moment「Talk&Interview」INDEX-PART2(#21〜#39)

前号#40に引き続いて、これまでの「Talk & Interview」のバックナンバー紹介、そのPART2です。
どれも 貴重なインタビューですので、この機会に読んでいただけると嬉しいです。(写真をクリック!)

 #21 2004年9月公開

石黒ケイ
ジャズ歌謡ポップス
 



 現在の事務所であるサウンドフォルテの方が「moment jam session」を、
 観に来ていただいた時に石黒ケイさんの復帰のお話を聞かせていただきました。
 その1年後のジャムセッションで見事に復活のライブを魅せてくれました。

 
 神奈川県茅ヶ崎市生まれ。高校時代「ビーバブ」を結成。
  相鉄ジョイナス・フォーク・コンペティション決勝大会に進んだ事をきっかけに、
  デビューが決まる。デビューシングルは筒美京平プロデュースの「恋人時間」。
  アート・ペッパーはじめ有名ジャズミュージシャンと共演したアルバム
  「アドリブ」「アンダートーン」、横浜コンセプトアルバム、
  「YOKOHAMA RAGTIME」「パープルロード」「ヨコハマ・ノクターン」など、
  15枚のアルバムを発表。最新アルバムは「パンドラの匣」。

 「私も今の私で自然に出来るなら、やってもいいかな?って。何か無理して、
  昔の疲れてた頃みたいに、「ああじゃない、こうじゃない」って言われて、
  私が洗濯機に回されるみたいな感じのような、そういう事じゃなくて、
 そのまま今の私がすーっといればいいのなら、やってみようかなみたいな気持ちに
 なって、やり始めたんですけど。

 #22 2004年10月公開

吉沢梅乃
シンガー
 



 2年間活動した「Howling Butterfly」が最近、活動休止となり、
 現在、夏のミュージカルに向けてリハーサル中の吉沢梅乃さんは、
 そのバンドメンバー総出演のショートフィルムで熱演してくれました。

 
 2000年、CD「天使にできないこと」発表。
 2001年、MaxiSingle「JESSICA」、2002年 「雨と賛美歌」「チガウ夢」発表。
 2003年、1st album『color』HiBOOMレーベルより発表。
 2004年、Rock Band『Howling Butterfly』結成。2006年春休止。

 「高校時代、家庭環境が複雑な子、虐待されてる子、自分を傷つけてしまう子、
 そういう友達が周りに多くて、考えさせられて、自分に何が出来るんだろうと
 思った時に、自分が100%経験をしているんだったら、きっと一緒にしゃべって
 わかってあげられるんだろうけど、自分が100%以上経験してなかったら、
 「わかるはずない!」って、そうなっちゃうのは自分も何となくわかったから、
 「そっか!」って。「歌で!」って。

 #23 2004年11月公開

桂 歌蔵
落語家
 



 歌蔵さんは数本のショートフィルム等のコラボレーションをしてきました。
 特に印象に残っているのは、「かんかんのう」の映像でしょうか?
 現在、真打となり、落語界で活躍しています。

 
 1991年12月、桂 歌丸の門下となり桂 歌郎に。
 
1996年2月、二ツ目で桂 歌蔵 に。
 そして、2005年5月に真打昇進を迎えました。


 「自分的には世の中には少しでもいろんな活動やりながらでも、
 ちょっとは認めてくれてる方もいると思うんですよ。
 だからそういう風にさせてくれた恩人でもあるから。恩人というか、
 
すごい恩があるから。落語家になったからこそ、そういう活動もできた。
 落語に対して今度はこっちが恩返ししなきゃいけないなと。

 #24&25 2004年12月公開

杉真理×伊藤銀次
プロフェッサー
 


 特別対談:杉 真理
      伊藤銀次


 2人が競演するライブイベントが開催決定という事で、
 特別対談という形でインタビューを行ないました。

 2005年1月28日にジョイントライブ「マイルドで行こう!」を開催した、
 伊藤銀次さんと杉真理さんの2005年に向けての抱負など合併号の特別対談です


 僕は結構、多重人格者なんでね、シリアスな音楽もあったり、
  ハッピーな曲もあったり、いろいろギタリストの音楽もあったりするんですよね
 
杉君と一緒にやるとしたら、杉君のファンもたくさん見に来た時に、あんまりね、
 そこにシリアスな暗い問答みたいなものを持ってきてもしようがないのでね。
 平凡な言い方になるけど、夢があるポップスというか、杉君とやるんだったら、
 そういう音楽を一緒にやれたらいいなという事で、いろいろ相談して決めてきて。
 やっぱり僕と杉君というのは、基本的に共通してるところはサービス精神が
 あるところだと思うんですね。

 #26 2005年2月公開

水谷公生
プロデューサー&ギタリスト
 

水谷公生


 「FairLife」という素晴らしいアルバムを聴いて、そのアルバムに参加した、
 西本明氏を通じて、水谷さんへのインタビューが実現しました。
 興味深いお話を聞く事が出来、ライブイベントにもご協力していただきました。


 G.S「アウト・キャスト」、ニューロック期を経て、
 ギタリスト、アレンジャー、プロデューサーとして、
 日本の音楽史に残る数多くの音楽活動を幅広く展開し、
 2004年12月「Fairlife (水谷公生/春嵐/浜田省吾)」として、
 1stアルバムをリリース。現在も新たなる名盤を作り続けている。


 「僕がずっとイラク戦争にすごく反対してたり、という事があって、
  静かな、静かな反戦歌なんですよ。例えば世界中の兵士でいるでしょう。
 基本的にそういう人たちって戦争しようと思ってしてるわけじゃなくて、
 上の首脳陣が決めたことを兵士達が実行するのだと思うのね。一番たまらないのは
 家族でやっぱり待つだけの苦しさじゃないですか。そういう人に宛ててる歌だと
 僕は解釈してるんですけど。世界中で色々な事で窮地に追い込まれている人たちが
 大勢います。いろいろ話し合って行く中で浜田君が、これはチャリティシングルに
 しようという事で「永遠のともだち」と「砂の祈り」がシングルになったんです


 #27 2005年3月公開

岡沢 茂
ベーシスト
 


岡沢 茂


 岡沢さんのベースを始めて聴いたのは「TORII」のライブでありました。
 広いとは言えないライブハウスの中でブンブン口ずさみながら弾く姿は、
 とてもカッコ良く、いつも少年のような目で音楽に取り組んでいます。

 
 十代の頃からプロとして、渡辺香津美グループを経て、
 浜田省吾、長渕剛、甲斐バンド、尾崎豊等、ロックのみならず、
 さまざまなジャンルのアーティストを支えて来た、
 ベーシスト、岡沢 茂さんの過去から現在までの、ロングインタビューです。


 「カバーしてくれたのは、水谷さんと瀬尾さん。救済の手っていうか
  「みんな敬遠するだろうから、おれが使うよ」って。スタジオに呼んでくれて、
  みんなに「しげる、帰ってきたよ」とかって。
  なんですかね、おれをもう一回スタジオに戻してくれるようにやってくれて、
  いやもう、それはありがたかったですよね。
  もう金もないし、車もうっちゃってるし仕事もない、離婚もしちゃってるし。
  でも仕事で、水谷さんが「大丈夫か」って。それで少しずつ、盛り返して。

 #28 2005年4月公開

我那覇美奈
シンガーソングライター
 

我那覇美奈


  水谷さんが製作した「FairLife」の中の歌声に魅了された人は少なくないはず、
 このインタビューで我那覇さんの音楽に対する素直な態度に心動かされました。
 ニューアルバムは、誰もを受け入れる素敵なアルバムである事は間違いない。

 
 1998年、CDデビュー。現在までに14枚のシングル、4枚のアルバムを発表。
  「moment jam session#4」にて、素敵な歌声を披露していただきました、
  まもなくニューアルバムがリリースされる、我那覇 美奈さんへの、
  ロングインタビューです。


 「自分にとって大きい変化が訪れるまえぶれという時期で、
  歌詞も全然書けない状態でスタジオに入ってる時に、弟が甲子園に出たんですよ
  スタジオのTVで応援していたら、弟が代打でホームランを打ったんです!
  すごい感動してバーッて涙が出て号泣でした。
  「お姉ちゃんもがんばらなくちゃ」って思って、
  がんばってる弟や自分に対して歌を書こうと。

 #29 2005年5月公開

佐山雅弘
ジャズピアニスト
 

佐山雅弘


 サンポーニャ奏者の瀬木さんのライブDVDを編集していた時に、
 惹き付けられた音色と軽快な指の動きにとても感動させられました。
 インタビューは横に瀬木さんも同席という形で色んなお話をお聞きしました。
 機会があれば、ゆっくりと佐山さんのピアノを聴いてみたい。
 

 数々のアーティスト、ミュージシャンとの共演、
 そして、ソロリリース、「PONTA BOX」等で数々の名盤を生み出し、
 今、日本を代表するジャズピアニスト佐山雅弘さんへのロングインタビューです。


 「今度出すとしたらライブ盤かな。今度ニューヨークに行くんで、
  様子を見て、また行けそうだったらニューヨーク進出とかしてライブ盤するなり
  その流れで知り合った向こうの人をゲストに入れるとか。それはそれで僕の手を
  離れて、マサチャンズっていう団体だよね、個人活動というのはまたどうなるか
  わからないけど、今、またできつつある、50になってからの曲を煮詰めて、
  多分ビッチーズブリューみたいな世界になると思うんだな。方向としては。

 #30 2005年6月公開

丸山圭子
シンガーソングライター
 

丸山圭子


 丸山さんのライブサポートを努めている岡沢茂さんの繋がりから、
 実現したこのインタビューでした。この後、momentイベント等で、
 懐かしい曲から新曲まで披露して頂く事が出来ました。
 今後もライブ映像等でのコラボレーションが予定されています。

 
 1972年、エレックレコードからデビュー以来、
  sg「どうぞこのまま」の大ヒット、多岐に渡る作詞作曲活動を経て、
 現在でも、精力的にさまざまな音楽活動を続けている、
 丸山圭子さんへのロングインタビューです。


 「やっぱり自分を表現するものとしての音楽であり、歌なので、
  やめるとかやめないとかというものでは全然なくて、だんだんライフワークに
  近づいていきました。けれど、その間につくってるものっていうのは、
  発売するとかそういうことではなく、全然そういう決まりがあってやってたこと
 ではなかったけれど、それでも書きたくなるんだなと、つくづく思いました。

 #31 2005年7月公開

河野道生
ドラム&パーカッション
 

河野道生


 ピカソの過去の映像の中でドラムを叩いている姿を見たのが、
 始めてでしたが、ピカソの20周年ライブから、河野さんがプロデュースを努める、
 ありましのさんの音源を聴かせて頂きまして、コラボレーションが始まりました。

 
 1970年代後半よりプロとしての音楽活動を始める。
  尾崎亜美のツアーサポート及びレコーディング等を始めとして、
  数多くのアーティストのサポートに携わる。
  そんな中で知り合った森園勝敏、天野清継、野力奏一等との
  セッションバンドで若き血潮を滾らせながら?腕を磨く。
  またその一方、ピカソ等のロックバンドとも活動を共にし、
  幅広く音楽に関わっていく。

 「スーパーになりたいんじゃなくて、いわゆる何というかな、
  歌に対しての音楽が好きなんで、そういうのでいいんだけど、
  歌に対しての楽器というのは、実はちゃんとやろうと思うとすごく難しい。
  本気でやろうと思うとね。それをどれだけ高いレベルでできるかということに
  チャレンジしたい。

 #32 2005年8月公開

安斎 肇
アートディレクター
 

安斎肇


 古田たかしさんがプロデュースを努めているバンド、チョコベビーズ。
 そのメインボーカリストでとても印象的なパフォーマンスで圧倒されました。
 momentのイベントでも、そのパンキッシュでロックな格好良さを今まで3回、
 披露していただきました。
Tシャツのコラボレーションも行なっています。
 
 デザイナーとして、CDジャケットやツアーパンフレットなど音楽に関する
 デザインのほか、装丁を手掛ける。イラストレーターとしてはキャンペーンや
 イベントのキャラクターデザイン、雑誌連載を通し活躍している。
 また、ミュージックビデオの監督、CM出演・ナレーション、
 アニメーションタイトル作成、個展・グループ展、など広く活動している。


 「僕は30センチぐらいの、あの大きさの絵がすごい好きで、
  できるだけあそこの中で仕事がしたかったんです。でもCDに移行したころ
  っていうのは、いわゆる安いからCDになったでしょう。
  非常にそういう意味ではね、もうなんか成り立ちから腹が立ってて、便利とか、
  安いとか、感じ悪いなと思って。ぶっさいくだけど、面倒くさいけど好きだなと
  思ったので、レコードジャケットやろうと思ってたんだけど、
  出来なくなっちゃったんで、ツアーパンフレットをよくやってました。

 #33 2005年9月公開

PICASSO
BAND
 



 picassoとのコラボは数多く、現在でも「月刊ピカソ」をweb内にて掲載中。
 期待のニューアルバムはまだ時間がかかりそうだが、とても待ち遠しい。

 
 デビュー曲をレコーディングしている最中、何処からともなく付いた名は
 『PICASSO』アニメ『めぞん一刻』に起用された4曲がヒット、
 その個性的、実験的なサウンド、方向性は多くのマニアを生む。
 7枚のオリジナルアルバムを残す。

 「自分たちのレーベルを立ち上げて。今度自分たちだけでなくて、
  自分たちの音楽をほかのアーティストでシンガーで表現したりということも
  ストレスの発散の一つとしてやりたいということで、プロデュース活動を始め、
  割と自由にリリースができるということでレーベルも始めました。
  で、今に至っていま す。今はピカソ本体に関しては、
  おじさんロックっていうやつだね。簡単に一言で言うと。(笑)

 #34 2005年10月公開

YORKE.
絵描き
 



 YORKE.とのコラボレーションも2年が経過して、すでに深い想い出も多い。
 彼の若く非凡なエネルギーは、出逢った瞬間に始まる何かが他とは違う。
 これからも時折、YORKE.のエネルギーを見せつけられる場が来ると思うが、
 ふとしたキッカケに意外な変身を遂げた彼の姿もとても楽しみな今である。

 ライブペインティングで都内を中心に描き続け、Los Angelesの   
 JoshuaTreeNational Parkでは、Gravity Engineのフロントマン/Brad Wilcoxと
 共に 断崖絶壁でのライブペインティングなど絵を描く場所を常に求め続けている
 アーティスト。その場所の空気や一瞬を捉え描き続けるライブペインティングでは
 常に見るものを圧倒し、ファンも多い。
 その独特なスタイルが少しづつ共感を生み始めるようになり、CDジャケットや、
 ミュージシャンのステージ衣装、映画広告、ショップディスプレイ等で
 絵を提供するなど自ら活動の幅を広げている。


 「うん。でも、それはもうほんとにその一瞬空気とは話してるんだ。
  ぱっと来るっていうか。入る感じがするのかな。ごめん、うまく話せないや。

 #35 2005年11月公開

TORII
BAND
 



 momentでは、ライブイベントでいつも素敵な演奏を披露してもらっている。
 それぞれに忙しい毎日を送っている彼らだが、是非、一刻も早い新譜発表を、
 momentのみならず、多くのロックファンが待ち望んでいるに違いない。

 
 momentイベント等で毎回、素敵な演奏を聴かせていただいている、
 アルバムリリースも間近のTORIIの4人へのロングインタビューです。

 「12月9日は、中野にある「弁天」っていうお店で。
  漢字の「弁天」っていう字を書くらしいですけど、
 TORIIと合うんじゃないかっていう。
  初回はギターの森園(勝敏)君がゲストで参加する事になってます。
 中央線沿線に強いんで。

 #36 2005年12月公開

石黒ケイ×丸山圭子
シンガーソングライター
 



 二人のジョイントが実現するまでには、あまり時間は必要なかった。
 同じ時期にmomentで出逢ったのは、二人にとっては運命だったのだろう。
 再び、どこかで二人のジョイントがあるとしたら、今度はゆっくり聴いて観たい。

 
 2006年1月20日に、東京・赤坂グラフィティにて、
 初のジョイントライブを行なった丸山圭子さんと石黒ケイさんの、
 特別新春対談です。


 「石黒:何か安心感ありますよね、そばにいると。何か丸山さんといると、
  何とかなっちゃうかなみたいな安心感。不思議なオーラですね。
  丸山:そうですか。(笑)母が長いせいですかね。
  何かそれはね、よく言われますね。
  石黒:ちょっとだけ、この15分間隣に座っただけで感じました、
  そういうオーラを。丸い山なんで、丸山で、そうですかね。
  何かホットなんでしょうか。何かね、そういう癒しじゃないけど、
  自分の中にそういう人に対しての歌うときでもそうなんですけど、何かこう、
  時間を大事に。癒すだけじゃないんですけど、いろんな気持ちを分け合って、
  さまざまな人の心っていうの中に安心もありだけども、
  色んな切なさや寂しさを含めて思い出してほしい感情ってあるじゃないです

 #38&39 2005年2月公開

福田裕彦
キーボーディスト
 



 AAAという皆も良く知っている大きな音楽イベントのバンマスである福田さん。
 そのバンドで共にプレイする里ボンこと里村美和さんに紹介されたのは、
 つい最近の事。すでに浜省のライブではその素晴らしい演奏を耳にしていたが、
 実際に逢って、話をすると誠に面白い人物であったのだ。まだ福田さんの事を、
 知らない方は、是非、インタビューを読んでみて欲しい。

 
 YAMAHA DX7用ソフト「生福」では業界を圧巻し、
 1998年からの浜田省吾とのツアー等、多岐に渡る音楽活動を続けている
 キーボーディスト福田裕彦さんのロングインタビューです。


 「暇にしてたら、山岸潤史から電話がかかってきて。
  「今度ヤマハのイベントでサンタナが出るイベントがあるんだけど、
  キーボードの難波弘之がスケジュールが合わないから、福田くん弾いてくれんか
  」って。正直、ちょっとビビりましたけど嬉しかったですね。それが初めての
  プロのステージ体験です。大学4年の10月ごろですかね。

次回からは、通常の「Talk&Interview」に戻ります。お楽しみに!