moment「Talk&Interview」INDEX-PART1(#1〜#20)

moment web siteのリニュアルに合せて、これまでの「Talk & Interview」のバックナンバー紹介です。
どれも 貴重なインタビューですので、この機会に読んでいただけると嬉しいです。(写真をクリック!)

 #01 2003年1月公開

今村力
映画美術監督
 



 momentの本格的なインタビューは、この方から始まりました。
 映画美術監督の今村力さん。数々の名作のお話をじっくり聞いています。
 特に松田優作氏とのコラボレーションや角川の名作で稀なる才能を魅せました。

 
 今村 力 ( Ricki Tsutomu Imamura )
 日本映画界を代表する映画美術デザイナー/映画美術監督。
  独自の感覚と豊富な経験で、様々な監督・製作者から絶大な信頼を得ている。

 「映画美術界は自分の世界をやりとおしていくには非常に苦しくなっちゃった。
  撮影所なんてものがなければ美術なんか存在しないしね。
  CMなんかやってても広告デザイナーなんかが、写真や雑誌もってきて、
  これでお願いします、って言われるしね。
  だから日本映画界の美術なんてものは極端なことをいって、
  僕と後何人かで終わりです。

 #02 2003年2月公開

仙元誠三
映画撮影監督
 



 今村さんに関連した繋がりで続けようと、仙元さんにインタビューを。
 仙元さんにも、数々の名作のお話をじっくり聞いています。
 松田優作氏とのエピソードや角川映画でのお話等をじっくり聞きました。

 
 仙元誠三 ( Seizo Sengen )
  日本映画界を代表する撮影監督。独自の感性による撮影スタイルを貫き、
  独特なカメラワークと色使いでの映像作りや、多様で豊富な経験を持ち合わせ、
  現在、様々な監督・製作者から絶大な信頼を得ている。

 「映画っていうのは、年令じゃなくて、 お互いやる事をひとつにして、
  その為の遠慮なしに言えるような仕事の参加の仕方をすると、
  まあキャリアの多いベテランがいても、それは役に立つと思うね。
  利用の仕方だと思うよ。若い人たちの少しでも役に立てればいいけどね。
  ただね、呼んでくれて数時間だったけど、
  一緒に映画の話が出来ただけでも楽しかったよ!

 #03 2003年3月公開

手塚るみ子
プランニングプロデューサー
 


 

 この時期にニューアルバムをリリースした手塚さんにインタビューを。
 お父さんの手塚治虫先生や、これまでの活動のお話を聞いています。
 特に手塚作品を後世に残してゆく事について熱く語っていました。

 
 手塚るみ子(Rumiko Tezuka)
 手塚治虫の長女。プランニングプロデューサーとして、
 これまでに『私のアトム展』等、手塚漫画に関する企画を手がけ、
 特に、音楽と手塚作品を結び付けたオリジナルの企画を立ち上げ、
 その独自の手法にて数々のCDをリリースしている。

 「会場に見に来た若い十代のカップルが「アトムは知っているけど、
  漫画は読んだ事はない。けど見に来たら面白そうだし、読んでみよう」とか。
  或いはデザイナーの子が興味を持って見に来た時にアトムを描いて帰るとかね。
  こんな企画をやることで、人はそこから手塚治虫に入って行く。
 
そこから先はその人達がどう捕らえるかであって、
 キッカケを作る事が出来るんだ」と。何か「これが自分の仕事、ライフワーク」
 なんじゃないかって。私がいる限り。

 #04 2003年4月公開

西本明
キーボーディスト
 



 
 ここから、momentに音楽の流れが来たといっても過言ではないでしょう。
 映画の音楽をキッカケに続いてゆく創作活動は今も続いています。
 音楽を始めた事、ハートランドや尾崎さんのお話を聞いています。

 
 西本明 (Akira Nishimoto)
 70年代後半より、キーボードプレイヤーとして音楽活動を始め、
 佐野元春(THE HEARTLAND&HoboKingBand)や尾崎豊(BIRTH TOUR BAND)等
 ライブメンバーとして活躍。プロデューサー、アレンジャーとしても、
  数々のアーティストのCDを手掛けている。


 「人とのコラボレーションがすごく楽しくなってきたんで。
  こう自分の事を純粋にやれたお陰で、それがやれるようになって来たんですけど
  あと実験的な事もしたいし、この間やった映像に音楽を付けるみたいに、
 それをセッションでやれたらとかね。
 そういうような事が本当に楽しめるようになってきたんです。
 まだ沢山あるストックをボーカリストとコラボして、発表していきたいですね。

 #05 2003年5月公開

藤沼伸一
ギタリスト
 



 
 藤沼さんとの出逢いも、momentに大きな影響力をもたらしました。
 Shortfilmやライブイベント等、時折するコラボが感動的でした。
 最近は「アナスタシア」 というバンドでライブ等を展開中です。


 藤沼伸一 (Shinichi Fujinuma)
  1980年に『アナーキー』のギタリストとしてデビュー。
  以後、9枚のアルバムをリリースする。
  その後『泉谷しげるwithLOSER』『下郎』など数多くのバンド参加や、
  精力的にライブやレコーディングに参加。多くのプロデュース活動も。

 「そう、日本の音を出していきたいっていうか。
  元々イギリスとかアメリカとかの音楽が入ってきた上で、
  エレキとかが、鳴った訳なんだけど、いつももらってばっかだから、
  こっちから外国に「ほらー」って返したいな、と思いますね。

 #06 2003年6月公開

里村美和 パーカッショニスト  


 西本明氏と同様に、映画音楽を担当してくれた流れでインタビューを。
 音楽を始めた事、ハートランド時代のお話をじっくり聞いています。
 現在、momentで行なわれるイベントには欠かせない存在。

 
 里村美和 (Satomura yoshikazu)
  高校時代、一年生の時にドラムを始める。
 その後、佐野元春、佐藤奈々子と出会い、渋谷エピキュラスにてLIVEを行う。
 大学入学後、コンガと出会いを機にパーカッションを始め、
  1981年スタジオミュージシャンとしてデビュー。
  1984年佐野元春「Visters Tour」よりザ・ハートランドに参加。
 その後ツアーミュージシャンとして尾崎豊、杉真理、沢田聖子等のツアーに参加。

 「映画につける音楽という事で、パーカッションが欲しいよって言われたんで、
  一番多くセッションしてる明と長田、しばらく会ってなかった二人ですけれども
  時間があいたにもかかわらずスムーズに自然に演奏が出来たなって感じだね。
 マジで。要するに関連のある二人で、映画に一番合いそうな二人という意味で、
  非常にいい、映像にあった音が作れたと思います。

 #07 2003年7月公開

浜田毅
映画撮影監督
 



  #2の仙元氏に引き続き、日本を代表する撮影監督の浜田氏にインタビュー。
 ユニークな語り口調で、数々の名作のエピソードを語っていただきました。

 
 浜田毅 (Takeshi Hamada)
  大蔵映画に始まり、三船プロ、国際放映、セントラルアーツで、
  撮影助手として現場を踏み『生きてるうちが花なのよ 死んだらそれまでよ党宣』
  でキャメラマンに。その後、近作の『壬生義士伝』まで、
  近年の日本映画を代表する数々の作品にてその手腕を発揮。


 「映俺が20才で映画界入って29才でカメラマンになって、
  10年間やって39才になって『いつかギラギラする日』と
  『僕らはみんな生きている』に出会って。
  そしたら次の10年間が、乗り越える力というかエネルギーというか。
  落ちていく時にそれをもう一回上げていく、
  自分の心だけじゃなくてなんかそういう作品に出会えたのが、
  今までこれた原因っていうか要因

 #08 2003年8月公開

杉真理
シンガーソングライター
 



  moment初の音楽イベント「moment jam session #1」のトリを努めた、
 杉真理氏のinterview登場で、一つの区切り転換を迎える事になった。
 ここから本格的に、momentの音楽の流れが本流になる。

 
 杉真理 (Masamichi Sugi)
  77年「マリ&レッドストライプス」でビクターよりレコードデビュー。
  同バンド解散後、作家活動に入り、数多くの作品を提供する。
 1980年、CBSソニーに移籍。アルバム「SONG WRITER」でソロデビュー。

 多くの名アルバムを発表。ソロ活動以外にも、数々の作品にも参加。
  82年、大瀧詠一、佐野元春との「ナイアガラ・トライアングルVol.2」は有名。

 「とにかくラジオづけで、とにかくラジオのヒット曲をかたっぱしから聞いて、    まあ、『ビートルズ』は、別格でしたけども。
  それで、当時、とにかく小学生じゃないですか。
  とにかくもう、わかんない事ばっかりだったんですよ。
  全部ラジオが教えてくれたっていうかな。今思うと。

 #09 2003年9月公開

佐藤奈々子
カメラマン
 



 「moment jam session #1」における佐藤奈々子の登場は、杉氏と同様に、
  のちのライブイベントの流れに大きな影響を与える事になりました。
 momentのTERAとは彼女が帰国直後、共に「HAVEN」という事務所を開いた仲。

 
 佐藤奈々子 (Nanaco Sato)
  慶応大学在学中にコンテストに出場。これを契機に、
  1977年『ファニーウォーキン』でコロムビアよりレコードデビュー。
  4枚のアルバムを発表。80年「スパイ」名義でアルバム『スパイ』リリース。
  その後、プロのカメラマンとなり、いろんな分野での写真を発表。
  87年よりパリ在住。 93年帰国後、カメラマンの仕事と平行して、音楽活動再開。
  13年振りのアルバム『フィアー・アンド・ラヴィング』をリリース。
 
以後、日本のみならず世界的に幅広く音楽を発信している。
  昨年、COCCOとDSLと共に写真集「Birds」を発表。

 「パリではね。不思議な生活。家はゴダールが住んでいた部屋だったのね。
  若い頃の。パリのアーティストが住みそうな屋根裏の部屋で。
  そこで一緒にいた人、住んでいた人もカメラマンだったから、
  周りはカメラマンがいっぱいいて、色んな国の人達が出入り自由で。
  本当にここ、「moment」と同じ感じ。
  教会みたいに「ドアは空いています!」みたいな感じで。。

 #10 2003年10月公開

根岸孝旨
ベーシスト
 



 この時期、ニューアルバムを準備中だった根岸氏。
 先の佐藤奈々子とのコラボとDSLの流れでのインタビューでした。
 このinterview中にて、今迄語られる事の無かったエピソードも多く伝えられた。

 
 根岸孝旨 (Takamune Negishi)
  「POW!」「SENCE OF WONDER」などのバンド活動を経て、
  80年代後半に、古田たかし、長田進と共に 「Dr.StrangeLove」を結成。
  カセットテープ、CDをインディーズで発表後、
  1997年6月アルバム『Dr.StrangeLove』にて、メジャーデビュー。
  Cocco、GRAPEVINEなど数多くのアーティストのプロデュース等、
  
ベーシストという肩書きだけではなく、ロックシーンに影響を与え続けている。

 「ピアノが一番好きですね。ピアノの響きが大好きなんで。
  ただピアノで曲を書くっていうよりは、楽器に座って、
  楽器をいじって曲ができるっていうタイプではなく、
  「イメージをもって楽器に向かった時に曲ができる」ってうか、
  先に大体メロディーがもう浮かんでるんですよ。
  「こういうの」とか「こういう世界観」みたいなのがあって。
  それがない状態で楽器に向かっても何もできないですよね。

 #11 2003年11月公開

古田たかし
ドラマー
 



 ドラマーの古田たかし氏へのインタビューの流れは2つ。
 ドクターストレンジラブとザ・ハートランドである。またこのインタビュー後に、
 「Cajun Moon Band」という素晴らしいバンド結成を見届ける事になりました。

 
 古田たかし(Takashi Furuta)
 中学3年で「カルメン・マキ&OZ」に加入。プロとしてデビュー。
 高校3年の時に原田真二と出会い、 彼のバンド「クライシス」のメンバーとなる。
 81年春、佐野元春withザ・ハートランドのメンバーとして正式加入。
 ハートランドの活動のかたわら渡辺美里、吉川晃司らのライブやレコーディング、 UNICORNのサポートメンバーとしてコンサートツアーに参加。
 その後、奥田民生のバックバンドにDr.StrangeLoveの2人と共に参加。
 Puffyのバックバンドのバンマスとしても活躍。


 「ハートランドの解散以降、『Hobo King Band』のツアーを1回、
  札幌で見たんですよね。その時に「大人だ!」って思ったんですよね。
  年齢的にはハートランドの方が多分、上なんですけどね、ハートランドは何か、
 やんちゃ小僧っていう感じで。『Hobo King Band』は、大人の音だなっていう。
  凄いびっくりしましたね。

 #12 2003年12月公開

駿東宏
アートディレクター
 



 momentにて、音楽イベントが行なわれる少し前に駿東氏のイベントにて、
 momentが映像で参加をした事がある。場所は東京・初台ドアーズ。
 駿東氏とのコラボ経験も後のmomentイベントにとって大切な繋がりとなった。

 
 駿東宏 (Hiroshi Sunto)
 1977年、日本デザインセンター入社。1985年にスントー事務所を設立。
  音楽、ファッション、雑誌などのアートディレクションを行う。
  他に自らの総合レーベル“Module”を打ち出し、
  雑誌や書籍、Live活動などを行ってきた。
  アートディレクターだけでなく、多岐にわたる分野にて活躍を続けている。


 「総合っていうか「次」かなって思いますよね。
  いつもそういう意味では総合ですよ。
  最良の方法でやりたいわけで出し切りたいですね。
 うん、出し切った後の、次のことなんて考えなくてもいいと思うんですよ。
 そしたらまた次の人はもうまた何かあると思うんで、できるじゃないですか。

 #13 2004年1月公開

斉藤ネコ
バイオリニスト
 



 「Cajun Moon Band」結成前夜。その素晴らしいバイオリンを前に、
 急遽行なわれたインタビュー。ネコ氏から繋がる音楽家との流れも重要だった。
 一見アカデミックな気配だが、実は、ネコ氏の生き方はロックであると思う。


 斉藤ネコ (Neko Saito)
  東京芸術大学音楽学部作曲科卒業。
  伝説の異色バンド「KILLING TIME」、
  さらに伝説の異色バンド「SUNSET KIDS」に在籍していた

  活動18周年を迎えた「斎藤ネコカルテット」のリーダーとして、
  意欲的にライブ活動を行っている。


 「『ネコかる』も古いですね。今年でもう16、7年目ぐらいですから。
  「ゴンチチ」っていうグループの『KILLINGTIME』時代のレコーディングの為に
  弦カル(テット)を入れたいっていうので組んだのが始まりで、
  「Lady Jane」ですよね。このオーナーの大木さんが六本木に
  「ロマーニッシェス・カフェ」っていうお店を持ってて、
  「ライブやってみない」って。仕掛け人なんですよね。

 #14 2004年2月公開

門秀彦
絵描き
 



 moment web siteの監修を努めている渡辺太朗氏と遊びに来たキッカケで、
 momentは、門氏とポストカードやイベント映像等でコラボを続けた。
 現在、とても忙しい毎日で、各方面での活躍を続けている。大きな期待が。

 
 門秀彦 (Hidehiko Kado)
  独学で絵画,デザインを学び96年より個展活動を始める。
 98年よりT-SHIRTSブランド[RING BELLS]を立ち上げる。
 01年よりデザイナー、イラストレーターとして、
 大澤誉志幸、佐野元春、 サーフィス等のアートワークに参加。
 02年には手話アートブック「RING BELLS」を、ぶんか社より出版。

 「僕がやっている『AOP』というもの、「命」っていう意味なんです。
  1人でつくり出すものではなくて、
  「誰かと交流する事で生まれてくるもの」というか、
  個人からじゃなくて誰かと誰かの間に生まれる子供みたいな。
  子供って僕だけじゃないじゃないですか。
  相手と半々入ってて、それ独自の個性が生まれるみたいな。

 #15 2004年3月公開

種ともこ
シンガーソングライター
 



 momentの音楽イベント「moment jam session #2」にて、
 井上富雄氏のゲストとして登場した流れのインタビューでした。
 生活から自然と生まれてくる音楽に、momentとして共感を覚えました。

 
 種ともこ (Tomoko Tane)
  85年デビュー。シングル19枚、アルバム13枚をコンスタンスに発表。
  2001年からは「VISION&PIANO」と題した、
  ピアノと映像のコラボレイトライブをシリーズ化し、四季折々に展開。
  枠にとらわれないライブスタイルと常に新しい音楽表現の形を追究し続ける姿は、
  デビュー当時から一貫して変わってないと言える。
 また「力の強さ」と「透明感」という、相反する魅力を合わせ持ち、
  溢れるような生命力が感じられるその歌声は多くの人を魅了してやまない。

 「思い付いた曲をメモとしてMDに入れておいたりとかする時もありますけどね、
  余り意味はないですね。録音したりとか、書き出すとか。
  ノートに何か書いておいたりしても、後で見ても何だっけと思う時もあるし、
  自分が覚えていられない曲というのは、いい曲ではないという事なので、
  忘れないよう書くぐらいのものだったら、忘れてもいいんじゃないかな。

 #16 2004年4月公開

杉山章二丸
ドラマー
 



 三宅伸治のDVD製作時に、MOJOCLUB再結成という素晴らしい出来事が。
 このインタビューの時に初めて紹介された「タケル」は、
 章二丸氏が、路上で出逢い、それ以来、プロデュースを手がけている。

 
 杉山章二丸 (Shojimaru Sugiyama)
  88年、「MOJO CLUB」結成。 90年、1st album『社会復帰』で、デビュー。
  平行して、「ザ・タイマーズ」のドラマーとしても活躍。

  90年、2nd『ホーム・シック』 、91年 3rd『GAME』リリース。
  94年、移籍後、album『THE MOJO CLUB』 『HOUSE PARTY』リリース。
  95年、MOJO CLUBの活動休止。03年、MOJO CLUBが8年ぶりのライブを行う


 「自分が「どうしても付いていけなかった」っていうのか、
  「納得できなかった」というの。何か「やいのやいの」懐かしがられての存在、
  「章二丸」っていうさ。それは嬉しいんだけど、それだけじゃやばいもんね。
  どう考えても腕が伴っていかないっていうのが自分で分かるから。
  だから、ちょっとまたそこから1年ぐらい空白してて。
  それで、若い子とアマチュアバンドを色々とやったりとかして。

 #17 2004年5月公開

小峰公子
シンガーソングライター
 



 「斉藤ネコかるてっと」のライブで初めて聴いた小峰公子の歌声は衝撃だった。
 この年夏の「moment jam session #3」にて素敵な歌声を披露してくれました。
 その後「ZABADAK」ライブの映像収録などのコラボを、今も続けている。


 小峰公子 (Kouko Komine)
  91年、ギター保刈久明とのユニット「Karak」として、 CDデビュー。
  同年、1stアルバム『Silent days』リリース。92年 2nd『flow』リリース。
  98年、3rdアルバム 『七月の雪』発表。
  00年 斎藤ネコカルテット演奏による初のソロアルバム 「palette」リリース。
  吉良知彦のソロユニット「ZABADAK」を中心に精力的な活動を行っている。


 「「どうしよう?」と思った時に私が自分の力で音楽をやりたいなと思って、
  初めてそこでまともに自分でやろうと思ったんでしょうね。
  それで申し訳ないけどって、1年だけ好きな事をやらせてって父親に言ったら、
  「1年じゃ好きな事は出来ないかもしれない」って言ってくたんですよ。
  「やってみなさい」って言われて、ちゃんと音楽に向き合ってみようと。

 #18 2004年6月公開

吉良知彦
シンガーソングライター
 



 小峰さんに引き続き登場の吉良氏。
 ザバダックと時間を共にする時は、いつもアットホームな雰囲気に包まれる。
 そんな心地よさを感じられる僕たちの音楽がmomentには必要だった。

 
 吉良知彦 (Tomohiko Kira)
  幼少の頃より父の民族音楽レコード・コレクションを聴いて育つ。
  趣味は昆虫採集。 自然をこよなく愛し、農業にいそしむ。
  1985年、ZABADAK (ザバダック) 結成。様々な変遷を遂げ、
  1994年以降は吉良知彦のソロ・ユニットとなる。
  ZABADAKの活動と並行して、CM、映画、演劇等の映像作品に音楽を提供。

 「これまでも、恵まれた環境で作れてはいたと思うんですけど、
  どっかでこう、軋轢があって。
  何か出し切れてなかった思いっていうのが常にあったんですね。
  (中略) やっと開放されたのが、自分のレーベルを立ち上げてからですね。
 
だから今は本当にストレスのない状況で音楽を作れてる気がします。

 

 #19 2004年7月公開

伊藤銀次(PART1)
音楽プロデューサー
 



 「moment jam session #3」出演に合せてのインタビューでした。
 伊藤銀次氏の作ってきた音楽は色あせる事なくいつまでも響いてゆく。
 男の子にとっては涙なしには聴けない名曲も多い。信頼の於ける兄貴的存在。

 
 伊藤銀次 (Ginji Ito)
  72年「ごまのはえ」でデビュー。73年、大瀧詠一氏と知り合い、
  バンド解散後「シュガーベイブ」 「ナイアガラトライアングルVol.1」等の、
  "日本語ロック"を担うロックの歴史的なセッションに参加。
  77年、初のソロアルバム「DEADLY DRIVE」をリリース。
  80年、佐野元春 withザ・ハートランドのギタリストとして活動を共にする。
  その頃から、ソロで「Baby Blue」「Sugar Boy Blues」等、数々の名盤を発表。
  また、沢田研二、ウルフルズ、アンルイスなど、
  数々のアーティストをプロデュース。 03年「ココナツ・バンク」で、
  アーティストとしてシーンに復帰。 現在、精力的な音楽活動を続けている。

 「19歳ぐらいの時、大阪の天王寺の野外音楽堂で、
  「ビーインラブロック」というライブイベントがあるというのが、
  新聞広告が出てて。アマチュアだったけど「面白そうだから、出よう!」と。
  そこでブルースの曲とか、オリジナル曲をやったら、
  福岡風太や「ディラン」の人たちとかに出会って。
  翌年、70年に大阪城公園で自分たちでステージ設営してイベントをやったのが、
 この世界に入る一番大きなキッカケになったんですね。

 #20 2004年8月公開

伊藤銀次(PART2)
音楽プロデューサー
 



 いつも新しい事を考えて音楽活動を続けている伊藤銀次氏。
 今後の活動が今迄以上に楽しみであり、それを聴ける世代はとても贅沢である。
 青木ともこさんと始まるユニット活動を、始まりから目撃出来る贅沢もある。

 
 伊藤銀次 (Ginji Ito)
  72年「ごまのはえ」でデビュー。73年、大瀧詠一氏と知り合い、
  バンド解散後「シュガーベイブ」 「ナイアガラトライアングルVol.1」等の、
  "日本語ロック"を担うロックの歴史的なセッションに参加。
  77年、初のソロアルバム「DEADLY DRIVE」をリリース。
  80年、佐野元春 withザ・ハートランドのギタリストとして活動を共にする。
  その頃から、ソロで「Baby Blue」「Sugar Boy Blues」等、数々の名盤を発表。
  また、沢田研二、ウルフルズ、アンルイスなど、
  数々のアーティストをプロデュース。 03年「ココナツ・バンク」で、
  アーティストとしてシーンに復帰。 現在、精力的な音楽活動を続けている。

 「『BABY BLUE』を気に入ってくれてた人たちは、
  『BABY BLUE』みたいなものを聴いて喜ぶかといったら、
 
僕は喜ばないような気がする。聴いた時は昔っぽくてと思うかもしれないけど、
  やっぱりこっちからきっちり突きつけていけるものをね、歌詞とかね。
  だから「ココナツ・バンク」を出して余計にそう思ったんですね。
  ココナツは僕がつくった「テーマパークにようこそ」って感じで、
  中に入っていくと面白いトロピカルレイルロードが走ってたり。

次回、moment「Talk&Interview」INDEX-PART2(#21〜#40)に続きます!