり美術館っていつもそういうのを感じるけど、バスキアの作品はすごいよかった。会えてよかった。ちょうどロスに行ったときにタイミングが合って会えるっていうのは、何か不思議な縁を感じるなっていう。ニューヨークじゃないし、ロサンゼルスでたまたまやっててみたいな。おれが行ったその1週間やってるみたいな、すごい感動した。

T:それは、向こう行ってスケジュールが決まった感じ。

Y:向こう行く前ぐらいに、ちょうどバスキア展やるよみたいなことを聞いて、みたい、みたいって。ものすごい見たい、見たいって。見れてよかったな。

T:で、次の日はもう出発?

Y:いや、もう1日、2日ぐらいか。次の日は、朝から、その日はテンション上がってて、前の日からずっと絵描いてた、夜中も朝も。なんかバスキアの絵を見て、たぶんすごいテンションが上がって、ロスにいる間にもっと絵をかきたいなと思って、夜中から朝にかけてずっと絵描いて、途中ちょっと寝たけどまたすぐ起きちゃって絵描いてて、そしたら、野生のアリクイに会ったんですよね、出会いながら朝まで絵かいて、そんなことやってた。
夜はフーバスタンクのライブにリーズンを聞く為に。
そして最後の夜だから、1日だけ、一晩だけのエキシビジョンをやろうと思って、誘ってくれた人とか、ブラッドとかに対して絵をプレゼントしたいなと思って。で、大きな絵をつくって、ブラッドにフライヤーデザインをお願いして、その日だけのDMとかつくってもらった、で、夜ひっそりとパーティーをやって、オープニングパーティー、1日だけの。フーバスのライブにはブラッドは行ってないんですけど、帰ってきたらもう絵が展示されてて。ビール飲んで。最後にライブペイントで描いて、ブラッドの家泊まって、その次の日、最後ちょっと自分で描いた作品と向きあって、そんなことしてたらもう帰る時間になっちゃって。まだ帰りたくないよー。濃い1週間だったな。あと2カ月はいたいなみたいな。

T:2カ月いれたら、何かやりたいことっていうのは?

Y:もう少し美術館も、小さいギャラリーも回ってみたいなと思う。そういうことができなかったから、もっと絵を見せることをやりたかったな。作品を見せ歩きみたいな。そういう時間、2か月あったらできる。一個エキシビジョンでも、2週間ぐらいでもやれたらいいなっていうのは思いましたね。1カ月間製作して1カ月間見せるみたいな。あとは、1年のうちに少しはここで過ごすのもありだなみたいな、それぐらい考えたかな。

T:今回、バンドのライブペインティングだったわけで。次回もそういう感じで行きたい? それとも全く違う感じで?

Y:そういうの全くなしで、作品つくるためだけにそこで何カ月か過ごすっていうのはいいかなと思うんですけどね。今の状態じゃお金が足りない、全然ないや。

T:で、日本帰ってきて、さっきの話と重なるんだけど、テイストっていうか、変わりそう?

Y:ちょっとしばらく自分の中で制限つくってるなっていうのを感じる旅だったかな。もっと何でもありだし、そういうふうにしていきたいなって。常に変わり続けるんだろうな。

T:日本帰ってきて、もうライブペイントやったんだっけ。

Y:うん。

T:どんな感じの?

Y:そのときはね、何かロスで見たものとか、体の中に入ってきて、展示のオープニングパーティーだったんですね、洋服屋さんとのコラボレーションで。ライブに入るまでがごたごたがいっぱいあって、時間も押したし。だから、精神的にはまだ絵かく状態じゃないままステージに立っちゃったみたいな。だから、最初はすごいイライラして、もうちょっと落ち着きたいなと思ってたけど、もう描き出しちゃったみたいな。っていう中でやってたから、もう少し落ち着いて絵かきたいですね、今は。その日は、でも結局出来上がった作品はすごい気に入って自分的にはなんだけど、また次違う感じになりそうだなと。

T:今まで書いた絵って、持って帰ってるわけじゃない。

Y:持って帰ったり、ここにあったり。

T:そういうのって、すごい量じゃない? 家の中で。

Y:そうなんですよ。一回捨てちゃったときがあって。(笑)だから、最近紙に書いて丸めたりできるようなもの、だから板とかに描くと、結局場所すごいとっちゃうから。今は人の事務所に置かせてもらったり、モーメントもそうだけど、やっぱり場所を手に入れたいですよね、大きな場所を。倉庫じゃないけど。

T:アトリエと倉庫が。

Y:アトリエ倉庫みたいなの、最高ですね。

T:今後の展開としては?予定を含めて。

Y:予定は、ちょっと絵を売ろうかなっていうのを考えていて、しばらくやってないから。ロスでかいた絵とかを見せたいし、原宿のお店で少し見せてるんですけど、もうちょっとちゃんと見せたいなって思う。小さい場所でやりたいな。あと、渋谷のBunkamuraで飾られた絵が、まだ手元にあるんですけど、あれをもう一回息を吹き込みたいと思って、7枚の板のピースを。
7店舗同時で展覧会みたいなのを考えてて、7店舗今集まりそうだから、そういうのをやろうかなって。それを年末とか。そうですね。あと、瀬木さんと雄大さんと一緒にやりたいなって。

T:来年の予定とかは?

Y:来年は、いろんなところで描きたいっていうのがある。考えても、いつも結局、まあいっかみたいな。お金稼ぎたいというよりも、例えば大きな絵が売れて、入ったお金でまた大きい絵を書きたいとか、そういう感じなんで。

T:それはモーメントも一緒だもんね。


Y:そうだね。

T:活動資金みたいなね。

Y:あとは、場所を提供してくれたり、そういう人が現れないかな? 漠然とそういう感じで描き続けてる。

T:アトリエあったらいいよね。

Y:そういうところに人呼んで絵見せたりとかしたら、最高に楽しいですよね。そういうのをちょっと考えてるけど、それはまあ、流れに任せないと。誰か提供して下さい、待ってます。(笑)一応言っとこ。

T:(笑)そんな感じで、今後とも。

Y:テラさん、髪伸びたね。いいね、似合ってる。


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