moment「Talk&Interview」INDEX-PART3(#42〜#59)

 #41に引き続いて、これまでの「Talk & Interview」のバックナンバー紹介、そのPART3です。
 どれも貴重なインタビューですので、この機会に読んでいただけると嬉しいです。(写真をクリック!)

 #42&#43 2006年6月7月公開

古村敏比古
サックス
 


 


 基本的には、Sax Player。
 
それも、Jazz系ではなく、はったり型Rock系。(サイトより)
学生時代(明治学院大在学中)EastWestに出場。
その時にナルチョこと、鳴瀬善博氏にそそのかされ、
この世界に入る。

そして、金子マリ&バックスバニーをはじめ、
数々のSessionに参加。様々なMusicianと交流を深める。
その後、織田哲郎、北島健二らと「9Th Image」結成。
1982年からは、浜田省吾の「On The Road」に参加。
その他、矢沢永吉、中島みゆき、竹内まりや、尾崎豊、B'z、
チャゲ&飛鳥、玉置浩二、吉田美奈子、Tube、相川七瀬などの
RecordingやTour等に参加。

現在、ソロ活動の他、古川村カンフル罪などのユニットで活動。
更に、織田哲郎、美久月千春、小田原豊らとD.L.B.(Don't Look Back)結成。 活動中。まだ解散はしてないはずである。(サイトより)



 「(竹内)まりやさんのところで舞台監督やってた人が浜田(省吾)さんの舞台監督で。今もやってるんだけど。その紹介でサックスのさし、「バンドはあるからサックスだけ、ちょっとセッションで来てくれない?」みたいな感じで。それがすごいんですよ、あの当時で倉敷と広島と島根、全部2デイズ。「えっ? なんでそんなところで2日も出来るの」って。

 #44&#45 2006年8月9月公開

リクオ
シンガーソングライター
 


 
 京都出身。
 1990年 梅津和時プロデュースの『本当のこと』でデビュー。
 1991年 初のフルアルバム「時代を変えたい」リリース。
 デビュー以来、ニューオリンズピアノ、R&R、 ブルース、
 ジャズ等に影響を受けたグルーヴィーなピアノスタイルと、
 ソウルフルなヴォーカル、切なさのつぼを押さえた楽曲で、
 世代・ジャンルを越えて支持を集める。

 最近は「世界で一番やんちゃなピアノマン集団」、
 CRAZY FINGERSの一員としても大活躍、注目を集める。
 2006年6月に久し振りのソロアルバム「セツナウタ」を発売。

 年間100本を越えるライブで鍛えられたファンキーな
 ライブパフォーマンスは超必見。

 現在、各地でリクオフリークが急増中。


 「大学時、2回生の自分よりひとつ年下の先輩の下宿に連れて行かれて、いろんなレコード聴かしてくれたんですよ。 その時ドクター・ジョンの「ガンボ」っていうアルバムを聴かしてもらって。ドクター・ジョンって、ニューオリンズを代表するピアニストであり、シンガーでもあるんですけど、当時の自分にはなじみのない音楽で、ころころ転がるピアノは何なんだろう?カッコいいなあと思いまして。「セカンド・ライン」ていうニューオリンズ独特のシンコペイトするリズムをそのときに初体験したんです。

 #46&#47 2006年10月11月公開

黒沢秀樹
シンガーソングライター
 



 
  1991年、黒沢健一、木下裕晴と共にL⇔Rとしてデビュー。
  13枚のシングル、7枚のオリジナルアルバムを発表。
  1997 年11月、L⇔R活動休止後、ソロアルバム制作を開始。
  1999年4月シングル「Believe」アルバム「Believe」を発表。
  1999年 8月、ソングライター/ミュージシャンユニット
  「HOW」を結成、メンバー、プロデューサーとして活動。
  03年の解散までに3枚のミニアルバムを発表。

  03年4月、ドリームスヴィルレーベルのコンピレーション盤に
  真城めぐみ(Hicksville)片岡知子(Instant Cytron)と共に
  「黒沢秀樹&リトル・ギャング」として参加。
  04年2月ミニアルバム「winter」を発表、ソロプロジェクトを
  再開。04年9月ミニアルバム「spring」発表。
  04年8月よりRide on Babyのプロデュースを開始。
  05年3月有里知花with海北大輔「Good Luck To You」の
  共作詞、作曲サウンドプロデュース&アレンジ,ギター参加。
  06年4月ソロプロジェクトのミニアルバム「summer」発表。



 「溜り場みたいになってたレコード屋さんがあって。学校が終わるとそこに行って、常連のお客さんとかと缶コーヒー飲みながら、皆でレコード聴いたりしてて。そこがいわゆる昔の'60代の音楽とか店長が凄く好きで。個性的な店だったんで、やっぱりそういう人たちが集まって来て。その当時でいう立派な大人というか、おっさんとか、普通に来るんですけど。そこに来ると皆、友達みたいな。そこで知り合った同じ歳ぐらいの奴らと一緒にバンド組んだのが、僕は初めてですね。

 #48&49 2006年12月公開

真理×伊藤銀次
ポップシンガー
 


 特別対談:杉 真理
      伊藤銀次



 
今年2007年、ソロ30周年の伊藤銀次さんと、
 アルバムデビュー30周年の杉真理さんの
 2007年第一弾インタビューとしてお届する特別新春放談です。


S:もう、とにかく、パーティーの様な感じで、いろんな人が出てくるみたいなアルバムになれば良いかな、なんて思ってますけどね。

G:こちらこそ。もう、私なんかで良ければ。

S:何をおっしゃいます。

G:(笑)そういう謙遜のしかた普通ミュージシャンはしないよね。

S:普通のミュージシャン、しない(笑)!銀次さんは?

G:僕?僕はねぇ。僕も30周年なんで、ポリスター時代の作品が、今、ソニーにあるんですよね。で、杉君と同じように塩ジャケ、(笑)じゃないや!紙ジャケで、一斉に!

 #50 2007年2月公開

渡辺太朗
デザイナー
 





moment web 50号記念対談

渡辺太朗(デザイナー)
×
TERA@moment(主宰)


 今年5周年を迎えたmoment。web siteも#50を数えて、
 web masterの渡辺太朗氏とmomentのTERAの記念放談です。

TERA:moment webの場合、インタビューやマガジンで取り上げるアーティストとか、そういう人達のファンの方や、割とコアな情報を求めてる人たちが、ぽっとwebを初めて覗きにくる。あまりwebを使ってない人も読みにくる事も多いです。あとmomentの大きな流れとして「映画〜ショートフィルム」自体が主流だったけど、次第に「音楽」が主流になってきた。それは勿論、映像も関連してる事での流れなのでバランスはとれている訳で。「音楽イベント」っていうのも今では定着して、これまでに様々なジャンルの素敵なアーティストやミュージシャンの方の音楽を共に奏でてきました。それらフライヤーをTAROさんにやってもらってmomentの全般的なアートワークスもほぼTAROさんにやってもらってるんですけど。大きく観て、TAROさんの世界、アートワークの世界っていうのが、momentイメージになっているわけで。

TARO:ありがたいですね。僕も、ある意味、言葉は悪いけど実験的な事も出来るし。皆さん、快く「良いね。」っていってくれるんで、割と、好きに自由に出来る点ではすごく、デザインを仕事として進めていく上でも良いステップにさせてもらってるっていう感じは有りますよね。

 #51 2007年3月公開

佐藤奈々子
カメラマン
 


佐藤奈々子


 
 東京都生まれ。
 慶応大学在学中に1977年アルバム『ファニーウォーキン』で
 歌手デビュー。4枚のソロアルバム他を発表。

 その後、カメラマンとなり、広告、雑誌、などで活躍。
 1987年より5年間パリに在住。

 1993年帰国後、音楽活動を再開し、
 13年振りのアルバム『フィアー・アンド・ラヴィング』発表。
 1996年、アルバム『LOVE IS A DRUG』、を発表。

 日本のみならず世界的に幅広く音楽を発信している。
 現在、Coccoや細野晴臣、Dr.StrangeLoveといった、
 ミュージシャンのCDジャケットなどカメラマンとして活躍中。

 写真集に、Coccoとの共作 "The Bird "(河出書房新社)、
 "光の旅ー釈迦如来 MANDALA"(NHK出版)、
 "8.15 OKINAWA Cocco"(NHK出版)などがある。



 「何かね、もう「歌を止めます!」みたいな覚悟とか悲痛なものは一切なく、たまたま、写真撮る事に出会った。その自然と移っていった感じ。写真にであってから、写真にひたすら夢中で写真撮ってたから。また始めた時っていうのは写真撮ってパリに住んでて日本に帰って来てた。その帰って来た時代っていうのはバブル崩壊の時で。世の中が重たい空気の真っ直中みたいなものっていうのをひしひしと感じるようなところに「帰ってきちゃった」みたいな感じだったし。

 #52&#53 2007年4月5月公開

MANNA
シンガーソングライター
 

MANNA


 
 デビュー30周年を迎え、現在ベアフットコンサート開催や、
 時折 momentイベントでも素敵な歌声を聴かせてくれている、
 MANNA(マナ)さんのロングインタビューです。



 「えっと、高二の時かな?シンデレラをモチーフにしたイギリスのファンタジー作家の”エリナファージョン”って人の原作のシンデレラを脚色したものに、それまた、脚色して音楽を付けたんだけど、今考えると佐野君や友人のミュージシャンも、それこそ皆、今、プロになっている仲間の音楽で。うん、もう豪華な。豪華でしたね(笑)
 

  「
サッチン(岩澤幸矢)が主宰しているベアフット協会は「はだしで自由に歩けるきれいで安全な海岸の創造」が目標です。ビーチクリーンナップをして、そこで流した汗と拾ったゴミが入場券の「ベアフットコンサート」を26年続けています。最初は何も分からない事ばかりだったんですけど、イベントのプロデューサーっていう形で関わっていく様になりましたね。

 #54&#55 2007年6月公開

伊藤銀次
ポップシンガー
 

伊藤銀次

 
 今年ソロデビュー30周年を迎えて、
 現在、久々の記念ツアー展開中。
 伊藤銀次さんへの緊急インタビューです!


 「先日の仙台ですか。8人乗りか9人乗りのワゴンタイプの車を借りて、4時間から5時間かけていったんですけど。それは、僕が「行こう!」って言ったんですよ。だって、ライブハウスレベルで新幹線で移動するとかね、泊まるとかね。それは、やっぱりやる気のあるミュージシャンだとは思いませんね。向こうのミュージシャン達は自分で車持ってね。機材や何か積んで。それで、スタミナ満々でまわって行きますもんね。あぁいうのも憧れていて「よし!!」って。「やってみよう!!」ってね。

大阪はね。自分の生まれた場所だから。大阪のファンは独特なんですよ。何か他の地域の人達と差があると言う事はないんですけど。やっぱり、何かこう、大阪で歌うのはほっとするっていうかね。ただ、まぁ大阪のファンは厳しいですけどね。何か本当、久々に大阪で歌えるので、大阪のファンの人達に逢えるのが楽しみですね。京都と言うのはね、僕、京都ではあんまりやってないと思うんですよね。ちょっと、不安はあるんですけど。スペシャルで黒沢君も遊びに来てくれるしね。場所は関係なくね。一生懸命やろうと思っています。


 #56 2007年8月公開

土橋一夫
音楽ライター&プロデューサー
 

土橋一夫


 
  『Groovin'』「レコード・コレクターズ」等での執筆、
 CDリイシュー監修、番組&イベント企画制作などで大活躍中の、
 ライターで編集者の土橋一夫さん、緊急インタビューです。



 「自分で専攻したのが文学部の史学科で考古学やってたんですよ。それは、その前からの発掘やったりとか、探検したりとかっていうのの延長線上だったんですけど、それで本格的に考古学の勉強をして、発掘調査とかやったりして、将来は多分そっちに行って研究室に残って研究者になるのかなと思ってましたね。


  「
今やってるのは、FMのラジオの番組『ようこそ夢街名曲堂へ!』と、あと『Pied Piper Days』という丸の内で2か月に1回やってるイヴェントと、その2つが主にあるんですけど、もともとは長門芳郎さんがかつて70年代から80年代末まで南青山で経営されていた「Pied Piper House」っていうね、伝説的なレコード屋さんがあったんですけど、そのレコード屋さんを今の時代に電波上で復活できないかというところから、そのラジオのアイディアは始まりました。毎週1時間番組でもう350回ぐらいの放送回数になるんですけど。で、もう一つのイヴェントのほうは、それを実際にリスナーの方たちに見えるような形で、あとラジオだと映像は見せられませんから、例えばゲストを招いてレアな映像を見たりとか、そういう機会もつくりたいなということで、こちらも今、無料で2か月に1回、偶数月にケンウッドスクエア丸の内でやっています。


 #57&#58 2007年9月10月公開

佐藤史朗
鍵盤プレイヤー
 

佐藤史朗


 
 現在上演中の舞台「憑神」や映画「呪怨」等の音楽監督、
 また、アコーディオンユニット「プラネタリウム」でも活躍中、
 佐藤史朗さんのロングインタビュー。



 「就職してから演奏の仕事っていうのはやっていなかったですけど、その頃、カセットのマルチトラックレコーダー出てきて、多重録音に手を染めるようになるんです。演奏して録音して曲を作るという面白さにひかれていって、だんだんと作曲っていうものに対して興味が強く向いていくようになるわけです。映像に音をつける作曲の仕事とかっていうのは就職してる間にあります。


そのころハードディスクレコーダーというのが手頃な値段で出始めたんですよね。榎本君がローランドのVS−880という8トラックのハードディスクレコーダーを持っていて、練習しながらときどき録音してたんですよ。そんなことしつつ、彼は別のプロジェクトでそのハードディスクレコーダーを使って、自主制作アルバムをつくったりもしてたんです。そんなこんなで、「プラネタリウム」もCD作ろうということに。銀次さんと最後にやったのはいつだったんだろうな。何のときだったんだろう。たぶん7、8年は会ってなかったと思いますよ。で、何年か前にね、プロデュースしてる人のライブやるんだけど手伝ってくれないかなっていう話があったんですよ。ただ、ちょっとスケジュール的にできなくて、実現しなかったんです、そのときは。それで、ずっと間があって、今回久々にっていうことですね。

 #59 2005年8月公開

AOI
ギタリスト
 

AOI


 
 SHAZNAのギタリストとしてデビュー。
 現在、ソロ活動等も行ない、
 映画製作団体「AMLABO FILM MAKERS」を立ち上げ、
 自ら監督として映画制作も行なっている、
 AOI さんのロングインタビュー。



 「プラモデルとか物を作ったりするのが好きだったので建築家になろうと思って。建築家になるためには建築免許2級や1級が必要なのでやっぱり大学に行かなきゃいけない。なので付属高校に入ったんですよ。それで建築の勉強ができる大学に行ったんですよね。一応高校に入る前に自分の進路は決めていたんですけども、高校2年でエレキギターにハマり、その後、大学で建築を勉強するどころか曲を作り始め、ちょっと路頭に迷って行くという。(笑)


活動休止の間も年に1度ぐらいは忘年会と題してメンバーで集まったりしていたんですよ。そこで「活動休止している以上、再開のタイミングは考えておかないとね。」という話をしていて。休止期間が長いんだけど一応今年はデビュー10周年の年にあたるんですね。だったらそのタイミングで動かなきゃって。で、2006年から始めて2007年にはアルバムを作れるように活動しようという話になり、今年シングルとアルバムを出して、to be continue・・・って感じ。

   ☆次回は、#60から#79まで。お楽しみに☆