moment「Talk&Interview」INDEX-PART4(#60〜#80)

 #86に引き続いて、これまでの「Talk & Interview」のバックナンバー紹介、そのPART4です。
 どれも貴重なインタビューですので、この機会に読んでいただけると嬉しいです。(写真をクリック!)

 #60〜#64 2007年12月〜2008年5月公開

安部恭弘
シンガーソングライター
 


 2007年に、デビュー25周年を迎え、2007年12月12日に、待望の25thベストアルバム「I LOVE YOU」をリリースした安部恭弘さんのロングインタビュー。
(全5回)


 「(建築の仕事は、設計の仕事はすごく夢があっていいなって思ってたのね。何かを作り出す。イメージをしてそれを具体的な形、空間を作っていく。それはすばらしいなって思ってたから、それは是非やりたいなと。だから将来の仕事はこれで合ってるなと思ってたの。だけど音楽もすごいなって、「ビートルズ」を聞いて、とんでもない影響力はあるわけだから、世界中に。音楽ってすごいなって。これは自分はやりたいなって思って。建築と音楽だったら、両立するだろなって思ってたの。」(PART1より)


まだまだやり尽くして無いっていうか、全然やれてないって感じだったから。自分のやりたい楽曲をやりたおしてないっていうか、全然届いてない。今でもそうだけど全然足りてないって感じ?1曲なら、ある瞬間ならいいと思うけど、1曲トータルとして全然足りてないなとか、アルバムとして全然足りてないなとか。やっぱりアルバム、楽曲つくるの好きだから、スタジオも好きだったし。ツアーやライブとか今では感覚が変わってきてるけど。スタジオで曲をつくる、完成していくのはなかなか難しいんですよ。」(PART2より)


ポリスタービルにスタジオ1970という名の70年代にこだわったスタジオができて、スタジオの音に繋がるっていうか、その音が一番有効に響くような作品を作ろうよってことになって、「村田和人」と「鈴木雄大」にまず声をかけて、アコースティックサウンドで何かやろうよって話が始まったんだよね。じゃあ「伊豆田洋之」にも声をかけようかってなって、4人が集まって「AMS&I」っていうアルバムを作る事になったの。これはもう本当にそのスタジオからスタートで、前もってリハーサルとかする事無く、スタジオで音を作っていくっていう、その場で作って差し替えとか無しの一発録りでいっちゃおうってとこから出発してて。(PART3より)


「I LOVE YOU」が出来たんで、自分の音楽性も再確認できたし、新しい音楽を作りたいっていう意欲が沸々と湧いてるし。アコースティックなアプローチでそこに含まれてる強い感情とか優しさとか、あと若い人たちとの共有したい思いとか、あと自分たちが年取っていく将来に対する思いとか、その辺を楽曲として、歌として残していきたいなあって思ってますね。 (PART4より)

 #65 2008年6月公開

よしだよしこ
シンガーソングライター
 


「ピピ&コット」のギターとしてデビュー。間もなく、CD+DVD「地球に似た惑星にいるあなたへ」をリリースするシンガーソングライターよしだよしこさんへのロングインタビュー。

いい人たちと出会いたい。それは音楽だけでなく。で、やっぱりこういう世の中ですから花だ星だっていってる時代じゃないわけで、やはり深いところでいちばん大事な人の幸せと、やはり世界が平和で、宇宙が平和であってほしいって想いが。これは私なりに、イコール私の生き方にかかるんですけど。

35歳でこどもを産んだんですね。それも奇跡に近い、そんな状態で産んだこどもだったから。この子を産まないと人間として、これ以上生きてはいけないんじゃないかって思って。で、36の頃に病気を治した。よく自分で治した。奇跡に近い。で、そこからこどもを育てる為にひっちゃきに毎日をおくって。で、45、6ぐらいになってこどもが少し大きくなって、歌いたいっていう元気がでてきて。普通に何か結婚しました、子育ても落ち着きました、だから歌いはじめますっていうのとはちょっと違う。本当に沸々と。これは歌しか出来ないかもしれないと思って。色んな仕事しながらある時に、あるお友達から好きな事して生きていかなきゃいけないよっていう一言でお尻叩かれて。で、好きな事って何だろうって思って。で、CDとかの中に書いたりしてますけど、プロフィールにも「高田渡」さんから勧められていうのがあるんですけど、強く歌うたえって言われたわけでもなく、何でやんないのっていう形で。


 #66&#67 2008年7月8月公開

黒沢健一
シンガーソングライター
 



 1991年、黒沢秀樹、木下裕晴と共にL⇔Rとしてデビュー。
13枚のシングル、7枚のオリジナルアルバムを発表。1995年オリコンNO.1シングル「Knockin' on your door」を初めとした純度の高いポップスを送り続ける。1997年活動休止までレギュラーラジオ番組・全国ツアー、など精力的に音楽活動を行う。L⇔R 活動休止以降、ソロ活動開始。シングル、アルバムのリリース、ツアーを行い、3枚目のアルバムリリースとツアー終了後に、制作意欲が爆発。2003年〜 2005年にかけて curve509、健'z、Science Ministry、MOTORWORKSと4つのバンド、ユニットで活動の幅を広げる。また、森高千里・湯川潮音などへの楽曲提供、徳山秀典・ hi*limitsなどのプロデュースなど活動は多岐にわたる。
ソロ活動を再開して初のライブアルバム「LIVE without electricity」をリリースしたばかりの黒沢健一さんへのロングインタビュー。

 「お客さんが一杯来てくれて。クアトロが満員になっていたのは覚えていますね。あと、凄くラッキーだったなと思うのは、木下も前にスタジオミュージシャンとかやってたヤツだからライブ慣れはしてるし自分のバンドも持ってたし、僕もライブ活動はそんなにしょっちゅうはしてないけれど、 ライブは嫌いじゃなかったし、秀樹も自分のバンドを持ってたし。あとリズム隊がね、岡井大二さんとキーボードが遠山さんとくれば、僕らは多少若気の至りで演奏があれでも十分グルーヴは出してくれてるってバンドだったんで。かなりレコーディングは緻密であっても当時ライブをやらないバンドって多かったんですよ。レコーディング凝ってるバンドはライブやらないみたいなイメージがあって。うちらなんかレコーディング凝ってたから、当然ライブもそんなにやらないで何かスクリーンとか投影して誤魔化しちゃうんじゃないだろうか、という予想を覆しつつ、全部生でやったんですよ。そしたら結構評判が良くて、こいつらちゃんとしたロックバンドだなっていうそういう印象を持ってくれたみたいで。当時。それでちゃんとお客さんが認めてくれたというかね。

 #68 2008年9月公開

リクオ(2008年夏)
シンガーソングライター
 


 
2008年8月に、近年の集大成的ニューアルバム「What's Love?」をリリースしたばかりのピアノマン、リクオさんへの最新インタビュー。

 京都出身。1990年のデビュー以来、ニューオリンズピアノ、R&R、ブルース、ジャズ等に影響を受けたグルーヴィーなピアノスタイルと、ソウルフルなヴォーカル、切なさのつぼを押さえた楽曲で、世代・ジャンルを越えて支持を集める。04年からは“世界で一番やんちゃなピアノマン集団”CRAZY FINGERSの一員としても大活躍、注目を集める。06年6月に3年4ヶ月振りのソロアルバム「セツナウタ」をリリース。続いて07年1月には CD&DVD2枚組ライブ.アルバム「セツナグルーヴ」をリリース。年間100本を越えるライブで鍛えられたファンキーなライブパフォーマンスは超必見。現在各地でリクオフリークが急増中。


このアルバム「What's Love」を引っ提げていろんな町に歌いに行くんでね、皆さんと一緒にいい時間をコーディネイトできたらなと。特に、レコーディング参加主要メンバーが参加の発売記念ライブが、9月5日の大阪Shangri-La、9月11日の渋谷O-WEST、この2箇所であるんで、有給取ってでも来てほしいなと。是非!有給取ってでも来てほしいなと。このメンバーで2箇所でしか出来ないっつのはねぇ、ぶっちゃけ予算がかかりすぎてね(苦笑)出来ないんです。それだけにこの2本のライブは貴重で、オレも集大成を見せようと思ってるんで、是非!ご参加ください。

 #69〜#71 2008年10月〜12月公開

村田和人
シンガーソングライター
 


 
約13年ぶりのニューアルバム「NOW RECORDING+」をリリースした、村田和人さんへのロングインタビュー。

大学2、3年の頃で、フリーのプロデューサーが「村田君いいよ〜!レコード作りましょう!」っていう話で来て。で、結構そういう風にディレクターが来るパターンが多かったので、もうすっかり自分の中では「自分たちの思い通りにならないディレクターは駄目」みたいな感じになっていて、そのプロデューサーと会った時も「あなたがプロデューサーじゃ駄目」みたいな。「え、どういうこと?じゃあ誰だったらいいわけ?」っていうことで、「山下達郎さんだなぁ、やっぱり!」って言ったらそのプロデューサーが達郎さんを知っている人で、親切に「じゃあ紹介してあげるよ」って言うんでRVCレコードで会うことになって。」(PART1)

自分の自宅にこもってですね、2週間くらいかけて大体2,000〜3,000ぐらいの曲のモチーフを書くんですよ。ごく短いアイディアだけの曲なんですけど、4小節から8小節。サビを目指したものもあれば、Aメロのメロディーもあり、全然無作為なんです。もうとにかく思いつくコード、リズム、自分がいいなって思った曲が浮かんではそれっぽい感じの曲、自分にそれぞれその都度刺激を与えて2週間くらい朝から晩まで。もう1週間超えてくると頭がずっと回っている状態になるんですよね。なんか音楽作るクリエイティヴな脳みそって、普段使っていないところにあって、そこが回り始めると止まらないんですよ。 (PART2)

『NOW RECORDING』として出したものをデジタル・リマスターして出し直すという形なので。リマスターするとは言え、結局元の音源は同じものを使うので、そこで折角メジャーでリリースするんだったら、ユニバーサルのスタジオでリマスターをして、じゃあその際にボーナス・トラックを足そうかっていうことになって、それで「+」が付いたんです。 (PART3)

 #72&73 2008年12月公開

杉 真理×高橋結子
新春対談
 


 2007年アルバムデビュー30周年を迎えたの杉真理さんと、ドラム&パーカッショニストの高橋結子さんの2009年第一弾インタビューとしてお届する「特別新春放談」です。


S:ガンガン買い食いしちゃうよ?

Y:それ聞いてる人は分かんないですよ(笑)

S:僕は、momentのスタジオに来る時だけ買い食いしていいって、何年か前から決めてましてですね。買い食いですよ。

T:そうですね〜。言ってましたね〜。

Y:買い食いってあんまり言わない…(笑)

S:言わないよね!俺も何年かに一度ずつしか使わないけど。今言わないの?「買い食い」って。

Y:うん、言わない。買い食いっていうのを「食べながら歩く」って言う…

S:あ、そうですそうです!そうです!

Y&T:あはははは(笑)

 #74 2009年2月公開

種ともこ(2009年初春)
シンガーソングライター
 


 昨年から続く季節を感じる音楽イヴェント「雪月花」。
その「雪月花」のCDリリースを間近に控え、3月に「雪月花」春のツアーを展開する、種ともこさんの最新インタビューです。


 京都府出身。同居していた叔父さんの影響で、洋楽ポップスを聴くよう な少しませた小学生活を過ごし、
中学時代は声楽の勉強、またビートルズに影響を受ける。

大学時代に自作の「うそつき少年」で 「CBS・ソニーオーディション '84」の優秀賞を受賞。
1985年にANAスキーツアーキャンペーンソング「You're The One」でデビュー。
デビュー当初から作詞、作曲、アレンジと、自分の歌も含めた音楽すべてを自らコーディネイト・プロデュースするという先駆者のひとりとして、「ないしょLOVE CALL」('87 コーセー化粧品春のキャンペーンソング)、「笑顔で愛して る」('89 TX系「C.W.ニコルのおいしい博物誌」)、「ダイエット・ゴーゴー」('90 テレビ朝日系「どーする!?TVタックル」)、「MESSAGE #9」('98 TX系アニメ「ガサラキ」 オープニングテーマ)などシングル19枚、アルバム16枚を コンスタンスに発表、個性豊かな詞とエキセントリックな音作りは、数多くの女性シンガーソングライターの中でも、革新的な存在として異彩を放ってきた。

2008年春から2009年春にかけては、童謡、カバー曲などを歌う、季節を感じるピアノ弾き語りイベント「雪月花」を隔月にて開催。久々の関西ツアーも行なう。2009年5月29日に待望の最新アルバムリリース。

 #75〜#78 2009年3月〜6月公開

MAMALAID RAG(田中拡邦)
シンガーソングライター
 

 
 2009年、待望のニューシングルを連続リリース中のMAMALAID RAG、田中拡邦さんへのロングインタビュー。(全4回)

 「九州限定オーディションで。何で彼がそんなのを持ってきたかというと前に言ったようにレコード店でバイトしてたんでレコード会社のプロモーターがしょっちゅう出入りしてて、その僕らのデモテープを持っていったと。で、「気に入ったから出てよ」って言われたって。そのオーディションの紙を僕に渡して。一応僕がリーダーだったんで。渡されて、でもあんまり興味なくてそのままほったらかしだったんですけど。夏くらいにまた家でその紙を見つけて、見たら賞金三十万円!って書いてあって、ああーいいなーと思って、期限見たら明後日で。あ、これはまずい、と思って。」(PART1)

クロスウォークってのは、大分そのスタッフ主導だったところがあるんですよ。僕ら上京して間もない、っていうのもあるし。右も左もちょっと覚束ない。それでだいぶプロデューサーやらスタッフやらの意見が主導して進行していくような。ところがそれで上手くいかなくて、ソニーも体制が変わって、名前も自分達で、変えるって意思表示を自らして変えて、って流れから主導権が自然と僕らに移ってきたんですね。今度は僕らのやり方でやってみるぞっていう、今度は何も言わせないぞっていう、流れが出来つつあったんですね。
(PART2)

そのmamaragっていうバンドを、新しいブランドですけど、それを始めた僕のやり口っていうのがかなり強引だったんですね。今までと違うものをやる、とか、僕ら主導でやる、とかっていう風に持っていかなければいけなかったので、かなりメンバーにも帝国主義的な(笑)バンドの内容がありましたね。かなりその、共和制というよりは言う通りにやってもらう、というような。(PART3)

最初はオープニングアクトくらいの扱いだろうと思ってたんですよね。そしたらまあ、蓋を開けてみたら僕らのお客さんが一番多くて。結果まあトリにいって。ステージ上がるともう、暖かくて。それがすごく嬉しかったんですね。あー、待ってくれてたんだなって。二年近くほったらかしにしてたんですけど、お客さんを。その2006年の夏以来。だからちょうど2年ですね。そういう風に集まってくれて。それでようやくスイッチが入り、それからレコーディングに入りましたね。「オフェリア」「過ぎ去りし日々」「BLUE LOVE」「すてきなダンス」などなど色々…。で、色んな体制を整えながら、正式に11月25日に復活、活動再開ライブ、単独ライブを恵比寿で11/25にやりまして、レコーディングも続けつつ年が明けまして、2月5日に吉祥寺でキャパをもっと広げて。 (PART4)

 #79&#80 2009年7月8月公開

井沢彩萌
シンガソングライター
 


  2009年初夏、3曲入りシングルCD「a」をリリースしたばかりのシンガーソングライター井沢彩萌さんのロングインタビュー。

 「あんまり理論的ではなくて、今も理論的なことは分かってるわけないけど。コードネームとかそういうのあんまり分からないし、メロディは出てくるけど曲に仕上がるまでやっぱり時間がかかってて。そこからコード覚えたり、自分でピアノ弾いて、あ、これはこういうのなんだ、って。あとヤマハの小さいシーケンサを買って、友達で音楽やってる人とまだ出会ってなかったから、だからバックも全部自分で簡単に作って曲にしてましたね。」(PART1)

  「私は別に特別なことをしているわけではなくて、みんなが何かしらの手段で日々精進生活しているように、私も呼吸して音楽を作って、自分の思っていることや感じていることを表現しているから。それがみんなの中に、自然に入って、時には気づきや刺激にもなってほしい。気持ちいいっていうのもそうだけどその中に背中を押せる音楽でありたいなあって思う、けど。ありきたりの優等生的な音楽は私自身が苦手だから、そういうことをしようとしてるわけではないんですけどね。でも何か楽になる、動くきっかけになればいいなと思います。
(PART2)